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【http://4travel.jp/traveler/marktanaka/album/10221529/からつづく】 <br /><br />明けて翌朝。昨日の朝からたった1日後に2500マイル(≒4000キロ)彼方の別世界に来ている現実を考えると、少しくらいは航空機の功績も認めるべきかもしれない。それもさることながら、例によってムク起きで空腹を訴える妻を持つ僕としては、無駄なことを考えている暇があれば早速朝食の心配をしないといけない。 <br /><br />シャワーを浴びて、クーラーの利きの悪い部屋から一歩でると夏の空気が待っていた。とはいえ、海に囲まれたキイ・ウエストでは爽やかなそよ風が吹き、南国らしい明るい朝の陽差しが清々しい。 <br /><br />明るくなって改めて見てみると、僕らが停まったモウテルの周辺はなかなか立派なホテルが連なっている。これがすべて満室なのだから、ここの人気ぶりが分かるというもの。3ブロック先のデュバル通りを横切り、さらにもう1ブロック先のホワイトヘッド通りを南に折れて今日最初の目的地に向かう。 <br /><br />キイ・ウエストは前に書いたとおり、フロリダ半島の南端から緩やかな弧を描いて200キロ南西にのびる小さな島の連なりの先の、東西8キロ、南北2キロの小さな島である。この島は、実は米国の最南端にある。この碑にここまで堂々と書いてあるからには、信じないわけにはいかない。 <br /><br />ここからたった90マイル(144キロ)先にカストロの島、キューバがある。傍らにあった説明によると、1867年にこことキューバの間に海底ケイブルが敷かれ、電報が開通したおかげで情報が格段に速く伝わるようになったそうだ。1917年にはキイ・ウエストからマイアミまで延長されたが、やがて米国とキューバとの関係の悪化、通信衛星の発達により、今日では海底ケイブルは過去の遺物となっている。ちなみに、このコンクリ製の碑は、ケイブルを牽くときに使用された柱らしい。 <br /><br />米国最南端到達のあと、同じ道を引き返し繁華街に向かう。 <br /><br />朝から気付いていたことだが、キイ・ウエストにはニワトリが多い。あちらこちらで時を作る声が聞こえるだけでなく、庭には二羽通りにも二羽と、物怖じするでもなく街中を闊歩していた。 <br /><br />夜遅くまで賑やかなデュバル通りは、朝も遅い。通りを歩いてみたが9時前に開いているレストランはほとんどない。幸い開店していたフランス人のパン屋さんでコーヒーとクロワッサンサンドイッチの朝食にありついた。ここの店員さんは、フランス語訛が激しく、よく聞き取れない。僕のせいと思ってたら、他の客も同じ様子だった。今年の抱負により四半世紀ぶりに再開したフランス語は、まだJe comprend un peu le fran&amp;ccedil;aisのレベルなので、てんで話にならない。 <br /><br />ヘミングウエイ邸に向かう道すがら、ちょっと風情ある通りを見かけたので入ってみる。<br /><br />ゲイトの上の看板には、バハマ・ビレッジと書かれている。行ったことはないけれど、なんとなくバハマ!という鄙びた佇まいで、どこからかジャンカヌーのリズムが聞こえてきそうだ。その先には、コンチ共和国事務局があった。<br /><br />コンチ共和国とは、1982年に合衆国国境防護局がフロリダ・キイの北で国道1号を封鎖したことに反抗し、アメリカ合衆国からの脱退を宣言してしまった悪ノリ独立国である。同国では、道路封鎖が行われた地点以北(つまりフロリダ・キイ以外の全米)を「北部地域」と呼んでおり、希望者には自国のパスポートを発行しているらしい。 <br /><br />キイ・ウエストでは、はずれたところにさえ宿を取らなければ、すべてが歩ける範囲にあるので大変便利だ。次の目的地、ヘミングウエイ邸もコンチ共和国事務局から目と鼻の先にある。 <br /><br />作家アーネスト・ヘミングウエイの住まいと広い庭園は1968年に国立歴史記念碑に指定されている。入口で一人12ドルの入場料を払い、中に入るとすぐにガイド・ツアーが始まった。 <br /><br />パパ・ヘミングウエイは1931年にこのスパニッシュ・リバイバル様式の家を8,000ドルで買い、1961年に他界するまで手放さなかった。家の中には、作家が生前使用していた家具調度がそのまま維持されている。この邸宅の裏には、そこで「誰がために鐘は鳴る」「キリマンジャロの雪」「持つと持たぬと」などの小説が執筆された別棟の書斎が公開されていた。 <br /><br />作家が使ったタイプライタを目にして、若いころ読んだ彼の小説のいくつかを懐かしく思い出した。あれから数十年の日々を経験し、作家ゆかりの地を訪れたいま読み直すと、また違う読み方ができるんだろうな。 <br /><br />ところで、主がこの世を去ったあとも、この家にはパパが飼っていた猫の子孫が大切に飼われている。60匹あまりの猫が思い思いに屋敷や庭に寝転がり、徘徊する様子は、まさに猫屋敷だ。ここの猫の半数は6本指が特徴で、生前パパはそれを幸運のしるしと信じていたらしい。ここの猫には、代々チャーリー・チャップリン、パブロ・ピカソ、エミリー・ディケンソンなど錚々たる名前がつけられていて、屋敷の裏に並ぶ墓標は、さながらウエストウッド霊園のような豪華さだった。 <br /><br />ヘミングウエイ邸を出たあと、そのままホワイトヘッド通りを進んだ。その先にあるのは郡裁判所前に立っている「虹の果て」看板(なるほどゲイのみなさんが集まるのも頷ける〜)、そして国道1号開始点。ここに端を発する国道1号は米国東海岸沿いに2400マイル(≒3800キロ)北上し、カナダ国境まで走る。僕らは、この後美術館などに立ち寄るが、それは勝手ながら省略のうえ、ふたたびこの道路に乗って、今晩の宿マイアミに向かう。 <br /><br />【http://4travel.jp/traveler/marktanaka/album/10221947/につづく】<br /><br />≫過去の旅行記を見逃した方は、http://marktanaka.spaces.live.comに急行だ!

冬のフロリダ その3

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2008/02/16 - 2008/02/19

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旅行記グループ 冬のフロリダの旅(2008)

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9

Mark & Risbeau

Mark & Risbeauさん

http://4travel.jp/traveler/marktanaka/album/10221529/からつづく】

明けて翌朝。昨日の朝からたった1日後に2500マイル(≒4000キロ)彼方の別世界に来ている現実を考えると、少しくらいは航空機の功績も認めるべきかもしれない。それもさることながら、例によってムク起きで空腹を訴える妻を持つ僕としては、無駄なことを考えている暇があれば早速朝食の心配をしないといけない。

シャワーを浴びて、クーラーの利きの悪い部屋から一歩でると夏の空気が待っていた。とはいえ、海に囲まれたキイ・ウエストでは爽やかなそよ風が吹き、南国らしい明るい朝の陽差しが清々しい。

明るくなって改めて見てみると、僕らが停まったモウテルの周辺はなかなか立派なホテルが連なっている。これがすべて満室なのだから、ここの人気ぶりが分かるというもの。3ブロック先のデュバル通りを横切り、さらにもう1ブロック先のホワイトヘッド通りを南に折れて今日最初の目的地に向かう。

キイ・ウエストは前に書いたとおり、フロリダ半島の南端から緩やかな弧を描いて200キロ南西にのびる小さな島の連なりの先の、東西8キロ、南北2キロの小さな島である。この島は、実は米国の最南端にある。この碑にここまで堂々と書いてあるからには、信じないわけにはいかない。

ここからたった90マイル(144キロ)先にカストロの島、キューバがある。傍らにあった説明によると、1867年にこことキューバの間に海底ケイブルが敷かれ、電報が開通したおかげで情報が格段に速く伝わるようになったそうだ。1917年にはキイ・ウエストからマイアミまで延長されたが、やがて米国とキューバとの関係の悪化、通信衛星の発達により、今日では海底ケイブルは過去の遺物となっている。ちなみに、このコンクリ製の碑は、ケイブルを牽くときに使用された柱らしい。

米国最南端到達のあと、同じ道を引き返し繁華街に向かう。

朝から気付いていたことだが、キイ・ウエストにはニワトリが多い。あちらこちらで時を作る声が聞こえるだけでなく、庭には二羽通りにも二羽と、物怖じするでもなく街中を闊歩していた。

夜遅くまで賑やかなデュバル通りは、朝も遅い。通りを歩いてみたが9時前に開いているレストランはほとんどない。幸い開店していたフランス人のパン屋さんでコーヒーとクロワッサンサンドイッチの朝食にありついた。ここの店員さんは、フランス語訛が激しく、よく聞き取れない。僕のせいと思ってたら、他の客も同じ様子だった。今年の抱負により四半世紀ぶりに再開したフランス語は、まだJe comprend un peu le fran&ccedil;aisのレベルなので、てんで話にならない。

ヘミングウエイ邸に向かう道すがら、ちょっと風情ある通りを見かけたので入ってみる。

ゲイトの上の看板には、バハマ・ビレッジと書かれている。行ったことはないけれど、なんとなくバハマ!という鄙びた佇まいで、どこからかジャンカヌーのリズムが聞こえてきそうだ。その先には、コンチ共和国事務局があった。

コンチ共和国とは、1982年に合衆国国境防護局がフロリダ・キイの北で国道1号を封鎖したことに反抗し、アメリカ合衆国からの脱退を宣言してしまった悪ノリ独立国である。同国では、道路封鎖が行われた地点以北(つまりフロリダ・キイ以外の全米)を「北部地域」と呼んでおり、希望者には自国のパスポートを発行しているらしい。

キイ・ウエストでは、はずれたところにさえ宿を取らなければ、すべてが歩ける範囲にあるので大変便利だ。次の目的地、ヘミングウエイ邸もコンチ共和国事務局から目と鼻の先にある。

作家アーネスト・ヘミングウエイの住まいと広い庭園は1968年に国立歴史記念碑に指定されている。入口で一人12ドルの入場料を払い、中に入るとすぐにガイド・ツアーが始まった。

パパ・ヘミングウエイは1931年にこのスパニッシュ・リバイバル様式の家を8,000ドルで買い、1961年に他界するまで手放さなかった。家の中には、作家が生前使用していた家具調度がそのまま維持されている。この邸宅の裏には、そこで「誰がために鐘は鳴る」「キリマンジャロの雪」「持つと持たぬと」などの小説が執筆された別棟の書斎が公開されていた。

作家が使ったタイプライタを目にして、若いころ読んだ彼の小説のいくつかを懐かしく思い出した。あれから数十年の日々を経験し、作家ゆかりの地を訪れたいま読み直すと、また違う読み方ができるんだろうな。

ところで、主がこの世を去ったあとも、この家にはパパが飼っていた猫の子孫が大切に飼われている。60匹あまりの猫が思い思いに屋敷や庭に寝転がり、徘徊する様子は、まさに猫屋敷だ。ここの猫の半数は6本指が特徴で、生前パパはそれを幸運のしるしと信じていたらしい。ここの猫には、代々チャーリー・チャップリン、パブロ・ピカソ、エミリー・ディケンソンなど錚々たる名前がつけられていて、屋敷の裏に並ぶ墓標は、さながらウエストウッド霊園のような豪華さだった。

ヘミングウエイ邸を出たあと、そのままホワイトヘッド通りを進んだ。その先にあるのは郡裁判所前に立っている「虹の果て」看板(なるほどゲイのみなさんが集まるのも頷ける〜)、そして国道1号開始点。ここに端を発する国道1号は米国東海岸沿いに2400マイル(≒3800キロ)北上し、カナダ国境まで走る。僕らは、この後美術館などに立ち寄るが、それは勝手ながら省略のうえ、ふたたびこの道路に乗って、今晩の宿マイアミに向かう。

http://4travel.jp/traveler/marktanaka/album/10221947/につづく】

≫過去の旅行記を見逃した方は、http://marktanaka.spaces.live.comに急行だ!

同行者
カップル・夫婦
一人あたり費用
15万円 - 20万円
航空会社
アラスカ航空

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  • 残念ながら、これはお向かいさん

    残念ながら、これはお向かいさん

  • 至るところにニワトリあり

    至るところにニワトリあり

  • 朝食中

    朝食中

  • バハマ・ビレッジ

    バハマ・ビレッジ

  • コンチ共和国事務局

    コンチ共和国事務局

  • ヘミングウエイさんち

    ヘミングウエイさんち

  • パパの書斎

    パパの書斎

  • 虹の果て

    虹の果て

  • 国道1号線始点

    国道1号線始点

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