2007/10/16 - 2007/10/20
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maywayさん
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10月19日
省都・太原市の南≒100kmに位置、「中国四大古城乃一的平遥古城」。 ここは、完全に残された城壁、その「城市」で毎日の生活が営まられていることで知られている。
出発は、今日も8時。
太原空港に着いて以来、「面包車」のドライバーとガイドとはズーと一緒なるが故に、かなりコミニュケーションができる様になって楽しい。 でも、他方では、相手に対して期待するもの有って、摩擦も現出 でした。
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平遥への途上、「喬家大院」を経由。
ここは、豪商の大邸宅、監督・張芸謀(チャン イー モウ)が、「大紅灯篭高高掛」(邦題「紅夢」)を撮影したので、ご存知の方も御有りかと思います。 -
やっと空いたので撮ったら、この方が。
1,300,000,000分乃一の女史。 -
とにかく、人人 人でした。 この庭園に来てホッとしました。
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見るとこ沢山でしたが、人人です。
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これは「纏足」(てんそく)用の履物。
中国では、女性は足が小さいのを良しとした時代が有ったそうです。 -
塀ひとつを見ても、「ただ塀」と言うだけの、機能一辺倒の無粋なものは、見かけません。
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いよいよ平遥の城壁です。
少し離れた所で車から降り、この公園越しに門まで歩きました。 -
高さ 12m、4mの濠、銃眼が設けられている。
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明時代(1368〜1644年)、1370年再建。
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ほぼ正方形、全長約6km。
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城壁の上から「城市」を見る。
中国では、自らを守るため、周囲を城壁で囲んでいました。 これを「城市(=都市)」と言うそうです。
現在も、この言葉や、概念は残っていますが、順次変わりつつあるとも聞いています。 -
銃眼に相当する所です。
現代において、城壁は交通の妨げになるとの理由で、撤去された所が多く、だからこそ4大古城のひとつとしての価値が、大きくあるようです。 -
明清時代の街並みが残っている。
「完全に残された城壁」と、解説書には記載されている。 -
この中は四大街、八小街の道路網が廻る。
南大街とこれをまたいでそびえる市楼。
この中は車は禁止(ですが有りました。但し極めてゆっくり走っていました)。
歩きか自転車が多く、ゆったりした時間が流れる。 -
明代のまま。タイムスリップした自分がいます。
この地に町が出来たのは、紀元前8〜9世紀にさかのぼるとか。 「ウへー」です -
メインロードを、ちょっと入るとこんな感じ。
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鐘楼と鼓楼が見えます。
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向こうは市楼、朝昼晩、市が立ったので、こう呼ばれた。
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この右の建物は、旅館だったような気もするが??
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中国商会博物館です。
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鐘楼
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個人(?)の玄関脇に狛犬? 獅子?
それはともかく、口紅と思いきや、「歯紅」に成っていました。 -
平遥県署
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「牢獄」の文字は、日本のと全く変わらないのですね。 この中には、格子の入った獄舎がありました。
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当時の政府機関(県の役所)の跡が残っている。
区画のあり方、役所の位置などなど、往時を偲ぶ事ができ、とても参考になるそうです。 -
にゃんこ ちゃん。
ちょっと目を開いて、辺りを見回したけど、やっぱ眠ーい。
実は、私たち仲間うちでは、猫や犬を呼んで振り返ってもらえるようになれば、会話も本物になったんだと言っているのですが・・・。 -
明清時代に、穀物や絹織物の集散地として繁栄し「山西商人が活躍した。
清朝の1823年、中国で初めての為替を扱う、「票号」(銀行の前身)が、この町で生まれた。
これは、第1号の「日昇昌」で博物館になっている。 -
城市には、こんなのも有りました。 これは、解体?、修理中?
創造は破壊から(毛沢東の言葉)ですネ。
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