2007/07/22 - 2007/07/22
340位(同エリア456件中)
まみさん
2007/07/22(日)第15日目:午前ドラゴミルナ修道院(w/現地ガイド)&午後スチャヴァ
【宿泊:Hotel Gloria(スチャヴァ)】
・ドラゴミルナ修道院とミサを見学
《午後:スチャヴァ観光》
カトリック教会、歴史博物館、聖デメトリウス教会(入れず)、民俗博物館、ドムニツェロール教会、ミラウツィ教会
スチャヴァは、旅の立案当初から、ブコヴィナ地方の修道院めぐりをするなら旅程に入れなければならない都市に挙げていました。
実際、修道院めぐりの足場に利用する観光客も多いようです。
しかし、「地球の歩き方」の「小さい町だが教会や博物館は充実している」という紹介文で、スチャヴァ自身の魅力も無視できなくなりました。
日経BP社の旅名人ブックスシリーズやミキライゼンのHPの「ルーマニア便り」などでも、修道院めぐりの足場にするだけではもったいない!とあります。
日程に余裕がなかったら、そうは言われても、足場にするしかなかったでしょう。
幸い今回の旅行には、3週間たっぷり日程を取れました。
もっとも、はじめは、ブルガリアなど、他の国と抱き合わせて行くことを考えていました。
でもどうせなら、観光客がなかなか寄らないけれど本当は魅力ある「知られざる町!」の開拓もしたくて、ルーマニア一国に絞りました。
スチャヴァはそんな都市の一つです。
もちろん、「知られざる町」なんて、あくまで日本人的視点でしょう。
ルーマニア人にとって、そして近隣諸国の人々にとっては、その魅力もよく知られたる町であることは言うまでもありません。
「スチャヴァがモルドヴァ公国の首都に定められたのは1377年。公国の文化・行政の中心として、1565年にヤシに遷都されるまで大きく発展した古都だ。
ワラキア公国と並んで、現在のルーマニアの母体となったモルドヴァ公国。一時オスマン朝の支配下に入るもののシュテファン大公(在位1457〜1504)がこれを撃退し、後継のボグダン3世(在位1504〜17)とペトル・ラレシュ公(在位1527〜38、1541〜46)の治世下、モルドヴァ公国は黄金期を迎える。ルーマニア最大の見どころ「五つの修道院」の建設も、この時代である。(中略)
現在、スチャヴァは修道院巡りの拠点として旅行者を迎える小さな地方都市。小さい町だが教会や博物館は充実している。」
(’07〜’08年版「地球の歩き方」より)
参照サイト
「拠点だけではもったいない! スチャヴァより」
http://www.miki-reisen.de/Japan/eur%20tusin/romania%20suceava/suceava.html
(ミキライゼンの「ヨーロッパ通信」─「ルーマニア便り」より)
http://www.miki-reisen.de/Japan/japan.htm
スチャヴァは、現地ガイドと別れて6日半ぶりに再開した一人旅の最初の町となりました。
旧市街のど真ん中にホテルを取った利便性に助けられたところもありますが、主だった観光ハイライトが歩いて周れるのは幸いでした。
しかし、残念ながらスチャヴァでは1日しか日程をとれなかったので、閑散とした日曜の顔しか知りません。
また、この日もルーマニアでは記録的な猛暑でした。だから余計に、昼間、人の姿がなかったかもしれません。外を出歩くのはそのチャンスの少ない観光客ばかり。
その観光客の姿もめったに見られず、道を歩いている人を見かけると驚いてしまうくらいです。
そんなゴーストタウンも、夕方になると、公園でくつろぐ人の姿がちらほら見られるようになりました。
また、現地ガイドがいたメリットを、一人歩きを始めて改めて感じました。
ルーマニア人は外国人観光客に人なつこく、この日の午後だけでも何度か、子供たちに好奇心たっぷりに話しかけられました。
少しばかり英語が話せる子はいましたが、名前を聞かれて答えたくらいで、話は続きませんでした。
それに、好意的なものかどうか分からないのもありました。
言葉が分からなくても、悪口や否定的なことを言われているとなんとなく分かるというのは本当です。
でもそれが私に関係あるかどうか、本当に悪口だったかどうかも分かりません。私の方も、中には良くない意図をもって近付く人もいるので用心していますし、怪しければ無視します。
実際、ルーマニア旅行中、残念ながらジプシーの物乞いにも、子供も大人も含め、何度か遭遇しています。タクシーの悪質な客引きにも引っかかったこともあります。
ガイドがいたら、気になることは質問できたでしょう。そしてガイドはきっと、オブラートに包んだり、ある程度はしょりながらも、だいたい納得できそうな説明をしてくれたに違いないです。
また、ガイドは、物乞いや悪質な客引きを近づけさせないでしょう。
もっとも、いつも、本当のところはどうだったんだろうと首を傾げながら、適度にスルーしつつ先に進みます。
むしろ、ガイドがいなくなった最大のデメリットは、ひとりごとが格段に増えたことかもしれません(笑)。
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メインストリートの一つ、シュテファン大公大通り
ああ、久しぶりに町だなぁというかんじです。これまでの1週間は田舎めぐりをしてきたので。
といっても、日曜日なのでメインストリートも閑散としています。
町歩きを始めてすぐに撮った写真です。
この少し先に、町の中心の12月22日広場があります。
「ペトゥル・ムシャト1世は1388年、スチャヴァをモルドヴァ公国の都と定めた。それから1565年にヤシに遷都されるまで、スチャヴアはイスタンブールとリボフ(ウクライナ)を結ぶ貿易ルートの要衝として繁栄を謳歌した。
シュテファン大公による冬季の末期(16世紀初頭)には、実に40もの教会が町中に林立していた。しかし、1675年にトルコ軍に征服された以降は、町は衰微の一途をたどり始める。
しかもチャウシェスク政権の1980年代に、スチャヴァは「公害の町」のレッテルを貼られてしまう。製紙工場で使う薬品が原因であった。当時は「スチャヴァ・シンドローム」という言葉まで生まれた。その後に新しいフィルターが開発されるとともに、汚染は収まった。しかし、スチャヴァの経済は今も林業、木材加工、化学製品、鉱業などに頼らざるを得なく、工業都市のイメージが相変わらず強い。
ブコヴィナのフレスコ画の修道院の人気が高まるにつれて、ブコヴィナ旅行の起点としてスチャヴァにも観光客が訪れるようになった。スチャヴァ固有の歴史遺産にもスポットがあたるようになり、古い修道院や教会などに観光客が足を延ばし始めている。」
(「旅名人ブックス ルーマニア 伝説と素朴な民衆文化と出会う」(日経BP社)より) -
シュテファン大公大通りのカトリック教会
町歩きを始めてすぐに目に付いたので、中を見学しました。教会巡りは格好の観光スポットですからね。
ふつうにバロックなカトリック教会でした。乙女チックというか。 -
カトリック教会の前にあったなかなかステキな建物
Prefectura Judetul Suceava とありました。
Judetul Suceava とはスチャヴァ州の意味ですので、州の公共の建物かな。 -
井戸風の花壇かな
シュテファン大公大通りの歴史博物館のすぐ近くの銀行の前にて
世界遺産の聖イオアン修道院に向かうために中央公園をめざしていた途中で撮った写真です。
なんとなく遊び心が感じられたので@
このあたりを歩いているとき、銀行のそばに電光掲示板の「本日の気温」というのがありました。39度でした。
今朝、テレビの天気予報をチェックしました。今日も異常な猛暑になるだろうかと気になって。
スチャヴァの最高気温の予測は38度でした。
でも、ブカレストは40度です。ルーマニアの中では南寄りであるだけでなく、都会なので、アスファルト熱もあるかもしれません。
ただし、最低気温は24度。寒暖の差が激しいです。
これからいく予定のところの最高気温もチェックしました。明日行くヤシは39度。来週行くティミショアラは41度。ひえーっ、ブカレストよりさらに暑い都市なんですか。
もっとも、黒海沿岸地方はもっと高かったです。一方、標高800mのところにある避暑地シナイアは、さすがにかなり涼しそうでした。どちらもメモらなかったので正確な数値は忘れました。
もっとも、ルーマニアをはじめとするヨーロッパの夏は湿度が低いので、体感温度は日本での39度とは全く違います。
日陰に避難すれば、わりと涼しいですしね。
いま歩いている最中の実感から、日向ばかり歩かざるを得ないときでも、39度ならまだ我慢できそうだと思いました。
しかし3日後のブカレストは、本日の最高気温は40度なんですよね。その差は1度。
しかし、この1度の違いは大きいです。今からうんざりしてきました。 -
勇者イオアン・ボダ大通り(Str. Ioan Voda Viteazul)とアナ・イパテスク大通り(Bd. Ana Ipatescu)の交差するところで見つけた教会をトロイツァやアラゲハンゴン(粗毛反魂草)の花と共に
歴史博物館と聖イオアン修道院の見学をすませ、町の中心に戻る途中で撮った写真です。
アラゲハンゴンの花に魅せられたので@
実はでっかいルドベキアの花と思ってびっくりしたのですが、帰国後に、アラゲハンゴンソウではないかと気付きました。
教会は、残念ながら中は見学できませんでした。
そして、ルーマニア版道祖神、道端の十字架ともいうべきトロイツァ。
これは村や町の始点と終点にはほぼ必ず、そして道が交差するところによく建てられていましたが、教会にはこうして必ずあります。ルーマニア正教会と、それから元は正教会のところにローマ法王の至上性を認めた折衷タイプのギリシャ・カトリック教会の場合ですけど。 -
ワインとぶどうの浮彫が可愛いトロイツァ
勇者イオアン・ボダ大通り(Str. Ioan Voda Viteazul)とアナ・イパテスク大通り(Bd. Ana Ipatescu)の交差するところで見つけた教会 -
中央公園(Parcul Central)のペトル・ラレシュ像
じゃないかと思ったら、当たっていました@
歴史博物館と聖イオアン修道院の見学を終えて戻ってきたときに撮りました。
民俗博物館と市内の教会めぐりをする前に、公園内の売店でアイスクリームを食べて一休みしました。 -
聖ドミトル教会
民俗博物館を探してうろうろしていたときに撮りました。
この教会にたどり着いたことで、全然違うところを歩いていたことに気付きました。
Lonely Planetでも紹介されていて目をつけていた教会です。
この教会のそばは3度も通りかかりましたが、いずれも中に入ることはできませんでした。
礼拝堂側の窓は、ステンドグラスになっているようです。窓から中を覗くと、フレスコ画でぎっしりと思われる壁がちょっとだけ見えました。
「聖ドミトル教会
1535年にペトル・ラレシュ公によって建てられました。16世紀のモルドヴァ地方の教会の典型の、(トランプの)クラブの形をしたビザンチン様式です。外壁にはフレスコ画の跡が見られます。」
(Lonely Planet 3rd editionより抜粋・私訳) -
日曜は閑散としているショッピングエリアのバルチェスク大通り
民俗博物館に無事にたどり着き、見学を終えた後です。
市内の教会めぐりをする拠点として、いったん町の中心の12月22日広場に戻りました。
このショッピングエリアはそこから始まっています。
巨大すぎず適当な規模なので、ちょっと買い物をするにはちょうど良さそうなエリアでしたが、日曜日ですので、どこも閉まっていました。
12月22日広場には、ブコヴィナ地方の修道院巡りを現地で手配できると「地球の歩き方」に紹介されていたイカルス旅行会社もあったのですが、日曜日でしたのでこれも閉まっていました。 -
バルチェスク大通り(歩行者天国の目抜き通り)の足下のタイル
モルドヴァ公国の紋章デザインです。
家畜の牛の祖先にあたる野生の牛「オーロック」と太陽と月と星がモチーフです。 -
結婚式をやっていたドムニツェロール(Domniteror)教会
英語ではPrincesses’ Churchとあるので、さしずめ「公女たちの教会」というところでしょうか。
「地球の歩き方」には聖イオアン教会以外、教会情報はほとんど載っていませんでしたが、幸い Lonely Planet にはきちんと情報がありましたので、Lonely Planet を参考に教会めぐりができました。
ドムニツェロール教会は、1643年に建てられた教会です。Lonely Planetには、町でもっともラブリーな建物の1つと紹介されていたので、ぜひ行こうと目をつけていました。
もっとも、Lonely Planetに紹介されていて目をつけた教会全て、中まで見学できたわけではありません。
ここは結婚式の最中でした。もしかしたらそのおかげで中を覗くことができたかもしれません。プロナオスのところまでですが@
しばらく結婚式の様子も見させてもらいました。
司教は美声で、教会内でよく響きました。
歌うようにコンスタンチン・マリア、マリア・コンスタンチンと繰り返していました。
同じ繰り返しは、他の正教会のミサで聞いたことがあります。
南無阿弥陀仏やノウマクサンマンダバザランを繰り返し唱えるのと同じようなものでしょうか@ -
ドムニツェロール(Domniteror)教会とトロイツァ
1535年、ペトル・ラレシュによって建てられた教会です。
ビザンチン様式の影響が見られる、16世紀の典型的なモルドヴァ教会です。
外壁にフレスコ画が描かれていましたが、その跡はかろうじて分かる程度です。 -
ミラウツィ(Mirauti)教会
Lonely Planetと日経BP社の旅名人ブックスで由緒ある見どころの多そうな教会として紹介されていたので、これもぜひ行こうとめをつけていました。
門をくぐってすぐのこのアングルが気に入りました@
この教会は1375年から91年創建ですが、現在の建物は19世紀に建て直されたもののようです。
シュテファン大公がこの教会で大公の地位に就く戴冠式が行われました。
(情報源:Lonely Planet 3rd edition)
「スチャヴァにはもう1つ、歴史上、重要な教会がある。ゲオルゲ・ノウから北へ500メートルほど行った場所にあるミラウッツィ教会である。19世紀に再建された建物で、こぢんまりとしたもの。だが、ここはかつてモルドヴァ公国の戴冠式が行われた由緒ある教会である。さらにモルドヴァの主教座の置かれた、別格の教会でもあった。
かのシュテファン大公もここで認証されて、正式にモルドヴァの統治者となった。」
(「旅名人ブックス ルーマニア 伝説と素朴な民衆文化と出会う」(日経BP社)より)
中は、フレスコ画はロウソクのすすのせいで汚れたのか薄黒くなっていましたが、見ごたえありました。
また、ドラゴミルナ修道院や聖イオアン修道院の教会で見たように、プロナオス(第一室目)とナオス(第二室目)の間は3つのアーチ門になっていました。カトリック教会の三廊式っぽかったです。
あとで自作の観光メモを休憩がてらひっくり返したとき、モラウツィ教会では「オリーブ山の祈祷者」のフレスコ画が必見、としっかりメモしてありました。
イコノスタシスに向かい合うナオスの壁にあった気がしますが、見学の最中はメモのことを忘れていたので意識して探さず、残念ながらうろ覚えです。 -
ペトル・ムシャト1世像
12月22日広場にて
いかにも中世騎士の出で立ちが気に入りました。
シュテファン大公よりも1世紀近く前に生きた人物で、1388年にスチャヴァをモルドヴァ公国の首都に定めたモルドヴァ公です。
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