2007/12/30 - 2008/01/04
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azianokazeさん
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カンボジアの首都プノンペン。
世界遺産アンコールワットの国でもありますが、つい30年前、ポルポト率いるクメール・ルージュによる大量虐殺が行われた国でもあります。
そんな狂気を今に伝える施設トゥール・スレンを訪れました。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 航空会社
- 上海航空
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-
プノンペン市街地内にあるトゥール・スレンを訪れた日は雲が少し厚めの日でした。
もともと高校を利用した建物ですから、外観は全く威圧するようなものはありません。 -
ポルポト時代に“反革命分子”とみなされた人々を収容するために使用されたトゥール・スレン(正式名称 Security Office 21通称“S21”)は、建物内部の元教室は尋問(正確には拷問)のための部屋、独房、雑居房など何種類かの部屋に改造されています。
敷地内にはプルメリアの白い花が咲いていました。 -
この施設が稼動したのが76年6月、ポルポトがプノンペンを追われるのが79年1月、この間の約2年半の期間に約2万人が収容され、生還者はわずか数名とも言われています。
写真はA棟1階の尋問室。
ベッド下の床の黒ずみが、拷問を受けた人々の血のあとのようにも思えました。 -
女性・子供を含む殆ど全員が拷問により反革命やベトナムとの関係を認めさせられ、“仲間”の名前を自白させられ、そしてキリングフィールドに送られていきました。
写真は尋問(拷問)時に服役者を固定した金属製のベッド。 -
わっかのような部分に足首を通して動けないように固定します。
その棒を鎖につなぎます。 -
ベッド上に置かれた金属製のボックス。
最初電気刺激関係の何かかと思いましたが、排泄物用の箱でしょうか。 -
この施設の“規則”。
1.質問された事にそのまま答えよ。話をそらしてはならない。
2.何かと口実を作って事実を隠蔽してはならない。尋問係を試す事は固く禁じる。
3.革命に亀裂をもたらし頓挫させようとするのは愚か者である。そのようになってはならない。
4.質問に対し問い返すなどして時間稼ぎをしてはならない。
5.自分の不道徳や革命論など語ってはならない。
6.電流を受けている間は一切叫ばないこと。
7.何もせず、静かに座って命令を待て。何も命令がなければ静かにしていろ。何か命令を受けたら、何も言わずにすぐにやれ。
8.自分の本当の素性を隠すためにベトナム系移民を口実に使うな。
9.これらの規則が守れなければ何度でも何度でも電流を与える。
10.これらの規則を破った場合には10回の電流か5回の電気ショックを与える。
(邦訳はウィキペディアより) -
中庭に設置された“首吊り台”(正確には首ではなく手を縛って吊るします。)
少し見づらいですが左側の木枠がそれです。下には水がめが2個置かれています。
後ろ手に縛った服役者をロープで吊るします。
失神すると水がめの頭を突っ込み、意識を回復させます。
再び台に吊るします・・・・。 -
実際に“尋問”を行っているときの図。
-
D棟3階で、家族へのインタビューや当時の記録フィルムを交えたビデオ(1時間)が無料で上映されています。
英語ですので、私の英語力ではナレーションは殆ど聞き取れません。
字幕も1行ほど読んだぐらいで消えていきます。
ただ、中国の文化大革命当時の人海戦術による作業を彷彿とさせるようなクメール・ルージュ政権下の状況は興味深いですし、残された人々の“どうしてこんなことになってしまったのか・・・”という嘆きは伝わってきます。
何より、当事者の苦しみや悲しみを思うと“よく分からないから”と中座するのがためらわれ最後まで観ました。
入口で、このCDが3ドルで販売されていたので購入したのですが、うまく再生できません。
(トゥール・スレン自体の入場はさすがに無料です。) -
ポルポト政権下では大人は革命の精神を体得できないと信用されていませんでしたので、兵士も医師も子供が勤めるという“不思議な”世界でしたが、ここS21でも子供達が獄吏をつとめていました。
英語を口にしたため“反革命的インテリ分子”としてS21に送られ、奇跡的に生還した元高校英語教師が助かった理由は、子供の獄吏達にイソップ物語や動物の話を語ってあげていたためだそうです。
全員殺害の命令にもかかわらず、この“物語名人”を殺すことを子供獄吏たちは惜しみ、命を永らえることができたとか。【ポルポト〈革命〉史(山田寛著)より】 -
S21の所長が現在カンボジア特別法廷に送られているドッチでした。
彼はポルポト政権崩壊後行方知れずとなっていましたが、99年発見されたときは、クリスチャンの洗礼をうけ、タイ国境近い森の中で国際援助を受ける難民救済活動に従事していたそうです。
「私の罪は、あの頃神でなく共産主義に仕えたことだった。殺戮の過去を大変後悔している。」
そう語るドッチは、責任転嫁に終始しているクメール・ルージュ幹部のなかでは唯一自分の責任を認めている人物です。 -
しかし、彼が犯した過ちはあまりにも大きなものでした。
現在のトゥール・スレンには、拷問道具・その使用例を示した絵などのほかに、ドッチの指揮下で拷問を受け殺害されたおびただしい数の元囚人達の顔写真が部屋一杯に展示されています。 -
-
その中で大きく引き伸ばされた1枚の写真に足が止まりました。
ひざに乳飲み子をかかえた女性です。
背筋を伸ばし正面を見つめるその姿は、自らとわが子に襲い掛かる不条理のなかで、絶望を見つめているかのように思えます。
写真を眺めてしばらくして、女性の目元を伝うものがあるのに気づきました。
涙でしょうか。 -
後頭部には奇妙な装置があてがわれています。
この椅子と一体になったこの装置が何かよくわかりませんが、おそらく説明を聞いて楽しくなるようなしろものではないでしょう。
ウィキペディアによると、この女性は外務副大臣の妻であったチャン・キム・スルンだそうです。 -
雑居房で大勢が足をつながれていた道具
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拷問道具のひとつ
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使用例
正視に耐えないものは除いて、比較的穏当なものだけを撮影しましたが、それでも見ているだけで息苦しさを感じます。 -
拷問道具のひとつ
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使用例
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拷問場面
ボックスから取り出しているのはムカデみたいな虫です。 -
クメール・ルージュがプノンペンに入城してきた1975年4月17日、プノンペン市民は彼らを“解放者”として祝福して迎えました。
そのわずか数時間後に未曾有の悲劇が始まります。
市民は強制的に一斉にプノンペンから地方へ、行き先もろくにきまらないまま移動させられます。
入院患者も例外ではなく、点滴の道具を持って移動させられたそうです。
あとになって思えば、健常人すら大勢が死亡したこの移動で、そのような病人が生き延びられる確率は殆どゼロだったでしょうが。
移動を拒む者は柱に鎖で括り付けられ、餓死したとも言われます。
この写真の何人がその後の悲劇を生き延びたのでしょうか。 -
大都会プノンペンは一瞬にして、住む者がいないゴーストタウンと化しました。
(写真が4月17日のプノンペン市民強制移動のものかどうかはわかりません。) -
この施設は80年から一般公開されましたが、当時は日曜日になると1000人を越える現地の人々がつめかけ、行方知れずとなった家族の顔を、展示されている顔写真に捜し求めていたそうです。
ポルポトを追いやったヘン・サムリン政権はクメール・ルージュによる犠牲者を300万人と称しています。
他の機関の報告では120万人から170万人といった数字があげられています。
いずれにせよ、人口800万人たらずの社会で起こった虐殺として想像を絶する数字であることに変わりなく、現存しているカンボジアの人々はその家族に数人の犠牲者を抱えています。
(写真は急ごしらえの壁で仕切られた独居房の内部) -
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プノンペン郊外の遺跡観光のガイドを頼んだ29歳の日本語ガイドの青年も兄二人がこの時代に死んだと語っていました。
1人は戦いで、1人は食べるものがなく餓死のように。
またご両親は“強制集団結婚”によって夫婦となりましたが、ポルポト後に離婚されたそうです。
そうしたケースは多いとか。
(写真は別タイプの独居房) -
今、トゥール・スレンを訪れ感じる違和感がひとつあります。
それはここを訪れるのは外国人観光客ばかりで、現地の人々が全くみられないことです。
展示物の説明も、上映されるビデオも英語で、施設側も現地の人々を念頭に置いてないようです。
施設の周囲は一般民家ですが、その1軒のベランダ(それほど小奇麗なものではありませんが)から1人の現地男性が、施設に集まる大勢の欧米人を中心とする観光客を見下ろしていました。
“一体どういう気持ちで、自分を含めた外国人がこの忌まわしい施設を見学する光景を眺めているのだろうか・・・”そんな疑問にかられてカメラをその男性に向けたのですが、それに気づいた男性は“邪魔しちまったかな?悪かったな・・・”とでも言うようなバツの悪そうな笑いを浮かべて部屋に隠れてしまいました。 -
トゥール・スレンのような監獄は地方にも160箇所以上あったそうです。
上層部にあった敵対国ベトナムへの猜疑心、ドッチなど獄吏自身の保身、事実隠蔽のための殺戮・・・いろんな事情で行われたあまりの大量粛清・大量虐殺でクメール・ルージュの組織自体も弱体化していくことになります。
幅1mほどの独房から、鉄格子越しに外を望みます。
当時、この部屋に収容された人々はどのような思いだったのでしょうか。
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この旅行記へのコメント (3)
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- 唐辛子婆さん 2008/01/09 02:23:13
- 訪れるのは外国人ばかり
- azianokazeさん、こんばんは
コメントを読むのさえ気分が悪くなってしまって
画像が出てくるのが遅いのを幸い
ほとんど見ませんでした。
ごめんなさい、見ることが出来ません。
こういうの、残像が何ヶ月も残って夢にでてきたりするもんですから。
でも人間はおろかな生き物ですからすぐに忘れてしまいます。
戦争の悲惨さを伝えていくのは必要なことです。
日本でも
「えっ?日本って中国と戦争したのぉ??まさか〜!」
という若者がいるっていう話ですから。
訪れるのが外国人ばかり、というのがとっても気になります。
azianokazeさんが訪れてくださってよかった。
- azianokazeさん からの返信 2008/01/09 09:47:14
- RE: 訪れるのは外国人ばかり
- 悪趣味な写真を並べ立てて申し訳ありません。
ただ、これがわずか30年ほど前、アジアのすぐ近くの国でおこった現実であること、そして何より、そのような行為を行った者達は決して特別な人間ではなく、今親しげに観光客に話しかけている人々、今カメラに微笑む子供達、そういう普通の人々であったこと、人間は取り巻く流れのなかでいかようにも残虐になれるという危うさを持った生き物であること・・・そんな思いを伝えたいと思ったものですから。
世界各地で民族紛争やジェノサイドのニュースが聞かれますが、一番衝撃的なのは、昨日まで何事もなく暮らしていた人々が“突然”のごとく手に鉈や斧を持って隣人に襲い掛かるという事実です。
写真は表紙で使用した女性のものだけでも見ていただければ結構です。
- 唐辛子婆さん からの返信 2008/01/09 16:25:16
- RE: RE: 訪れるのは外国人ばかり
- >悪趣味な写真を並べ立てて申し訳ありません。
いえいえ、これは事実なんですから
できるだけ多くの人にみてもらいたいことですから。
ただ、私の意気地がないだけで。
どうも「痛い」ことに人一倍弱くてスパイ映画の拷問場面も
「作り事であることはわかっていても」見ていられないので。
>一番衝撃的なのは、昨日まで何事もなく暮らしていた人々が“突然”のごと>く手に鉈や斧を持って隣人に襲い掛かるという事実です。
「突然のごとく」何の理由もなく襲い掛かるように見えますが
それははた(受け取り側)の情報が不足していただけのことであって
何かしらの理由があるんでしょうね。
殺らなければ自分が殺られるような状況とか。
そして、私達は一応、現代の法治国家のもとで暮らしているけれども
そういうことが起こる国や地域って、いってみれば
人々は戦国時代(の意識や法整備)で暮らしていると感じます。
それが、現代の武器を使うので被害が一挙に拡大する・・・。
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