2008/01/03 - 2008/01/03
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sikizakuraさん
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犬山には身内が住んでいるため二十回以上行っているのに、いまだ一度も訪れたことのなかった犬山城。このままでは歴史好き・城好きの看板を降ろさなければならないと、この正月三日に犬山城散策を断行しました。
国宝犬山城は、小さいながらも魅力的でした。この魅力を少しでも理解していただきたく、あえて三篇に分けて旅行記を作成しました。
第一編は、天守閣内部へ入るまでを、第二編は天守閣内部を、そして第三篇は天守閣の外観を色々な角度から撮った写真を紹介しております。
※2010年5月に再び犬山城を訪れました。その折撮った写真を少し加えて改訂しました。今回は、濃尾歴史文化研究所発行の「国宝犬山城図録」から引用しました。
- 交通手段
- レンタカー
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車を犬山城近くの市営駐車場にとめました。二の丸の跡らしいです。
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駐車料金は、一回200円です。思わず「安い!」と独り言。
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犬山城前には、観光客目当てのレストランや土産物店が数軒、軒を連ねていました。今回は目もくれず、お城へ向かいました。
※このあたりは、旧三の丸です。 -
犬山城の山麓には、幾つもの神社があります。
※ここは、松の丸という曲輪で、本丸御殿をここへ移築した松丸御殿があったそうです。今は神社の境内となっております。 -
その神社の一つ「猿田彦神社」の横の道を天守閣へ向かって歩きました。犬山城は天守閣だけでなく、この登城用の道が魅力的です。
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ここから、いわゆる天守閣へ向かう「登城道」です。是非、風情のあるこの道を歩いて天守閣へ向かうことをオススメします。
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ここには、かつて「中御門」があったと書いてあります。
※中御門は、櫓門の形をしており、三の丸から本丸に向かう登城道の初めに位置しました。 -
右が「猿田彦神社」、旧松の丸。
左は崖です。道は石畳。 -
少し歩くと、道は右に90度曲がります。ここから坂になります。
左は空堀です。 -
更に行くと、道は左に折れ、坂も急になります。
※右に見える櫓は、道具櫓。桐の丸(二の丸)の西南隅に位置します。 -
桐の丸から、白山中腹の成田山分院がよく見えます。
正月には初詣の参拝者で大変賑わいます。 -
その道具櫓を半周するように、更に右折し左折しながら登ります。
ここにはかつて黒門と言う高麗門が建っていたが、明治九年に大口町の徳林寺へ23円で売却され、山門として現存しているそうです。 -
この坂の上が本丸です。この坂は、長い上に、直線のため、のぼるのがやや大変です。
※大手道といい、二の丸を縦断し、西(左)は樅の丸、東(右)は桐の丸・杉の丸となっており、本丸に迫る敵を挟み撃ちにするように意図されているそうです。
なお、二の丸は、樅の丸・桐の丸・杉の丸という三つの曲輪からできています。 -
でも、もっとも往時を偲ばせる場所です。
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少しのぼると、右に門が、左に櫓が見えてきます。城好きには、たまらない光景です。
左は小銃櫓、本丸防備の上で極めて重要な役割をはたします。右は本丸門。 -
坂をのぼりつめたところに、かつては岩坂門があったと書いてあります。
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岩坂の階段を登り、岩坂門跡を抜けると正面に見えるこのが、この石垣と、天守閣。
これを右に折れて本丸門から中に入ります。 -
坂を上りつめたところに入場券売り場がありました。
500円也、安いか、高いか。帰りに判断して下さい。
ちなみに、僕は適切な値段と判断しました。 -
本丸門です。ただ、復元で、往時とは趣がかなり違うらしいです。
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かつては鉄門と呼ばれ、鉄板で防護していたそうです。そして現在の門は、かつての門とは関係ない旨が書かれています。
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この本丸門で入場券を確認する職員さんがいます。
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本丸門をくぐり、この階段を上ると、天守閣のある本丸にたどり着きます。
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本丸に入ってすぐ、天守閣が見えます。いわゆる「望楼型天守閣」の典型例です。入母屋造りの櫓の上に望楼を後で載せたタイプのものです。外観からもそのように見えます。初期の天守閣に見られる構造です。
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本丸、天守閣前に、正月三日だというのに、桜が咲いていました。
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何かと思えば、小原の四季桜を移植したもののようです。犬山城で四季桜に会えるとは、チョット嬉しい気分になりました。
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天守閣の横には、巨木が立っていました。折れてしまったのか、幹しかありません。
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屋根までつけて保護してあります。
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「のうぜんかずら」という木だそうです。開花期間なんて書いてあるから、花が咲くんですね。みてみたいです。
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「大杉様」と呼ばれている御神木だそうです。樹齢650年って書いてあるけど、ほんとかな??折れる前は高さ24mあったとあります。つまり19mの天守閣より高かったわけです。
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尾張藩主は、鳥羽伏見の戦いの後、薩長が江戸に進軍を始めてからも、いずれに味方すべきか態度を決めかねていたそうです。それを尾張藩家老の犬山城主が薩長へ味方するように藩主を導いた、その功績を称えた碑だそうです。
御三家筆頭の尾張藩が薩長へ味方したことの意味は確かに大きかったと想像できます。城山三郎がその頃の様子を小説にしています。 -
犬山城航空写真のハイビジョン映像ですが、画面をタッチして操作すると江戸時代の犬山城図面に変わるという仕掛けになっていました。
これは無料休憩所の中にあります。一度操作してみて下さい。
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