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2007年10月19日(金)<br /><br />知覧の特攻平和会館に飾られていた傷だらけの戦闘機は、「キ84」だった。<br />これこそ私が中学3年生のとき、徹夜で造っていた飛行機なのだ。<br /><br />当時われわれには、「キ84」としか教えられなかったが、正式には「陸軍四式戦闘機」と呼ばれていて、俗称だろうが「疾風(はやて)」とも名づけられていた。<br />これらの名前を知ったのは、終戦後ずいぶん時間が経ってからである。<br /><br />また、本物を見たのは、今日が初めてだった。<br />私が今まで想像しているよりたくましくて、大きく見えた。<br /><br />この展示機は、アメリカがフィリピンから持ち出し、何人かの手を経て知覧町に買い取られた。<br /><br />私の造っていたのは、飛行機の心臓部、エンジンのピストン室だった。<br />「疾風」は、設計的には成功していたが、製作時の欠陥や燃料の質のために十分な力を発揮できなかったと言われる。<br /><br />3600機も造られたようだが、みなどこに行ってしまったのだろうか。<br />

秋のさつま路【6】私の造った「疾風」はたくましかった

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2007/10/19 - 2007/10/19

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ソフィ

ソフィさん

2007年10月19日(金)

知覧の特攻平和会館に飾られていた傷だらけの戦闘機は、「キ84」だった。
これこそ私が中学3年生のとき、徹夜で造っていた飛行機なのだ。

当時われわれには、「キ84」としか教えられなかったが、正式には「陸軍四式戦闘機」と呼ばれていて、俗称だろうが「疾風(はやて)」とも名づけられていた。
これらの名前を知ったのは、終戦後ずいぶん時間が経ってからである。

また、本物を見たのは、今日が初めてだった。
私が今まで想像しているよりたくましくて、大きく見えた。

この展示機は、アメリカがフィリピンから持ち出し、何人かの手を経て知覧町に買い取られた。

私の造っていたのは、飛行機の心臓部、エンジンのピストン室だった。
「疾風」は、設計的には成功していたが、製作時の欠陥や燃料の質のために十分な力を発揮できなかったと言われる。

3600機も造られたようだが、みなどこに行ってしまったのだろうか。

  • 特攻隊ゆかりの<br />富屋旅館

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  • 富屋食堂のおかみは<br />特攻隊員をわが子のように<br />可愛がってくれた

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  • 遠くに<br />桜島が見えてきた

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  • 桜島夕照

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  • 鹿児島市内を見下ろす<br />城山観光ホテル前庭

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