知覧・南さつま・日置旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2007年10月19日(金)<br /><br />笠沙恵比寿で、とれたばかりの新鮮な魚で満腹した後、薩摩半島の内陸部に向かって出発する。<br />目指すは、知覧(ちらん)だった。<br /><br />知覧で見たいものは、二つある。<br />きれいに整備された武家屋敷群と、特攻平和会館だ。<br /><br />第二次世界大戦の末期、ここに特攻隊の基地が設けられた。<br />南から攻め来る敵軍艦を撃沈させるべく、ここから爆弾を抱えた戦闘機が、自爆体当たりのために出発した。<br /><br />その総数、1000機あまり。<br />たくさんの同胞の魂が、みなのために、消えていったのである。<br /><br />「みなのために」。<br />彼らは文字通り自己を犠牲にして、他人のために生きた。<br /><br />今われわれがここにあるのは、大なり小なり彼らのおかげに相違ない。<br /><br />平和会館には、たくさんの遺品や遺書がある。<br />涙なくして、これらのものに接することはできない。<br /><br />平和会館に飾られている、陸軍四式戦闘機「疾風(はやて)」は、私にとって忘れられない飛行機である。<br /><br />昭和20年(1945年)私が中学3年生のとき、その製作にたずさわったからだ。<br />

秋のさつま路【5】知覧で思い出の「疾風」に出会う

1いいね!

2007/10/19 - 2007/10/19

360位(同エリア377件中)

0

5

ソフィ

ソフィさん

2007年10月19日(金)

笠沙恵比寿で、とれたばかりの新鮮な魚で満腹した後、薩摩半島の内陸部に向かって出発する。
目指すは、知覧(ちらん)だった。

知覧で見たいものは、二つある。
きれいに整備された武家屋敷群と、特攻平和会館だ。

第二次世界大戦の末期、ここに特攻隊の基地が設けられた。
南から攻め来る敵軍艦を撃沈させるべく、ここから爆弾を抱えた戦闘機が、自爆体当たりのために出発した。

その総数、1000機あまり。
たくさんの同胞の魂が、みなのために、消えていったのである。

「みなのために」。
彼らは文字通り自己を犠牲にして、他人のために生きた。

今われわれがここにあるのは、大なり小なり彼らのおかげに相違ない。

平和会館には、たくさんの遺品や遺書がある。
涙なくして、これらのものに接することはできない。

平和会館に飾られている、陸軍四式戦闘機「疾風(はやて)」は、私にとって忘れられない飛行機である。

昭和20年(1945年)私が中学3年生のとき、その製作にたずさわったからだ。

  • 知覧

    知覧

  • 特攻平和会館

    特攻平和会館

  • 知覧の道

    知覧の道

  • 灯篭が並ぶ<br />知覧の道

    灯篭が並ぶ
    知覧の道

  • 美しく整備された<br />知覧の中心街

    美しく整備された
    知覧の中心街

この旅行記のタグ

関連タグ

1いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

価格.com旅行・トラベルホテル・旅館を比較

PAGE TOP