2007/09/20 - 2007/09/22
90位(同エリア93件中)
サボ10さん
ニューメキシコ州の首都、サンタフェを訪ねました。
PR
-
1609年スペイン王の命によりこの地の知事だった ダン・ペドロ・デ・ペラルタ(Don Pedro de Peralta)はこの町をサンタフェと名付けました。 実際はロサンゼルスもそうですが、昔のスペインの町は長〜い名前、知事ペラルタが選んだ名前は La Villa Real de Santa Fe de San Francisco de Assisi。 聖アシジのサンタフェの王の村でした。
Real はスペイン語の王、当時のスペイン探索者は王の使命をうけて新大陸に到来、メキシコからサンタフェに到る道を王の道(El Camino Real) としました。 今でもエル・カミノ・リアル はカリフォルニア、テキサス、ニューメキシコに残っています。
この写真はペラルタの像。 二人いるのに名前が一つだけしか書いてありませんでした。 二人ともペドロなんでしょうか。
少し脱線しますが、スペイン語のサンタは女性の聖人、そうすると フェと云う聖人の名前を付けた町になりますね。 でも、その様な人物いましたかね〜、(いません)。
フェ は人では無く 信仰 を意味するスペイン語なのです。 アシジの聖フランシスコだとサンフランシスコと同じ聖人を市名としているのですね。 -
ハリウッドのヘンリー・フォンダ、ハノイのジェーン・フォンダ、そしてこの写真がサンタフェのラ・フォンダ。
1920年に設立されたホテル。 然し、1925年に破産、サンタフェ鉄道が購入し1926年から40年間ホテル業フレッド・ハーベー(Fred Harvey)が運営していました。
それ以後は独立して営業しているようです。 -
サンタフェ美術館、1917年に建てられたもの。
-
ジョージア・オキーフ美術館。 今年が彼女の120才の誕生日。 この美術館が開かれて10年目。
彼女の絵の展示会も開かれていて写真の「赤、黄色、黒のすじ」と題された絵はパリの現代美術館のもの。 -
知事の宮殿(The Palace of the Governors)と呼ばれる、1910年に建立されたアメリカで最も古い公衆の建物。
-
知事の宮殿前で物を売るインディアン達。
この建物の前が1610年からあるプラザ(広場)です。 ニューメキシコの古い町の中心は広場。 サンタフェもそうなのですが浮浪者が多いのに吃驚。 それに微かに尿の匂いもしたのでこの広場の写真はありません。 -
聖アシジのフランシス大寺院。 1869年に建てられたルネッサンス建築。 多くのニューメキシコの教会がアドベなのに対して石で造られています。
-
サンタフェ、ゴースト・ランチの彫刻ガーデン。 今まで見た彫刻ガーデンと一寸違います。
-
-
-
サンタフェ、ゴースト・ランチ庭園にある子供の平和像にさげられている折り鶴(折り紙)。 広島を思い出しました。
-
9月20日、21日の二日宿泊したマリオット、レジデンス・イン サンタフェ。
-
9月21日、サンタフェのサンライズ。
-
サンタフェ川の南、サンタフェ市の南東に Guadalupe/Railyard と呼ばれる地域があります。 そこには元南部サンタフェ鉄道の貨物列車用の停留所(デポ)があります。
サンタフェではこの周辺を観光地として開発中。 完成するとそこには鉄道博物館、プラザ、画廊、レストランなどが出来るそうです。
今は写真のサンブススコが唯一の近くにあるショッピング・センター。 -
グアダルペ地域と呼ばれるのは1776年に建てられたこの古いグアダルペ教会(Satuario de Guadalupe)があるから。
-
以前は貨物列車の停留所。 サンタフェでは貨物用の機関車に何処からか客車を持ってきてつなぎ毎日午後列車の旅を運行しています。
9月21日、午後1時10分発の約2時間のサンタフェ南部鉄道での列車観光にゆきました。 -
-
デポに置いてある列車に描かれている落描き。
らくがきは英語でイタリア語を語源とする graffiti、複数です。 単数では graffito。 この絵の場合はグラフィトなのか或いはグラフィティと呼ぶのか。。。
らくがきも一寸した芸術ですね。 -
-
唾を吐くなと書いた忠告。 古い列車は窓が開いているので吐いた唾は後ろの客席にかかってくるから。
-
-
列車はサンタフェ市内から ガリステオ盆地(Galisteo Basin) に行き引返してくるのです。 ガリステオ盆地は広〜い草原。
-
-
何も無いような大草原ですが大きな家も建っています。
-
-
沿線には野生の花も咲いていて綺麗でした。
-
-
サンタフェの南東にキャニオン・ロード(Canyon Road)に沿って発達した地域があります。
もとは猟に使われていた谷間の道、1920年頃から芸術家が移り住み、今は多くの画廊があるので知られている地域です。 -
9月21日の夜、キャニオン・ロードに食事に行き、その後、夜道を散歩しました。 キャニオン・ロードは細い道です。
-
Gypsy Alley(ジプシー小路)。 何故ジプシーと名が付いたのでしょうね。 芸術家は一ヶ所に留まらず さまようからでしょうか。
建物の上に白く見えるのは月。 -
絵葉書(写真上)にもなっているジプシー・アレーの郵便箱。
-
今は観光客も多く訪れるのでキャニオン・ロードにはレストランも多くあります。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
サボ10さんの関連旅行記
サンタフェ(アメリカ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
32