2007/07/15 - 2007/07/15
383位(同エリア456件中)
まみさん
2007/07/15(日)第8日目:バイア・マーレ2日目
【宿泊:Hotel Mara(バイア・マーレ)】
野外村落博物館、民俗博物館、自由広場とシュテファンの塔のあたりを散策(※県立美術館に入り損ねた(泣))、聖ニコラエ正教会
新市街のケッタイな高層ビルには驚かされたバイア・マーレですが、旧市街はちゃんと予想どおりの旧市街でした。
野外と屋内の民俗博物館の見学を終え、途中で墓地散策などもしながら、旧市街へ歩いて向かいました。
民俗博物館は広大な公園の一部にあり、週末の憩いを求める地元の人や観光客の姿をちらほら見かけました。
旧市街に向かう途上も、なかなか絵になるスポットがあります。撮影を楽しみながら歩くと、暑さも苦になりません。
ただし街中に入ったら、逆にどんどん閑散としてきました。
毎度ながら、ヨーロッパの地方都市の土日の日中の閑散ぶりには驚かされます。
いうなれば官庁街の土日のよう。
いくら絵になる街並みといっても、あんまり閑散しすぎていると、本当に絵のように現実感がなくなります。
バイア・マーレで過ごすのは実質、今日一日のみ。
明日は現地ガイドと合流して、もっと田舎に向かいます。
ふだんの姿を知らずにこの町を去ることになりそうです。
でも週末は結婚式日和。
ルーマニアでは披露宴を夜通しやるらしいのですが、そのせいか、ホテルでも昨晩はだいぶ遅くまでロビーまでがんがん音楽が響いていましたし、今日も旧市街を歩いている最中でも、新婚さんに人気らしいペンションの近くでは、空気が震えるくらいの大音響が漏れていたりしました。
それに夕刻、涼しくなると少しは人の姿が見られるようになりました。
みんな、暑いのはイヤなんですね。
出歩くのは時間に余裕のない観光客ばかり。
写真に夢中になっていると暑さを忘れると言ったものの、体はしっかり影響を受けていて、気付いたらかなりキテいました。
脱水症には気をつけていましたが、旧市街に着くまでのんびり歩いて20分ほどでしたが、冷たいジュースを3本も飲み干してしまいました。
……飲み過ぎ!?
「バイア・マーレとは英語で「Big Mine」の意。最初に記録に登場するのは1392年。14〜15世紀を通じて金鉱山の町として繁栄した。1446年には、町はハンガリー王のヤンク・デ・フネドアラ(=フニャディ・ヤーノシュ)の一族の所有となった。同じく1469年には、時のハンガリー王マチアス・コルヴィヌス(ヤンクの息子)の手で、町に強固な城壁が築かれた。
チャウシェスク時代には公害都市として名を馳せた。体制が変わった後の2000年にも、再びアウルル金鉱からの廃液が原因で深刻な環境汚染を引き起こし、周辺の国々を震撼させた。しかし、平穏を取り戻した現在は、むしろ周辺の諸都市よりも活況を呈している。」
(「旅名人ブックス ルーマニア 伝説と素朴な民衆文化と出会う」(日経BP社)より)
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ルーマニア兵士のモニュメント
旧市街に向かう途中の公園で見かけました。
農夫や労働者らしき人たちのレリーフも見られるので、どこか社会主義的な匂いがあります。
これは Lonely Planet にある第一次世界大戦のルーマニア兵士のモニュメントではないかと思います。
でも建てられたのは社会主義時代ということも考えられます。
第一次世界大戦後、ルーマニアはワラキアやモルダヴィア、トランシルヴァニアを含めて統一を果たします。
ルーマニアが社会主義になったのは第二次世界大戦後のことです。
実は、このモニュメントが気に入ったというより、あんまり空が気持ち良かったので、「この空なら絵になる!」と思ってシャッターを切りました@ -
歴史考古学博物館の門構え
この博物館に入るつもりはなかったのですが、建物がなかなか素敵なので門の近くで写真を撮ろうとしたら、たまたま外にでていた館員さんに「ノーフォト!」と言われてしまいました。
展示物を撮ってるわけじゃないのに、建物くらいイイじゃないのケチッ!
と思いましたが、ノーと言われてまで撮るわけにはいかないので、少し離れて撮りました。
この門も気に入っていましたからね。 -
旧市街の自由広場と赤い塔のあるカトリック教会とバイア・マーレを見下ろすグタイ(Gutai)山脈(たぶん@)
野外博物館の頂上から見えた赤い塔のカトリック教会です。
「バイア・マーレは西の新市街、東の旧市街にはっきりと色分けされている。さほど見どころはない町中で、名所の多くは旧市街の方に集まっている。旧市街の中心は広々とした自由広場。これの周囲を取り囲む古建築はなかなかに風情がある。しゃれたオープン・カフェも2、3あり、パラソルの下でハンガリー時代の昔を偲ぶのも良いかもしれない。」
(「旅名人ブックス ルーマニア 伝説と素朴な民衆文化と出会う」(日経BP社)より) -
旧市街の自由広場
自由広場の北東の隅に、オスマントルコに勝利したハンガリーの英雄フニャディ・ヤーノシュの居城があったそうです。
この写真は広場の北から北東にかかる一角なので、この左隅がそうかしら。
「広場の北東の隅がヤンク・デ・フネドアラ(フニャディ・ヤーノシュのルーマニア語名)王の居城があった場所。ヤンクは1456年、ベオグラードに近いドナウ河畔でトルコ軍を見事打ち破った。しかし、その同じ年にベオグラードでペストにかかり、あっさりその一生を終えている。現在、旧居は様々な展示やイベントに使われている。」
(「旅名人ブックス ルーマニア 伝説と素朴な民衆文化と出会う」(日経BP社)より) -
旧市街の自由広場の中世風レストランのある一角
ホテルのある新市街はルーマニア料理のレストランはちっとも見つかりませんでした。
ホテル隣接のインターナショナルなレストランのほかは、軽食しか出ないバーとか、マクドナルドだけ。
Lonely Planet(2004年7月発行の3rd edition)のレストラン情報を当てにしていたのに、新市街のルーマニア料理のレストランは、どちらも影も形もありませんでした。
つぶれちゃったのでしょうか。
でも旧市街の自由広場には、なかなか良さそうなレストランが何軒か並んでいて、夕食をとるところに困ることはありませんでした。
本日は、この中世風のレストランで夕食を取りました。 -
中世風レストラン入口
この写真は、夕食をとるために入った18時半頃に撮りました。
中世風なディスプレイは外から始まっています。
といってもモチーフはヨーロッパの中世であり、ルーマニア限定ではなかったようです。
でもちゃんとルーマニア料理がありました@ -
中世風レストランの一室
紋章模様の窓のある部屋
夕食のときに撮りました。
ウェイトレスさんに「写真を撮ってもいいですよ」と言われる前に、ちゃっかり撮っていた私@
私が入る少し前に葬式の会食がこのレストランのこの部屋で行われていたそうです。
ウェイトレスさんが「それで大忙しだった」と言ってました。 -
中世風レストランの一室
私が食事をとった席
テーブルのキャンドル立ては、ナイフを小さな丸太に突き刺したものでした@ -
中世風レストランの一室
私が食事をとった席の隣のテーブルと壁のディスプレイ
その奥の部屋が、さきほどの紋章模様の窓のある部屋です。 -
中世風レストランの一室
窓の文様に注目@ -
中世風レストランの一室
紋章模様の窓のある部屋の壁
これはイタリア初期ルネサンス画家のウッチェリの絵ですね。
ピントが甘くてあしからず!
でもオリジナルの壁絵も、輪郭がぼんやりした絵でしたので、この写真はそれほどボケてるわけじゃないんですよ、なんて言い訳したりして@ -
中世風レストランのトイレの洗面台の鏡の上@
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自由広場のもう一つのレストラン前の海賊の人形
夕食にはさきほどのレストランとこちらとどちらに入ろうか迷いましたっけ@ -
自由広場のもう一つのレストラン前の海賊の人形
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自由広場とシュテファンの塔
バイア・マーレのシンボルともいえるシュテファンの塔を見にいくことにしました。 -
クリサン通り(Str. Crisan)沿いの建物の窓
旧市街には、パステルカラーなバロックの館が並びます。
去年(2006年)、ハンガリー旅行中にこういう窓の写真をたくさん撮りましたが、また飽きずに撮ってしまいました@ -
シュテファンの塔(Turnul Stefan)
14世紀のゴシック様式の塔です。
1446年から1468年に、フニャディ・ヤーノシュことイアンク・デ・フネドアラによって隣の教会の鐘楼として建てられました。
ただしその教会は後に火災により焼失してしまいました。
ちなみにこのバイア・マーレを回っているときは、この「シュテファン」が誰のことか分かりませんでした。
どうやらモルダヴィア公国のステファン大公のことだったようです。
当初は塔に鐘が据えられていましたが、1628年に現在の機械時計に置き換えられました。 -
シュテファンの塔と聖トリニティー大聖堂(ルーマニア正教会)
「広場の南側に、この町のシンボルでもあるシュテファン塔が立っている。14世紀のゴシック・スタイルの塔で、その初期の時代には塔に鐘が据えられていた。1628年に現在の機械時計に置き換えられた。
塔の後ろはシュフンター・トゥレイメ・カテドラル。シュテファン大公の息子の名が教会に冠せられている。これは、ハンガリー王の統治の後に、町がモルドヴァ公国の領有に帰したことを表している。」
(「旅名人ブックス ルーマニア 伝説と素朴な民衆文化と出会う」(日経BP社)より)
この教会の中には、美術館に入り損ねて近くの公園でしばらくやさぐれた後で、扉が開いているのに気付き、入ることができました。
その写真は、次の旅行記「2007年ルーマニア旅行第8日目(5):バイア・マーレ旧市街でももれなく教会めぐり」にて@
この後、県立美術館に行こうとしましたが、ステファンの塔と同じ通り(5月1日通り)にあるはずなのに、なかなか見つかりませんでした。
諦めて自由広場に戻り、カフェでひと休みしているときに、ふと気付きました。
通り一つ間違えていたのではないかと。
ステファンの塔は、両方の通りのどちら沿いにもあるように見えるのです。
案の定、5月1日通りは、それまでさんざん探しまわっていた通りの隣の通りでした。
やっとたどり着いたときは、4時半ちょい前。
クルージ・ナポカの民俗博物館でも閉館時間30分前ぎりぎりにたどり着いたのに、「今日はもうおしまい」と入れてくれなかったので悪い予感はしていましたが、ここでも残念ながら同じ目に遭いました。
絶対、閉館30分前は切ってなかったはずなのに〜(泣)
たしかにバイア・マーレでは、とにもかくにも野外博物館と民俗博物館さえ押さえられればよいと思っていました。
でもでも!
民俗博物館で県立美術館蔵の絵画の一端を目にして、美術館もすごくすごく楽しみにしていたのに。
通り一つ間違えたことになかなか気付かなかった自分と閉館30分より前に閉館してしまう美術館に腹を立てて悔しくて、ステファンの塔の裏の公園で、しばらくやさぐれていました。 -
旧市街の自由広場
県立美術館が探せなくて、いったん自由広場に戻った後、このカフェでひと休みしました。
カプチーノ1杯、3レウでした。
(2007年7月現在、1レウ=約55円で換算) -
旧市街の11月17日通り(Str. 17 Octombrie)沿いの広場
このあたりは、旧市街らしい、パステルカラーな建物が並んでいました。
しかし、日曜日だとこれほど無人で寝静まったようになるなんて。
ヨーロッパを何度も旅行して何度経験しても慣れませんね、日曜日の閑散ぶり。 -
8月23日通り(Str. 23 August)の画廊のショーウィンドウにて
県立美術館に入り損ねたため、代わりに画廊のショーウィンドウの絵を堪能しましょう@ -
旧市街とシュテファンの塔の絵
8月23日通り(Str. 23 August)の画廊のショーウィンドウにて -
おそらくマラムレシュ地方のどこかの村の絵
8月23日通り(Str. 23 August)の画廊のショーウィンドウにて -
積みわらのある田園風景
8月23日通り(Str. 23 August)の画廊のショーウィンドウにて
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