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2007/07/14(土)第7日目:クルージ・ナポカからバイア・マーレへ<br />【宿泊:Hotel Mara(バイア・マーレ)】<br /> 15:30発の急行列車でバイア・マーレ着19:08(ほぼ時刻どおり)<br />《午前:クルージ・ナポカ観光》<br />ヴィクトール・バベス通りの正教会(再訪)、エロイロール通りの正教会(再訪)、Avram Iancu広場の正教聖堂(再訪)、トランシルヴァニア民俗博物館<br />《夕方:バイア・マーレ》<br />ホテル周辺の新市街散策(ブカレスト通り、統一広場、トランシルヴァニア広場)<br /><br />Lonely Planetによると、クルージ・ナポカはトランシルヴアニア地方の他の都市に比べると、それほどフォトジェニックではないとのことですが。<br />代わりに慰めのように、クールな人々が集まるトレンディなバーがたくさんある、お洒落な大学都市だ、みたいなことが書かれてあっても、私にはちっとも嬉しくありません。<br />いや、国立6校、私立4校を抱える、ブカレスト、ヤシに続く大学都市というだけあって、魅力あるミュージーアムが他のトランシルヴァニアの都市に比べると多いのも確かですが。<br />実際に行ってみると、クルージは私にとって、他のトランシルヴァニアの都市以上にフォトジェニックな町でした。<br />ただしそれは、ルーマニア的な魅力というよりは、ハプスブルグ家支配時代のバロックな街並みに起因するものでしたが。<br /><br />本日は、立案当初は、午前中にさっさとバイア・マーレに移動するつもりでした。<br />それにはLonely Planetの「クルージ・ナポカはそれほどフォトジェニックでない」という評価や「地球の歩き方」の「バイア・マーレは博物館の数や種類が豊富」というコメントが大きかったです。<br />ところがインターネットで列車の時刻表を調べてみると、クルージ・ナポカからバイア・マーレに行くのは1日に3本、6時07分発の特急、15時30分発の急行、18時37分発の特急しかありません。<br />6時07分はきびしいですし、そうまでして早くバイア・マーレに行きたいわけでもなかったので、15時30分発19時08分着の特急に乗ることにしました。<br />バイア・マーレでは、念のために2日設けることにしていたので、到着が夜でも、観光は翌日に1日しっかり当てることができます。<br />ちなみに何のための「念のため」かというと、マラムレシュ地方とブコヴィナ地方を案内してくれる現地ガイドと合流するのをバイア・マーレのホテルのロビーにしたからです。<br /><br />というわけで、クルージ・ナポカ観光は、昨日の午後と今日の午前と一日分、割けることができました。<br />おかげで、昨日の午後は写真を撮りたくても逆光であきらめたスポットで、太陽の向きが反対になる今日の午前にリベンジすることができました。<br /><br />もちろん、クルージ・ナポカ観光は、当初の予測を外れ、一日ではとても足りませんでした。<br />クルージ・ナポカは思ったよりフォトジェニックな街でしたし、興味あるミュージーアムや観光スポットはLonely Planetをきっちり読んでみたら、思ったより多かったですから。<br /><br />今日の午前は、聖ミハイ教会とマーチャーシュ王騎馬像のある統一広場と、正教聖堂のあるアヴラム・イアンク広場まで再び足を伸ばしてから、トランシルヴァニア民俗博物館を訪れることにしました。<br />しかし残念ながら、トランシルヴァニア歴史博物館、町の眺望目当ての城塞、植物園、なかなかステキな墓標があるとLonely Planetで紹介されていたハンガリー人墓地、1954年にアウシュヴッツへ連れ去られたユダヤ人16,700人の哀悼のために建てられたシナゴーグ、そして郊外の野外民俗博物館は、時間が足らないのであきらめるしかありませんでした。<br /><br />また、街のあちこちに並ぶ旅行会社を利用して車やガイドをチャーターすれば、もしかしたら周辺の伝統文化が息づくハンガリー人の村めぐりも叶ったかもしれないと思いましたが。<br />これは少なくとも2〜3日滞在しないと無理でしょうから、やはりあきらめるしかありませんでした。

2007年ルーマニア旅行第7日目(1):思ったより撮影意欲をそそられたクルージ・ナポカ(2日目の午前)

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2007/07/14 - 2007/07/14

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まみ

まみさん

2007/07/14(土)第7日目:クルージ・ナポカからバイア・マーレへ
【宿泊:Hotel Mara(バイア・マーレ)】
 15:30発の急行列車でバイア・マーレ着19:08(ほぼ時刻どおり)
《午前:クルージ・ナポカ観光》
ヴィクトール・バベス通りの正教会(再訪)、エロイロール通りの正教会(再訪)、Avram Iancu広場の正教聖堂(再訪)、トランシルヴァニア民俗博物館
《夕方:バイア・マーレ》
ホテル周辺の新市街散策(ブカレスト通り、統一広場、トランシルヴァニア広場)

Lonely Planetによると、クルージ・ナポカはトランシルヴアニア地方の他の都市に比べると、それほどフォトジェニックではないとのことですが。
代わりに慰めのように、クールな人々が集まるトレンディなバーがたくさんある、お洒落な大学都市だ、みたいなことが書かれてあっても、私にはちっとも嬉しくありません。
いや、国立6校、私立4校を抱える、ブカレスト、ヤシに続く大学都市というだけあって、魅力あるミュージーアムが他のトランシルヴァニアの都市に比べると多いのも確かですが。
実際に行ってみると、クルージは私にとって、他のトランシルヴァニアの都市以上にフォトジェニックな町でした。
ただしそれは、ルーマニア的な魅力というよりは、ハプスブルグ家支配時代のバロックな街並みに起因するものでしたが。

本日は、立案当初は、午前中にさっさとバイア・マーレに移動するつもりでした。
それにはLonely Planetの「クルージ・ナポカはそれほどフォトジェニックでない」という評価や「地球の歩き方」の「バイア・マーレは博物館の数や種類が豊富」というコメントが大きかったです。
ところがインターネットで列車の時刻表を調べてみると、クルージ・ナポカからバイア・マーレに行くのは1日に3本、6時07分発の特急、15時30分発の急行、18時37分発の特急しかありません。
6時07分はきびしいですし、そうまでして早くバイア・マーレに行きたいわけでもなかったので、15時30分発19時08分着の特急に乗ることにしました。
バイア・マーレでは、念のために2日設けることにしていたので、到着が夜でも、観光は翌日に1日しっかり当てることができます。
ちなみに何のための「念のため」かというと、マラムレシュ地方とブコヴィナ地方を案内してくれる現地ガイドと合流するのをバイア・マーレのホテルのロビーにしたからです。

というわけで、クルージ・ナポカ観光は、昨日の午後と今日の午前と一日分、割けることができました。
おかげで、昨日の午後は写真を撮りたくても逆光であきらめたスポットで、太陽の向きが反対になる今日の午前にリベンジすることができました。

もちろん、クルージ・ナポカ観光は、当初の予測を外れ、一日ではとても足りませんでした。
クルージ・ナポカは思ったよりフォトジェニックな街でしたし、興味あるミュージーアムや観光スポットはLonely Planetをきっちり読んでみたら、思ったより多かったですから。

今日の午前は、聖ミハイ教会とマーチャーシュ王騎馬像のある統一広場と、正教聖堂のあるアヴラム・イアンク広場まで再び足を伸ばしてから、トランシルヴァニア民俗博物館を訪れることにしました。
しかし残念ながら、トランシルヴァニア歴史博物館、町の眺望目当ての城塞、植物園、なかなかステキな墓標があるとLonely Planetで紹介されていたハンガリー人墓地、1954年にアウシュヴッツへ連れ去られたユダヤ人16,700人の哀悼のために建てられたシナゴーグ、そして郊外の野外民俗博物館は、時間が足らないのであきらめるしかありませんでした。

また、街のあちこちに並ぶ旅行会社を利用して車やガイドをチャーターすれば、もしかしたら周辺の伝統文化が息づくハンガリー人の村めぐりも叶ったかもしれないと思いましたが。
これは少なくとも2〜3日滞在しないと無理でしょうから、やはりあきらめるしかありませんでした。

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  • ハンガリアン・アールヌーヴォーな大学図書館<br /><br />この建物を目にして、ピピッ!<br />ハンガリアン・アールヌーヴォーな建物に違いありません。<br />昨日、ホテルにチェックインしてクルージ・ナポカ観光を開始して、ほぼ最初に目をつけた建物です。<br />でも昨日の午後は逆光で暗くなってなって仕方がなかったので、あきらめました。<br />今日の午後、こうやってリベンジできるって分かっていましたから@<br />日曜日なのに意外に車通りが多かったので、なるべく車が少なくなるチャンスを狙いました。

    ハンガリアン・アールヌーヴォーな大学図書館

    この建物を目にして、ピピッ!
    ハンガリアン・アールヌーヴォーな建物に違いありません。
    昨日、ホテルにチェックインしてクルージ・ナポカ観光を開始して、ほぼ最初に目をつけた建物です。
    でも昨日の午後は逆光で暗くなってなって仕方がなかったので、あきらめました。
    今日の午後、こうやってリベンジできるって分かっていましたから@
    日曜日なのに意外に車通りが多かったので、なるべく車が少なくなるチャンスを狙いました。

  • 統一広場の聖ミハイ教会とマーチャーシュ王騎馬像<br /><br />これも昨日、逆光だったのでこの向きで写真を撮るのをあきらめ、今日の午前のリベンジを狙っていました。<br />マーチャーシュ王騎馬像を一緒にファインダーに収めるとなると、こんなアングルになります。<br />教会なんか整然としすぎていますが……空が青くて気持ちがいいから、まっいっか@<br /><br />関連の旅行記<br />「2007年ルーマニア旅行第6日目(3):クルージュ・ナポカの教会めぐり・その1」<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10181068/

    統一広場の聖ミハイ教会とマーチャーシュ王騎馬像

    これも昨日、逆光だったのでこの向きで写真を撮るのをあきらめ、今日の午前のリベンジを狙っていました。
    マーチャーシュ王騎馬像を一緒にファインダーに収めるとなると、こんなアングルになります。
    教会なんか整然としすぎていますが……空が青くて気持ちがいいから、まっいっか@

    関連の旅行記
    「2007年ルーマニア旅行第6日目(3):クルージュ・ナポカの教会めぐり・その1」
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10181068/

  • 統一広場のマーチャーシ王騎馬像<br /><br />やはりクルージ・ナポカのシンボルともいえるので、撮らないわけにはいきません。<br />花壇もしっかりファインダーに入れるために、しゃがんで撮りました@<br />これも昨日の午後は逆光であきめら、今日の午前にリベンジを狙っていたものです。<br /><br />《マーチャーシュ王》<br />中世ハンガリーの最盛期を築き、ルネサンス文化を奨励したハンガリー王マーチャーシュ・コルヴィアヌスは、トランシルヴァニア公であり、オスマントルコと戦った英雄フニャディ・ヤーノシュ(ルーマニア語では、なんとイアンク・デ・フネドアラ(Iancu de Hunedoara)となります!)の次男として、1443年2月23日に、ここクルージ(ハンガリー語ではコロジュヴァール(Kolozsvar)、ドイツ語ではクラウゼンブルク(Klausenburg))で生まれ、聖ミハイ教会で洗礼を受けました。<br />ハンガリー王としての在位は1458〜1490年ですが、正式に戴冠したのは1485年です。<br />1485年に彼はウィーンまで版図を広げています。<br />この騎馬像は、1894年、ハンガリー政府が、マーチャーシュ王生誕450年かつ没後400年を記念して建てることを決めました。除幕式は1902年。<br />高さ12メートル、周りの群像も含めて全体で20平方メートルの規模。<br />デザインをしたのはファドルス・ヤーノシュ(Fadrusz Janos)、1900年パリ国際展で大賞の受賞経験のある人です。<br />この群像の中には、マーチャーシュ王が負けた相手なのですが、モルダヴィア公国のステファン大公がいたそうです。ちっとも気付きませんでした。<br />ステファン大公に最も興味が高まったのは、ブコヴィナ地方の修道院群絡みなので、まさかこんなところにいるとは思いもせず、どうせ知らない人の像ばかりだろうと気をつけて見ませんでした。<br />ちなみに、騎馬像の下の文字から、「ハンガリー王」の部分は、国粋主義の市長フナール・ジョルジ(Funar Gyorgy)(1992年から12年間在任)の命で剥ぎ取られてしまいました。<br />騎馬像の前にある遺跡の発掘も、フナール市長の命令によるものです。<br />古代ローマ時代の遺跡を掘り起こし、この町が古代ローマ起源であることを強調し、ハンガリー起源であることを否定したかったせいのようですが、めぼしいモノは見つからず、中途半端なまま残っているのだとか。

    統一広場のマーチャーシ王騎馬像

    やはりクルージ・ナポカのシンボルともいえるので、撮らないわけにはいきません。
    花壇もしっかりファインダーに入れるために、しゃがんで撮りました@
    これも昨日の午後は逆光であきめら、今日の午前にリベンジを狙っていたものです。

    《マーチャーシュ王》
    中世ハンガリーの最盛期を築き、ルネサンス文化を奨励したハンガリー王マーチャーシュ・コルヴィアヌスは、トランシルヴァニア公であり、オスマントルコと戦った英雄フニャディ・ヤーノシュ(ルーマニア語では、なんとイアンク・デ・フネドアラ(Iancu de Hunedoara)となります!)の次男として、1443年2月23日に、ここクルージ(ハンガリー語ではコロジュヴァール(Kolozsvar)、ドイツ語ではクラウゼンブルク(Klausenburg))で生まれ、聖ミハイ教会で洗礼を受けました。
    ハンガリー王としての在位は1458〜1490年ですが、正式に戴冠したのは1485年です。
    1485年に彼はウィーンまで版図を広げています。
    この騎馬像は、1894年、ハンガリー政府が、マーチャーシュ王生誕450年かつ没後400年を記念して建てることを決めました。除幕式は1902年。
    高さ12メートル、周りの群像も含めて全体で20平方メートルの規模。
    デザインをしたのはファドルス・ヤーノシュ(Fadrusz Janos)、1900年パリ国際展で大賞の受賞経験のある人です。
    この群像の中には、マーチャーシュ王が負けた相手なのですが、モルダヴィア公国のステファン大公がいたそうです。ちっとも気付きませんでした。
    ステファン大公に最も興味が高まったのは、ブコヴィナ地方の修道院群絡みなので、まさかこんなところにいるとは思いもせず、どうせ知らない人の像ばかりだろうと気をつけて見ませんでした。
    ちなみに、騎馬像の下の文字から、「ハンガリー王」の部分は、国粋主義の市長フナール・ジョルジ(Funar Gyorgy)(1992年から12年間在任)の命で剥ぎ取られてしまいました。
    騎馬像の前にある遺跡の発掘も、フナール市長の命令によるものです。
    古代ローマ時代の遺跡を掘り起こし、この町が古代ローマ起源であることを強調し、ハンガリー起源であることを否定したかったせいのようですが、めぼしいモノは見つからず、中途半端なまま残っているのだとか。

  • マーチャーシュ王騎馬像の足元の群像たち<br />頭にハトを乗せて@<br /><br />ステファン大公かしら?

    マーチャーシュ王騎馬像の足元の群像たち
    頭にハトを乗せて@

    ステファン大公かしら?

  • マーチャーシュ王騎馬像の足元の群像たち<br />ルーマニアの国旗と@<br /><br />ハンガリー王の背景にルーマニアの国旗という皮肉な組み合わせ@<br />左の像、ステファン大公かしら?

    マーチャーシュ王騎馬像の足元の群像たち
    ルーマニアの国旗と@

    ハンガリー王の背景にルーマニアの国旗という皮肉な組み合わせ@
    左の像、ステファン大公かしら?

  • 統一広場に面した美しい建物と電灯<br /><br />なかなかお洒落な電灯と一緒に@

    統一広場に面した美しい建物と電灯

    なかなかお洒落な電灯と一緒に@

  • エロイロール大通りの出窓が美しい建物<br /><br />これも昨日の午後、一度は撮ったのですが、暗かったので、今日の午前にこうしてリベンジ。<br />できればあの車が駐車してなければ良かったんだけれどもね。

    エロイロール大通りの出窓が美しい建物

    これも昨日の午後、一度は撮ったのですが、暗かったので、今日の午前にこうしてリベンジ。
    できればあの車が駐車してなければ良かったんだけれどもね。

  • アヴラム・イアンク(Avram Iancu)広場の正教聖堂<br /><br />あのすばらしい教会をもう一度!<br />昨日の午後は暗かったので、こうして明るいところで撮りたかったのです@<br /><br />内部の写真などは昨日の旅行記「2007年ルーマニア旅行第6日目(3):クルージュ・ナポカの教会めぐり・その1」を参考あれ。<br /><br />関連の旅行記<br />「2007年ルーマニア旅行第6日目(3):クルージュ・ナポカの教会めぐり・その1」<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10181068/

    アヴラム・イアンク(Avram Iancu)広場の正教聖堂

    あのすばらしい教会をもう一度!
    昨日の午後は暗かったので、こうして明るいところで撮りたかったのです@

    内部の写真などは昨日の旅行記「2007年ルーマニア旅行第6日目(3):クルージュ・ナポカの教会めぐり・その1」を参考あれ。

    関連の旅行記
    「2007年ルーマニア旅行第6日目(3):クルージュ・ナポカの教会めぐり・その1」
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10181068/

  • 宮殿のような黄色いバロックな建物<br />クザ・ボーダ(Cuza Voda)通り側<br /><br />バロック様式というより、少しアールヌーヴォー要素が入っているかしら?<br />ルーマニアの国旗があるので、役所かもしれませんね。

    宮殿のような黄色いバロックな建物
    クザ・ボーダ(Cuza Voda)通り側

    バロック様式というより、少しアールヌーヴォー要素が入っているかしら?
    ルーマニアの国旗があるので、役所かもしれませんね。

  • 宮殿のような黄色いバロックな建物<br />1989年11月21日大通り(Bd. 21 Decembrie 1989)側<br /><br />さきほどの建物は、こちらが正面かもしれません。<br />よりお洒落な2階部分だけを撮ったから分かりづらいかもしれません。<br />入口のところに「Judetul Cluj Consilui Judetam」というプレートがありました。<br />(わざわざ横断歩道を渡って、近くで確認しました@)<br />「Judetul Cluj」はクルージ州だと分かりますが、さて後半は?<br />裁判所か、司法省あたりかな。

    宮殿のような黄色いバロックな建物
    1989年11月21日大通り(Bd. 21 Decembrie 1989)側

    さきほどの建物は、こちらが正面かもしれません。
    よりお洒落な2階部分だけを撮ったから分かりづらいかもしれません。
    入口のところに「Judetul Cluj Consilui Judetam」というプレートがありました。
    (わざわざ横断歩道を渡って、近くで確認しました@)
    「Judetul Cluj」はクルージ州だと分かりますが、さて後半は?
    裁判所か、司法省あたりかな。

  • 1989年11月21日大通り(Bd. 21 Decembrie 1989)の建物とカトリック教会<br /><br />バロックな建物とバロックな教会。<br />いやぁ〜格好いいですね。<br />ルーマニアらしいというよりは、ハンガリーやオーストリアらしいと思ってしまうのですが……。<br />でもここはクルージ・ナポカ、ハンガリー領やハプスブルグ帝国の支配下にあったルーマニアの都市の一つ。<br />ハンガリーやオーストリアのようだと思っても、おかしくありません。<br />というか、もうあと数時間でクルージ・ナポカを去るのです。<br />いいなと思ったら素直に撮ればいいじゃないですか、ねぇ。<br />奥のカトリック教会は、残念ながら開いてなくて入れませんでした。

    1989年11月21日大通り(Bd. 21 Decembrie 1989)の建物とカトリック教会

    バロックな建物とバロックな教会。
    いやぁ〜格好いいですね。
    ルーマニアらしいというよりは、ハンガリーやオーストリアらしいと思ってしまうのですが……。
    でもここはクルージ・ナポカ、ハンガリー領やハプスブルグ帝国の支配下にあったルーマニアの都市の一つ。
    ハンガリーやオーストリアのようだと思っても、おかしくありません。
    というか、もうあと数時間でクルージ・ナポカを去るのです。
    いいなと思ったら素直に撮ればいいじゃないですか、ねぇ。
    奥のカトリック教会は、残念ながら開いてなくて入れませんでした。

  • 1989年11月21日大通り(Bd. 21 Decembrie 1989)の家<br /><br />パステル・ピンクと出窓と白い漆喰模様がすてきな建物を見つけました。<br />逆光で影になってしまうので、露出をうんとプラスにして撮りました。<br />おかげで空の色が飛んでしまって白くなってしまいましたけど……建物はちゃんと撮れたから、良しとしましょ@

    1989年11月21日大通り(Bd. 21 Decembrie 1989)の家

    パステル・ピンクと出窓と白い漆喰模様がすてきな建物を見つけました。
    逆光で影になってしまうので、露出をうんとプラスにして撮りました。
    おかげで空の色が飛んでしまって白くなってしまいましたけど……建物はちゃんと撮れたから、良しとしましょ@

  • 記念通り(Str. Memorandumlui)のパステルカラーな家並み<br /><br />統一広場近くの通りです。<br />バロックなお城のような館が続くと思ったら、こういう可愛らしい家もあるんですねぇ。<br />昨日、このあたりを歩いたのに、気付きませんでした。<br />これも逆光で影になってしまうので、露出をプラスにして撮りました。

    記念通り(Str. Memorandumlui)のパステルカラーな家並み

    統一広場近くの通りです。
    バロックなお城のような館が続くと思ったら、こういう可愛らしい家もあるんですねぇ。
    昨日、このあたりを歩いたのに、気付きませんでした。
    これも逆光で影になってしまうので、露出をプラスにして撮りました。

  • 記念通り(Str. Memorandumlui)のパステルカラーな家並み<br /><br />そろそろ民俗博物館に向かいます。<br />こちらは逆光にならないので、空がきれいに青く写りました@

    記念通り(Str. Memorandumlui)のパステルカラーな家並み

    そろそろ民俗博物館に向かいます。
    こちらは逆光にならないので、空がきれいに青く写りました@

  • 記念通り(Str. Memorandumlui)のパステルカラーな家並み<br /><br />水色とオレンジの組み合わせ@

    記念通り(Str. Memorandumlui)のパステルカラーな家並み

    水色とオレンジの組み合わせ@

  • 記念通り(Str. Memorandumlui)のパステルカラーな家並み<br /><br />こちらは緑茶のようなグリーンと、イエローの組み合わせ@

    記念通り(Str. Memorandumlui)のパステルカラーな家並み

    こちらは緑茶のようなグリーンと、イエローの組み合わせ@

  • ヴィクトール・バベシュ(Victor Babes)通りで見かけた新婚の友人の車<br />それとも新婚さんたち本人の車かしら@<br /><br />というわけで、たっぷり撮影を楽しめたクルージ・ナポカですが。<br />忘れていました。東欧が民主化して貧富の差が拡大したことを。<br />そしてロマの問題。<br />クルージ・ナポカは、今回の私の23日間のルーマニア周遊の中では、ロマ(ジプシーのこと。ジプシーは差別用語らしい)の物乞いを一番見かけた町かもしれません。<br />信号で止まっている車一台一台の運転席を覗き込んで物乞いをする小さな女の子2人の痛々しい様子。<br />かと思ったら、ベビーカーに赤ちゃんを乗せた男の人に、チャオと話しかけられてうっかりチャオと返事をしてしまったら、しばらくマネー、マネーと後をつけられて私もちょっとイヤな思いをしたりしました。<br />光あれば影あり。<br />お気楽ミーハー観光客としては、つい光の部分にばかり注目してしまいますが……。

    ヴィクトール・バベシュ(Victor Babes)通りで見かけた新婚の友人の車
    それとも新婚さんたち本人の車かしら@

    というわけで、たっぷり撮影を楽しめたクルージ・ナポカですが。
    忘れていました。東欧が民主化して貧富の差が拡大したことを。
    そしてロマの問題。
    クルージ・ナポカは、今回の私の23日間のルーマニア周遊の中では、ロマ(ジプシーのこと。ジプシーは差別用語らしい)の物乞いを一番見かけた町かもしれません。
    信号で止まっている車一台一台の運転席を覗き込んで物乞いをする小さな女の子2人の痛々しい様子。
    かと思ったら、ベビーカーに赤ちゃんを乗せた男の人に、チャオと話しかけられてうっかりチャオと返事をしてしまったら、しばらくマネー、マネーと後をつけられて私もちょっとイヤな思いをしたりしました。
    光あれば影あり。
    お気楽ミーハー観光客としては、つい光の部分にばかり注目してしまいますが……。

  • クルージ・ナポカ・シティ・ガイド(英語版)<br /><br />昨日の午後に国立美術館で購入しました。10レウでした。<br />(2007年7月現在、1レウ=約55円で換算)<br /><br />クルージ国立美術館レポート<br />「2007年ルーマニア旅行第6日目(4)クルージ・ナポカ:ルーマニア絵画たっぷりの国立美術館」<br />http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10181072/<br /><br />「地球の歩き方」にもLonely Planetにも載っていない教会の解説が詳しいです。<br />でも解説は長過ぎず、適度です。<br />残寝ながら次の旅行記で紹介する私のお気に入りの教会は載っていませんでしたけど。<br />巻末の地図も見やすいです。<br /><br />一緒に撮った人形は、去年買ったルーマニア土産です@

    クルージ・ナポカ・シティ・ガイド(英語版)

    昨日の午後に国立美術館で購入しました。10レウでした。
    (2007年7月現在、1レウ=約55円で換算)

    クルージ国立美術館レポート
    「2007年ルーマニア旅行第6日目(4)クルージ・ナポカ:ルーマニア絵画たっぷりの国立美術館」
    http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10181072/

    「地球の歩き方」にもLonely Planetにも載っていない教会の解説が詳しいです。
    でも解説は長過ぎず、適度です。
    残寝ながら次の旅行記で紹介する私のお気に入りの教会は載っていませんでしたけど。
    巻末の地図も見やすいです。

    一緒に撮った人形は、去年買ったルーマニア土産です@

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