2007/09/16 - 2007/09/16
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MechaGodzillaⅢ&703さん
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●今津<元寇防塁>
元寇防塁は、鎌倉時代に北九州の博多湾沿岸一帯に築かれた石塁です。蒙古襲来(元寇)に備えて築かれた防塁跡です。。
伊都国歴史博物館見物後、周船寺・今宿経路でR54を北上、想い出深い、今津「元寇防塁址」へ向かいました。
【ぐるり巡行、北九州の北半分?950Kmの車旅】
■今回のルート■
★広島発→山口県→福岡県→佐賀県→福岡県→大分県→帰途
・広島廿日市インタON
・山口県下関<みもすそ川公園:長州砲>
・山口県下関<みもすそ川公園:壇之浦古戦場址>
・山口県下関インタON
・福岡県前原市<伊都国歴史博物館>
・福岡県前原市<伊都民族資料館>
・福岡県今津<元寇防塁址>←←←●当旅行記(●^0^●)/
・福岡県糸島半島<九大伊都国キャンパス>
・福岡県糸島半島<二見ヶ浦>
・福岡県糸島半島<芥屋の大門>
・福岡県二丈町<福吉駅>
・佐賀県唐津市<鏡山>
・佐賀県唐津市<久里双水古墳>
・佐賀県唐津市相知町<鵜殿石仏群>
・福岡県朝倉市<菱野三連水車>
・大分県本耶馬溪町<耶馬トピア>
・大分県本耶馬溪町<青の洞門>
・帰途(総走行距離950Kmでした)
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 自家用車
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-
<元寇防塁址へ>
伊都国歴史博物館をあとにして、R54今津方面へ左折します。 -
<元寇防塁址>
「今津長浜海岸」
駐車場(硬い砂浜です?)より毘沙門山・能古島方向を写。 -
<元寇防塁址>
「今津」
長浜海岸駐車場にて
うつくしい。いろんなことを想い出して・・・悲しくなります。 -
<元寇防塁址>
「今津」
防塁は、博多湾の今津から香椎まで20kmにわたって築かれています。
松林の中に遊歩道があります。前進前進! -
<元寇防塁址>
元寇防塁(今津)のそばにある公園です。
駐車場から10分くらい歩いたところです。前進! -
<元寇防塁址>
1年半前に妻と訪れた公園です。
今回の旅の目的のひとつは、この場所への足跡記録を画像で残すためでした。想い出さがして…ひとり旅を続けています。
1年半前、建物の中で元寇説明ビデオのスイッチを押したことを記憶しています。
-
<元寇防塁址>
ビデオによる元寇に関する歴史発掘復元作業の説明も見られます。 -
<元寇防塁址>
「元寇とは」
13世紀の初め、元(モンゴル帝国)は騎馬軍団にてユーラシア大陸の大半を征服し、日本に対しても武力を背景に服属するように促してきた。
しかし、時の執権北条時宗はこれを再三にわたって無視した。
そして1274年と1281年の二回の襲来(元寇)を受けたのである。 -
<元寇防塁址>
「元寇とは」
一度目は、約3万の兵力と900隻の船により壱岐対馬を占領され、博多は火の海となった。
しかし、博多を完全に占領するまでの戦力は無かった。
そして日本側の激しい抵抗を受けて、船に引き返したところを暴風雨に見舞われ退却していった。 -
<元寇防塁址>
「元寇とは」
2度目は占領することを企図し14万もの兵力と4400隻の大軍で博多の沖に迫っていた。
しかし、宋や朝鮮の兵隊が混じっており連携が取れず大軍の意味をなさなかったようである。
それよりも、博多湾岸に約20KMにわたり石塁を築き、元軍より射程の長い弓矢を用意し上陸を阻止した武士たちの活躍が大きい。 -
<元寇防塁址>
「元寇とは」
元軍は博多沖に足止めを食わされた上、夜陰に紛れ小舟にて夜襲をかける日本の武士団に相当の被害を被った。
狭い船内では日本刀の威力は絶大だったという。
そのうち、またしても暴風雨が元軍を襲ったのである。 WEBサイトより引用 -
<元寇防塁址>
「今津公園石碑」 -
今津<元寇防塁址>
-
今津<元寇防塁址>
1年半前に妻と訪れた防塁跡です。 -
今津<元寇防塁址>
案内説明版です。 -
<元寇防塁址>今津
1274年蒙古の襲来を受けた鎌倉幕府は、1276年に博多湾の海岸線に石築地(ついじ)を築いて、再度の来襲に備えることにしました。
これを元冠防塁と呼んでいます。 -
今津<元寇防塁址>
前進!柵の中に石塁の頂上部が見えています。 -
今津<元寇防塁址>
石塁の頂上部が数十メートル続きます。 -
<元寇防塁址>
やっとと着きました。
ここ今津地区の元寇防塁はほぼ完全な状態で残っており、約200mに渡って整備・復元されています。 -
<元寇防塁址>
今津地区内にある防塁跡は、玄武岩や花崗岩が積み上げられて造られており、奥行き・高さともに二〜三メートル、海岸線に沿って約三キロメートルほど延びています。 -
<元寇防塁址>
「防塁石積み」 -
<元寇防塁址>
「蒙古襲来絵詞」(もうこしゅうらいえことば)の「てつはう」の攻撃を受けながら戦う鎌倉時代の肥後国御家人、竹崎季長(たけざき・すえなが)も有名です。 -
<元寇防塁址>
「元寇のおさらい(●^0^●)!」
(文永の役)
元寇防塁は、1274年に元(蒙古)が900隻の軍船と2万8千人の兵で博多を攻撃し、九州の御家人と戦いをくりひろげた。 -
<元寇防塁址>
「元寇のおさらい(●^0^●)!」
(文永の役)
鎌倉幕府は、この戦いを教訓にとして再度の来襲に備え、約半年をかけて、西は今津から東は香椎まで博多湾の海岸に約20キロメートルにわたり防塁を築くことを九州の御家人に命じた。つづく・・・ -
今津<元寇防塁址>
「元寇のおさらい(●^0^●)!」
(弘安の役)
1281年に元は再び博多を攻めたが、この防塁に阻まれ、また、台風の襲来などにより元軍は全滅した。 -
今津<元寇防塁址>
-
<元寇防塁址>
今津長浜海岸駐車場(砂浜ですね)
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