2007/09/16 - 2007/09/16
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MechaGodzillaⅢ&703さん
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【ぐるり巡行、北九州の北半分?950Kmの車旅】
★8/25以来、久しぶりの丸1日休暇でした。
前日が教え子の結婚式でしたので大変気分良く過ごさせて頂き、今日は心晴れ晴れ早朝4時起き!
時の流れを潜り抜け、妻との想い出をさがすために北九州へ向かいました。
深夜に帰宅しましたが、1日だけの休暇ですから年齢を考えなくとも走行距離に限界が出ます。連休が取れれば、もっと足を延ばしている所なのですが…。
■今回のルート■
★広島発→山口県→福岡県→佐賀県→福岡県→大分県→帰途
・広島廿日市インタON
・山口県下関<みもすそ川公園:長州砲>←●当旅行記(●^0^●)/
・山口県下関市<みもすそ川公園:壇之浦古戦場址>
・福岡県前原市<伊都国歴史博物館>
・福岡県前原市<伊都民族資料館>
・福岡県今津<元寇防塁址>
・福岡県糸島半島<九大伊都国キャンパス>
・福岡県糸島半島<二見ヶ浦>
・福岡県糸島半島<芥屋の大門>
・福岡県二丈町<福吉駅>
・佐賀県唐津市<鏡山>
・佐賀県唐津市<久里双水古墳>
・佐賀県唐津市相知町<鵜殿石仏群>
・福岡県朝倉市<菱野三連水車>
・大分県本耶馬溪町<耶馬トピア>
・大分県本耶馬溪町<青の洞門>
・帰途(総走行距離950Kmでした)
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 自家用車
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-
「前日の結婚式」
あきっちい(愛称)綺麗でした。おめでとう!!
-
「前日の結婚式にて」
プライバシーがありますのでPHOTO UPは控えましょう。 -
「広島廿日市インタON」
結婚式後、心晴れ晴れ早朝4時起き!時の流れを潜り抜けて想い出深い北九州へ向かいました。 -
山陽道「佐波川SA」
このSAは大変想い出深いもんですから、九州方面へ旅立つときは休憩を兼ねて必ず立ち寄ります。 -
山口県下関市 <みもすそ川公園へ>
-
山口県下関
<関門橋、みもすそ川公園より>
御裳川(=みもすそがわと読みます) -
山口県下関<みもすそ川公園>
公園には、幕末に長州藩が外国船を砲撃した長州砲のレプリカが置かれています。
また、目の前が壇之浦古戦場跡であることから源義経の像や平知盛の像などと共に壇之浦古戦場址石碑もあります。 -
山口県下関<みもすそ川公園?>
「長州砲」
幕末、攘夷運動の中心となっていた長州藩は日本海と瀬戸内海を結ぶ海運の要衝である下関海峡に砲台を築きました。
→拡大画面でご覧下さい。(^0^)/ -
山口県下関<みもすそ川公園?>
「長州砲」
文久3年(1863)5月から6月にかけて、長州藩は関門海峡を通る外国船を5回にわたって砲撃しました。 -
山口県下関<みもすそ川公園?>
翌年8月、アメリカ・イギリス・オランダの四国連合艦隊17隻が報復のため下関にやってきました。 -
下関<みもすそ川公園?>
<長州砲(八十斤加農砲)>
この大砲は、幕末に数多くの大砲を鋳造していた長州藩の安尾家に伝わる20分の1の模型(下関市立長府博物館蔵)を参考に、原寸大に復元したレプリカ(FRP製)です。 -
下関<みもすそ川公園?>
「長州砲(八十斤加農砲)」
長州藩の主力となった加農砲(カノン砲)は青銅製の大砲で、球形の弾丸を発射し、目標を打ち抜いて被害を与えるものでしたが、連合艦隊の新しい大砲は距離・威力ともはるかにすぐれたものでした。 -
下関<みもすそ川公園?>
「長州砲」
英国のキューパー中将を総司令官とする四国連合艦隊は17隻で、イギリス軍艦9隻(砲164門)フランス軍艦3隻(砲64門)オランダ軍艦4隻(砲54門)アメリカ仮装軍艦1隻(砲4門)からなり、総員約5000の兵力でした。 -
下関<みもすそ川公園?>
「関門橋」
海峡の最もせまい所に築かれたこの壇之浦砲台は、前田砲台と共に重要な役割を果たしましたが、連合艦隊に大敗し、すべての砲台が占領・破壊されました。 -
下関<みもすそ川公園?>
「長州砲」
外国の進んだ軍備にめざめた長州藩は、開国・倒幕へと転換し、明治維新を実現する言動力となりました。 -
下関<みもすそ川公園?>
「長州砲」
寄せ集めの四国連合艦隊に完膚なきまでに打ちのめされた長州藩は、以後政策を180度転換して欧米から新知識や技術を積極的に導入、軍備を近代化してゆくことになります。 -
下関<みもすそ川公園?>
「周防灘」 -
下関<みもすそ川公園?>
「長州砲」
そして同時期に薩英戦争で英国に完敗して同じような近代化路線に転換した薩摩藩とともに、倒幕への道を一気に進むことになります。
→拡大画面でご覧下さい。(^0^)/ -
下関<みもすそ川公園?>
「長州砲」
対岸は門司、想い出深い和布刈公園が見えます。 -
下関<みもすそ川公園?>長州砲
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下関<みもすそ川公園?>周防灘
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下関<みもすそ川公園?>長州砲
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下関<みもすそ川公園?>長州砲
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下関<みもすそ川公園?>
「天保製長州砲」説明板
幕末、関門海峡での6次にわたる攘夷戦は、元治元年(1864)8月、長州藩兵と英・仏・蘭・米4カ国連合艦隊との交戦をもって終結したが、同時にこれは明治維新の具体的始動につながった。 -
下関<みもすそ川公園?>
「天保製長州砲」
この歴史的事件で下関海岸砲台に装備された長州藩の青銅砲は、すべて戦利品として外国に運び去られ国内から姿を消していた。 -
下関<みもすそ川公園?>
「天保製長州砲」説明板
1966年春、渡欧中の作家古川薫氏がパリ・アンヴァリッド軍事博物館に保管されている攘夷戦長州砲を発見、以来返還運動が進められたが実現困難のところ、郷土出身の外務大臣安倍晋太郎氏の努力とフランス政府の好意によって1984年6月、貸与の形式で里帰りを見るに至った。
この機会に下関東ロータリークラブでは、フランス政府の了解を得、創立20周年記念事業として、これを(現)原寸大かつ精密に模造し下関市に寄贈した。 -
下関<みもすそ川公園?>
「天保製長州砲」
同長州砲は天保15年(1844)萩藩の鋳砲家郡司喜平治信安の手になるもので、幕末日本人の対外危機感を象徴する歴史的逸品である。
鎖国に眠っていた日本史がようやく世界史に組み入れられる瞬間を目撃したこの物言わぬ証人を、海峡のほとりへ永久に安置しようとするのは、歴史に富むこの地の発展と世界平和を祈念する趣旨にほかならない。・・・・・とあります。 -
下関<みもすそ川公園?>
「長州砲」
迫力満点、見応えのある砲身が並んでいます。 -
下関<みもすそ川公園?>
「関門海峡」 -
下関<みもすそ川公園?>
公園内に乗り上げ駐車した愛車。犬の散歩中のおじいさんに尋ねた所、道路向かいに駐車場がありました。
目の前が壇之浦古戦場跡であることから源義経の像や平知盛の像などと共に壇之浦古戦場址石碑もあります。次の旅行記でUPします。
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