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☆昭和の名宰相「旧吉田茂邸」特別公開<br />吉田茂 没後40年特別企画 <br />戦後、吉田茂元首相が外国の来賓を招くために新築した邸宅。 <br />通常非公開の内部をガイドつきで案内てくれた。 <br /><br />旧吉田茂邸が全焼、貴重な記録となりました。<br /><br />2009年3月22日午前6時ごろ、神奈川県大磯町西小磯の旧吉田茂邸から出火し、邸宅は全焼。周囲の樹木にも延焼したが、けが人はないという。大磯町消防本部では、普段は火の気がないことから、不審火の可能性もあるとみている。<br /><br /> 大磯町のホームページによると、邸宅は吉田茂元首相の養父が明治17年に建て、約3万3000平方メートルの敷地に住居や賓客室、庭園などがある。吉田元首相と内外の要人が面会した戦後政治史の一舞台で、孫の麻生太郎首相も幼少期を過ごしたとのこと。<br /><br /><br />

旧吉田茂邸を特別公開 ☆昭和の名宰相を偲んで

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2007/09/13 - 2007/09/13

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マキタン

マキタンさん

☆昭和の名宰相「旧吉田茂邸」特別公開
吉田茂 没後40年特別企画 
戦後、吉田茂元首相が外国の来賓を招くために新築した邸宅。
通常非公開の内部をガイドつきで案内てくれた。

旧吉田茂邸が全焼、貴重な記録となりました。

2009年3月22日午前6時ごろ、神奈川県大磯町西小磯の旧吉田茂邸から出火し、邸宅は全焼。周囲の樹木にも延焼したが、けが人はないという。大磯町消防本部では、普段は火の気がないことから、不審火の可能性もあるとみている。

 大磯町のホームページによると、邸宅は吉田茂元首相の養父が明治17年に建て、約3万3000平方メートルの敷地に住居や賓客室、庭園などがある。吉田元首相と内外の要人が面会した戦後政治史の一舞台で、孫の麻生太郎首相も幼少期を過ごしたとのこと。


同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
観光バス
  • おおぶりでのびやかな、いかにも風雅な兜門を入ると、晴れやかな広い庭があり、右手海側に心字池、左手山側に邸宅がある。<br /> 

    おおぶりでのびやかな、いかにも風雅な兜門を入ると、晴れやかな広い庭があり、右手海側に心字池、左手山側に邸宅がある。
     

  • 玄関を入ると右手に広い洋間の応接間、左手に賓客用の食堂ローズルーム、そして応接間の奥には階段があって2階の私室に通じている。それは広い座敷に4畳半ほどの角部屋が付属したユニークなつくりで、窓からの景観もよいそうだ<br /><br />

    玄関を入ると右手に広い洋間の応接間、左手に賓客用の食堂ローズルーム、そして応接間の奥には階段があって2階の私室に通じている。それは広い座敷に4畳半ほどの角部屋が付属したユニークなつくりで、窓からの景観もよいそうだ

  •  食堂は壁が羊のなめし革の総革ばりで、蒋介石から贈られたという豪華な装飾付きの衛立がある。その奥には広いサンルーム「蘭の間」があって、熱帯植物の繁茂する中でくつろぎ歓談ができるようになっている。<br /> それぞれの部屋から富士が見えるようだった。文化勲章受賞の建築家、吉田五十八氏の設計とのこと。<br /><br /><br />

    食堂は壁が羊のなめし革の総革ばりで、蒋介石から贈られたという豪華な装飾付きの衛立がある。その奥には広いサンルーム「蘭の間」があって、熱帯植物の繁茂する中でくつろぎ歓談ができるようになっている。
    それぞれの部屋から富士が見えるようだった。文化勲章受賞の建築家、吉田五十八氏の設計とのこと。


  • <講和条約門(兜門)><br /><br />約3ヘクタールの敷地の中には、緑豊かな庭園や吉田元首相の邸宅、明治維新の元勲らを祭った七賢堂、富士山を背に日米講和条約の地サンフランシスコを望む吉田元首相の銅像などがあり、歴史の趣を深く感じます。<br /><br /><庭から旧吉田邸前景を臨む><br />「吉田御殿」と呼ばれる邸宅は、元芸術院会員の吉田五十八氏の設計で京都から宮大工を呼んで建てられた、総檜造りの数寄屋風和風建築。吉田元首相が外国からの賓客を招くために建設した、建築技術の粋をこらした貴重な建物だ。<br /><br /><br /><br />旧吉田茂邸は吉田茂元首相の養父にあたる貿易商・吉田健三郎氏が明治17年に建てたものである。第2次大戦後、吉田茂元首相が外国賓客を招くために新築、改築したもので、敷地1万坪余の中に住居、賓客室、七賢堂、庭園がある。現在では維持・管理を大磯プリンスホテルが行なっている。<br />

    <講和条約門(兜門)>

    約3ヘクタールの敷地の中には、緑豊かな庭園や吉田元首相の邸宅、明治維新の元勲らを祭った七賢堂、富士山を背に日米講和条約の地サンフランシスコを望む吉田元首相の銅像などがあり、歴史の趣を深く感じます。

    <庭から旧吉田邸前景を臨む>
    「吉田御殿」と呼ばれる邸宅は、元芸術院会員の吉田五十八氏の設計で京都から宮大工を呼んで建てられた、総檜造りの数寄屋風和風建築。吉田元首相が外国からの賓客を招くために建設した、建築技術の粋をこらした貴重な建物だ。



    旧吉田茂邸は吉田茂元首相の養父にあたる貿易商・吉田健三郎氏が明治17年に建てたものである。第2次大戦後、吉田茂元首相が外国賓客を招くために新築、改築したもので、敷地1万坪余の中に住居、賓客室、七賢堂、庭園がある。現在では維持・管理を大磯プリンスホテルが行なっている。

  • 七賢堂の由来と吉田茂翁 <br />明治36年、伊藤博文公が大磯の屋敷内に、維新の中心人物で、且つ自分より先輩で薫陶を受けた三条実美、岩倉具視、木戸考允、大久保利通の四氏の偉勲を称えるためお堂を造り、内に肖像を掲げ「四賢堂」と銘名した その後伊藤公が暗殺され、梅子未亡人が亡き夫を祀り五賢堂となった。その後、昭和35年に吉田茂邸内に遷座され、今日に至っている。<br /> 

    七賢堂の由来と吉田茂翁 
    明治36年、伊藤博文公が大磯の屋敷内に、維新の中心人物で、且つ自分より先輩で薫陶を受けた三条実美、岩倉具視、木戸考允、大久保利通の四氏の偉勲を称えるためお堂を造り、内に肖像を掲げ「四賢堂」と銘名した その後伊藤公が暗殺され、梅子未亡人が亡き夫を祀り五賢堂となった。その後、昭和35年に吉田茂邸内に遷座され、今日に至っている。
     

  • 吉田茂翁は西園寺公望公をも合祀し六賢堂とし、自分の邸内に転座した。翁亡き後佐藤栄作首相の計らいで故人を合祀し「七賢堂」とした次第とのこと。<br /><br /><br />

    吉田茂翁は西園寺公望公をも合祀し六賢堂とし、自分の邸内に転座した。翁亡き後佐藤栄作首相の計らいで故人を合祀し「七賢堂」とした次第とのこと。


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