2007/07/11 - 2007/07/11
426位(同エリア456件中)
まみさん
2007/07/11(水)第4日目:シビウ
【宿泊:Pensiunea Tosca(シビウ)】※予約していたのはCasa Baciu
8:04発の特急列車でシビウ着11:30(約10分遅れ)
マゲル将軍通りのカトリック教会、小広場・大広場等を散策、大広場のカトリック教会、インフォメーションでシギショアラ直行バスの情報を得る、Huet広場の福音教会、ブルケンタール博物館、正教聖堂、小広場の時計塔にのぼる、うそつき橋、Cetatii(中央)通りの民衆の壁・塔を眺める、P. Onofrein通り〜Tineretului広場を通ってペンションに戻る
ずらりと駐車された車が時にジャマだったけれど、絵になる広場とはこういうんでしたねぇ───としみじみ感動したシビウの3つの広場───大広場、小広場、そしてHuet広場。
中世の香りを残しつつ、パステルカラーの美しいバロックの教会や館に囲まれた広場。
真四角くなくどこかいびつな形なのも、乙なものです。
そして大小3つの広場が数珠つなぎになっているのも、イイかんじ!
シビウのハイライトここに極まれり!
これらの広場だけでもシビウに来て良かったとつくづく思いました。
この日の天気は曇りや雨の繰り返しでしたが、これらの広場めぐりをしていたときは雨が止んでくれたのも幸いでした。
広場といえば写真撮影!ですからね。
広場はほどよい具合に賑わっていました。
私みたいに写真を撮る人、好奇心あらわに周りを見回す人、ただの通行人、家族連れ、友人同士、学生たち、外国人……。
行き交う人々の浮かれた様子に私も影響されるとともに、私の浮かれ具合も人々に伝染したでしょう。
それは広場の雰囲気の形成に一役買ったはずです。
だって私も、広場の記憶する歴史の中ではほんの砂粒にすぎないにしても、この足で実際に立つことで足跡を残し、ほんのひとときであっても広場の一部だったのですから。
ブルケンタール博物館を見学し終わった後の広場は、強い雨を受けて閑散としていました。
それでも、写真を撮りたいと思わせる魅力は健在でした。
「シビウもシギショアラと同様に、かつてローマ人が住んでいた場所にザクセン人が入植(12世紀)して誕生した。地理的に中央ヨーロッパとバルカン半島を結ぶ要衝にあったため、東欧の最重要な商業都市として発展した。16世紀には、その重要度はウィーンに匹敵するほどであった。当時、町は19のギルドを抱え、頑強な城壁には39の塔と4つの稜堡が林立して町を守った。
1703〜91年、1849〜67年の2度にわたるハプスブルク体制下で、シビウはトランシルヴァニアを治めるオーストリア人総督が常駐する場所となった。」
(「旅名人ブックス ルーマニア 伝説と素朴な民衆文化と出会う」(日経BP社)より)
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小広場(Piata Mica)
駅からとろとろ歩いて30分(途中で教会に寄ったりしてましたからね@)、まっすぐ行けば到着すると分かっていましたが、目の前に広けた空間、すぐにハイライトの広場だと分かりました!
大広場と小広場のどっちかは、すぐには分かりませんでしたけど(笑)。
最初に足を踏み入れたのは大広場でしたが、すぐに時計塔の下のアーチの道に引かれて、この小広場に出ました。
猫の目のような明かり取りのある窓!
シビウで楽しみにしていたものです。
駐車中の車が邪魔でしたが、やっぱり写真を撮ることにしました@
となりのグレーのお城っぽい建物も気に入りました。
「小広場にはレンガの壁でできた民家が連なり、この辺りには16世紀の商人たちの邸宅が残る。邸宅の下のアーケードやアーチのある狭い通りからは、中世のころのシビウの面影を感じることができる。」
(「東欧の郷愁」菊間潤吾・監修(新潮社)より) -
時計塔を中心に
小広場(Piata Mica)にて
シビウが最盛期だった1588年に建てられたという時計塔。
上ることができるので、ひととおり周辺を回ってブルケンタール博物館も見学した後に、ぜひ上りましょう@ -
小広場側から見たカトリック教会
何度も撮り直して、最終的に気に入ったのがこの一枚です。
ところでシビウは今年2007年にヨーロッパ文化都市に選ばれたそうです。
あちこちに見られる垂れ幕はそのせいですね。
「2007年文化都市」はシビウとルクセンブルクの2都市だそうです。
シビウでは、音楽・演劇・舞踏など、約1000のイベントが今年1年かけて開かれるそうですが……半日しか滞在しないのでは、あまり恩恵がないかな〜。 -
大広場(Piata Mare)とカトリック教会
このパステルカラーのカトリック教会が大広場と小広場の境界線の一部になっていました。
さきほどの教会も、この美しいバロックの宮殿と隣り合わせにすると、また雰囲気が変わります。
「14世紀建造の城壁と砦が残るこの町の中心は、大広場である。広場にそびえる2つの塔の一方は1588年に建てられた時計塔で、下のトンネルによりその先の小広場と結ばれている。もう一方はオーストリアが統治していた18世紀に建てられた典型的なオーストリア・バロック教会である。」
(「東欧の郷愁」菊間潤吾・監修(新潮社)より)
教会は典型的なバロック教会でした。
ステンドグラスが美しいです。
黄金の主祭壇は、とんがり帽子の塔のある建物みたいでした。
背後はぎっしりフレスコ画@ -
大広場(Piata Mare)
さすが大広場!
ずいぶんと広々と感じられます。
オレンジ屋根のどこか中世風な建物がずらりと並んでいます。
猫の目のような明かり取りの窓の家もあります@
噴水の水が噴き上がる瞬間を狙ってシャッターを切りました。
大広場は、1411年には穀物市場であったと記録されています。また、ユネスコの建築遺産に指定されているそうです。
情報源:ルーマニアの公式観光局サイト(Romanian National Tourist Office (RoNTO))のHPの各都市情報系─シビウより
http://www.romaniatourism.com/sibiu.html -
ムーミンのようなクマとインフォメーションのある美しい建物
大広場(Piata Mare)にて
この美しいバロックの館の中はインフォメーションがありました(ルーマニアでは珍しい!?───インフォメーションがないところの方がまだまだ多いので)。
そこで、シビウからシギショアラ行きの直行バスの情報をもらいました。
列車だと、まず7時25分発のメディアシュ行きの普通列車に乗り、8時54分発のシギショアラ行きの急行に乗り換えます。その間の乗り換え時間8分。
すでにこの列車の切符を買ってありますが、直行バスがあるなら、ラクしたくなりました。
ところが確かにシビウからシギショアラに行く直行バスがあるにはあるのですが、一日に3本きり。しかも朝は6時発!(続く2本は13時発と17時発)。
それもバスターミナルは駅の隣ではなく、インフォメーションでもらった市内地図の欄外の方なのです。
ペンションからはタクシーを使って行くとしても、5時半には出発しなければならない───。
うーん、うーん、うーん。
悩むのは数分でした。一日くらいがんばって早起きしましょう。乗り換えなしの魅力にかないません@ -
Ville de Luconとある展示
てっぺんにムーミン……でなくて、クマが2頭@
2007年ヨーロッパ文化都市に選ばれたがゆえのモニュメントでしょうか。
しかし、Ville de Luconと書かれてありますが、Luconの町?
いまいち意味不明。
小広場と大広場を歩いているときに、2度、学生のグループに呼び止められました。
なんでも課題のために各国語でできるだけたくさん、Everybody knows this translation is easy. という翻訳を集めているのだそうです。
せがまれて2度、日本語で訳文を書いてあげました。
見るとあちこちで、Excuse me, What' your nationality? とやっているグループが。
なかなか楽しそうで微笑ましい一シーンでした。 -
18世紀のシビウの学生
Huet広場(Piata Huet)の福音教会に向かう途中で@
なんでこのような時代がかった彫刻が……?
と思ったら、すぐ近くに歴史博物館がありました。
納得@
それにしても顔色の悪い学生です。
勉強しすぎ?! -
小広場(Piata Mica)の時計塔に上りました@
時計塔から、遠景にマゲル将軍通り(Str. General Magheru)のカトリック教会を捉えて。
オレンジ色の古めかしい屋根が並びます。
おーっ、まさしく中世の街並みですね。
よく見ると、猫の目のような明かり取り窓がぽつぽつぽつと見えています@ -
福音教会と猫の目のような明かり取りの窓のある家が並ぶ小広場(Piata Mica)
時計塔から
絶景なり@ -
マゲル将軍通り(Str. General Magheru)と小広場(Piata Mica)の間に並ぶ古めかしい屋根
時計塔から
あちこちにぽこぽこ立つ巣箱のような煙突もかわいいです@ -
時計塔を下りる螺旋階段
これが結構急で恐いんですよ〜。
最後の方は手すりもないし。 -
小広場の時計塔
降りた後に撮りました。
あいにく雨がまた降り出しました。今度は強い雨です。
えーっ、まだ「うそつき橋」を見にいっていないのに。
でも場所は塔の上から確認しました。
後回しにしたのは、どこにあるか、よく分からなかったからです。
もちろん、ガイドブックの記述をちゃんと読めば、すぐに分かったんですけど。 -
花で飾られた「うそつき橋(Podul Minciunilor)」
時計塔を下りた後、雨はやまず、どんどん激しくなりました。
でも、まだシビウ名物の「うそつき橋」を見に行っていなかったので、せめてこれだけ!と見にいきました。
大広場を背にすると、小広場の正面にあります。
もっと家が密集した狭いところにあるのかと思っていたので、最初に小広場を回ったときに見逃しました。
橋の上の人たちも、強くなってきた雨に慌てていますね。
背景に、猫の目のような明かり取りの窓のある家を一緒にファインダーに入れました。
一個ずつなので片目のお化けみたい@
「福音教会の北側に小広場(ピアッツァ・ミカ)へと抜ける鉄の橋(1859)がかかっている。地元では「嘘つき橋」で知られる小振りな橋で、ルーマニア最古の鉄橋である。「嘘つき橋」の名のついた裏には、幾つかの謂れがあるらしい。その昔、小ずるい商人がこの橋の上で商売したから、ここで若い恋人が「永遠の愛」を誓ったから。通行人に聞くと、この2つに大別できた。
その上、この橋の上で嘘をつくと橋が崩れてしまうという言い伝えまであるらしい。それにしては、数多くの嘘つきたちを迎えたであろう鉄橋は、今も崩壊することなく、けなげに立ち続けている。」
(「旅名人ブックス ルーマニア 伝説と素朴な民衆文化と出会う」(日経BP社)より) -
うそつき橋と時計塔
本当は橋の下へと続く階段を下りて、「下町」散策もしたかったのですが。
雨は傘でしのげても、どんどん寒くなってきました。
私ときたら、半そでのTシャツ一枚で、町歩きのためにタウンバックはなるべく軽くしようと、防寒着までペンションにおいてきてしまったのです。
運動靴にも雨がしみてくるし。
まだ旅は続くので、こんなところで無理をして風邪をひいたらたまらないので、この後はもうレストランに入ることにしました。
といってももう18時過ぎてるので、観光を切り上げるのにそんなに早いわけでもありません。
それに、夕食をとった後、雨があがっていましたから、少し回り道をして、見たいと思っていた「民衆の壁」の塔を見に行くことはできました。
関連の写真
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/12678894/
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/pict/12678895/
関連の旅行記
「2007年ルーマニア旅行第4日目(2)シビウ:大広場・小広場をめざして+雨あがりの帰り道」
http://4travel.jp/traveler/traveler-mami/album/10178563/ -
雨の中の大広場(Piata Mare)
バルチェスク通り(Str. N. Balcescu)のレストランに向かうため、大広場に戻りました。
この洒落た鉄柵には気付きませんでした。井戸でしょうか。 -
雨の中の大広場(Piata Mare)
この雨ですから、人の気配はすっかりなくなってしまいました。
さきほどは縦構図で斜めに撮ってみましたが、最後にここはオーソドックスに横で広々と撮ってみました。
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