2007/08/21 - 2007/08/21
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satoshi.s2さん
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京都府・綾部市の神社・仏閣を参拝と散策してきました。
→光明寺→八幡宮→宝蔵寺→かんばやし(昼食)→照福寺→私市円山古墳公園→安楽寺→楞巖寺→大本本部(長正殿)→若宮神社→正歴寺→宝住寺→
大本本部(長生殿)
大本(おおもと)は、明治25年(1892年)、出口なおに降りた国祖・国常立大神の神示を立教の原点とする教派神道系の教団である。俗に「大本教」と呼ばれているが、正確には“教”を附けない。
長生殿
綾部市梅松苑の本宮山山麓・鶴山平に建つ長生殿は、宇宙の主神、天地の主宰神をまつる神殿として、平成4年(1992)11月に完成した。
本殿にあたる長生殿を中心として、向かって右に歴代教主・教主補の神霊をまつる老松殿、左に会議・集会・茶席などに利用される白梅殿、さらに前殿の鶴亀殿と四棟からなり、これらを総称して長生殿という。その他、能舞台や茶室がある木の花閣、祭祀事務所の博約館などが配置されている。建物の総面積は1738坪(5746平方メートル)。
日本建築の第一人者・杢正夫氏指導のもと、日本伝統建築技術の粋を結集して造営された今世紀最大の純日本建築物といわれている。
出口王仁三郎教祖は「長生殿建ち上がりたるあかつきは神の経綸(しぐみ)も漸(ようや)く成らむ」と、長生殿がもつ神的意義を示し、過去2回、建設を試みた。1度目は大正10年(1921)、本宮山神殿として完成したが、第一次大本事件で、わずか4カ月で国家当局の手により強制破却。2度目は、昭和10年(1935)、基礎が完成しただけで、再度の弾圧に遭い破壊された。長生殿は、大本にとってまさに悲願の神殿であった。
昭和59年(1984)、出口直日三代教主の言葉によって造営に着手。平成2年(1990)三代教主が昇天後、長生殿の造営は出口聖子四代教主に引き継がれ、平成4年(1992)大本開教100年の年に完成した。
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- 1万円未満
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