2007/08/08 - 2007/08/08
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satoshi.s2さん
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暑い中世界遺産平城宮を散策してきました。
東院庭園→式部省→兵部省→天府の国・シルクロード博記念館→棚田嘉十郎像→朱雀門→第二次大極殿→内裏→内裏の井戸→東院庭園
世界遺産平城宮
平城宮・朱雀大路の北端には朱雀門がそびえていました。朱雀門をくぐると天皇の住居であり政治や国家的儀式を行う平城宮です。平城宮の周囲には大垣がめぐり、朱雀門をはじめ12の門がありました。
平城宮の内部にはいくつかの区画があります。政治・儀式の場である大極殿・朝堂院、天皇の住まいである内裏、役所の日常的業務を行う曹司、宴会を行う庭園などです。その中でも政治・儀式の場は、都が一時離れた時期を境にして、奈良時代の前半と後半で大きな変化がありました。奈良時代前半に、朱雀門の真北にあった大極殿(通称、第一次大極殿)が、奈良時代後半になると東側の区画に建てられたのです(通称、第二次大極殿)。これに対して、内裏は、奈良時代を通じて同じ場所にありました。
これらの事実、40年以上におよぶ発掘調査によってわかってきたことです。このうちほぼ正方形と考えられてきた平城宮が、実は東部に張り出し部分を持つことが分かったことや、その隅に奈良時代の庭園を発見したことなどは、発掘調査による大きな成果の一つといえるでしょう。
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- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
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東院庭園の発掘調査
1967年、平城宮東張出し部の南東隅に大きな庭園の遺跡が発見されました。この場所は『続日本紀』にみえる「東院」にあたることから、発見された庭園は「東院庭園」となづけられました。それまで奈良時代の庭園については古い文献からそのようすをうかがうのみでしたが、この発見を契機に発掘調査を継続した結果、庭園部分とその周辺一帯の様相がほぼあきらかになりました。東院庭園は東西80m×南北100mの敷地の中央に複雑な形の汀線をもつ洲浜敷の池を設け、その周囲にはいくつもの建物を配していたことが確認されたのです。 -
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東院とは
平城宮は他の日本古代都城の宮殿地区には例のない東の張出し部を持ちます。この張出し部の南半は、奈良時代をつうじて「東宮」とよばれたようですが、孝謙・称徳天皇の時代にはとくに「東院」とよばれていました。
称徳天皇はこの地に「東院玉殿」を建て、宴会や儀式を催しました。最近の研究では、光仁天皇の「楊梅宮」はもとより、聖武天皇の「南苑(南樹苑)」もこの場所を中心として営まれていたとする説があります。いずれも発掘された「東院庭園」と深く関わる施設でしょう。 -
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東院庭園の池
東院庭園の池は前期と後期の2時期に分けることが出来ます。前期の池は汀沿いの池底に大きな玉石を帯状に敷きつめていましたが、後期の池では池底から岸にかけて前面に小礫を敷き詰めた浅い池となっていました。池の形も前期の単純な逆L字形から、後期にはいくつもの入り江や出島をもつものに作り直されており、池の北岸には築山石組が新たにつくられました。奈良時代中頃の池のつくり替えにともない、建物も何度か建て替えられました。 -
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