2007/06/03 - 2007/06/11
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megmeguさん
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ANAの15000マイル、ソウルへの旅3日目。
今回の旅の一番の楽しみが、扶余に百済の面影を求めに行くことでした。
ソウルからの日帰りです。
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-
3日目(6月5日)は、早起きして(扶餘 プヨ)へ行った。
事前に言うておいたので、朝ごはんはお弁当にしてくれはった。
懐かしのキャベツ入り玉子焼きのサンドイッチとヤクルトみたいなんと凍らせたペットボトルのお水。
出がけに受け取って行くって言うてたのに、お父さんが6時20分ごろわざわざ持ってきてくれはった。 -
6時半にお宿を出て、地下鉄の慶福宮の駅まで歩いて10分。
ソウルの地下鉄の駅名標はわかりやすい。
ハングルと英語、漢字で書かれてるし、番号がふってある。慶福宮の327は3号線の27番目の駅っていうこと。
最近は日本の地下鉄の駅にも番号がついてるけど、ソウルのはずっと早かったと思う。 -
3号線で南部バスターミナルまで30分、1000W(約136円)。
T−moneyを使うので、現金で切符を買うより100W安くなる。 -
南部バスターミナルで、扶餘行きの切符を12200W(約1655円)で買う。
ここはクレジットカードが使えんかった。
扶余って言うかハングルで書いた紙を見せると、高速の切符をくれた。
所要時間は2時間(普通は3時間)。
朝の時刻(高速)は、
6:30、7:10,7:50,8:30,9:10、、、、
座席指定で乗り場は12番。 -
ターミナルの中にはいろんな食べ物を売ってる。
おでん、鉄板で焼くサンドイッチ、麺、海苔巻きなど。 -
バスは7時50分発で、全席指定。
40人乗りぐらいの小さいのでお客さんは10人ぐらいやった。 -
ソウルから扶餘までは約150km。
東京からやと軽井沢とか清水ぐらいの距離かな。
なぜか行きも帰りも途中のガソリンスタンドで給油した。そこがガソリン安いんかなあ。
ちょうど2時間で到着。 -
バスを降りてすぐのとこが露天の市場やった。
近くに大きな河があるんやけど、魚屋さんではタチウオやカニ、エビ、イカなど海のもんがほとんど。
観光案内所を探してんけど、バス乗り場の周辺にはない。 -
扶蘇山(プソサン)の方に向かうて歩いていったら、アーケードの在来市場があった。
-
お肉屋さんでは、豚や鳥を店先に吊るしてはった。
昔の日本もこんなんやったんかなあ。 -
コンビニで聞いても観光案内所はわからんで、扶蘇山の入り口のパーキングのとこにやっとみつけた。
観光案内所には日本語のできる人もいはった。
市内の地図をもらって、扶蘇山(プソサン)へ。
山っていうても海抜106mしかない。 -
チケット売場になってる泗び(水編に比っていう漢字)門(サビムン)で入場料2000W(約271円)を払うて、松林のなかのなだやかな道を上がって行く。
-
20分ほどで一番高いとこに建ってる泗び楼(サビル)に着いた。
私は子どものころから歴史が大の苦手。記憶力に難があるんで、暗記物と思うてた歴史は毛嫌いしてた。
でも旅をしたり、美術品を観てるとその背景が知りたくなる。そんなことから行った国の歴史や日本との関係をちょっとずつ学んでる。
百済の前期は漢城(今のソウル漢南)に都があったそうや。475年に高句麗に漢城を落とされて、都を熊津(今の公州市)に移す。そして、538年熊津から泗び(今の扶余郡)に遷都してんて。
日本は倭国って言われてる、飛鳥時代初期、欽明天皇のころ。
泗び楼は、そこから名前をとってんなあ。
ここで、おじさんから韓国語で声をかけられた。日本人で韓国語がわからへんって言うと、紙にきれいな楷書で「文化鮮説」って書いて見せはる。意味がわからへんから、知らんってジェスチャーで示してんけど何のことやったんやろう。 -
山の反対側に下っていくとすぐに、六画形をした百花亭があった。
すぐそこは断崖絶壁になってて、白馬江(ペンマガン)に面してる。
660年新羅・唐連合軍に攻められ、泗ぶ城落城に際して、数多くの百済の宮女と女人たちが、敵に辱めを受けるよりはと白馬江に身を投げたそうや。
そのチョゴリの舞う姿は花が散るようやったということから、飛び降りた断崖を落花岩(ナッファアン)、その上に建てられたあずまやを百花亭(ベッファジョン)と名づけてんて。 -
百済と同盟を結んてた日本(倭)からも援軍が送られて、「白村江(はくすきのえ)の戦い」っていわれてる。
敗戦して日本(倭)に戻るときに亡命したい百済の人をようけ連れて帰ったそうや。
ここからの、白馬江(ペンマガン、昔の白村江)の眺めは悠々としてて、なんや胸がいっぱいになった。 -
百花亭(ベッファジョン)から階段をどんどん降りていくと、白馬江(ペンマガン)に面してお寺があった。
高麗時代に、落花岩から身を投げた女性を供養するために建てられたという皐蘭寺(コランサ)。 -
ここからの白馬江は雄大な眺めや。
もう少し降りたところに船着場があって、遊覧船で白馬江を下ることもできるみたいやった。 -
お寺の裏に薬水(ヤクス)が沸いてる。
この水は、百済の王様のお気に入りやったそうや。
近くの岩に皐蘭草(コランチョ)という珍しい草が自生していて、水を汲みに行く家来たちは、皐蘭草の葉を水に浮かべることで皐蘭薬水やっていうことを証明してたんやて。
この水のお蔭で、王様は胃腸病はもちろん風邪もひかんかったそうや。
皐蘭草もガラスケースのなかに保護されて生えてた。 -
肝心の水はどこかと思うたら、ずいぶん下の方にあるみたいやった。銀色の長い柄杓を下ろすと水が掬えた。飲んでみると、冷たくておいしかった。
この水には「赤ん坊になったおじいさん」っていう伝説があるそうや。
大昔、所扶里(扶余の昔の地名)のある村に、仲のよい老夫婦が住んでいました。
この老夫婦には子どもがおらず、おばあさんはなんとか若返って子どもを授かるように願っていました。
ある日、おばあさんは日山(錦城山)で修行をしている人から、皐蘭寺の薬水には驚くべき効果があるという話を聞きました。
次の日の明け方、おばあさんはおじいさんにその薬水を飲みに行かせましたが、夜になっても戻ってきませんでした。
不安な一夜を過ごしたおばあさんは、翌日その場所に行くと、そこにはおじいさんの服を着た赤ん坊が泣いていました。
おじいさんに薬水を1杯飲むごとに3年若返ると伝え忘れていたことに気づきました。
おばあさんは後悔しながらもその赤ん坊を一生懸命育て、後にこの赤ん坊が成人になってから大きな業績をあげ、百済時代の最高官「佐平」になったそうです。 (扶余の観光マップより)
5杯分ぐらい飲んだから、15歳若返ったかもしれん。 -
また階段を上って、半月楼へ。
こういう建物はそんなに古いもんやない。 -
竪穴兵営址が、当時の百済時代の遺跡みたいやった。まだまだ発掘されてないもんが多いみたいや。
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三忠祠には、百済末期の三忠臣、成忠、興首、階伯の影像と位牌がまつってあるそうや。
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扶蘇山(プソサン)を2時間ぐらい散策して、お腹がへってきた。
扶蘇山(プソサン)を下りて、開城食堂(ケソンシクタン)でお昼にした。 -
庶民的なお店で、奥の調理場が見えるテーブルに案内してくれはった。
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一般韓定食8000w(約1085円)を頼んだんやけど、20皿ものお料理が出てきてびっくりした。地方に行くと、食事の品数が多くて安いからうれしい。
蒸卵焼き
タラの芽の茹でたの
ごまめとシシトウの炒めたの
きのこの胡麻油マリネ
ズッキーニのジャン
芹のあえもの
ゆで豚
豚肉の醤油煮
チャプチェ(五目春雨炒め)
ツブ貝のキムチ
蟹の唐辛子味噌漬け
大根の葉の水キムチ
白菜のキムチ
干した魚のキムチ
菜っ葉のお味噌汁
テンジャンチゲ(味噌チゲ)
アミの塩辛
黒米ご飯
韓国海苔
水正果(スジョンクァ)っていうシナモンと生姜の飲み物も最後に出してくれた。
ここはお皿も陶器やったし、なかなかよかった。 -
お腹がいっぱいになったところで、扶余で一番楽しみにしてる定林寺址(チョニムサジ)に向かうた。
途中に、資源回収箱みたいなんがあった。
イラストを見ると、乾電池や蛍光管を入れる箱みたいやった。蛍光管の種類によって、細長いの、丸いの、電球型って入れるところも分かれてる。
日本でもまだ不燃ごみとして扱うとこが多いのにすごいなあ。
続きます。
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