2007/07/07 - 2007/07/07
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さすらいおじさんさん
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飛行神社(ひこう じんじゃ)は京都府八幡市の神社で飛行機の神・饒速日命(ニギハヤヒノミコト)と航空事故の犠牲者などを祀っている珍しい神社。日本で最初に飛行原理を研究した二宮忠八(1866−1936年)が創建し、ギリシャの神殿風の拝殿を持っている。
二宮忠八は1891年に日本で初めて動力つき模型飛行実験に成功し、世界初の有人飛行の実現を目指していたが、有人動力飛行をライト兄弟(ウィルバー・ライト1867−1912年、オーヴィル・ライト1871−1948年)が1903年に成功したことを知って有人飛行研究を諦めてしまった。だが、飛行機発明以来、戦争をはじめ航空機事故による犠牲者が増え続けることに苦しんだ忠八は、事故犠牲者の慰霊のために1915年に飛行神社を創建し自ら宮司になった。
現在の社殿は1989年に忠八の飛行原理発見100周年を記念して、二宮忠八の次男二宮顕次郎によって再建されたもので、古代ギリシャの神殿のような拝殿。鳥居は飛行機の材料、ジュラルミンで作られ、境内には墜落した戦闘機のエンジン、プロペラなども祀られている。
飛行機の神・饒速日命(ニギハヤヒノミコト)は『日本書紀』『古事記』に登場し、天磐船(あまのいわふね)にのって河内国河上哮ケ峰( たけるがみね)に降臨したとされることから、空の神・飛行機の神として、飛行神社の祭神として祀られた。天磐船(あまのいわふね)と言われる大岩を祀る大阪府交野市の磐船神社より勧請している。
二宮忠八は1891年、日本初のプロペラ飛行実験で10mの飛行を成功、1893年には有人飛行用四枚翼飛行機「玉虫型飛行器」の模型を作成した。日清戦争(にっしんせんそう1894−1895年)に衛生兵として参戦した忠八は、有人の「玉虫型飛行器」の開発を上司の長岡外史大佐と大島義昌旅団長に上申したが、却下されてしまった。日本の軍部が飛行機開発に消極的だったことで忠八は軍を退役し、独力で開発しようとし大日本製薬株式会社に入社し、1903年のライト兄弟の有人飛行成功を知らぬまま、製薬研究のかたわら世界初の有人飛行を目指し自己資金で細々と研究を続けたがライト兄弟の成功を1909年10月に新聞で知って研究を中断した。
1919年、愛媛県出身・同郷の陸軍中将白川義則(1869−1932年 後に陸軍大臣)に忠八は1895年に飛行機の上申をしたが却下されたことを報告した。白川義則が検証させた「玉虫型飛行器」の設計は技術的に正しいことが解ってようやく軍部は忠八の研究を評価し、1921年忠八を表彰し長岡外史は直接忠八のもとを訪れ謝罪、日本では近年「日本の航空機の父」という評価が高まっている。
ライト兄弟も自費で飛行機の研究、実験、開発をしてようやく成功したそうだが、研究段階で資金援助を得ることはどこでも難しいようだ。陸軍中将白川義則が日清戦争当時に「玉虫型飛行器」を知っていたとしても軍として開発費を出したかどうかは疑問だ。何事も後で評価されることは多い。長岡外史大佐が海のものとも山のものとも解らない上申を却下したことは不思議ではなく、むしろ長岡外史が直接忠八のもとを訪れ謝罪した潔さは現代の日本人も見習うべきものだろう。
(写真は飛行神社の1983年に大阪湾で引き上げられた零戦の機首部)
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飛行神社前の街並み。
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飛行神社に祀られている飛行機のプロペラ。
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飛行機の神・饒速日命(ニギハヤヒノミコト)を祀る飛行神社の本殿。
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飛行神社の紹介板。
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飛行神社の碑。
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ギリシャの神殿風の拝殿。中央社殿は飛行機の神・饒速日命(ニギハヤヒノミコト)、右の社殿には航空業界に業績を残した人の霊と、世界中の航空事故の犠牲者の霊を祀る。日本国内の航空事故犠牲者については一人一人の名前を挙げて合祀しているとのこと。
左の社殿には、薬業の祖神とする武田長兵衛と金毘羅神と地主神である白龍神を祀っている。薬祖神は二宮忠八が製薬会社に勤めていたことによるもので、金毘羅は忠八が讃岐の金刀比羅宮(船の神、飛行機に通じる)を信仰していたことによる。白龍神は境内に出現した白蛇を地主神として祀ったものとのこと。 -
鳥をイメージした拝殿のステンドグラス。
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飛行神社の碑。
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飛行神社に祀られている飛行機のエンジン。
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飛行神社に近い淀屋辰五郎(よどやたつごろう1684−1717年)の旧宅。
5代目淀屋三郎右衛門(廣當、通称辰五郎)は1702年に莫大な淀屋の家督を引き継いだが1705年、淀屋は闕所(けっしょ)となり財産をすべて没収され、大坂から所払いとなった。その理由は「町人の身分に過ぎた振る舞いがあった」というもの。確かに辰五郎は1年半で1万貫(約100億円)も遊興費を使ったそうだがそれは口実と見られている。豪商淀屋の大名貸しは現在価値120兆円と言われ幕府は諸大名の窮状を救うために淀屋をつぶしたと考えられている。
闕所、所払い処分を受け入れた淀屋辰五郎は1709年に江戸に潜伏し、1715年、日光東照宮100年祭の恩赦で初代淀屋常安が徳川家康から拝領した八幡の山林300石が淀屋に返還され1716年に辰五郎は八幡の淀屋辰五郎旧邸跡の碑が建っている所に戻った。門は当時のものとのこと。だが淀屋辰五郎は、1年後の1717年には35歳で死去、男山の神應寺墓所に葬られた。士農工商時代の徳川幕府の横暴ぶりを物語っている。大名達は淀屋のおかげで藩の経営ができていたのだが、商人は武士には勝てなかった。 -
安居橋(あんごばし)の欄干。「安居橋の朧月」は八幡八景のひとつになっている。
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安居橋周辺の光景。安居橋から見る男山や放生川(ほうじょうがわ)の光景が良く、「 徒然草 (つれづれぐさ) 」で仁和寺(にんなじ)の僧侶が石清水八幡宮だと勘違いして帰ってしまった話で有名な高良神社( こうらじんじゃ )が向かいにある。木造の安居橋は、欄干に12の葱宝珠がついており、橋の北側中央の張り出した舞台は、江戸時代に放生会での舞いが安居橋で行われていたときの様子を再現したものとのことで1975年に作られた。
江戸時代の放生川には、五位橋、安居橋、六位橋、高橋が架かっていたが現在名前が残っているのは、安居橋のみ。安居橋の名は、1457年に架けられた五位橋の後に架けられたことから、相五位橋(あいごいばし)といわれ、これが変化して安居橋(あんごばし)になったと言われる。 安居橋は、上津屋の流れ橋とともに、八幡市の名物橋。 -
安居橋周辺の光景。
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放生川(ほうじょうがわ)の光景。
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安居橋から見る男山。
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安居橋周辺の光景。
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放生川(ほうじょうがわ)の光景。
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この旅行記へのコメント (4)
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- kokonoさん 2007/08/27 18:46:10
- ゼロ戦と特攻兵士
- さすらいおじさん、こんにちは
海外渡航地図はキイロに染まり 空白部分が 狭くなり・・
はたまた、国内訪問地図はキイロ一色・・
見つけ出したのが キイロ一色の中から 飛行神社とやら
今まで私は この存在を知りませんでした
国民学校の小学生時代 ゼロ戦に乗るのを夢見ていて 憧れの的でした
戦中は撃墜された B29が展示されていましたが
ゼロ戦は見ることがありませんでした
終戦後、記録映画・ニュース映画などで 観たことを うっすらと覚えている程度です
特攻隊兵士の代名詞として あまりにも有名な名機ゼロ戦
・【1983年に大阪湾で引き上げられた零戦の機首部】
24年前に海から陸へ 終戦が62年前 38年間も大阪湾内で生活して・・
墜落したであろう時期が 62年以前ですね
搭乗者は20歳と仮定すると 82歳以上のお年寄りになります
健在であれば年金で悠々自適な老後生活かも ??
まず、それはありえない事柄ですね
この旅行記を拝見して改めて、ゼロ戦と特攻兵士を偲びました。
kokono
- さすらいおじさんさん からの返信 2007/08/27 22:10:23
- RE: ゼロ戦と特攻兵士
- kokonoさん
飛行神社をごらんいただきありがとうございます。
今年は近場の関西を見直して歩いています。
ゼロ戦の残骸を見ると、私も特攻隊で若くして亡くなった人のことが思い浮かびます。
広島、江田島の旧海軍兵学校に行ったときに、展示されていた、たくさんの特攻隊員の遺品や遺書を見ました。
中でも、特攻隊員が書き残していた、母への遺書を思い出し、心が沈みます。
悲惨な戦争は何としても避けなければならないと思います。
kokonoさんがおっしゃるように、若くして亡くなった人たちが健在なら、いろんな人生を歩まれ、存命なら孫やひ孫に囲まれ、にぎやかな余生を送っておられるかもしれませんね。
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- ralphinさん 2007/08/03 23:28:03
- ご無沙汰しております。
- こんばんはー。
かなりご無沙汰しております。
そんな間に、お誕生日を迎えておられたのですね。
遅くなりましたが、お誕生日おめでとうございます☆
京都って本当、見所が満載ですねー。
飛行神社ってのがあるなんて知らなかった。
神社なのに、なんかハイカラで、ステンドグラスがあったり
ギリシャの影響を沢山受けているんですね。
さすがに奥が深いですね、また私の中で京都ブームになりそうです。
ralphin
- さすらいおじさんさん からの返信 2007/08/04 07:30:34
- RE: ご無沙汰しております。
- ralphinさん
誕生日のメッセージをありがとうございます。
飛行神社は大阪府の県境、京都府八幡市にある地味ですが、珍しい神社です。
江戸時代までは石清水八幡宮参りの人たちで八幡市は賑わったのでしょうが、現在では観光地では無い、静かな街になっています。
今年は近場を歩いていますが、あまり知られていなくても「へー」と思うところは結構ありますね。
きっと日本中に「ヘー」と思う知らないところがたくさんあるのだろうと思います。
でも京都の魅力は尽きませんね。
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