2007/05/20 - 2007/05/20
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ソフィさん
2007年5月20日(日)
離陸直後「新潟まで45分」と言う機内アナウンスがあった。
昨秋「福島まで50分」と言うアナウンスに驚いたが、日本も狭くなったものだ。
上空は空気がよく澄んで、はるかかなたに真っ白な富士山が見える。
白雪を残した日本アルプスの脊梁が、雲の切れ目に美しい。
機内で「チューハイ」のサービス(有料500円)が珍しいので、トライする。
しかしゆっくり飲む間もなく、飲み始めたころには、飛行機はもう着陸準備態勢に入っていた。
新潟空港では「政令指定都市新潟誕生」のポスターが、貼られている。
新潟は今年4月1日、日本海岸で始めての政令都市に指定されたばかりなのだ。
日本海岸に育った私には、新潟の政令都市化は、裏日本の表舞台への登場として、非常にフレッシュな感じがする。
日本海海岸地帯は「裏日本」と呼ばれ、子供のころから日本の「裏」と認識させられていた。
しかし省みるに、近代日本が成長する過程で、裏日本の果たした役割は大きい。
そもそも「裏日本」なる呼称さえ、明治20年(1887年)代以降のものらしく、それまでの日本海岸は日本の表街道だった。
(以下古厩忠夫「裏日本−近代日本を問いなおす」岩波新書1997参照)
明治13年(1880年)の地区別人口統計によれば、石川県(現在の富山県・石川県および福井県の内越前部の合計)は全国第一位の183万人、新潟県は第二位の155万人という。
また地租の地区別納税額でも、明治11年(1878年)には石川県(上記範囲)が全国でトップ、新潟県が第四位である。
この年の政府租税収入における地租は、82%を占めていた。
それ以降日本における産業革命が起こり、太平洋岸へ鉄道建設を初めとする公共投資が集中する。
そして工業も、太平洋岸に集まる傾向が生まれ、日本海岸は太平洋岸発展に向けての、ヒト、モノ、カネの供給地となる。
言い換えれば、現在裏日本と呼ばれている地域は、日本の近代化に決定的な役割を演じ、それを支えた主役かもしれない。
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