2007/02/16 - 2007/02/18
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旅人のくまさんさん
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<2007年2月18日(日)>
昨晩は、レストランでの大晦日の晩餐会に始まり、2次会まですっかりご馳走になってしまいました。元旦の今日が、帰国の日となりますが、夕方の便ですから半日以上ゆっくり出来ます。朝も少しゆっくり過ごし、楊先生が作って頂いた、上海の正月料理を楽しみました。
<龍華寺に初詣へ>
元旦の食事の後、今日もEnちゃん運転の車で出掛けました。上海で一番古いお寺とされる龍華寺の初詣です。その由緒ある龍華寺について、インターネット情報などを参照して説明します。
龍華寺は、上海市の市の南西郊外に位置する禅寺です。釈迦の弟子である弥勒菩薩が、龍華樹の下で仏様になったという逸話から寺の名前が付けられました。
龍華寺とその前に建つ龍華塔は、上海でも指折りの名勝です。三国時代に、呉の孫権が、夫に先立たれた母の悲しみを慰めるために建立したのが始まりと言われます。そのため龍華寺と龍華塔は、それぞれ「報恩寺」「報恩塔」とも呼ばれています。
建築様式は宋代の宋伽藍七堂制です。弥勒殿、天王殿、大雄宝殿、三聖殿、方丈室、蔵経楼が中央にまっすぐ並んで建ち、その両側には鐘楼と鼓楼があります。この並び方は龍の姿を現しています。大雄宝殿が頭部、鐘楼と鼓楼が耳、東西の門前町の中にある二つの井戸が龍の両目であるとされます。
宋代・明代・清代と修復が重ねられ繁栄をしましたが、残念なことに文化大革命の折に、甚大な損害を被りました。しかし1978年、人民政府の手によって再建されました。この時に、龍華塔の前に流れていた玉帯河は埋められ民家となり、山門は取り壊され、井戸は埋められました。
龍華寺には、明代の神宗皇帝から下賜された三つの宝があります。金印、ルシャナ仏と経典です。あわせて三宝と呼ばれています。この日は拝観出来ませんでした。インターネットに掲載されていた、龍華寺の平面図と坐像を紹介しておきます。(写真掲載は省略しました)
<龍華寺へのアクセス>
今回は、Enちゃん運転の車で初詣に訪れましたが、後日のために公共交通機関でのアクセスを紹介しておきます。住所は、上海市徐匯区龍華路2853号です。
鉄道の場合は、上海駅から約10キロです。車では約20分の距離になります。地下鉄4号線の上海体育館駅からは、約1.5キロとなります。徒歩では、約20分です。路線バスの場合、41、44、56路バスで龍華鎮下車となります。龍華寺の中国語読みは「ロン・ホアー・スー(Long Hua Si)」です。
<龍華寺の初詣>
入場料は大人10元、子供が5元です。線香代も含んでいます。日本のものより太く長い線香です。いつもは入場の時に渡されるようですが、初詣で混雑していましたから、入場した後、入場券と引き換えでした。
大きな線香でしたから、ライターでは、なかなか火が付きませんでした。宝殿に向かい、願い事をしてから3回お辞儀をしてから。その線香は燃してしまうようです。大混雑でしたから、煙の中をOさんが、代表で線香を上げに行かれました。
三国時代の247年、呉の孫権により建立された当初の建物は、太平天国の乱で焼失しました。現在の建物は、清の光緒年間(1875?1908年)に再建されたものであり、更にその後の文化大革命時に破壊された個所も修復されました。
天王殿には、弥勒菩薩をはじめとして四天王などの仏像が安置されています。三経殿の東側にある牡丹園には、樹齢100年を超す牡丹があり、春には一勢に咲き揃います。
龍華寺のシンボルの龍華塔は、寺の創建時に築かれましたが、唐代の末期に破損し、宋代の977年に再建されました。それから、1000年以上の歴史を持ちます。
その龍華塔の高さは約40m、八角形の七層から成り、各層の軒先には鈴が付いています。塔の上からは、上海市街や黄浦江が一望できますが、残念ながら今登ることが出来ません。木とレンガで造られているこの塔の老朽化が進んだためです。お寺の西側にある「龍華公園」は、桃の名所として有名です。
<創建者の孫権について>
龍華寺の創建者とされる孫権についても、フリー百科事典の「ウィキペディア」を参照しながら紹介しておきます。
孫権(そんけん Sun Quan 182年?252年)は、中国、後漢末から三国時代の人物です。三国鼎立の一角を担った呉の名君です。字は仲謀、呉の初代皇帝(在位222年‐252年)で、廟号は太祖です。
先祖は兵法家の孫子とされますが、信憑性は低いようです。「長命で帝位に昇る相」といわれた通り、三国志の君主の中で最も長命でした。
「三国志演義」では「碧顔紫髯の異相の持ち主」と描かれました。兄孫策の死後、呉の君主となりました。周瑜、張昭らの補佐を受け地盤を固めました。208年には劉備と連合、赤壁の戦いで勝利し、曹操の南下を食い止めました。
荊州、交州などに勢力を伸ばし、229年に呉の皇帝となりました。晩年は後継者選びで、政治を混乱させました。死後、大皇帝と呼ばれました。
父の孫堅は、「仲謀は只者では無い、貴人の相をしている」と言い、将来を期待していました。呉の礎を築いた孫堅、「江東の小覇王」と恐れられた兄孫策を相次いで亡くし、わずか19歳で呉の君主となりました。外交策に長け、変化自在な外交方針を中心に、呉建国を成功させました。
臣下にも恵まれ、孫堅・孫策以来の旧臣である周瑜、程普、黄蓋、韓当、朱治らの武官や、張昭、張紘などの文官に加え、諸葛瑾、魯粛、呂蒙、陸遜、朱然、などの新世代の優秀な文武官も、若い孫権を支えました。
その後、劉備が勢力を拡大して、曹操を脅かす勢いになると、今度は曹操に臣下の礼を示して恭順し、関羽を討って荊州を劉備から奪い取りました。荊州を奪還するため東進してきた蜀軍を夷陵の戦いで破った後、早々に蜀漢と和を結んで魏に対抗するなど、時期を見計らってある時は魏と、ある時は蜀漢と同盟を結び、三国の均衡を保っていました。
晩年は後継者問題で国を荒らし、王表という神を信じて福を求めるなど老耄が目立ちました。呉主伝で陳寿は「身を屈して、恥を忍び、計を重んじ、勾践の奇英あり人に勝れしものなり」と評しています。
勾践は日本では後醍醐天皇が隠岐に流された際に、児島高徳が「天勾践を空(むな)しゅうする莫(なか)れ 時范蠡(はんれい)無きにしも非(あら)ず」という歌を詠んで励ましたエピソードがあります。この歌は、若い頃、吉川英次さんの小説で読んで、今も記憶している一節です。
勾践(??紀元前465年)は、中国春秋時代後期の越の王です。名臣范蠡の補佐を得て、当時大陸の南方で強大な勢力を誇っていた呉を滅ぼし、春秋五覇の一人に数えられることもあります。なお、句践と表記されることもあります。
因みに孫権の子孫は今現在、中国杭州の富陽市南部の龍門古鎮という村に住んでいるとされ、この村では9割の人間の姓が「孫」です。
<銀都路住宅の近くのレストランでの昼食>
龍華寺での初詣の後、銀都路近くのレストランへ向かいました。昨年の大晦日の宴会をご一緒させて頂いたレストランです。S.P.先生とYa先生は歩いて、このレストランへお見えになりました。お店の名前は、「宝燕海鮮」です。
このお店の1階には食材や調理例などの品を展示してありますから、実物を確認しながら注文が出来ます。S.P.先生が、奥様のYa先生や娘さんのEnさんと相談しながら、メニューを決められました。私は、その時間を利用して、ざっとその展示の品をカメラに収めました。
個室が用意されていましたので、美味しい料理を戴きながら、ゆっくりと昼の時間を過ごしました。夕方のフライトですから、時間の心配はありません。鱶鰭スープなどの高級料理が卓上に並びました。
Otさんは本場のチャーハンが食べたかったらしく、最後にその注文をされました。私は量的にも十分で遠慮しましたが、さすがにOtさんは、そのチャーハンを完食されました。
<歩いて銀都路住宅へ>
昼食のレストランからは、歩いて銀都路の住宅へ向かうこととしました。MtちゃんとKⅰさんは、買い物のためにいつものスーパーへ立ち寄られるとのことでした。こちらは、Enちゃんが車で送られました。どちらへ向かうにしても、さほどの距離ではありません。
レストランがある一角は、新しく出来た商店街です。その中を通って、本通りへ出ました。本通には、かなり大きなホテルも出来ていました。何度も通ったことがある大通りです。
銀都路住宅への出入口は、複数箇所にあります。大通りに面した、いつもの出入口ではなく、フィットネスクラブがある方の出入口へ向かいました。こちらの方がかなり近道になります。
その出入口の近くには、「田園」の名前が付いた公園があります。案内看板には、2003年に着工し、2004年に竣工したこと等が記されていました。フィットネス用の運動用具も各種設備された立派な公園です。横を通っただけですが、手入れや清掃がしっかりとされていました。
出入口の警備室では、行き先の確認がありましたが、Ya先生が53号へ戻られる事を答えられていました。53号(ウーシーサンハオ)は、私も良く覚えています。一人で戻る時に、いつも使っていたからです。銀都路は、セキュリティチェックがしっかりした住宅ですから、住む人にとっては実に安心です。
ご自宅へは、Enちゃんが先に帰宅されていました。Mtちゃんたちは買い物ですが、道路を挟んで向かい側のスーパーです。やがて、お二人も帰宅されました。
<帰国>
S.P.先生と、奥様のYa先生とは、銀都路の住宅前で手を振ってお別れしました。上海空港までの車は、上海到着の時と同じように、Enちゃんが運転して戴きました。この後、1、2日、ご親戚等とのお約束があるので、その後で帰国されると、お聞きしました。
元旦の帰国でしたが、上海空港の駐車は混んでいました。空港ターミナルの端っこの方に車を停めて、Enちゃんがチェックインのお手伝いと見送りをして戴きました。最初から最後まで、今回の4人のメンバーは、お世話になりっ放しでした。本当に有難うございました。
元旦の帰国でしたから、空港内は、それほどの混雑はありませんでした。早目に出国審査を終えて、出発ゲートへ向かいました。帰りは、往きよりも短い2時間程のフライトです。
往きにもOgさんの車で迎えて頂きましたが、帰りも自宅まで送って頂きました。荷物があるときには大助かりです。以前から使われていた個人駐車場の場所が変わっていましたが、送迎の車がやってきますので、不便さはありません。名古屋空港の近所から引っ越して、商売をされているとお聞きしました。2泊3日の上海旧正月旅行が終りました。
龍華寺で
竜華寺は卑弥呼時代の創建と想い巡らす年の始に
線香に霞む古刹の境内に新に昇る煙彼処に
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昨晩は、1次会、2次会と、すっかりご馳走になった大晦日でした。一夜明けて、元旦の朝です。早い時間から爆竹、花火が鳴っていました。
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元旦の朝の外出です。Ya先生が作って頂いた料理を戴きながら、ゆっくりと朝の時間を楽しみました。上海市内の龍華寺の初詣に出発です。
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今日もEnちゃんが運転での出発です。龍華寺近くは、初詣の車で大渋滞でした。しかし、偶然に1車分だけ空き、そこに駐車することができました。
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その塔のような建物が次第に大きくなってきました。目指す龍華寺の塔ではなく、レストランかホテルのような建物でした。
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5分ほど歩いて、広い交差点に出ました。右手には白い壁の家並みが見えました。目的の龍華寺は、左手方向になります。
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広い交差点で左に横断した後、今度は右手に横断しました。この写真は、左横断した後での一枚です。左手に地下鉄駅の案内表示が見えました。
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この交差点を横断すれば、後は、横断が必要な交差点はありません。龍華寺まで、あと一息です。次第に同じ方向の人の数が増えてきました。
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まだ新しい建物です。右下に「龍華旅游」等の文字が見えます。1階は旅行案内センターのようです。上の階は、旅館かも知れません。
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その建物を右手に見ながら進みますと、前方に龍華寺の一角らしい建物が見え始めました。道路も更に混み合ってきました。
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龍華寺が近づいてきました。2007年の新年の飾りの、真っ赤な建物が見えてきました。「吉祥龍華迎新春」等の文字が読み取れます。
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日本を発つ前に、元旦には地元のお寺の初詣をする話がありました。その初詣のお寺が、上海で最も古いとされる龍華寺です。龍華塔と呼ばれる尖塔が前方に見えてきました。
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豫園の広場でも見ましたから、今度は驚くことが無かった黄金の樹です。赤い実の代わりに、御札がびっしりです。高い所を目指し、御札を投げ上げて、引っ掛けていました。
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暫く龍華塔の写真が続きます。龍華寺は、三国時代に、呉の孫権が、夫に先立たれた母の悲しみを慰めるために建立したのが起源とされます。
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「龍華塔」は、その起源に因み、「報恩塔」とも呼ばれています。残念な事に、所謂「文化大革命」によって甚大な被害を受けました。
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現在の龍華塔は人民政府の手によって、1978年に再建されました。しかし、残念なことには、山門等は復元されることがありませんでした。
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入場券を買うのも、ままなりませんでしたから、ダフ屋さんから、20元で手に入れました。正規料金の倍の値段のようです。
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倍の値段といっても、150円が300円になっただけです。入口付近の大混雑です。伸ばした手の先のデジカメでの撮影です。
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大混雑の門をまだ潜り抜けていません。門の向うに、線香の煙で曇った天王殿の建物が見えます。手を上げたまま、何回かシャッターを押しました。
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やっと、門を潜り抜けました。正面が天王殿です。境内は人の群れで一杯になっていました。あちこちで線香が焚かれて、煙が目に沁みました。
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門を潜る時が一番混雑しました。入場した後は、押し合いへし合いの状況は、無くなりました。正門の裏側の額は、「同圓(円)種智」でした。
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「同圓種智」の4文字は、「有情無情」に続くお経の1節のようです。上手い日本語の訳が見付かりませんでした。フラッシュを焚かずに撮影です。
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先程の写真が天王殿に向かって右手の鐘楼、こちらが左手の鼓楼です。大雄宝殿は、天王殿の奥になる、北側に位置しています。
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さすがに、この日のゴミを焚く火の周りだけは避けられているようです。風下だと、煙が大変なこともあります。雨は、完全に上がっていました。
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フラッシュを焚かずに撮影しましたから、こちらの手元を見る方はいませんでした。それにしても、境内中が煙に包まれました。
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「中華人民共和国憲法」は、信仰の自由を認めています。また、「宗教団体と宗教事務が外国勢力の支配を受けてはならない」等の条文もあります。
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龍華塔が全国重点文物に指定された事を示す真新しい石碑です。2006年5月に上海市人民政府の名によって建てられた石碑です。
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大晦日から新年にかけての飾りのアーチのようです。「撞龍華晩鐘」等の文字が見えます。有名な詩の一節にも思えますが、良く分かりません。
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予約が取ってあった海鮮料理のレストランです。かなり大きなお店です。車寄せの上や、玄関扉に正月の飾りがありました。
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卓上に並んだ前菜の数々です。レストランの2階の部屋が予約してありました。S.P.先生が、奥様やEnちゃんと相談されながら選ばれたようです。
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色々出された料理は、食べる方が忙しくて、撮り忘れました。高級料理の鱶鰭スープです。茹でたもやしと香菜が添えられていました。
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旅行記グループ 2007冬、中国旅行記12
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