![杭州を拠点にして江南の古鎮をあちこち訪ねる旅を続けております。<br /><br />今回は後半のヤマ場で、一泊二日で蘇州方面の古鎮を訪れます。<br /><br />先ず最初は蘇州郊外の京杭大運河にある宝帯橋baodaiqiaoパオダイチャオをご紹介します。<br /><br /><br />](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/10/14/00/650x_10140048.jpg?updated_at=1177330228)
2007/02/24 - 2007/03/05
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ajiajiroさん
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杭州を拠点にして江南の古鎮をあちこち訪ねる旅を続けております。
今回は後半のヤマ場で、一泊二日で蘇州方面の古鎮を訪れます。
先ず最初は蘇州郊外の京杭大運河にある宝帯橋baodaiqiaoパオダイチャオをご紹介します。
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
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-
蘇州への旅はここ杭州東長距離バスターミナルから始まります。
この東ターミナルは杭州でもいちばん大きく混雑しますので出発時間には余裕を持って早めに着くようにした方が良いと思います。
今の時間は7時15分になろうとしているところでもうじき我々の乗る蘇州行きのバスが出発です。 -
例によって切符の写真をアップします。
杭州東站−蘇州 票价:65元 (全)
乗車日期:2007−03−01
車次:1802 座号:15 開車時間:07:20
車種:大高3E 検票口:16
と書いてあります。 -
それで時間通りに出発したバスの車内です。
快適な大型バスです。
空いていましたのでいちばん後ろの席に移りました。 -
バスは快適に走り続けまして、高速道路を降りて、しばらくすると蘇州南門汽車客運站に到着しました。
ちょうど、二時間かかりました。
蘇州南門汽車站は降りる場所と乗る場所が別々になっていまして、写真は出発大庁の方です。 -
実はこのバスに乗るとき情報が少なくて蘇州のどこのターミナルに着くのか判らなかったのですが、着いてみると蘇州南門汽車站でした。
そこで、実は帰りに時間があったら寄ろうと思っていた宝帯橋baodaiqiaoが意外に近くに有ることが判りましたので急遽寄ってみることにしました。 -
小雨も振っていましたし、バス停から宝帯橋まではだいぶ歩かなければなりませんので、タクシーを利用しました。
写真のように道の行き止まりの場所ですので、いやがるタクシーの運転手にむりやり前払いをして待っていてもらいました。 -
はい、宝帯橋と書いてあります。
この橋は唐代の元和14年(819)から作り始められたそうです。
当時はこの地方から都へ穀物が大量に輸送され、蘇州の刺史、王仲舒が水運業の発達に応じるためにこの橋を造ることにしたそうです。 -
橋の長さは317メートル、幅は4メートルで、全部で53の拱(アーチ)があります。
宝帯橋の名前の由来は、この橋を造った王仲舒が自らも腰に結んでいた家伝の宝帯(珠宝で飾った帯)を売って金に換えて資金集めをしたことから付けられたそうです。 -
橋の手前側にある一対の狛犬?です。
右側の狛犬は二本の前足が壊されてしまったらしく、色の違ったセメントで補修されていました。 -
実はこの宝帯橋はあの有名な日本の画家、雪舟も1468年(応仁2年)に遣明使船で明へ渡航した際に訪れており、「唐土勝景図巻」の中に呉江の街に続いて宝帯橋と書き入れのある石橋が長々と克明に描かれている。
…そうである。 -
中央の大きなアーチの手前の所にリヤカーの付いた自転車が止めてありました。
ここは全国重点文物保護単位なのですが…
駐車違反には厳しくないようです。
持ち主は橋の向こう側にいるのだと思います -
それで、これがそのいちばん大きなアーチの上部中央の床面にある象徴的な石…
-
橋の上に立って、京杭大運河を行く舟をながめているのもなかなかいいものです。
舟は頻繁にに2,3分に一艘くらいの割合で通ります。
ここは、水路が十字路になっていまして杭州方面から来た船は真っ直ぐ行くと蘇州市内、左折すると京杭大運河で南京、无錫方面となります。 岸には高速道路のような標識が建てられていました。
後ろのアーチは対岸の斜港大橋です。 -
パン・パン・パァーンという音と共にやって来た船の上では爆竹が大量に鳴らされていました。
貨物船のようです…
もう、春節はとっくに終わっているのですが… -
橋の向こう側は中州のような土地で人家はありません。
となると、何のためにこの橋が造られたのでしょうか?
ネットで検索しますと、橋の上から船を引くために造られたという記述も見られますが… -
その中州に小さな祠がありました。
なかには老婆が3人居まして御詠歌のようなものを声をあわせて唱えていました。 -
まわりはご覧のように畑になっていました。
雨模様のお天気でしたが、農作業をしている人がいました。 -
この橋はもう造られてから千年以上を経過しています。
そう考えますと橋をつくっている石のひとつひとつにも歴史が感じられてきます。 -
京杭大運河の杭州方面を見据える二匹の石獅子です。
ちょっと、いいでしょう! -
歴史の重みをたっぷりと感じたところで宝帯橋を後にすることにします。
入り口にあった碑です。
整治蘇南運河 繁栄■民発展
と書かれています。
残念ながら石が欠けていて一字読めません。
では、また。 再 見 (^_^)/~
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