2004/09/18 - 2004/09/18
885位(同エリア1093件中)
シベックさん
'04年秋、三重県紀和町の丸山千枚田を見たあと、国道42号線を南に向かい串本、潮岬、白浜を廻り、紀伊半島の沿岸を和歌山まで来ました。今日は和歌山の宿を出発し、高野山に詣で帰宅の予定です。
今日の行程: 和歌山ー紀ノ川ー高野山ー奥の院ー大和郡山ー針ー名古屋(自宅)301km、
延べ走行距離913km。
1・・丸山千枚田、 2・・潮岬、 3・・★高野山(この旅最終回)
写真は金剛峯寺(こんごうぶじ)山門。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車
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高野山の街
国道42号線と別れ、前後の数字を入れ替えた国道24線を、こんどは紀ノ川沿いに東に向かう。
途中、道の駅「紀の国万葉の里」で小休止。9:30出発。ここから国道480号線を南下する。道は狭くすれ違いがやっとの登りの山道で、時々、大型バスが突然現れびっくりする。忙しくハンドルを切ること90分。11:00頃憧れの高野山に登りつめた。 -
金剛講総本部
初めての高野山に足を踏み入れ、少し興奮気味である。
高野山は弘法大師(空海上人)が816年(弘仁7年)真言密教の道場として、また国の平和を祈願、人民に安らかな生活への道を伝えることなどを、目的とされ開創された。 -
鐘楼・6時の鐘
高野山の海抜は約900mで、周りは1000m級の峰々で囲まれた盆地である。
金剛峰寺(こんごうぶじ)の前の駐車場が空くのを待ち駐車。金剛峰寺(こんごうぶじ)へ・・。 -
金剛峰寺(こんごうぶじ)山門。
前の駐車場から見た山門への階段。
綺麗に整備されている。 -
山門
金剛峰寺は、豊臣秀吉が亡母の菩提のため建立し、
1863年(文久三年)再建されたお寺が現存している。 お参りを終え、別殿でお茶と茶菓子をいただき小休止。 -
金剛峯寺本殿
中を見学させてもらった。
帰りにお札を頂く。無宗教の私であるが、最近、お寺や神社にお参りすることが多くなったし、お札を買う事が増えたようで、歳を感じるこの頃である。
そういえば、家の仏壇や神棚は、あちこちのお札で一杯になっている。 -
回廊から
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回廊と石庭
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境内の高野槙の大木
小さな高野槙は
町の植木屋さんでも見かけるが、
杉や桧と同じ位に大木になっている姿には
大感激だった。 -
日本一の石庭
四国産の青い花崗岩と
京都産の白い砂が使われている。 -
石庭
別の角度から。 -
石庭
さらに位置を変えて・・
奥殿の前にある蟠龍庭は、
二匹の龍を巨石で表した播龍庭(ばんりゅうてい)
がある。 -
土塀
趣のある造り。 -
いろりの間
お寺のキッチン。 -
奥の院参道の三本の杉
金剛峰寺の新別殿で小休止のあと、
車で数分の距離にある奥の院へ到着。
道端のパーキングスペースに駐車し、
奥の院へ向かう。
参道の両側は全国区のお墓が並ぶ。壮観。
参道の中ほどに
珍しい木が立っていました。 -
三本杉
近くで見ると・・
1本なのか、
3本がくっ付いたのか? -
奥院水向地蔵
-
水向地蔵
水をかけるのはムツカシイ。
地蔵さんにかからず
自分にかける人もチラホラ。 -
奥院参拝注意事項
写真撮影禁止!
奥の院の写真はありません。 -
奥の院
石橋の向こうの
奥の院境内は撮影禁止。
ここならいいだろうと
撮った写真。
参道の向こうにチラリと・・奥の院。
奥の院には弘法大師(空海上人)が
まつられている。 -
無縁仏
-
森の中の奥院参道
うっそうと茂る大木の道。ここでも高野槙に感心させられた。それは、参道に並ぶお墓に供えられた花のほぼ全てが、高野槙であったことだ。一般的にはシキビが多いが、こんな眺めは初めてで、さすがに高野槙の高野山であることを実感した。
高野山からの帰り道は国道370号を選んだが、こちらも大型バスが多く、バス同士のすれ違いにかなり待たされ渋滞していた。
奈良からは名阪道で一路名古屋へ・・。
〜end〜
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