2015/05/16 - 2015/05/16
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tamayuraさん
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風薫り新緑が眩しい皐月 葵祭と開創1200年で盛り上がる高野山
関西2dayチケットを使って行ってきました。
昨日は京都で、今日は高野山 ( ̄^ ̄)゙ハイ!!
あぁぁぁぁぁ~~しんど~~~ (-●_-`o)
高野山へは、小学校5年生の時 林間学校で訪れて以来、約半世紀ぶり!
5年生で高野山・6年生修学旅行で、お伊勢さんへ。
あの当時の大阪の小学校では、これが定番だったと思います。
その高野山での思い出は、枕投げ(0^ー^0)・・・と
子供心にも、ここなんかちゃうなぁぁぁ~~~
すご~いお坊様がいてはるって、 消えない灯が有るんやて・・・
そして半世紀の時を経て・・・
高野山開創1200年 特別開帳・御本尊開帳 今だけですよ~~
限定に弱いtamayuraです。
再びの高野山は・・・人・人・人・人&車・車・車・車・・・
うわぁぁぁ~~ あぁぁぁ~~
幻想的な、もやの中に佇む大門から、
壇場伽藍へ、そして金剛峯寺・霊宝館へ・・・
朱も鮮やかな根本大塔 一歩その中に足を踏み入れてみると・・
壮大な立体曼茶羅の世界が・・・
迷い道 立ちどまりて仰ぐ 如来様
「それ仏法遥かに非ず、心中にして即ち近し」
仏の道は遠いものではなく、自身の心中にある。
つまり 仏の道は身近に存在しているのです。
空海上人が開いた 天空の仏都 高野山
訪ね来てみて・・・迷い道 また一歩 踏み出せそう・・・
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
PR
-
金剛峯寺の『蟠龍庭(ばんりゅうてい)』
日本最大の石庭と言われています。 -
こうやくんと(^ ^)
金剛峯寺を後にして・・・のつもりが、
あっ こうやくんや (*'▽'*)
えっ この列は、ひょっとして・・・
列が有ると、ついつい並んでしまいます(≧∇≦) -
高野山開創1200年を記念した特別仕様の、南海電鉄特急「こうや」
南海電鉄のホームページには・・・
日本古来の蒔絵にならい、ボディの地色をダークでつややかなものとしました。
車両全体には金色のあでやかな装飾を施しています。
地色は赤・黒・紫と3つの異なるバリエーションを展開し、
それぞれ「赤こうや」「黒こうや」「紫こうや」と命名。
高野山の四季をテーマとした絵柄を
4両連続で1枚の絵になるようにデザインしました。
一気にテンション上がりました!
乗られへんのになぁぁぁ o_ _~~~~゚゚゚゚ -
こちらは、「黒こうや」
この市松文様 ポップアートぽっく ええわぁぁぁ~~ -
「黒こうや」
蒔絵をイメージさせる金を施した黒色を車両ボディに与え、
高野山の深い歴史、深い自然を映し出すキャンバスとしました。
と有りました。
黒のボディー 一見地味かなぁ〜と、
いえいえ とってもシックです。 -
もう 当然満席です。
行きも帰りも、満席のアナウンスが・・・ -
今回は、関西2dayチケット利用
難波→橋本まで急行、橋本→極楽橋までは各駅停車で行きました。
橋本駅を出ると、単線でカーブも多く
ゆっくり・ゆっくりと深山へ分け入っていくような感じです。 -
お坊様と、お遍路さんが・・・
-
満員電車にゆられ・ゆられて・・・
極楽橋駅へ・・・更にそこからケーブルカーで高野山駅へ・・・
ケーブルカーから、見えました。
今は、「高いよ~~」の基準が、スカイツリーなんですね -
電車もケーブルカーも超満員 (-。- ) フゥゥ~~
高野山駅に着くやいなや・・・
背中を押されるように、駆け足駆け足で、バスへ乗り込みました。
せわしないなぁぁぁ~~
先頭の人が走り出すと、後に続けとばかりに、わぁぁぁ!!!
高野山 大門からスタートです。是非見ておきたい所が有ったのです。
バスを降りると、気温は15.5℃ えっ??
そういえば、小5の林間で、高野山の宿坊に泊まった時
朝の寒さに、びっくり!! しっかり 風邪ひいたんや!! -
空海上人も歩いた祈りの道 町石道
高野山の麓 九度山・慈尊院から高野山奥之院へと続く約23Kmの
高野山への表参道
あの藤原道長も、時の上皇・天皇も、輿を降り高野山を目指して
自らの足で歩いた祈りの道 -
旅行ガイドブックには、健脚コースと紹介されていました。
休憩無しで歩いて、約8時間を要します。
まさに、修行の道でもあるのです。 -
大門
白いもやが辺りをおおい、
幻想的な大門との出会いになりました。 -
高野山の入口にそびえ、一山の総門
高さは25.1メートル
東大寺の南大門に次ぐ大きさだといわれています。 -
金剛力士 吽形像(江戸時代の仏師 運長の作)
くぐりぬけ その先・・・
高野山二大聖地 壇場伽藍へ・・・ -
振り返ると・・・
幻想・・・ここは・・・
聖山高野山 天空の仏都 -
「吉野より南に行くこと一日(いちじつ)、
更に西に向かって去ること両日程にして、
平原の幽地有り、名づけて高野と曰う・・・」
吉野から南へ1日、そこから更に西に向かって2日ほどの所に
人に知られない山中の平原があって、そこは高野と呼ばれている。
21世紀の今 世界遺産として世に知られ、参詣者が後を絶ちません。
そしてここには、幼稚園に役場・歯医者さんやコンビニまで有りますよ。 -
歩みを進めます・・・
目指すは、特別開帳 金堂 御本尊薬師如来様
あっ だんだん明るくなってきた ━(゚∀゚)━! -
五輪塔の形をした町石です。
1町(109m)ごとの道標
九度山・慈尊院から大門を経て根本大塔までの町石180基
“五町石” 壇場伽藍に向かう車道に沿って建っていました。
壇場伽藍まで、あと436m! メチャ わかりやすい! -
中門
金堂の正面手前の一段低い所に、そびえる楼門で、
172年ぶりに再建されたそうです。
樹齢数百年の木材が使われていますが、主要な用材は全て
ここ高野山の森から伐り出されたそうです。 -
金堂
高野山開創当時は、講堂と呼ばれていたそうです。
長い歴史の中で焼失と再建を繰り返し、
現在の金堂は昭和9年に再建された8代目だそうです。
ご本尊は、 薬師如来様 高村光雲仏師作
高村光雲は、智恵子抄で有名な高村光太郎のお父上です。 -
高野山開創1200年の今年
金堂御本尊「薬師如来」特別開帳
金剛峯寺持仏御本尊「弘法大師座像」開帳が・・・
「御開帳」とは普段閉ざされている厨子の扉が開き、
秘仏の御本尊様とご縁を結ぶことができる行事です。
そして 回向柱にふれるとご利益がいただけると・・・ -
御影堂
お遍路さんのご一行がお経を唱えていらっしゃいました。
その時・・・
昔 南フランス・セナンク修道院で耳にしたグレゴリオ聖歌
その歌声、心に響きましたが・・・
それ以上に日本の聲明を聴いた時、驚きと感動を覚えた事を
この時 思い出しました。
声が素晴らしいお坊様 いらっしゃいますよね。
なんなんだんだろう? この迫力
声の質 いえいえ個人差も有るし・・・
訓練と修行の賜物なのでしょうか・・・ -
御影堂
お大師さまの持仏堂として建立されたそうですが、
後に真如親王直筆の「弘法大師御影像」を奉安し、
御影堂と名付けられたそうです。
でっ・・・真如親王って???
ナント波乱万丈の人生を歩まれた親王さんでした。知らんかったわぁ?
皇族で最初に出家した親王で、空海に弟子入りし密教を学び、
阿闍梨の位を受け、弘法大師の十大弟子の一人となった方なのです。
まぁ~ へぇぇぇ~~ でもなんで出家しはったん???
この方は、第51代平城(へいぜい)天皇の第三皇子で、桓武天皇の孫
第52代嵯峨天皇の皇太子 前途揚々たる・・・が、
「薬子の変」で、父・平城上皇が失脚。
廃太子となり仏門に入る事になったそうです。
余談ですが、「薬子の変」の主人公藤原薬子も
またドラマチックな人生を歩んだ人でした。
日本史の中で、女性の名前がついた乱 この方だけですものねぇ・・・
東大寺に入り「真如」という法名を与えられたそうです。
その後、真如親王は空海に弟子入りして密教を学び、
阿闍梨の位を受け、弘法大師の十大弟子の一人となりはった。
でも、ここで志は終わらなかった!
求道心に燃えた真如親王は、60歳の時に密教の奥義を究めようと、
入唐を朝廷に願い出はるんですよ~~~
なんだかんだで、とうとう864年、唐の長安にとうちゃこ!!
でも、でもです・・・
色々有ったんでしょうが、求道の思いその一途さで、
海路でインドへ渡った義浄のように、
商船に乗るために長安で、天竺へ渡航する許可をもらいはったそうです。
865年、えっ!長安に着いて翌年ですか?
天竺を目指して広州から商船に乗り出発しはったそうですよ~
この時、親王既に67歳! 元気やねぇぇ~~
その後、消息不明となられたそうですが、
16年後に、唐の留学僧から朝廷に手紙が届き、
そこには、真如親王は羅越(らえつ)国で78歳で死去された?と有ったそうです。
羅越(らえつ)国と、はマレーシア半島の南端という説が有力で、
現在のシンガポール・ジョホール付近に当たるそうですよ。
ちなみに、平安時代の色男 在原業平は甥だそうです。
はぁぁぁ _(・。・)~゚ -
歩みを進め振り返ると・・・
-
西塔
空海上人は、大塔と西塔を、
大日如来の密教世界を具体的に表現する
「法界体性塔(ほっかいたいしょうとう)」として
二基一対として建立する計画をお持ちやったそうです。
重厚な佇まい・・・ -
木々が高~~い 仰ぎ見るような高さです。
今もなお大師様は時空を超えて、人々の心の拠り所として
此の地にいらっしゃる様な気がします。 -
御社(みやしろ)
丹生明神と高野明神を祀る神社です。
高野開創にかかわる神様
高野山の地主神で有り、守り神でも有るのです。
空海上人を高野山へ導いた方・・・
その方は黒白二頭の犬を従えた狩場明神(高野明神)
狩場明神は、この高野山を護る丹生都比売大神(丹生明神)の御子神 -
以前はるさん、仕事帰りに導かれるように
「丹生都比売神社」を詣でた事が有ったそうです。
何かを感じたのでしょうか。
とっても趣きの有る神社だったと言っていました。
「えっ こんなりっぱな神社が、こんなところに」て ・・・
丹生(にうつ)なかなか読めませんよね。
水銀精製になくてはならない原料の、
丹=辰砂(朱砂:朱の原料)を扱う一族の名称だったそうです。
そして守り神である丹生都比売大神(丹生明神)をお祀りしているのが
「丹生都比売神社」
はるさんから その話を聞いた時 高野山と関わる神社が有るんだと
驚いた事が有りました。
今も空海上人と地主神様のご縁は変わる事なく受け継がれているんですね。 -
三鈷杵(さんこしょ)の松
高野山開創にまつわる伝承の松 -
伝承とは・・・
遣唐使として唐にあった空海上人が、帰国の直前に「有縁の地を探す」為、
法具である三鈷杵(さんこしょ)を海上はるか遠くへ投げ飛ばされました。
そしてその三鈷杵は高野山の松の枝に引っ掛かっていたため、
その地を真言密教の修行場としたそうです。
その時 空海上人を案内したのが、猟師の衣装を身に纏っていた“狩場明神”
この松、三鈷杵が引っかけられたために、
松葉が三つに分かれているものが有るそうです。
普通の松は二つに分かれいるので、この松の葉も多くは二つに分かれていますが、三つに分かれた松葉を見つけ、それを持っていると
幸運が訪れるといわれています。
今日は雨で、足下が悪く探すより靴の汚れるのを気にしながら
歩いている人の方が、多かったかな~~ -
金堂
雨模様の良いとは言えない
このような天候でも、多くの人が・・・ご縁を求めて・・・ -
根本大塔が見えてきました。
-
根本大塔
内部は曼荼羅世界を具現化しています。
中央には胎蔵界大日如来、それを囲むように金剛界の四仏が配されています。
さらに十六の柱には十六大菩薩の仏画が描かれて・・・
雑誌やテレビで見ましたが、実際肉眼で見ると・・・
ただただ ・・・はぁぁぁ~~ -
空海上人の壮大なる想い・願い・・・
-
お大師さま 今もなお息づく山上の聖地・・・
-
ここにも もう一つの伝承が・・・
登天の松(とうてんのまつ)と杓子の芝(しゃくしのしば) -
その伝承とは・・・
明王院の僧・如法上人が悟りを得てこの松より浄土へと昇天した事より
そう呼ばれるようになりました。
丁度その時に昼食の準備をしていた弟子の小如法が、
登天する師匠を見てその後を追い昇天。
その時に持っていた杓子が昇天途中に、この場所に落ちてきたことから
「杓子の芝」と呼ばれるようになったと・・・
それより、お花が満開きれいだわぁぁぁ~~ -
空海と云う僧名に壮大な宇宙を感じます。
青年時代の大師が悟りを開いたとわれる洞窟の、
そこから見える空と海に感銘を受け“空海”と・・・
ここは高野山は、空海が生涯をかけ築き上げた真言密教聖地 -
西行桜
月と桜を愛した西行の足跡がここにも有りました。
西行と云えば“吉野”と思っていましたが・・・ -
西行は、草庵を結んで移り住み
30余年の長きに及んで高野山で過ごしていたそうです。
西行が植えたと伝わる、何代目かの西行桜が
今も春には花を咲かせいます。 -
そして、西行が修行を行ったという「三昧堂[さんまいどう]」
-
西行は、己の迷いや心の弱さを、
高野山の修行を通して悟りに至ろうとしたのでしょうか。
百人一首の西行の歌は“月” を詠ったものですが・・・
ここ高野山で詠ったという歌は・・・
深き山に心の月し澄みぬれば
鏡に四方のさとりをぞ見る -
こうして、歩いていて、感じる事思う事
色々なご縁が、導きが有って
弘法大師は、此の地を密教修行の道場の場と定めたのでしょう。 -
金剛峯寺の『蟠龍庭(ばんりゅうてい)』
やっと 金剛峯寺にたどり着きました。
人・人・人で、もう疲れてしまいました。
このお庭・・・ なんと・・・ -
日本庭園は、やっぱりCool
-
金剛峯寺を後にしようとした時、目にしたのが・・・
私達は、忘れてはいません、忘れません。 -
心をこめて・・・
-
金剛峯寺
さあ、最後の目的地 高野山霊宝館へ・・・ -
っと、その前に・・・
こうやくんと・・・
うれし はずかし・・・でも、わぁぁぁ~~い (≧∀≦) -
霊宝館で、是非見たかった 運慶作“八大童子立像”
やっぱりここでも、人・人・人・・・
あぁぁぁ~ もう、クタクタやぁぁぁ o(>_<)o
バス乗場へ向かう途中で、
あっ ここにも・・・
写真を撮る気力は、まだ残っているみたい (^^) -
高野山駅から極楽橋駅へ
今はフル回転なんでしょうね。
行きも帰りも・・・あぁぁぁ・・・しんどo(>_<)o -
あっ「紫こうや」
うふっ 「こうや」をみたら 元気に?
南海電鉄のホームページでは・・・
「紫こうや」
高徳僧のまとう袈裟の色であり、
高野山に張り巡らされている五色幕の色のひとつである紫色を基調色とし、
絢爛さと神秘性を表しました。
「赤こうや」
高野山の根本大塔や大門の色をイメージし、
古来より漆器や調度品に使われてきた朱塗りの色をベースにしました。
今回 「赤こうや」には出会う事が出来ませんでしたが・・・
普通列車は、3本のケーブルからのお客を乗せて
出発時には、まぁ通勤電車状態に・・・ -
2016年2月までの運転を予定。とか、
是非 乗って再びの高野山・・・
今度は奥の院へ、ご一緒に・・・ ねぇ はるさん!
天空にも乗りたいわぁ~~ -
一本目のケーブルカーで降りてきたので、
先頭車両の一番前に座りました。
席はロングシートです。運転席の横のドアから見える景色は・・・
線路がクネクネ・・・
前に立っていたカップルの男性は、
ずっ~~~と運転席のスピードメーターを見ながら・・・実況中継・・・ (><)
結構 楽しかったです。ごめんね!ダンボの耳でした -
今回 高野山滞在中 何度か法話を聞く事が出来ました。
立ちどまり 耳を傾ける。
聞くではなく、聴く。 時には必要と思うようになりました。
そして金剛峯寺で、お接待を受けました。
四国八十八ヶ所遍路関連の本を読んでいて、よく出てくる言葉 “お接待”
初体験です。 -
南海電鉄 難波駅 昔から見慣れていた階段が・・・
ポスター化していました。大きな大きなポスターだわぁぁぁ~~
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