2007/01/24 - 2007/01/30
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しんちゃんさん
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鄭成功(ていせいこう)を祀った神社を見学しました。安平からの帰りに孔子廟バス停にてバスを降り歩きました。鄭成功の父親は鄭芝龍(ていじりゅう)といい、福建省泉州府南安県石井鎮に育ち商船に随行して日本の長崎に着いたそうです。平戸に滞在して貿易に従事し1622年、日本女性の田川マツを妻としました。田川マツは1624年男の子を出産。名前を福松といい、後の鄭成功です。浜辺を散歩中に産気づき岩陰にて出産したため、岩石は「児誕石」と呼ばれたそうです。1630年、父親の鄭芝龍は福建省に連れて帰り教育に力を入れたそうです。鄭成功は科挙に合格、その後南京の大学に入学した。儒学は孔子に習ったそうです。科挙(かきょ)とは、中国で598年〜1905年代、官僚登用の試験だそうです。“児誕石”はネットで検索したら…ちょっと違う説明でした!(以下しんちゃんが勝手に理解した内容ですご了承下さい)
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- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 航空会社
- チャイナエアライン
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延平郡王祠」日本の旅行案内書の名前ですが、現地の扁額ではご覧の通り!!
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しかし、鳥瞰図、敷地内の案内図では同じ漢字がありました。
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「前無古人?」やはり右から読むのでしょうね?意味良く分かりません!左右の鳥居は「忠肝義膽」日本式の鳥居だそうです。全体を撮るの忘れた!!
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「鄭成功」は日本人で初めて異民族の祭神(神社に祭られている神)となったそうです。
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見学者が少ない廟内
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「延平郡王祠」「集票処」チケット売り場。大人ひとりNT$50。バス代と比べて高いです!二度と来れないと思うと入って見学しました。
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鄭成功(ていせいこう)
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本堂から入り口を振り返る。「三川門」と呼ぶそうです。
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「太妃祠」鄭成功(ていせいこう)の母「田川マツ」を祀った“ほこら”がありました。
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「田川マツ」と幼い「鄭成功」(ていせいこう)
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説明版
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「田川マツ」の廟
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梅が咲き始めた廟内
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絵馬?台湾は短冊型?形は日本と違いやはり異国を感じました。
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「おみこし」御神輿が飾ってありました!「大正四年開山神社祭典」との説明でした。
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説明版
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北側の回廊展示物
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回廊北側の「甘輝」小柄ながら戦いに長けていたそうです。「印官」と呼ばれるそうです。
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「鄭成功」戦いの説明版。
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色々な方の位牌もあり「飾って」でなく「祀って」(まつって)あるんですね?
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「集票処」(切符売り場)の南側の展示物入り口
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「張萬禮」福建省出身で「剣官」として呼ばれているそうです。
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廟内
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南側隣に「鄭成功文物館」・・・博物館がありました。時代により持ち上げられたり、けなされたり?大変です!おおむね鄭成功は英雄のようですが……しんちゃんは中国の「平将門」と理解しました。
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鄭成功の銅像
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当時の軍艦?小型で可愛いい!
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「鄭成功文物館」前より「延平郡王祠」
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鄭成功文物館内の当時の籠のようです。頂いたパンフレットでは「明朝の1662年、鄭成功が逝去した後、台湾の住民は、鄭成功がオランダ人を駆逐して、再び台湾を漢民族の土地に戻してこの最果ての地を開拓し、孤立した状況下であくまでも明朝に忠誠を誓った鄭成功の功績及び精神に敬意を表すため、特にこの地に廟を建立して、鄭成功を祀り、この廟を「開山王廟」と名付けた」とありました。「赤嵌樓見学記」に続く…
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