2007/02/06 - 2007/02/06
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satoshi.sさん
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大原や 小塩の山も けふこそは 神代のことも 思い出づらめ (在原業平) 在原業平が、かっての恋人藤原高子(二条の后)の大原神社行幸に供奉した際に読んだ歌である。これを知り大原野神社と十輪寺(通称 なりひら寺)に参拝することを決めました。予定を変更願徳寺→勝持寺→大原野神社→十輪寺→正法寺→三鈷寺→金蔵寺に参拝して来ました。
大原野神社
桓武天皇が延暦3年(784年)に都を奈良から長岡京に遷都したとき、皇后の藤原乙牟漏(ふじわらおとむろ)が藤原氏の氏神である奈良の春日大社の分霊を大原野に移し祀ったのが、神社の創祀であるとされている。
大原野が選ばれたのは、天皇が鷹狩りが好きで、しばしばこの地に鷹を放たれていたこと、風景が美しいこと、などによるといわれている。
その後、嘉祥3年(850年)に文徳天皇が祖父、藤原冬嗣の願望をかなえ、社殿を造営し大原野神社と命名したという。大原野神社は藤原氏の勢力が大きかった時期には、皇族貴族の参詣が盛んで、大いに栄えたといわれている。
また、藤原氏の一族に女の子が産まれると、中宮や皇后になれるようにお詣りしたようで、女の子が祈願通りの地位につくと絢爛華麗な行列を整えて参拝したという。
その後、戦乱が相次ぎ、藤原氏の勢力の衰えに従い神社も衰微したようであるが、慶安年間(1648〜1652年)に社殿が新しく造営され、持ち直したとされている。現存の社殿はその時に造営されたものといわれている。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
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