2006/09/28 - 2006/10/01
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ぱんぱーすさん
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嘉峪関観光後半戦。観光という意味ではおそらくここが最期のメインディッシュ、嘉峪関へ突撃だ。「天下雄関」とも呼ばれたこの関所は、万里の長城最西の関所にして、数ある万里の長城の関所跡の中で最も保存がよい。まぁ第一墩を見る限りでは大分上積みで土を積み足してそうだが。
タクシーの運ちゃんと会話をはずませつつ、なかなかの難所の多さに息もはずませつつ、逃げ帰って参りました。どうぞ!
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9月29日10時16分。遠目に嘉峪関が見えてきた。が、運ちゃん曰く「ここの観光はゆうに2時間はかかっちまう。懸壁長城なら1時間もあれば帰ってこれるから、先にそっちに行こうぜうんだりゃあ〜」ってな事でここはとりあえず素通り。ヤツにも仕事があるみたいだから、1時間は待てるが2時間は待ちたくないらしい。ったく、しょーがねぇな。
万里の長城、ずーっと延びてるのかと思っていたら、長城の内外を行き来するための道路や線路で寸断されていました……ロマンの欠片も無い。 -
10時23分。さしたる時間もかかる事無く、懸壁長城が見えてきた。といっても距離はそこそこある。こんなトコ、一般道なのに100kmオーバーで爆走でもしない限り、こんなにすぐには着かないよ。
という事で、運ちゃんは100kmオーバーで爆走してくれました(^^;
山の中腹あたりの、白いうねうねっとした、山肌が一部はげたかのように見える部分が懸壁長城。ちょっと待て。長城が横に広がって見えるなら話は分かるが、山の中腹に縦に見えてるって事は…… -
10時27分。懸壁長城に到着。長城の入り口には楼閣風の水門が建造され、現在も機能している。ついでながら、懸壁長城の装飾としても一役買っているようだ。
写真右の門は出口専用。入り口はここのさらに右奥になる。チケットは21元。何故か中国の観光地って入場料が端数になってるところが多い気がする。何か意味でもあるのだろうか…… -
10時30分。懸壁長城の定番ポジションにて。天空まで延びるかのような長城が、まさしく青い空に吸い込まれていくような光景。この山の向こうにはどんな光景が広がってるんだろう……さて、上るとしますか。
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長城の頂上までのぼ……いえ、何でもないです。言ってみたかっただけですから。
城壁の幅はかなり狭い。1人か2人並べばいっぱいになってしまう程度。まぁ、今は他の観光客はほとんどいないようなので、思いっきり闊歩させてもらう。
城壁には、城壁脇の小階段を使って上がる。通行止めになっていたが、懸壁長城方面ではない方の長城は地平線の向こうまですーっと延びていた。いやしかし、これを造った古代・中世の人々の労力のいかに激しかった事か。確か最大斜度45度とか書いてあったっけ?どうやって上ったんだ奴らは。
さて、今のところはまだ平坦な道が続きますが…… -
山腹を縫うように延びる蛇の道が現れました。つーか何じゃこりゃ〜!最大斜度45度はハッタリじゃなかったぞ。階段を上る足取りが一気にきつくなる。おまけに階段が斜めになっている部分も多いので非常に滑りやすい!そして最大の問題点は「城壁が防護の役割を果たしていない」点だぁ!何で城壁から身を乗り出すこともせずに岩肌が触れちまうんだぁ?反対側も高さは1m前後しかないと来ている。これじゃあ侵入なんて簡単すぎちまうぞ。馬の侵入はきついが、人だけならさしたる苦労も無く乗り越えてしまえそうな城壁の高さ。どうやってこんなトコ防護すりゃいいんだぁ〜!ったく、テキトーに復元しやがってからに、ブツブツ……
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このへんで最大斜度部分(?)に到達。既にへばってます。そんなに標高高かったっけか……?いえ、俺の体力が惨めなだけです。
上に見えているのは長城の頂上。ここからあそこまで行くだけで7〜8分はかかりました。いや、これはキツイ…… -
10時52分。半分死にかけた状態でやっとこさ頂上に到着。物見矢倉の上でマジで横になってました。起きた時シャツが砂だらけで困りましたよ〜。
嘉峪関市遠景。地平線あたりに霞がかったように見える街が嘉峪関市。懸壁長城へ至るストリートが真っ直ぐ延びてきているのがわかる。写真右手の山近くの細い線が長城跡。このまま嘉峪関、更には第一墩まで続いている。 -
さて、ひとしきり心地よい疲れと気持ちのいい風、清清しい空気に身をさらし、そろそろ下りようかと、ふっと山の裏側に目を向けたのですが……何だこれは。
どうも、この懸壁長城とはカップルで来る場所だった事が判明しました!長城頂上近くの山肌にびっしりと敷き詰められたハート型の愛々劇場!嘉峪関の若い連中はここで愛を確かめ合ってるわけですなぁ。内容は、2人の苗字を石で並べてそれをハート型に囲んだり、長々と告白文を敷いたものもありました。賽の河原かここは。
初めて1人旅が寂しく思えました。ちっ、みんな色気づきやがって…… -
頂上から隣の山を撮る。
何であんな突拍子もないところにあずまやなんざ建てやがるんだ?登山路もなければ、そもそも一般人が登れる場所ですら無いだろうに。
中国には時として、これ何の意味があるんだ?という建物がままあります。建造の意図も方法も不明な建築物。この謎を誰か解いて下さい。 -
登山道と下山道は別々に造られており、客同士がバッティングするような事は起こらないようになっている。一見すると険しそうな谷だが、実際は山肌を一気に駆け下りる事も多分可能(但し駆け下り出すと多分止まれない為、体力の消費は計り知れないが)。転落しても多分命は取り止めそうです。
はるか彼方に小さく見える水門の影。はぁ、俺今からあそこまで戻るのね…… -
何か足元だけ見てると地獄の峠でも歩いてるかのような気分になる。自分の通るべき道が1度消失してからまた現れるのを見るのは、何か鬱だ。
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11時15分。ようやくふもとへ戻ってきた。
下山道出口にあったのは、何やら旅の様子を模った石像群。実はこれは嘉峪関だけに限らず、シルクロードと関係の深かった地・都市については、同じような石像群がかなりの確率で置かれている。今は昼だから特に何の感慨も湧かないが、夜中に月明かりに照らされている姿などを見れば、月の砂漠を渡るキャラバンみたいに映えて見えるのだろうか。
にしても石像って女性のものがないなぁ。 -
懸壁長城の隣に何やら怪しい建物を発見。別のアトラクションかと思い行ってみたのですが。
普通のお寺でした。しかし陶器製の五重塔(写真左)があったり、本堂には仏像の他にも如来の絵が張り出されていたり、犬が狂ったように吠え立ててきたり、犬の異常に気づいた坊主が隣のボロ家から出てきたり、どうもただの寺ではない。お線香をあげますかと聞かれましたが、何教かもわからん寺に寄付するほどお人よしではなかった俺は、やんわりと断って逃げてきました。
さて、懸壁長城はこれにて終了。うわー、まだ午後にもなってねぇってのにもうくたびれ果ててらぁ。こいつぁ次の嘉峪関で打ち止めっぽいや。
って事で、駐車場に戻り、嘉峪関へ旅立つ事にする。 -
11時46分。嘉峪関に到着。ここはこの街のメインの観光地というだけあって、周囲にはたくさんの土産物屋が軒を連ねている。この地特産の磁力を帯びた石で作られた「夜光杯」と呼ばれる皿やカップ等を並べた店が多かった。さるお方が教えて下さった情報によると、遥か古代の中国の詩にも詠われるほどの有名なものだとか。すいません、全く知りませんでした。
土産物屋で「昭和十六年 ○○○○○大将 云々……」と銘打たれた軍剣(レプリカ……だと思う)を見つけた。○○の部分は忘れちゃいましたが、日本人の名前でしたよ。お前らどーやってこんなモン作ったんだ?というか、何故日本人向けの銘をわざわざ打ってくれてるんだ? -
嘉峪関入り口のゲート。61元。ここからミニバスが出ており(20元)、乗る客が集まると出発してくれる。他に2人乗りの自転車(1人5元)がある。が、嘉峪関まではそんなに長い距離がある訳ではないので、自力で歩いていける人は歩いてもいいと思う。ただ俺は先の懸壁長城で疲れ切っていたので、仕方なく自転車を借りた。
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11時54分。嘉峪関遠景。嘉峪関の隣には小さな湿地が広がっている。オアシスだろうか。これがここに関所ができた理由の1つなのだろう。地元のおじちゃんがのんびり草むしりをしているのを見て、こっちも何だかのびのびした気分になった。キコキコなる自転車を思うままに漕ぎながら、道を開けてくれたおじちゃんに
「謝謝。ニーハオ!」
と声をかけたのだが、おじちゃん目をパチクリさせるだけで返事してくれなかった。う〜ん、残念。 -
12時02分。旧嘉峪関遺跡の入り口にて。ここでもう1度チケットの確認をする。ちなみにバスや自転車はここで降り、帰りにまたここから乗る事になる。ちなみに、自転車はどうも最終的に数さえ合っていれば、別の人が乗り捨てた自転車に別の人が乗っていってしまってもよさそうだった。をい、そのルールはまずいだろ。
この門はさすがに復元ですな。門脇の土台部分にわずかに残っているのが、昔の長城の跡でしょう。 -
光化門。中国側から西域側へ抜けるための、嘉峪関の玄関ともいえる大門。門上には楼閣が聳え立ち、兵士が昼夜問わず監視にあたっていたのだろう。
ところでこれは古代中国の嘉峪関を本当に忠実に再現したものなんだろうか?嘉峪関の入り口からここに来るまで、ちょっとぐねっと遠回りするように順路が設定されていたが、昔からこんな面倒くさい造りをしていたんだろうか?となるとこの門の存在さえもかなり怪しくなってくる。写真を見て分かるように、そもそもこの門自体が完全再現(古代長城の土台ゼロ)だし、うーん誰か教えてくれたまへ。 -
12時13分。嘉峪関の中にて。紅葉が少し色づき始めた西域の初秋。やや優しさを帯びた9月の太陽のもと、人陰もまばらな旧跡を歩くのは、何かノスタルジックな雰囲気に包まれたようで懐かしさを覚える。あぁ、なんかこんなのっていいな、そんなほんわかした気持ちにさせてくれる、そんな場所でした。
俺の感覚では、嘉峪関でのベストショット。 -
嘉峪関の中に「将軍府」という施設が設置されていたので、どんなものかと入ってみた。
どうやら古代中国の様子を蝋人形で表す施設のようだ。これはおそらく古代の将軍が西域遠征か北方警備の相談をしている様子。地図には河西回廊の図が描かれている。なかなか精巧に人形が作られているではないか。 -
これ、1番上手に作られてた人形だと思います。ちょっと眉毛が濃いのが気になりますが、こーゆー人って歴史文化遺産の服務員だったら普通にいそうな感じです。小売店で書物の整理でもしてるのかと、素で見間違えました。
こんな精巧に作られたものなんて、中国らしくない…… -
このおっさんにも結構驚かされました。そりゃ入り口入ったところでいきなり足元にしゃがまれてたら驚きますって。ちなみに俺だけでなく、他の観光客も同じように驚いていたので、どうやら嘉峪関側は客が驚くのを狙ってこの場所にこの人形を置いたようです。ちくしょう、粋な事しやがる。
夜ここに1人で来たら薄気味悪いんだろうなぁ。だって本当に動き出しそうなんだから。 -
おっさん寝とるがな。こんなトコまで再現せんでもええんちゃいますか?他の人形は一応古代の関所の様子を再現していたようですが、コイツに限っては最早意味がわからん。
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12時26分。気を取り直して嘉峪関の外門へ。この門は西域側の玄関口。「嘉峪関」の文字がとにかく映える。いやぁ、感動ですよ。うがー、俺もシルクロードを旅する民になりてぇ〜!
北京の楼閣風長城と、嘉峪関の飾りの無い土ぼこりの舞う長城、皆さんはどちらにロマンを感じますか? -
嘉峪関の外側には、果ての無い砂漠が広がっている。
ここを通って三蔵法師は旅に出たり、マルコ・ポーロが来中したのかなぁ。あっでもマルコは元の時代に来たんだから、明の時代のものである嘉峪関は通ってるはずないか(?)。
しかし、雄大な景色だなぁ。そういえば、この旅で、生まれて初めて地平線ってものをみたんだよなぁ。
写真右で鎮座しているのは駱駝さん達だが、さすがにもういいかな。真ん中の車はバギーで、このへんの砂漠を軽く走ってくれるようだが……嘉峪関って、裏口から回り込んで入ってもわからないんじゃないかなぁ。無料で入れるルートがありそうな気がしてならない。 -
12時28分。嘉峪関に戻り、何気ない1枚をパチリ。何かといいますと、嘉峪関の復元の様子がはっきりわかる1枚。左手の壁が完全に復元されたもの、右手の壁が古代の土台の上に復元された壁を重ねたもの、奥の壁が古代のまま手付かずで残されているもの。何か面白かったので、思わず撮ってしまいました。
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嘉峪関から北京へ向かって延びている長城の壁面。大分脆くなっているので勿論上には上れません。今まで誰か長城に沿って歩いて踏破した人とか、いるのかなぁ?
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12時38分。嘉峪関の上に上り、パチリ。数枚前に同じような写真があったと思うが、どちらがいいかなぁ?
ちなみに、手前右に見える建物が先ほど気持ち悪い蝋人形がオンパレードしていた将軍府。 -
12時42分。長城から西方を写す。長城伝いに行って突然ポコッと飛び出てる場所が天下第一墩。こんなボロボロになってもまだ役割を果たしている長城に、長年のロマンを感じる。そしてその背後にそびえるのが、俺の心を掴んで離さない、祁連山脈。あぁ〜、雲を頂いて一層幻想的になっておいでですよ〜。
手前左には線路をゴトゴト走る列車の姿、民家や倉庫の跡。歴史の重みを感じるコントラストです。
多分、祁連山脈を見るためだけにまたこっちまで旅しに来そうだなぁ。 -
12時45分。嘉峪関外門の上の楼閣にて。いつ復元されたものかは知らないが、柱が大分傷んでいる。まぁこれだけの砂だらけの荒地の中で気温の高低差、湿気の変化などに耐え続けていれば、必然的にこうなってしまうのでしょう。そのうち「嘉峪関の復元の復元」なんてものが造られる時代がくるのかもしれません。
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13時04分。嘉峪関入り口の門を裏から撮る。入ったときは気づかなかったが、左手の小高い部分は狼煙台の跡らしい。狼煙台については、長城と違ってかなり保存がいいようで(大きいからでしょうけど)、敦煌で見た漢代の長城跡でも狼煙台は天高く聳え立っていました。第一墩もそうだなぁ。
さて、そろそろここを出るとしますか。 -
13時11分。自転車を飛ばして嘉峪関長城博物館へ到着。この施設、もともとは嘉峪関市の市街にあったものなのだが、こっちに引っ越してきたらしい。まだ真新しい建物だった。07年度版の地球の歩き方には記載されているかもしれないが、俺の持ってた歩き方は05〜06年版だったので情報がなく、見つけたときにはビックリした。とりあえず入ってみる事にする。
ちなみに市街にあった博物館跡地は、何故かカメラ屋街に変身していました。そうなるまでの経緯を激しく聞いてみたいものだ。 -
博物館といっても、当時を再現したジオラマみたいなものが多く、見どころとしてはやや物足りない印象がありました。そんな中で俺の目をひいた数少ないものの1つがコレ。「万里の長城マップ」。中央から東に北朝鮮の国境まで延びているのが秦代の長城、西まで延びている赤いラインが漢代の長城、その南部を漢代の長城に沿ってやはり北朝鮮との国境まで延びているのが明代の長城、北に向かっているのが……忘れました。他にも地方領主が造らせた小規模の長城が散在しているそうです……全然知らんかったよ。
さぁ、これで嘉峪関観光はおしまい。帰るとしますか。 -
14時20分。嘉峪関市街にて。いかにも共産党が支配している国っぽいオブジェを発見したので1枚。一起共同合作うんたらかんたらみたいな碑文が彫ってありました。
晩飯の食材探しにスーパーへ。 -
これ、デザインに問題アリアリでしょう。何ですかこれ、「非常コーラ」って。何処からどう見てもコカ・コーラです。版権問題で訴えられたらどないなさるおつもりでしょうか、非常公司さん。
味の方も結構非常な味……という事は無く、ごく普通のコーラでした。そもそも中国ではこの「非常……」というメーカーのドリンクは結構出回っていて、他にも炭酸系の飲み物でこのメーカーのものをそこそこ見かけました。
でもですね、スーパーさん。コカ・コーラと非常コーラを隣り合わせに陳列するのはやめて下さい。 -
嘉峪関で泊まっていた部屋。3人用のドミトリーで、最初は俺1人だったのですが、後からイギリス人の男性が同室になりました。奥で散らかってるのが彼のベッド(勝手に撮ってスミマセン)。
この男性、西安で英語を教える先生をやっているらしいのだが、とにかく中国語が全く喋れない。既に完全に中国語脳になっている俺が何とか知識の奥底から英語を引っ張り出してこなければ、とても会話は成り立たなかっただろう。アンタ、一体どうやって英語教え取るねん。
今日はもう疲れた。早々に寝よう。
真夜中、いきなり部屋の扉を激しくノックする音がしたと思うと、警察がずかずか入り込んできた。中国では「未婚の男性と女性が同じ部屋で寝ていてはならない(親族関係は除く)」というものがあり、マッサージ嬢等と一緒に寝ているところを見つかると捕まえられてしまうのだ。彼氏彼女だろうとアウトらしい。もうすぐ国慶節だという事で、大々的に取締りをやってるらしい。警察は詫びの一言もなしに勢いよく扉を閉めて出て行ってしまった。俺とイギリス人、2人でキレまくり。人の安眠を妨げるな、いい加減にしてくれ。
第7章 終幕
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