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ローマで威信をふるっていたローマ教皇庁が(現在はヴァチカンにある)、一時期アヴィニョンに拠点を構え、アヴィニョンがカトリックの中心地になった時期がある。その栄華の名残である教皇庁宮殿、童謡で有名なサン・ベネゼ橋、美術館など見所が詰まっている歴史ある古都アヴィニョン。列車から降り駅を出ると、当時の威信を感じさせるような高い石の城壁が目の前にド〜ンと現れた。<br /><br />《アクセス》<br />カルカッソンヌ15:37→ニーム経由で列車移動→アヴィニョン・サントル駅18:50到着。<br />(カルカッソンヌからの直通列車もある)<br />ニームの駅は大きく、チケットカウンターも複数あったが、カルカッソンヌ駅は1つ、アヴィニョン・サントル駅は2つと、有名観光地にもかかわらずチケットカウンターは少なかった。<br /><br />アヴィニョンには駅が2つある。1つは在来線が止まるアヴィニョン・サントル駅、もう1つはTGV専用のアヴィニョンTGV駅。城壁前にあるのはサントル駅で、TGV駅は町から少し離れシャトルバスで約15分程の距離になる。<br /><br />アヴィニョンはリュベロン地方の小さな村へのアクセス拠点にもなる。ゴルドやボニューなどへの長距離バスターミナルは、サントル駅を背に城門前の大通りを右へ進んでいくと最初の角にあった。

歴史都市アヴィニョン

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2006/09/10 - 2006/09/11

223位(同エリア448件中)

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13

ぼすとんばっぐ

ぼすとんばっぐさん

ローマで威信をふるっていたローマ教皇庁が(現在はヴァチカンにある)、一時期アヴィニョンに拠点を構え、アヴィニョンがカトリックの中心地になった時期がある。その栄華の名残である教皇庁宮殿、童謡で有名なサン・ベネゼ橋、美術館など見所が詰まっている歴史ある古都アヴィニョン。列車から降り駅を出ると、当時の威信を感じさせるような高い石の城壁が目の前にド〜ンと現れた。

《アクセス》
カルカッソンヌ15:37→ニーム経由で列車移動→アヴィニョン・サントル駅18:50到着。
(カルカッソンヌからの直通列車もある)
ニームの駅は大きく、チケットカウンターも複数あったが、カルカッソンヌ駅は1つ、アヴィニョン・サントル駅は2つと、有名観光地にもかかわらずチケットカウンターは少なかった。

アヴィニョンには駅が2つある。1つは在来線が止まるアヴィニョン・サントル駅、もう1つはTGV専用のアヴィニョンTGV駅。城壁前にあるのはサントル駅で、TGV駅は町から少し離れシャトルバスで約15分程の距離になる。

アヴィニョンはリュベロン地方の小さな村へのアクセス拠点にもなる。ゴルドやボニューなどへの長距離バスターミナルは、サントル駅を背に城門前の大通りを右へ進んでいくと最初の角にあった。

交通手段
鉄道

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  • アヴィニョンの町はぐるりと背の高い城壁に囲まれている。門をくぐり抜けるまでは、中世の建物が建ち並ぶ古都を想像していたが、いざ中へ入ってみると、デパートがあり、マクドナルドもあり、電気屋、服屋、BAR、カフェ、メリーゴーランドもあり、現代の生活感がたっぷり溢れている町だった。<br /><br />ひとまずホテル探し。荷物を持っての移動距離を短縮する為、城門近くに絞りアタックしてみる。満室で数軒断られるがようやく1軒見つかった。ハイシーズンのフランスは(特に地方)、事前にホテル予約をして行く事をオススメ致します!<br /><br />『スプランディ SPLENDID』(1つ☆)<br />バス&トイレ付・食事なし・シングルで<br />43ユーロ+TAX65セント<br />レピュブリック門から近く、インフォメーション横にある公園に面して建っている。<br /><br />部屋の内装はきちんとされていて、1つ☆にしてはイイ感じでオーナーも親切。ただし、水周りの臭いが強烈で、バスルームの扉をしばらく開けていないと、臭いがこもってとてもシャワーを浴びれたものではない。この臭いさえなければ、カフェやレストランも近くにあるし、サントル駅まで徒歩5分程と近いので安宿を探している人にはオススメ出来るのですが..。配管の掃除、今はしてるかなぁ。<br />http://www.avignon-splendid-hotel.com/gb/index.html<br />

    アヴィニョンの町はぐるりと背の高い城壁に囲まれている。門をくぐり抜けるまでは、中世の建物が建ち並ぶ古都を想像していたが、いざ中へ入ってみると、デパートがあり、マクドナルドもあり、電気屋、服屋、BAR、カフェ、メリーゴーランドもあり、現代の生活感がたっぷり溢れている町だった。

    ひとまずホテル探し。荷物を持っての移動距離を短縮する為、城門近くに絞りアタックしてみる。満室で数軒断られるがようやく1軒見つかった。ハイシーズンのフランスは(特に地方)、事前にホテル予約をして行く事をオススメ致します!

    『スプランディ SPLENDID』(1つ☆)
    バス&トイレ付・食事なし・シングルで
    43ユーロ+TAX65セント
    レピュブリック門から近く、インフォメーション横にある公園に面して建っている。

    部屋の内装はきちんとされていて、1つ☆にしてはイイ感じでオーナーも親切。ただし、水周りの臭いが強烈で、バスルームの扉をしばらく開けていないと、臭いがこもってとてもシャワーを浴びれたものではない。この臭いさえなければ、カフェやレストランも近くにあるし、サントル駅まで徒歩5分程と近いので安宿を探している人にはオススメ出来るのですが..。配管の掃除、今はしてるかなぁ。
    http://www.avignon-splendid-hotel.com/gb/index.html

  • ホテルが決まり観光開始。到着したのが遅かったので、どっぷり日が暮れてしまった。夜のアヴィニョンの町は酔っ払いや路上に座り込んでいる人(浮浪者?)が目立った。タチが悪いのは酔っ払い。歩く人に片っ端から声をかけていたり、大声で叫んだり、道路を猛ダッシュしたり(もしかしたら酔っ払っているだけではないのかも)。特に何もなかったけれど、治安がとても良いとは言い難い雰囲気だったので夜遅くの1人歩きは気を付けた方が良いと思う。

    ホテルが決まり観光開始。到着したのが遅かったので、どっぷり日が暮れてしまった。夜のアヴィニョンの町は酔っ払いや路上に座り込んでいる人(浮浪者?)が目立った。タチが悪いのは酔っ払い。歩く人に片っ端から声をかけていたり、大声で叫んだり、道路を猛ダッシュしたり(もしかしたら酔っ払っているだけではないのかも)。特に何もなかったけれど、治安がとても良いとは言い難い雰囲気だったので夜遅くの1人歩きは気を付けた方が良いと思う。

  • 夜の法王庁(教皇庁が正式名らしい)。ライトアップされた宮殿は独特の存在感を放っていた。その前にはカフェのイス&テーブルがずらりと並んでいて、法王庁を眺めながら食事が出来る。私もここで何か一杯飲みたい!と思ったが、どうやらラストオーダーは終わったらしく断念。時間は21時頃。料理内容は大した事なさそうだけれど、壮大なスケールの中で食事をしている気分になれること間違いなし。ここでアヴィニョンならではの夜を過ごしてみてはいかが?

    夜の法王庁(教皇庁が正式名らしい)。ライトアップされた宮殿は独特の存在感を放っていた。その前にはカフェのイス&テーブルがずらりと並んでいて、法王庁を眺めながら食事が出来る。私もここで何か一杯飲みたい!と思ったが、どうやらラストオーダーは終わったらしく断念。時間は21時頃。料理内容は大した事なさそうだけれど、壮大なスケールの中で食事をしている気分になれること間違いなし。ここでアヴィニョンならではの夜を過ごしてみてはいかが?

  • 妖しい魅力を放つ法王庁。夜のライトアップで建物の陰影がくっきりと浮かび上がり、この宮殿が凝った贅沢な造りになっていることをはっきりと思い知らされる。<br /><br />この後、サン・ベネゼ橋のライトアップを見に行くが、ここは昼間にたっぷり満喫した方が絶対に良いと思う。橋は城壁の外にあり、そこへ行くまでには人通りの少ない道を通っていく。フラフラ歩いている人もいるし(あ、私もか)、怖い思いをして辿り着いても大したライトアップではなかったのでガックリ。

    妖しい魅力を放つ法王庁。夜のライトアップで建物の陰影がくっきりと浮かび上がり、この宮殿が凝った贅沢な造りになっていることをはっきりと思い知らされる。

    この後、サン・ベネゼ橋のライトアップを見に行くが、ここは昼間にたっぷり満喫した方が絶対に良いと思う。橋は城壁の外にあり、そこへ行くまでには人通りの少ない道を通っていく。フラフラ歩いている人もいるし(あ、私もか)、怖い思いをして辿り着いても大したライトアップではなかったのでガックリ。

  • 一晩明けて翌朝のサン・ベネゼ橋。特に凝った橋というわけでもなく、‘ふ〜ん’という感じだった。童謡で有名と言われても聞いたことが無いし。橋の上で輪になって踊ったとか、いやそれは橋の上ではなく橋の下だったのが伝言が失敗したのだとか、どこでもいいけど‘踊ったんだよ’と言われても‘へぇ―’止まりでイマイチ、ピンとこない。<br />しかし、歴史を知ると、‘ふぇー、凄い橋だったんだ!’と、この橋の有名さに納得。

    一晩明けて翌朝のサン・ベネゼ橋。特に凝った橋というわけでもなく、‘ふ〜ん’という感じだった。童謡で有名と言われても聞いたことが無いし。橋の上で輪になって踊ったとか、いやそれは橋の上ではなく橋の下だったのが伝言が失敗したのだとか、どこでもいいけど‘踊ったんだよ’と言われても‘へぇ―’止まりでイマイチ、ピンとこない。
    しかし、歴史を知ると、‘ふぇー、凄い橋だったんだ!’と、この橋の有名さに納得。

  • 『サン・ベネゼ Pont St-Benezet』橋の名前は1人の若い羊飼いの名前に由来するのだそう。<br /><br />羊飼い‘ベネゼ’は、1177年に故郷を出て、アヴィニョンへやってきた。「私は神の声を聞き、アヴィニョンに橋をかける為に遣わされた」。<br />アヴィニョンの城壁すぐ傍にはローヌ川が流れており、当時この川の流れが急で橋の必要性は確かにあったらしい。<br />しかし、周囲は羊飼いを頭がおかしいと思い相手にしない。そんなある日、司教がベネゼに「もし、君が本当に神の使者なら、この石を持ち上げれるハズ」と巨大な石を指差したところ、ベネゼはひょいとその巨石を持ち上げ、川の中へ投げ入れた。ベネゼのこの行為は周囲を納得させ、いよいよ急流ローヌ川において初めて橋の建設が始まる。(伝説的なところもあると思う。それとも怪力君!?)<br />1185年に完成した当時は石ではなく、ビルヌーブとアヴィニョンを結ぶ木造の橋だった。しかし、アルビジョワ十字軍の侵入により1226年に橋は破壊。すでに亡くなっていたベネゼの影響を受けた修道士たちの手により、木造橋を土台に石橋の建築が始まる。そして22のアーチで結ばれた全長約900メートル(!)の橋が完成。重要な巡礼ルートの1つになる。その後の橋の運命は、大洪水により17世紀に再び破壊、現在に見られる4つのアーチを残すのみとなった。この橋は教皇やルイ14世などフランス国王も利用した。橋の上には『サン・ニコラ教会』があり、『聖ベネゼ』を祀る為に建てられたらしい。<br />(アヴィニョンHPより)

    『サン・ベネゼ Pont St-Benezet』橋の名前は1人の若い羊飼いの名前に由来するのだそう。

    羊飼い‘ベネゼ’は、1177年に故郷を出て、アヴィニョンへやってきた。「私は神の声を聞き、アヴィニョンに橋をかける為に遣わされた」。
    アヴィニョンの城壁すぐ傍にはローヌ川が流れており、当時この川の流れが急で橋の必要性は確かにあったらしい。
    しかし、周囲は羊飼いを頭がおかしいと思い相手にしない。そんなある日、司教がベネゼに「もし、君が本当に神の使者なら、この石を持ち上げれるハズ」と巨大な石を指差したところ、ベネゼはひょいとその巨石を持ち上げ、川の中へ投げ入れた。ベネゼのこの行為は周囲を納得させ、いよいよ急流ローヌ川において初めて橋の建設が始まる。(伝説的なところもあると思う。それとも怪力君!?)
    1185年に完成した当時は石ではなく、ビルヌーブとアヴィニョンを結ぶ木造の橋だった。しかし、アルビジョワ十字軍の侵入により1226年に橋は破壊。すでに亡くなっていたベネゼの影響を受けた修道士たちの手により、木造橋を土台に石橋の建築が始まる。そして22のアーチで結ばれた全長約900メートル(!)の橋が完成。重要な巡礼ルートの1つになる。その後の橋の運命は、大洪水により17世紀に再び破壊、現在に見られる4つのアーチを残すのみとなった。この橋は教皇やルイ14世などフランス国王も利用した。橋の上には『サン・ニコラ教会』があり、『聖ベネゼ』を祀る為に建てられたらしい。
    (アヴィニョンHPより)

  • 昼間の法王庁前のカフェ。<br />どうしてもこのカフェでゆっくりしてみたくて、昨晩のリベンジ、コーラだけ注文して粘ってみる。しかし、このコーラが日本円にして1本600円、ってやはりフランスの物価は高〜い。ちなみに昨晩の夕食はマクドナルドでフィレオフィッシュセットが5.7ユーロ。日本円で900円弱。ドリンクがラージサイズとはいえ、た、高いっ!<br /><br />カフェでコーラを満喫していると法王庁前で大道芸人のアコーディオン演奏が始まった。イイ演奏で雰囲気抜群。私がこの旅をして思うに、フランス人はアコーディオンとメリーゴーランドがお好き!?何でこんなところにっ、と思うくらいあちこちにあるメリーゴーランド。カルカッソンヌのイカツい城壁前でもクルクル回っていた。パリではメトロの扉が開くとアコーディオン演奏で出迎えらてドギマギ。

    昼間の法王庁前のカフェ。
    どうしてもこのカフェでゆっくりしてみたくて、昨晩のリベンジ、コーラだけ注文して粘ってみる。しかし、このコーラが日本円にして1本600円、ってやはりフランスの物価は高〜い。ちなみに昨晩の夕食はマクドナルドでフィレオフィッシュセットが5.7ユーロ。日本円で900円弱。ドリンクがラージサイズとはいえ、た、高いっ!

    カフェでコーラを満喫していると法王庁前で大道芸人のアコーディオン演奏が始まった。イイ演奏で雰囲気抜群。私がこの旅をして思うに、フランス人はアコーディオンとメリーゴーランドがお好き!?何でこんなところにっ、と思うくらいあちこちにあるメリーゴーランド。カルカッソンヌのイカツい城壁前でもクルクル回っていた。パリではメトロの扉が開くとアコーディオン演奏で出迎えらてドギマギ。

  • 法王庁と広場を挟んで対面している建物。彫刻が凝っている〜。

    法王庁と広場を挟んで対面している建物。彫刻が凝っている〜。

  • カフェでくつろいだ後、法王庁を見学。中は‘がらんどう’と聞いて覚悟をしていたせいか、思っていたよりは見応えがあった。調度品などはほとんど無いが、内部は広く、建物の細部の造りが凝っている。礼拝堂、台所、会議室などがあり、色彩豊かなモザイク画もあった。当時は華やかな宮殿だったという様子は十分感じられる。(写真は入口すぐの黒天井)残念ながら中は撮影禁止のよう。<br /><br />☆法王庁見学 9.5ユーロ(ハイシーズン料金)<br />☆法王庁&サン・ベネゼ橋見学 11.5ユーロ(同上)<br /> 橋の見学だけは4ユーロ(同上)<br />橋の見学も外から眺める分には無料だけど、橋を渡りたい!となると有料なのよね〜。<br />(私は渡らなかったけれど、今更興味が湧いてきた)<br /><br />その他詳細はHPでご確認下さい。<br />http://www.palais-des-papes.com/anglais/index.html

    カフェでくつろいだ後、法王庁を見学。中は‘がらんどう’と聞いて覚悟をしていたせいか、思っていたよりは見応えがあった。調度品などはほとんど無いが、内部は広く、建物の細部の造りが凝っている。礼拝堂、台所、会議室などがあり、色彩豊かなモザイク画もあった。当時は華やかな宮殿だったという様子は十分感じられる。(写真は入口すぐの黒天井)残念ながら中は撮影禁止のよう。

    ☆法王庁見学 9.5ユーロ(ハイシーズン料金)
    ☆法王庁&サン・ベネゼ橋見学 11.5ユーロ(同上)
     橋の見学だけは4ユーロ(同上)
    橋の見学も外から眺める分には無料だけど、橋を渡りたい!となると有料なのよね〜。
    (私は渡らなかったけれど、今更興味が湧いてきた)

    その他詳細はHPでご確認下さい。
    http://www.palais-des-papes.com/anglais/index.html

  • 入場料を支払うと音声ガイドが無料でついてくるので、入口受付でレンタル手続きをする。電話の受話器のような機械を持って観光開始。しかし、この音声ガイド、お堅い教育ビデオのような抑揚のない男性の喋りがひたすら続き、だんだん眠気を誘われてしまう..。また説明箇所が多いので話が長く、全てまともに聞いてしまうとあっという間に2時間は経ってしまうハズ。私は教皇の人間関係や成し遂げた事柄の説明にハマってしまい、各教皇のパネルの前にボォーっ立ちながらまともに全教皇の話を聞いてしまった。あぁ、そんなことは後で本でも読めば良かったやん―。

    入場料を支払うと音声ガイドが無料でついてくるので、入口受付でレンタル手続きをする。電話の受話器のような機械を持って観光開始。しかし、この音声ガイド、お堅い教育ビデオのような抑揚のない男性の喋りがひたすら続き、だんだん眠気を誘われてしまう..。また説明箇所が多いので話が長く、全てまともに聞いてしまうとあっという間に2時間は経ってしまうハズ。私は教皇の人間関係や成し遂げた事柄の説明にハマってしまい、各教皇のパネルの前にボォーっ立ちながらまともに全教皇の話を聞いてしまった。あぁ、そんなことは後で本でも読めば良かったやん―。

  • 14世紀初頭、教皇庁の権威を利用してヨーロッパ支配権を手中に収めようとしたフランス王と、ローマ教皇庁の対立が激しくなり、遂にフランス王の圧力が勝って、1309年、教皇庁はローマからアヴィニョンへ移住することになる。<br />『アビニョンの虜囚』と言われる期間。アヴィニョンの初代教皇はフランス人のクレメンス5世で、以後グレゴリウス11世まで7人の教皇がアヴィニョンで任務に就くことになる(任命された教皇は全てフランス人)。その期間は約70年間。教皇の権威はかなり弱まったが、アヴィニョンでは人口が一気に増え、繁栄した時代を築いたらしい。<br /><br />現在は毎年夏に開催される演劇祭で世界的に有名な町になっている。<br /><br />アヴィニョン観光局HP<br />http://www.ot-avignon.fr/pages-en/home.htm

    14世紀初頭、教皇庁の権威を利用してヨーロッパ支配権を手中に収めようとしたフランス王と、ローマ教皇庁の対立が激しくなり、遂にフランス王の圧力が勝って、1309年、教皇庁はローマからアヴィニョンへ移住することになる。
    『アビニョンの虜囚』と言われる期間。アヴィニョンの初代教皇はフランス人のクレメンス5世で、以後グレゴリウス11世まで7人の教皇がアヴィニョンで任務に就くことになる(任命された教皇は全てフランス人)。その期間は約70年間。教皇の権威はかなり弱まったが、アヴィニョンでは人口が一気に増え、繁栄した時代を築いたらしい。

    現在は毎年夏に開催される演劇祭で世界的に有名な町になっている。

    アヴィニョン観光局HP
    http://www.ot-avignon.fr/pages-en/home.htm

  • 法王庁の裏側。この辺りは中世の雰囲気が残っていた。法王庁以外の見所は、‘アングラドン美術館’。質の高い作品が揃っていると言われ、楽しみにしていたがこの日(月曜日)は休館だった。う〜ショック。法王庁横に建つ大司教の館を改造した‘プティ・パレ美術館’も見所の1つ。ボッティチェリの『聖母子』が有名。

    法王庁の裏側。この辺りは中世の雰囲気が残っていた。法王庁以外の見所は、‘アングラドン美術館’。質の高い作品が揃っていると言われ、楽しみにしていたがこの日(月曜日)は休館だった。う〜ショック。法王庁横に建つ大司教の館を改造した‘プティ・パレ美術館’も見所の1つ。ボッティチェリの『聖母子』が有名。

  • 法王庁裏を抜けると、騙し絵のマンション登場。こういう遊び心っていいなぁ。アヴィニョンを足早に見学した後、次はアルルへ向けて出発。

    法王庁裏を抜けると、騙し絵のマンション登場。こういう遊び心っていいなぁ。アヴィニョンを足早に見学した後、次はアルルへ向けて出発。

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