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2006/10/16(月)第9日目:ブダペストからエステルゴム日帰り<br />エステルゴムの大聖堂&宝物館、水の町地区(Vizivaros)〜セーチェーニ広場まで散策<br />ブダペストに戻った後:エルジュベート広場からインターコンチネンタルホテルそばでの夜景撮影<br /><br />大聖堂だけでも目当てにやって来て良かったと思いました、エステルゴム@<br />実は、エステルゴムのハイライト中のハイライト、ハンガリー最大の大聖堂は、私はそれなりの期待しかしないで行きました。<br />写真を見ると、よくあるカトリックのドームなんですもの。<br />見かけは、バチカンのサン・ピエトロ寺院や、ロンドンのセントポール大聖堂に似ています。<br />どちらもその規模といい中身といい、国の威信をかけているなぁというリキの入りようで圧倒されたことは覚えています。<br />だから、エステルゴムの大聖堂は、わざわざ足を運ぶだけのことはあると思うけれど、いまさらって思うかもしれないな───そんなぜいたくなことを考えて出かけました。<br /><br />確かに、いまさら、と言えなくもありませんでした。<br />でも、久しぶりの威力は大きかったです。<br />だいたい私が海外旅行をするのは14ヶ月ぶりなのです。<br />そして日本での私の日常生活には、このような教会は存在しません。「いまさら」と言えるほど、見慣れていないのです。<br />たとえ見慣れていたとしても、あるいはエステルゴムに住んでいて大聖堂に毎日のように通っていたとしても、あれだけの教会なので、毎回、何かしらの発見があるに違いありません。<br /><br />教会内部は天井が高く、日がよく差し込んでいてとても明るかったです。<br />抑制が効いているようでいて豪華な新古典主義の内部装飾とその明るい空間。バロック様式が信者にいっときの天国を夢見させ、今を忘れさせるきらびやかであるのに対し、こちらはどこか日常生活の延長のような気がしてきます。<br />勤勉であれ、敬虔であれ、誠実であれ。さすれば神は、平凡の日常の中にもこのようにご褒美を与えてくれようぞ───そんなご褒美のような。<br />そうです。この旅行自体、私にとっては自分へのご褒美なのです。

2006年ハンガリーとルーマニア旅行第9日目(2):エステルゴム大聖堂

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2006/10/16 - 2006/10/16

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まみ

まみさん

2006/10/16(月)第9日目:ブダペストからエステルゴム日帰り
エステルゴムの大聖堂&宝物館、水の町地区(Vizivaros)〜セーチェーニ広場まで散策
ブダペストに戻った後:エルジュベート広場からインターコンチネンタルホテルそばでの夜景撮影

大聖堂だけでも目当てにやって来て良かったと思いました、エステルゴム@
実は、エステルゴムのハイライト中のハイライト、ハンガリー最大の大聖堂は、私はそれなりの期待しかしないで行きました。
写真を見ると、よくあるカトリックのドームなんですもの。
見かけは、バチカンのサン・ピエトロ寺院や、ロンドンのセントポール大聖堂に似ています。
どちらもその規模といい中身といい、国の威信をかけているなぁというリキの入りようで圧倒されたことは覚えています。
だから、エステルゴムの大聖堂は、わざわざ足を運ぶだけのことはあると思うけれど、いまさらって思うかもしれないな───そんなぜいたくなことを考えて出かけました。

確かに、いまさら、と言えなくもありませんでした。
でも、久しぶりの威力は大きかったです。
だいたい私が海外旅行をするのは14ヶ月ぶりなのです。
そして日本での私の日常生活には、このような教会は存在しません。「いまさら」と言えるほど、見慣れていないのです。
たとえ見慣れていたとしても、あるいはエステルゴムに住んでいて大聖堂に毎日のように通っていたとしても、あれだけの教会なので、毎回、何かしらの発見があるに違いありません。

教会内部は天井が高く、日がよく差し込んでいてとても明るかったです。
抑制が効いているようでいて豪華な新古典主義の内部装飾とその明るい空間。バロック様式が信者にいっときの天国を夢見させ、今を忘れさせるきらびやかであるのに対し、こちらはどこか日常生活の延長のような気がしてきます。
勤勉であれ、敬虔であれ、誠実であれ。さすれば神は、平凡の日常の中にもこのようにご褒美を与えてくれようぞ───そんなご褒美のような。
そうです。この旅行自体、私にとっては自分へのご褒美なのです。

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  • エステルゴム大聖堂<br />最寄りのバス停(市バス)の現代彫刻オブジェと一緒に<br /><br />駅前のバス停で市バスの路線を調べるとBazilika(大聖堂)行きがあったので(当然あるだろうと思っていましたけれど@)、それで一気に大聖堂の前まで行きました。<br />途中の駅前から町の中心のセーチェーニ広場、そして大聖堂のある丘に向うバイチ・ジリンスキー通りには、パステルカラーの可愛い家並みが続き、降りて写真を撮りながら散策をしたかったくらいです。<br /><br />エステルゴム駅に着いたのは11時30分、市バスを利用して、大聖堂前には12時に到着しました。<br />まずはドームを抱く大聖堂の全貌の写真撮影です。<br />ハンガリー最大の由緒ある大聖堂だけあって、ちまたに写真がくさるほどあふれているエステルゴム大聖堂ですが、やはり自分のセンスで写真を撮ることに意義があります。<br />ほんのすこぉぉしでも自分らしいオリジナリティが出るといいなぁと思いながら周りを見回すと、バス停の近くに面白いオブジェがあったので、一緒にファインダーに収めてみました@<br /><br />さすがハンガリー最大を誇る大聖堂です。<br />小高い丘のてっぺんにそびえる大聖堂に向って、まるで結婚式のヴァージンロードのようにまっすぐ道が伸びています。<br />そんな見晴しの良さも大聖堂の迫力をいや増しています(道路の両側にずらりと車が駐車しているのはちょっと興ざめですけど@)。<br />この大きさを感じたくてわざわざやって来たのです。この場にやって来ることができた幸運をかみしめながら、一歩一歩近付きました。<br /><br />「高さ100m、直径53.5mのドームを頂く壮大な新古典様式のエステルゴム大聖堂は、創建当初から現在にいたるまでハンガリー・カトリックの総本山であり、国内最大の大聖堂である。建国の祖である聖イシュトヴァーンとともに1万フォーリント札の絵柄になっている。<br /> 現在の聖堂は、オスマン・トルコの襲撃によって破壊された後、1822年から約50年をかけて再建されたもの。」<br />(「地球の歩き方 ハンガリー 2004〜2005年版」(ダイヤモンド社)より)

    エステルゴム大聖堂
    最寄りのバス停(市バス)の現代彫刻オブジェと一緒に

    駅前のバス停で市バスの路線を調べるとBazilika(大聖堂)行きがあったので(当然あるだろうと思っていましたけれど@)、それで一気に大聖堂の前まで行きました。
    途中の駅前から町の中心のセーチェーニ広場、そして大聖堂のある丘に向うバイチ・ジリンスキー通りには、パステルカラーの可愛い家並みが続き、降りて写真を撮りながら散策をしたかったくらいです。

    エステルゴム駅に着いたのは11時30分、市バスを利用して、大聖堂前には12時に到着しました。
    まずはドームを抱く大聖堂の全貌の写真撮影です。
    ハンガリー最大の由緒ある大聖堂だけあって、ちまたに写真がくさるほどあふれているエステルゴム大聖堂ですが、やはり自分のセンスで写真を撮ることに意義があります。
    ほんのすこぉぉしでも自分らしいオリジナリティが出るといいなぁと思いながら周りを見回すと、バス停の近くに面白いオブジェがあったので、一緒にファインダーに収めてみました@

    さすがハンガリー最大を誇る大聖堂です。
    小高い丘のてっぺんにそびえる大聖堂に向って、まるで結婚式のヴァージンロードのようにまっすぐ道が伸びています。
    そんな見晴しの良さも大聖堂の迫力をいや増しています(道路の両側にずらりと車が駐車しているのはちょっと興ざめですけど@)。
    この大きさを感じたくてわざわざやって来たのです。この場にやって来ることができた幸運をかみしめながら、一歩一歩近付きました。

    「高さ100m、直径53.5mのドームを頂く壮大な新古典様式のエステルゴム大聖堂は、創建当初から現在にいたるまでハンガリー・カトリックの総本山であり、国内最大の大聖堂である。建国の祖である聖イシュトヴァーンとともに1万フォーリント札の絵柄になっている。
     現在の聖堂は、オスマン・トルコの襲撃によって破壊された後、1822年から約50年をかけて再建されたもの。」
    (「地球の歩き方 ハンガリー 2004〜2005年版」(ダイヤモンド社)より)

  • エステルゴム大聖堂<br />黄葉の木と共に<br /><br />10月中旬のハンガリーは、紅葉が訪れたばかりというところ。<br />ぽつりぽつりと黄色く染まった木を見ることができます。<br />そんな木の葉を額縁にして、大聖堂のドームを囲んでみました。<br /><br />「ギリシャ十字形平面にドームを載せたバコーツ礼拝堂は、イタリア以外では初のルネサンス集中式建築で、白大理石の祭壇はイタリアから招いた彫刻家によるもの。オスマン朝との戦いで荒廃していた聖堂は、バコーツ礼拝堂以外が19世紀前半に新古典主義に建て替えられ、明るく光が差し込むハンガリー最大の教会建築となっている。」<br />(「建築・街並みガイド5」(エクスナレッジ社)より)

    エステルゴム大聖堂
    黄葉の木と共に

    10月中旬のハンガリーは、紅葉が訪れたばかりというところ。
    ぽつりぽつりと黄色く染まった木を見ることができます。
    そんな木の葉を額縁にして、大聖堂のドームを囲んでみました。

    「ギリシャ十字形平面にドームを載せたバコーツ礼拝堂は、イタリア以外では初のルネサンス集中式建築で、白大理石の祭壇はイタリアから招いた彫刻家によるもの。オスマン朝との戦いで荒廃していた聖堂は、バコーツ礼拝堂以外が19世紀前半に新古典主義に建て替えられ、明るく光が差し込むハンガリー最大の教会建築となっている。」
    (「建築・街並みガイド5」(エクスナレッジ社)より)

  • 大聖堂のある丘のふもとの水地区(Vizivaros)から大聖堂を見上げて<br /><br />「大聖堂は19世紀半ばに建てられたもので、ハンガリー最大の規模を誇っている。さすがに総本山だけあって、建物は大きい。十字架の形をなし、縦118m、幅40m、そして直径53.5mのドームは高さは100mという、本当に巨大な建物である。(中略)<br /> 大聖堂の中に入った。大きくて天井も高いので、ドーム全体が明るい。左手には16世紀初頭に建てられた古い礼拝堂がある。イシュトヴァーンの建てた最初の礼拝堂は、12世紀末に家事で焼け落ち、その後再建。そして増築されたが、オスマン・トルコの襲来によって再び焼けてしまった。その時残ったのは、この礼拝堂(バコーツ礼拝堂)だけだった。」<br />(「旅名人ブックス ハンガリー “千年王国”への旅」(日経BP社)より)

    大聖堂のある丘のふもとの水地区(Vizivaros)から大聖堂を見上げて

    「大聖堂は19世紀半ばに建てられたもので、ハンガリー最大の規模を誇っている。さすがに総本山だけあって、建物は大きい。十字架の形をなし、縦118m、幅40m、そして直径53.5mのドームは高さは100mという、本当に巨大な建物である。(中略)
     大聖堂の中に入った。大きくて天井も高いので、ドーム全体が明るい。左手には16世紀初頭に建てられた古い礼拝堂がある。イシュトヴァーンの建てた最初の礼拝堂は、12世紀末に家事で焼け落ち、その後再建。そして増築されたが、オスマン・トルコの襲来によって再び焼けてしまった。その時残ったのは、この礼拝堂(バコーツ礼拝堂)だけだった。」
    (「旅名人ブックス ハンガリー “千年王国”への旅」(日経BP社)より)

  • エステルゴム大聖堂内<br />入口すぐそばの天井を見上げて<br /><br />入口を入ってすぐ、さっそく天井の美しさに目を奪われました。<br />しかし、ファインダーの中に天井だけを収めると平坦な写真になりそうだったので、壁の一部が入るように撮ってみました。

    エステルゴム大聖堂内
    入口すぐそばの天井を見上げて

    入口を入ってすぐ、さっそく天井の美しさに目を奪われました。
    しかし、ファインダーの中に天井だけを収めると平坦な写真になりそうだったので、壁の一部が入るように撮ってみました。

  • エステルゴム大聖堂内<br />新古典主義な装飾の天井とパイプオルガン

    エステルゴム大聖堂内
    新古典主義な装飾の天井とパイプオルガン

  • エステルゴム大聖堂主祭壇<br /><br />主祭壇を飾る絵は「聖母マリアの昇天」。<br />1枚のキャンバスに描かれた絵画としては世界最大級といわれる聖画です。<br />大きさは13.5m X 6m。<br />イタリア人グレゴレッティ作。<br />どことなぁく、ラファエロの絵のようです。

    エステルゴム大聖堂主祭壇

    主祭壇を飾る絵は「聖母マリアの昇天」。
    1枚のキャンバスに描かれた絵画としては世界最大級といわれる聖画です。
    大きさは13.5m X 6m。
    イタリア人グレゴレッティ作。
    どことなぁく、ラファエロの絵のようです。

  • エステルゴム大聖堂の主祭壇に向って<br /><br />ドームを真ん中に十字型の対照的な構造の大聖堂ですが、内部の写真はわざと非対称を狙ってみました。<br />さきほどの主祭壇の写真もそうですし、これもそうです。<br />主祭壇へ向う短いアーチ回廊の天井画も、ドームの付け根の五角形の聖人像も、信者席と床の格子模様が形作る奥行きも、すべてを盛り込んでみた欲張りな写真です@

    エステルゴム大聖堂の主祭壇に向って

    ドームを真ん中に十字型の対照的な構造の大聖堂ですが、内部の写真はわざと非対称を狙ってみました。
    さきほどの主祭壇の写真もそうですし、これもそうです。
    主祭壇へ向う短いアーチ回廊の天井画も、ドームの付け根の五角形の聖人像も、信者席と床の格子模様が形作る奥行きも、すべてを盛り込んでみた欲張りな写真です@

  • エステルゴム大聖堂内の天井画<br /><br />ドームの付け根の五角形の聖人像と、主祭壇へ向う短いアーチ回廊の天井画にフォーカス。

    エステルゴム大聖堂内の天井画

    ドームの付け根の五角形の聖人像と、主祭壇へ向う短いアーチ回廊の天井画にフォーカス。

  • エステルゴム大聖堂の主祭壇と信者席と<br /><br />到着したのは12時、ちょうどミサを終えた後でしょうか。<br />観光客が数名と、後かたずけをしている関係者がちらほら。<br />大聖堂内にいたのはそれくらいでしたが、それでもうまいこと人が途切れた瞬間を狙って撮りました。<br /><br />ここまでまず無我夢中で写真撮影をしてしまいました。<br />ここらで少し落ち着いて、カメラ任せにせず、自分の目で観察するようにしましょう。<br />カメラを構えていると、対象物を見ての感想、自由な連想ととりとめない思索、いわばインナートリップができなくなってしまいます。<br />といっても、たいそうな感想を抱いたり、考えたりしてるわけでもないのですけどね。

    エステルゴム大聖堂の主祭壇と信者席と

    到着したのは12時、ちょうどミサを終えた後でしょうか。
    観光客が数名と、後かたずけをしている関係者がちらほら。
    大聖堂内にいたのはそれくらいでしたが、それでもうまいこと人が途切れた瞬間を狙って撮りました。

    ここまでまず無我夢中で写真撮影をしてしまいました。
    ここらで少し落ち着いて、カメラ任せにせず、自分の目で観察するようにしましょう。
    カメラを構えていると、対象物を見ての感想、自由な連想ととりとめない思索、いわばインナートリップができなくなってしまいます。
    といっても、たいそうな感想を抱いたり、考えたりしてるわけでもないのですけどね。

  • 大聖堂の右手の礼拝堂<br />後継者である王子イムレを失ったイシュトヴァーン王が聖母マリアに向って「ハンガリーの国をお守りください」と願っている絵<br /><br />このモチーフは、ブダペストのイシュトヴァーン大聖堂と同じです。<br />イシュトヴァーンはよほど自分の死後のハンガリーの行く末が心配だったのでしょう。<br />この絵とこの主題から、イシュトヴァーンの息子を亡くした父としての哀しみより、国を憂える為政者としての心配の方が強調されています。<br />最初はちょっと冷たいなぁと思ったものですが、人の子の父である面と、国の父である面とは切り離せるものではなく、いろんな面をもつのが人間です。<br />彼の息子を失った嘆きが父親としてそれだけでなかったとしても、彼の親心を疑う根拠にはならないでしょう。<br /><br />「問題の跡継ぎはどうなったかというと、イシュトヴァーンは、妹とその夫であるベネチア大公との間に生まれたぺーテルを王位継承者に指名した。ペーテルは難なく王位に就いたが、間もなく彼は異教徒の反乱によって倒され、結局イシュトヴァーンが排斥した従兄弟の息子が王位を要求して国王となる。権力争いや異教徒との問題はその後も続き、イシュトヴァーンが目指したキリスト教国と真の西ヨーロッパ的な国家建設にはなお数世紀を必要とした。」<br />(「旅名人ブックス ハンガリー “千年王国”への旅」(日経BP社)より)<br /><br />それにしても、額縁代わりの絵も、とってもきれい@<br />お隣の細長い絵も、イシュトヴァーンの生涯をモチーフにしている気がします。

    大聖堂の右手の礼拝堂
    後継者である王子イムレを失ったイシュトヴァーン王が聖母マリアに向って「ハンガリーの国をお守りください」と願っている絵

    このモチーフは、ブダペストのイシュトヴァーン大聖堂と同じです。
    イシュトヴァーンはよほど自分の死後のハンガリーの行く末が心配だったのでしょう。
    この絵とこの主題から、イシュトヴァーンの息子を亡くした父としての哀しみより、国を憂える為政者としての心配の方が強調されています。
    最初はちょっと冷たいなぁと思ったものですが、人の子の父である面と、国の父である面とは切り離せるものではなく、いろんな面をもつのが人間です。
    彼の息子を失った嘆きが父親としてそれだけでなかったとしても、彼の親心を疑う根拠にはならないでしょう。

    「問題の跡継ぎはどうなったかというと、イシュトヴァーンは、妹とその夫であるベネチア大公との間に生まれたぺーテルを王位継承者に指名した。ペーテルは難なく王位に就いたが、間もなく彼は異教徒の反乱によって倒され、結局イシュトヴァーンが排斥した従兄弟の息子が王位を要求して国王となる。権力争いや異教徒との問題はその後も続き、イシュトヴァーンが目指したキリスト教国と真の西ヨーロッパ的な国家建設にはなお数世紀を必要とした。」
    (「旅名人ブックス ハンガリー “千年王国”への旅」(日経BP社)より)

    それにしても、額縁代わりの絵も、とってもきれい@
    お隣の細長い絵も、イシュトヴァーンの生涯をモチーフにしている気がします。

  • エステルゴム大聖堂の主祭壇と説教台<br /><br />大聖堂内は、新古典主義の抑制のきいた、しかし金泊をふんだんに使ったぜいたくな装飾がいっぱいですが、説教台は木造りで落ち着きます。<br />もっともその説教台も、聖人像をかたどった浮彫りなど、細部をよく見るととても手が込んでいます。<br />主祭壇前の天井画もズームして一緒にカメラに収めました。<br />キリストと神と聖霊の三位一体を描いたもののようです。<br /><br />この後、大聖堂付属の宝物館に入りました。<br />大聖堂内部は無料ですが、宝物館は有料で、500フォーリントでした。<br />(2006年10月現在、1フォーリント=約0.6円)<br /><br />有料でも、教会付属の宝物館のコレクションは私のツボにはまるものが多いので、逃すことはできません。<br />ましてや、今日は月曜日で、エステルゴムで本当はぜひ見学したかった「キリスト教博物館」が休館で、見学することができないのですから。<br />大聖堂内の宝物館が月曜日だからといって休みでなかったのは、嬉しい誤算でした。<br />(もっとも、ガイドブックの記述をきちんと見ていなかったせいです。月曜日休館となるのは、11〜12月で、5月〜10月は毎日開いていたのです。)<br /><br />宝物館の展示品は総数400点にものぼり、金銀細工や織物から成ります。ハイライトは、ハンガリー政府観光案内所のHPによると、「角製のゴブレット(足付きワイングラス)、ミサ服、ゴシック様式の逸品として名高い「シュキの聖杯」、宝石のちりばめられた金細工、マーチャーシュ王受難図など」とありました。<br /><br />宝物館の展示品は、どれも垂涎ものでした。<br />まず、エントランスホールには、大聖堂の模型や設計図がありました。それからたくさん聖遺物入れ。エントランスホールにあった聖遺物入れには、どれもきちんと聖遺物、すなわち聖人の遺体の一部が入っていました。<br />その中で、とある聖女の聖遺物にちょっと目を見張りました。歯なのですが、ものすごく大きいのです。かの聖女は、ものすごい出っ歯だったのかしら。<br />それから、階段を昇ってメインホールに入ってすぐ、たくさんの司祭服に目を奪われました。<br />一部、背中の豪華な刺繍がよく見えるように展示されていたものの、コレクションのすべてを展示しきれないのでしょう。奥のガラス窓の向こうには、まるで洋服ダンスのように、豪華な司祭服がずらりと吊り下げられていました。横向きに吊り下げられているので、金糸や真珠の珠などと共に縫い込められた美しい刺繍が、肩とそでのあたりしか見えません〜(泣)。<br />そして、美しい細工で宝石もふんだんにちりばめられた金銀細工。これこそが私にとって宝物館の中のハイライト中のハイライト@<br />中世の職人が1つの作品を一生かけて制作したのでは、と思わせる細かくて手の込んだ細工と、惜し気もなく使われた宝石の装飾を眺めていると、感動で涙が出そうです。<br />角笛に使われるような角を材料にしたハイライトの1つのゴブレットは見つけることができました。てっきり白い角かと思っていたので、それとわからず仕舞になるところでした。角はしぶい茶色に染まっていて、革のように見えました。<br />「シュキの聖杯」の方は、どれか分かりませんでした。説明プレートはたまぁに英語があるのですが、ほとんどすべてハンガリー語。でもスペルから「シュキ」くらい分かるかと思ったのです。<br />別格扱いに展示されているどれかがたぶんそうなのだろうと思い、じっくり眺めておきました。どれも逸品扱いされるだけあって、とても細かい細工で惚れ惚れしました。<br /><br />宝物館の見学は、12時55分〜13時35分でした。<br />また、大聖堂の見学は、宝物館を含め、12時10分〜14時でした。

    エステルゴム大聖堂の主祭壇と説教台

    大聖堂内は、新古典主義の抑制のきいた、しかし金泊をふんだんに使ったぜいたくな装飾がいっぱいですが、説教台は木造りで落ち着きます。
    もっともその説教台も、聖人像をかたどった浮彫りなど、細部をよく見るととても手が込んでいます。
    主祭壇前の天井画もズームして一緒にカメラに収めました。
    キリストと神と聖霊の三位一体を描いたもののようです。

    この後、大聖堂付属の宝物館に入りました。
    大聖堂内部は無料ですが、宝物館は有料で、500フォーリントでした。
    (2006年10月現在、1フォーリント=約0.6円)

    有料でも、教会付属の宝物館のコレクションは私のツボにはまるものが多いので、逃すことはできません。
    ましてや、今日は月曜日で、エステルゴムで本当はぜひ見学したかった「キリスト教博物館」が休館で、見学することができないのですから。
    大聖堂内の宝物館が月曜日だからといって休みでなかったのは、嬉しい誤算でした。
    (もっとも、ガイドブックの記述をきちんと見ていなかったせいです。月曜日休館となるのは、11〜12月で、5月〜10月は毎日開いていたのです。)

    宝物館の展示品は総数400点にものぼり、金銀細工や織物から成ります。ハイライトは、ハンガリー政府観光案内所のHPによると、「角製のゴブレット(足付きワイングラス)、ミサ服、ゴシック様式の逸品として名高い「シュキの聖杯」、宝石のちりばめられた金細工、マーチャーシュ王受難図など」とありました。

    宝物館の展示品は、どれも垂涎ものでした。
    まず、エントランスホールには、大聖堂の模型や設計図がありました。それからたくさん聖遺物入れ。エントランスホールにあった聖遺物入れには、どれもきちんと聖遺物、すなわち聖人の遺体の一部が入っていました。
    その中で、とある聖女の聖遺物にちょっと目を見張りました。歯なのですが、ものすごく大きいのです。かの聖女は、ものすごい出っ歯だったのかしら。
    それから、階段を昇ってメインホールに入ってすぐ、たくさんの司祭服に目を奪われました。
    一部、背中の豪華な刺繍がよく見えるように展示されていたものの、コレクションのすべてを展示しきれないのでしょう。奥のガラス窓の向こうには、まるで洋服ダンスのように、豪華な司祭服がずらりと吊り下げられていました。横向きに吊り下げられているので、金糸や真珠の珠などと共に縫い込められた美しい刺繍が、肩とそでのあたりしか見えません〜(泣)。
    そして、美しい細工で宝石もふんだんにちりばめられた金銀細工。これこそが私にとって宝物館の中のハイライト中のハイライト@
    中世の職人が1つの作品を一生かけて制作したのでは、と思わせる細かくて手の込んだ細工と、惜し気もなく使われた宝石の装飾を眺めていると、感動で涙が出そうです。
    角笛に使われるような角を材料にしたハイライトの1つのゴブレットは見つけることができました。てっきり白い角かと思っていたので、それとわからず仕舞になるところでした。角はしぶい茶色に染まっていて、革のように見えました。
    「シュキの聖杯」の方は、どれか分かりませんでした。説明プレートはたまぁに英語があるのですが、ほとんどすべてハンガリー語。でもスペルから「シュキ」くらい分かるかと思ったのです。
    別格扱いに展示されているどれかがたぶんそうなのだろうと思い、じっくり眺めておきました。どれも逸品扱いされるだけあって、とても細かい細工で惚れ惚れしました。

    宝物館の見学は、12時55分〜13時35分でした。
    また、大聖堂の見学は、宝物館を含め、12時10分〜14時でした。

  • エステルゴム大聖堂の新古典主義な天井装飾<br /><br />抑制がきいているけど、豪華ですよね、新古典主義の装飾は。<br />好きになれるか、そうでないか、微妙なところが多い新古典主義の装飾ですが、これだけ凝っていて素敵だと、文句なしに気に入ってしまいます。<br /><br />いったん外の大聖堂周りを散策した後、去る前にもう一度、中に入りました。<br />つくづくこの天井装飾が気に入ったので、もう一度写真を撮りました。<br />この天井装飾もファインダーに収めるにあたっては、非対称構図を狙いました。<br /><br />大聖堂にもう一度戻ったのは、ガイドブックをひっくり返して、大聖堂内で唯一、ルネサンス期の建築物としてイタリアを除くヨーロッパで最古の「バコーツ礼拝堂」を見損ねたと思ったせいでもあります。<br />ところが、「地球の歩き方」の写真と照らし合わせて礼拝堂を探したところ、すでに最初にぐるっと回ったときに見学していたところでした。<br />大聖堂内の一部にあって、別格扱いされていなかったので、さらっと通り過ぎてしまったのです。<br />改めて写真を撮ろうか迷いました。<br />しかし、もう大聖堂内の写真は十分、という気分になっていましたし、「地球の歩き方」にある写真以上のものになりそうになかったので、撮るのをやめてしまいました。

    エステルゴム大聖堂の新古典主義な天井装飾

    抑制がきいているけど、豪華ですよね、新古典主義の装飾は。
    好きになれるか、そうでないか、微妙なところが多い新古典主義の装飾ですが、これだけ凝っていて素敵だと、文句なしに気に入ってしまいます。

    いったん外の大聖堂周りを散策した後、去る前にもう一度、中に入りました。
    つくづくこの天井装飾が気に入ったので、もう一度写真を撮りました。
    この天井装飾もファインダーに収めるにあたっては、非対称構図を狙いました。

    大聖堂にもう一度戻ったのは、ガイドブックをひっくり返して、大聖堂内で唯一、ルネサンス期の建築物としてイタリアを除くヨーロッパで最古の「バコーツ礼拝堂」を見損ねたと思ったせいでもあります。
    ところが、「地球の歩き方」の写真と照らし合わせて礼拝堂を探したところ、すでに最初にぐるっと回ったときに見学していたところでした。
    大聖堂内の一部にあって、別格扱いされていなかったので、さらっと通り過ぎてしまったのです。
    改めて写真を撮ろうか迷いました。
    しかし、もう大聖堂内の写真は十分、という気分になっていましたし、「地球の歩き方」にある写真以上のものになりそうになかったので、撮るのをやめてしまいました。

  • 大聖堂宝物館のリーフレットより<br /><br />大聖堂宝物館を見学し終えた後、写真が8枚ついている簡単なリーフレットを、チケット売り場のところで買いました。<br />100フォーリントでした。<br />(2006年10月現在、1フォーリント=約0.6円)<br />展示品の目録にもなっていたので、見学前に買えばよかったです。チケット売り場のガラスの向こうに展示されていたときは、こんな安くて薄いリーフレットだと思わなかったのです。<br /><br />もっとも、これを買ったのは、シュキの聖杯がどれか、結局分からなかったからです。<br />後でこのリーフレットを見れば、ああ、あれがそうだったのか!と分かるに違いない、と記憶のよすがにするために買いました。<br /><br />写真は表紙部分。<br />角製のゴブレットが写っています。<br />中央のキリスト磔像のある十字架は、「マーチャーシュ・コルヴィアヌス王の十字架」です。<br />上の部分はパリで1492年に、下の部分は1480年にフィレンツェで制作されたものだそうです。<br />宝物館きっての宝物の1つです。

    大聖堂宝物館のリーフレットより

    大聖堂宝物館を見学し終えた後、写真が8枚ついている簡単なリーフレットを、チケット売り場のところで買いました。
    100フォーリントでした。
    (2006年10月現在、1フォーリント=約0.6円)
    展示品の目録にもなっていたので、見学前に買えばよかったです。チケット売り場のガラスの向こうに展示されていたときは、こんな安くて薄いリーフレットだと思わなかったのです。

    もっとも、これを買ったのは、シュキの聖杯がどれか、結局分からなかったからです。
    後でこのリーフレットを見れば、ああ、あれがそうだったのか!と分かるに違いない、と記憶のよすがにするために買いました。

    写真は表紙部分。
    角製のゴブレットが写っています。
    中央のキリスト磔像のある十字架は、「マーチャーシュ・コルヴィアヌス王の十字架」です。
    上の部分はパリで1492年に、下の部分は1480年にフィレンツェで制作されたものだそうです。
    宝物館きっての宝物の1つです。

  • 大聖堂宝物館のリーフレットより<br /><br />これが「シュキの聖杯」です。<br />ありました、ありました。別格扱いされていた展示品の中にこれがあったのを覚えています。<br />1440年に制作されたものだそうです。<br />この細工の細かさ、エナメルの花模様の可愛らしさ。<br />ゴシック時代の傑作といわれるのも納得です。

    大聖堂宝物館のリーフレットより

    これが「シュキの聖杯」です。
    ありました、ありました。別格扱いされていた展示品の中にこれがあったのを覚えています。
    1440年に制作されたものだそうです。
    この細工の細かさ、エナメルの花模様の可愛らしさ。
    ゴシック時代の傑作といわれるのも納得です。

  • 大聖堂宝物館のリーフレットより<br /><br />こちらは、「戴冠の誓いの十字架」。<br />宝物館の宝物の中でも最も貴重な品だそうです。<br />その名のとおり、歴代のハンガリー王の戴冠式のときに使われたものだそうです。<br /><br />ちなみに、宝物館のコレクションは、大聖堂の創建以来の宝物もたくさんあったのですが、オスマントルコによって大聖堂本体が徹底的に破壊されてしまったとき、それらのほとんどは、略奪を避けるために、オーストリアや北部ハンガリーの城などへ持ち去られました。<br />そのため、ハンガリー建国黎明時の宝物は、宝物館にほとんど残っていないそうです。<br />とはいえ、すばらしいコレクションぞろいでした。<br />リーフレットの目録によると、全部で351点、展示されていました。<br />だいたい14世紀から19世紀の宝物ですが、まれに8〜9世紀の宝物もあったようです。<br /><br />ちなみに同じようにぺらぺらのリーフレットで大聖堂本体のものも買いました。<br />同じく100フォーリントでした。<br />(2006年10月現在、1フォーリント=約0.6円)<br />写真も8枚で、私が写真を撮らなかったバーコーツ礼拝堂や、前教皇パウロ2世の写真もあります。<br />また、おそらくマリア・ヴァレリア橋から見上げたと思われる大聖堂の写真ありました。<br />実はマリア・ヴァレリア橋の方まで足はのばさなかったのです。<br />あの場では、ちょっと気力が萎えてしまったのと、ブダペストでまた夜景に再挑戦するために早めに帰ろうと思ったため、マリア・ヴァレリア橋の方まで足をのばす気がなくなってしまったのですが、今から思うと惜しいことをしたなぁと思います。

    大聖堂宝物館のリーフレットより

    こちらは、「戴冠の誓いの十字架」。
    宝物館の宝物の中でも最も貴重な品だそうです。
    その名のとおり、歴代のハンガリー王の戴冠式のときに使われたものだそうです。

    ちなみに、宝物館のコレクションは、大聖堂の創建以来の宝物もたくさんあったのですが、オスマントルコによって大聖堂本体が徹底的に破壊されてしまったとき、それらのほとんどは、略奪を避けるために、オーストリアや北部ハンガリーの城などへ持ち去られました。
    そのため、ハンガリー建国黎明時の宝物は、宝物館にほとんど残っていないそうです。
    とはいえ、すばらしいコレクションぞろいでした。
    リーフレットの目録によると、全部で351点、展示されていました。
    だいたい14世紀から19世紀の宝物ですが、まれに8〜9世紀の宝物もあったようです。

    ちなみに同じようにぺらぺらのリーフレットで大聖堂本体のものも買いました。
    同じく100フォーリントでした。
    (2006年10月現在、1フォーリント=約0.6円)
    写真も8枚で、私が写真を撮らなかったバーコーツ礼拝堂や、前教皇パウロ2世の写真もあります。
    また、おそらくマリア・ヴァレリア橋から見上げたと思われる大聖堂の写真ありました。
    実はマリア・ヴァレリア橋の方まで足はのばさなかったのです。
    あの場では、ちょっと気力が萎えてしまったのと、ブダペストでまた夜景に再挑戦するために早めに帰ろうと思ったため、マリア・ヴァレリア橋の方まで足をのばす気がなくなってしまったのですが、今から思うと惜しいことをしたなぁと思います。

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