2005/12/28 - 2006/01/04
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瑞樹さん
年末年始のイスラエルの旅も、残り少なくなってきました。
エルサレムの旧市街を歩いて辿りついたのは、イエスが十字架を背負って歩いた道=ヴィア・ドロローサ(ラテン語で、悲しみの道の意)の第3留。
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旧市街を歩いて辿りついたのは、イエスが十字架を背負って歩いた道=ヴィア・ドロローサ(ラテン語で、悲しみの道の意)の第3留。
"イエス、十字架の重みで倒れる"
ここはイエスが十字架の重みに耐えかね、最初につまずいた場所。
ポーランドのカトリック騎士団がこの小聖堂を建てたそうで、現在はアルメニア・カトリックの所属。 -
イエス・キリストはベツレヘムに生まれナザレで育ち、ガリラヤ湖で数多くの奇蹟を起こし人々の心捉える説教で熱狂的な支持を受けました。
もともとユダヤの民であった彼はしかし、自らを”神の子”と称した為、当時この辺りを統括していたローマ総督ピラトに死刑を言い渡されてしまいます。 -
ローマ総督ピラトは、イエスを処罰することに積極的ではなかったのですが、ユダヤ人達を鎮める術を持っていなかったのです。
アントニオ要塞にあるピラト官邸で行われた裁判で有罪になったイエスは、鞭打たれ、ユダヤの祭司長たちに引き渡されます。 -
そこで、ピラトはイエスを捕らえ、鞭で打たせた。
兵士たちは茨で冠を編んでイエスの頭に載せ、紫の服をまとわせ、そばにやって来ては、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、平手で打った。
ピラトはまた出て来て、言った。「見よ、あの男をあなたたちのところへ引き出そう。そうすれば、わたしが彼に何の罪も見いだせないわけが分かるだろう。」
イエスは茨の冠をかぶり、紫の服を着けて出て来られた。ピラトは、「見よ、この男だ」と言った。 -
祭司長たちや下役たちは、イエスを見ると、「十字架につけろ。十字架につけろ」と叫んだ。ピラトは言った。「あなたたちが引き取って、十字架につけるがよい。わたしはこの男に罪を見いだせない。」
ユダヤ人たちは答えた。「わたしたちには律法があります。律法によれば、この男は死罪に当たります。神の子と自称したからです。」
ピラトは、この言葉を聞いてますます恐れ、再び総督官邸の中に入って、「お前はどこから来たのか」とイエスに言った。しかし、イエスは答えようとされなかった。
そこで、ピラトは言った。「わたしに答えないのか。お前を釈放する権限も、十字架につける権限も、このわたしにあることを知らないのか。」
イエスは答えられた。「神から与えられていなければ、わたしに対して何の権限もないはずだ。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪はもっと重い。」
そこで、ピラトはイエスを釈放しようと努めた。しかし、ユダヤ人たちは叫んだ。「もし、この男を釈放するなら、あなたは皇帝の友ではない。王と自称する者は皆、皇帝に背いています。」 -
ピラトはこれらの言葉を聞くと、イエスを外に連れ出し、ヘブライ語でガバタ、すなわち「敷石」という場所で、裁判の席に着かせた。
それは過越祭の準備の日の、正午頃であった。
ピラトがユダヤ人たちに、「見よ、あなたたちの王だ」と言うと、彼らは叫んだ。
「殺せ。殺せ。十字架につけろ。」ピラトが、「あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか」と言うと、祭司長たちは、「わたしたちには、皇帝のほかに王はありません」と答えた。
そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。こうして、彼らはイエスを引き取った。
(ヨハネによる福音書:19章1〜16節)
ヴィア・ドロローサの第1留はそのピラト官邸で、現在はEl Omariya Schoolというアラブ人小学校なので、観光客は入れないようです。
毎週金曜日午後3時からの、フランチェスコ会修道士による十字架を担ぎながらの行進は13世紀から続き、そしてここから始まります。
第2留は、1927年に建てられた「鞭打ちの教会」で、ステパノ門を入り西に真っ直ぐ進んだところに有ります。ここでイエスは十字架を背負わされ茨の冠を被せられ、ローマ軍の兵士に鞭打たれたのです。
当時も今も繁華街だったという全長約1kmの、苦難の道。
ただ見ているだけの、イエスの支持者や、自らの信念を貫き思い叶った反支持者が野次を飛ばす中、イエスは歩いたことでしょう。
しかし余りに綺麗で新し過ぎるこの小礼拝堂が、まるで遊園地のアトラクションのような印象なのは、私がイエスの信奉者じゃないからかなぁ。 -
ヴィア・ドロローサを歩き始めた私たち。
次々と訪ねて行きます。
次は、第4留。 "母マリアが十字架を背負ったイエスに出会う"
第4留は、アルメニア人による小礼拝堂と”苦悩の母のマリア”の教会(マリア衝動の教会)があり、ここで母マリアが衝動の念にかられ、十字架を背負った我が子を見たと云われています。
この教会の地下から見付かったビザンツ時代のモザイクには、マリアのサンダルも見られるそうです。 -
ここは残念ながら入れませんでした。外観だけ。
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次は、第5留。
"クレネ人シモンがイエスに替わって十字架を背負わされる"
そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというクレネ人が、田舎から出て来て通りかかったので、兵士たちはイエスの十字架を無理に担がせた。
(マルコによる福音書:15章21節) -
これは小聖堂の壁にある、イエスが手を付いた跡だとか。
ここまで書いておきながらなんですが、「ヴィア・ドロローサ」は十字軍時代以降に確立されたものだそうで、科学的根拠は全くないらしい。
確かに、どう見ても新しいし!
でも一応触っておきます(笑)。
……何だかこの小聖堂もこの人も、神聖な感じもしないし、、、威厳も無いというか、、、いいけどね。
人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというクレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。
(ルカによる福音書:第23章26節) -
……何だかこの小聖堂もこの人も、神聖な感じもしないし、、、威厳も無いというか、、、いいけどね。
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人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというクレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。
(ルカによる福音書:第23章26節) -
第5留からまっすぐ行くと、ほどなく第6留。
ヴィア・ドロローサはイスラム教徒の多く住む地区の中にあるので、周囲は彼らの開く店が多く、道行く人はイスラム教徒か巡礼する人々そして我々観光客といった感じ。
狭い路地に競うように軒を張り出した石造りの建物、多くの人が行き交い磨り減った石畳。 -
私はこのステーション(留)自体には余り感激を覚えませんでしたが(勿論建て直されていたり、修復されていたりもするのでしょうが)、イエス・キリストの苦難を思う人々の気持ちは重く圧し掛かってきました。
"女性ヴェロニカがイエスの顔を拭く" -
第6留には、ベロニカの教会があります。
ここはベロニカの家の跡といわれ、丸天井は十字軍の聖コスモス修道院跡で、現在はギリシャ正教会が管理しているそうです。
何故ベロニカの教会がこの第6留になったかというと、ベロニカという女性がイエスの顔を絹のハンカチで拭うと、そのハンカチにキリストの顔が浮き上がったという逸話があるからです。 -
教会の内部。
入れるところは狭いのですが、この祭壇は何だか重厚で、押し迫ってくるものがありました。
ベロニカのそのハンカチ「聖蓋布」は、サン・ピエトロ大聖堂(ヴァティカン)に保存されているそうですが、新約聖書にはこの記述がないとか。
有りがちですが、「聖蓋布」を主張するものも多いらしい。 -
次、第6留を真っ直ぐ進むと、突き当たりに見えるのが、第7留。
"イエス、2度目に倒れる"
その昔ここには城外に抜ける”裁きの門”があり、その敷居につまずきキリストが再び倒れたとされるところ。
イエスの罪状を告示したところでもあり、フランシスコ派の2つの礼拝堂があるそうです。 -
ここまで5箇所のステーションを見てきましたが、実は常時開いているわけではないそうなので、私たちは随分運が良かったみたいです。
第7留のすぐ近くに第8留がある筈なのですが、城外のため私たちは行きませんでした。
イエスがエルサレムの女性に話しかけ、エルサレムの滅亡の預言をしたところだそうです。 -
第8留は、"イエス、悲しむ女性たちを慰める"
民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。
イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。
「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け。
人々が、『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことのない乳房は幸いだ』と言う日が来る。
そのとき、人々は山に向かっては、『我々の上に崩れ落ちてくれ』と言い、丘に向かっては、『我々を覆ってくれ』と言い始める。
『生の木』さえこうされるのなら、『枯れた木』はいったいどうなるのだろうか。」
(ルカによる福音書・23章27〜31節)
第8留にはギリシア正教会の聖ハラランボス修道院があり、壁に十字架が刻まれているそうです。 -
次、第9留は聖墳墓コプト教会の入口にあるローマ時代の円柱。
"イエス、3度目に倒れる"
この階段を上り、少し行ったところにあるそうです。ここも行かず。
イエスが3度目に倒れた場所とされています。円柱にはやはり十字架が刻まれているそうです(コプト派は、アビシニア(エジプト)に伝わったキリスト教の一派)。 -
次のステーションに行く途中に、ムリスタン地区がありました。
素敵なアーチに彩られたローマ風の壁が面白いです。
“ムリスタン”とは、クルド語で病院という意味。
638年にはアラブ軍によるこの地の支配が始まり、キリスト教巡礼者の為の宿泊施設や、聖母マリア教会が建てられ、また市場もたち、フランク王国のシャルルマーニュの援助で、ホスピスと修道院が建てられました。
またヨーロッパ中部でユダヤ人虐殺の行われた十字軍時代には、これらの施設は聖ヨハネ騎士団の管轄に置かれ、巡礼者の為の病院になり、そのベッド数は1000を超えたそうです。
クルド人のサラーフ・アッディーンが占領した後も、引き続き病院として使われたとか。 -
ここは紀元前1世紀にヘロデ王が築いた第二城壁が有ったところで、カルドとデクマヌスという大通りの交差する場所から近く、当時のエルサレムの中心地。
この場所はその交差点に近く、中央広場という大きな広場もあったそうです。その名残は、貯水池と歩道の一部、北の門の跡が残るのみ。
現在、カルドはハーンエザイト通り、デクマヌスはダビデ通りと名前を変えつつも残っており、後に私たちはカルドを訪ねます。 -
第10留から最後の第14留までは、聖墳墓教会の中にあります。
建物の右端に見える(半分陰になっている2階部分)赤い格子窓の中が、第10留。
"イエス、衣を脱がされる"
処刑前にイエスが衣を脱がされた所で、現在はカトリック典礼派の小聖堂になっています。
ゴルゴダの丘と呼ばれたこの地に、最初に教会を建てたのはキリスト教を公認したローマ皇帝コンスタンティヌス1世の母・ヘレナ。
熱心なキリスト教徒だった彼女は、326年に聖地巡礼し、ある時夢を見て神のお告げを聴き、ここがゴルゴダの丘であると確信し、この地を発掘すると、なんとキリストの墓と十字架の破片を見つけたとのこと。 -
336年に完成したこの聖墳墓教会ですが、幾度もの戦火や火事で大破し、その度に再建され、現在の建物は殆どが十字軍時代のロマネスク様式。
エルサレムにある教会の中で最大規模を誇り、ローマカトリック、エチオピアコプト教会、ギリシャ正教、アルメニア使徒教会、シリア教会の5派が聖堂内の各所を教会としているそうです。
中に入り右側の階段を上がるとローマ・カトリック小聖堂の祭壇があり、ここが第11留。
"午前9時、イエス、十字架に付けられる" -
没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。
それから、兵士たちはイエスを十字架につけて、その服を分け合った、だれが何を取るかをくじ引きで決めてから。
イエスを十字架につけたのは、午前9時であった。罪状書きには、「ユダヤ人の王」と書いてあった。
(マルコによる福音書:第15章23〜26節)
上部も隙間無く凝った装飾です。 -
聖墳墓教会の中には、イエスの墓室があるアナスタシス(復活聖堂)、イエスが処刑されたゴルゴタの丘の頭頂部であるマルテュリオン(殉教聖堂)、その他聖ヨハネの聖堂やミカエルの聖堂など沢山の場所があります。
地下には、墓の発見者であるヘレナを祀る礼拝堂があります。 -
が、この写真が何の写真だったか思い出せず。
ゴルゴダの丘のオリジナル部分だったかな。。。ヘレナが十字架を発見した場所?
ご存知の方、是非教えて下さい。 -
次は第12留。 "イエス、十字架で息を引き取る"
こちらはギリシャ正教の祭壇だそうで、隣にある第11留はローマ・カトリックの祭壇でした。
同じキリスト教でも考え方や解釈が違うので、”天の御国はもう地上に来ている”とするギリシャ正教の祭壇は豪華で(でもちょっと飾りすぎじゃ?)”まだ来ていない”とするローマ・カトリックの祭壇は質素? -
というより、やはり第12留が磔にされたイエスが息を引き取った場所だからなんでしょうか。
この祭壇の下に飾られているイコンの下に、その十字架を立てた場所があり、敬虔な信者の皆さんはここに口づけして祈っていました。 -
午後3時頃、イエスは叫ぶ。「なぜ、お見捨てになったのですか」
さて、昼の12時に、全地は暗くなり、それが3時まで続いた。3時頃、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」という意味である。
(マタイによる福音書:第27章45〜46節) -
そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。こうして、彼らはイエスを引き取った。
イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。
そこで、彼らはイエスを十字架につけた。また、イエスと一緒にほかの二人をも、イエスを真ん中にして両側に、十字架につけた。
ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。
イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。
ユダヤ人の祭司長たちがピラトに、「『ユダヤ人の王』と書かず、『この男は「ユダヤ人の王」と自称した』と書いてください」と言った -
しかし、ピラトは、「わたしが書いたものは、書いたままにしておけ」と答えた。
兵士たちは、イエスを十字架につけてから、その服を取り、四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、それには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。そこで、「これは裂かないで、だれのものになるか、くじ引きで決めよう」と話し合った。それは、「彼らはわたしの服を分け合い、 わたしの衣服のことでくじを引いた」という聖書の言葉が実現するためであった。兵士たちはこのとおりにしたのである。
イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。
イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。
それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。
この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。
そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。
イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。
(ヨハネによる福音書:第19章16〜30節 -
第13留 "アリマタヤのヨセフ、イエスの遺体を引き取る"
聖母マリアが、ここでイエスの亡骸を受け取ったとされているところ。
その後、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を取り降ろしたいと、ピラトに願い出た。
ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。
そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持って来た。
彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。
(ヨハネによる福音書・19章38〜40節) -
夕方になって、アリマタヤの金持ちでヨセフという人が来た。彼もイエスの弟子になっていた。
この人はピラトのところに行って、イエスのからだの下げ渡しを願った。そこで、ピラトは、渡すように命じた。
ヨセフはそれを取り降ろして、きれいな亜麻布に包み、岩を掘って造った自分の新しい墓に納めた。
墓の入口には大きな石をころがしかけて帰った。そこにはマグダラのマリヤとほかのマリヤとが墓のほうを向いてすわっていた。
(マタイによる福音書:27章57〜66節) -
アリマタヤのヨセフがイエスの遺体を引き取り、この塗油の石の上で清めの香油が塗られ、亜麻布に包まれて埋葬の準備をしたとされるところです。
上からぶら下げられているものに聖水が入っているんだったかな。 -
これは、地下にある聖ヘレナ礼拝堂に降りる階段の壁。
見たところ一面に十字架が刻まれています。これは、中世の巡礼者たちが刻んだものだとか。
目的と精神は全然違いますが、観光地に落書きするのと似ている…。
無数にあって、ちょっと怖かったです。
信者にとっては、念願の場所に来た訳だから、何かを残したい気持ちも解かるけれど大切な場所を傷つけるというのはどうなんでしょう。
自分の手で、ここに来られたことの感謝の気持ちを籠めて、壁に十字架を切るだけでは良いのでは?
それとも、ほかに何か意味があるんでしょうか。
きっと現在の巡礼者も刻んでいるに違いない。 -
壁に飾られているモザイク。
イエスを十字架から降ろし、マリアや人々がその死を嘆き、天使が舞い墓に納められようとしている場面が描かれています。 -
いよいよヴィア・ドロローサの終点。
聖墳墓教会の中にある特別の聖堂、それがこのモザイクのように、墓に納められていたとされているところ、アナスタシス(復活聖堂)。
"イエス、埋葬される" -
流石にここは、只ならぬ雰囲気を感じました。
いつもは大行列らしいのですが、この日は他のステーションといい巡礼者や観光客が少なかったのか、余り並ばずに中に入れました。
とはいえ、一度に2〜3人しか入れないくらいの狭さなので、聖堂の中に入ってから墓室のある場所に近付くまで一旦待つように係りの人に言われます。
ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口には大きな石を転がしておいて立ち去った。
マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓のほうを向いて座っていた。
(マタイによる福音書:第27章59〜61節) -
"イエスの復活"
中に入ったところ。
墓とは云っても、イエスは復活したとされているので、今は中に何も納められてはいません。
この写真の下が石棺になっています。狭くて係りの人が居るし、また時間も短く巡礼者でもない私は余り写真を撮れず。
さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。
すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。
その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。
番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。
天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、
あの方は、ここにはおられない。かねて言われてい
たとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。」
(マタイによる福音書:第28章1〜6節) -
ここまで聖地を見て来て、特に信者という訳ではない私もそれなりに感慨深いものがありました。
が、宗派は違えどイエス・キリストを信じる人々の恐らく最も重要な場所であるここが、考え相容れない人たちによって管理され隙あらば自らの場を広げようとしていることに(各派は1757年にオスマン帝国が認めた「既得権」の下で、それぞれの領域を占有しているが、抗争は古くから続く事実。実際、朝の清掃などはそんな雰囲気らしいし、この教会の鍵を開けるのはどの宗派でもなくアラブの少年なのです)下らなさを禁じえませんでした。
しかもそれが、数千年もの歴史を持ちユダヤ民族渇望の地であるイスラエルであることが、なんだか象徴的であるような、人間とはかくもこういう存在なのか、と妙に納得してしまいました。
これは、イエスが息を引き取った時に雷で砕かれた岩のオリジナルと伝えられているとか。
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