2005/12/28 - 2006/01/04
64位(同エリア70件中)
瑞樹さん
十字軍の街・世界遺産アッコーを歩いた私たちは、ちょこっと散歩しバスに迎えに来て貰い本日のホテルへ。
あぁ、長い一日でした。
ここではイスラエルの現実と、意外な素顔を見ることになりました。
- 航空会社
- ウズベキスタン航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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もう20時を過ぎていますが、昼食が早目の夕食みたいな時間だった為、普通に食事するほどお腹は空きません。
ちょっと時間を置いて、お茶でもしようかな、、、と思ってホテルのレストランへ。
私たちがイスラエルに着いたころはユダヤの祭り「ハヌカ祭」の最中(今年は12月25日:ユダヤ歴キスレブ月(kislev)の25日の日没から:ユダヤは、日没から一日が始まる)。
それまでシリアを支配していたセレウコス朝ギリシア、特に4世・エピファネス(在位B.C.前175-164年)の時代になると、ローマに対抗するために国力の強化策を行い、多額の増税による搾取、そしてイスラエルにヘレニズム化を強要。
紀元前167年にはユダヤ教を禁止し安息日を守ることが禁止されたり、豚肉を食べることを強要され、ついにはエルサレムの神殿にゼウス像が祭られてしまいます。
その頃、祭司の家系であったハスモン家の長マタティヤウが住んでいたモディインという村に官吏が送られ、ゼウスの祭壇に豚を燔祭として捧げるように強要しました。マタティヤウはその官吏と、ギリシア化してしまった男を切りつけ殺してしまう事件が起きました。
マタティヤウは息子や協力者と共に荒野に逃れ、「マカビーの反乱」が始まりました。マタティヤウの病死後、息子のイェフダ・マカビー(「マカビー」は彼の渾名)は反乱の指揮を執り、ゲリラ戦法によって次々とセレウコス朝ギリシアの軍隊を撃破し、紀元前164年キスレヴ月の25日、ついにエルサレムを奪還し、神殿からゼウス像を取り去って「宮潔め」を行いました。 -
こうして、宗教的にも政治的にもユダヤ人の独立を勝ち取ったのを祝う宮潔めの祭りとなったそうです。
何故なら……
もしユダヤ人がヘレニズム化を受け入れ、聖書を捨て、ゼウス神を祀っていれば、聖書は紀元前160年代で無くなっていたのかも知れないのです。
そうすると、その後のユダヤ教はなく、またキリスト教もイスラム教の発生もありえなかったのかも。
世界の三大宗教の内ふたつが無かったら、一体どんな世界になっていたのでしょう。
現在「ハヌカ祭」はユダヤ人のお祭りで他の人には余り知られていませんが、ユダヤ民族以外の人にも大きな意味を持っていると言えます。
この祭では、エルサレムの神殿に1日分のオリーブ油しか残っていなかったにも係らず、燭台の火が奇跡的に8日間も燃えたことから、祭りの間毎夕8日間、蝋燭に火を灯すことになっているそうです。
この祭には「スフガニヤ」と呼ばれる揚げパンや、「レヴィヴァ」と呼ばれるポテトを食べるそうですが、お祭ということでそれに因んだクッキーなどがありました。
ということで、満腹でしたがサラダを少々と別腹のお菓子&紅茶を頂きました。 -
本日から二日間泊まるホテルは、ガリラヤ湖畔に佇むキブツ経営のノフ・ギノサール。
「キブツ(KIBBUTZ)」とは、ヘブライ語で「集団・集合」を意味する言葉で、イスラエルで生まれた独自の共同村。
1909年帝政ロシアの迫害を逃れた若いユダヤ人男女の一群が、パレスチナに帰って、最初のキブツ・デガニアをガリラヤ湖畔に作ったところからスタートしたそうです。
ユダヤ人国家建設の夢を実現させようと、彼らは集団生活を始めました。生産的自力労働、集団責任、身分の平等、機会均等という4大原則に基づく共同体がキブツでした。時にはマラリヤなどの風土病と戦いながら、ユーカリの木を植え、湿地帯を開墾し血のにじむような努力をしたことでしょう。 -
キブツの規模は正規のメンバーが200〜300名位が最も多く、それに子供や青年も加わってひとつの村を形成しています。キブツでは酪農、養鶏、柑橘類栽培、バナナ園、養魚場、小麦、綿の栽培そして最近では、電子機器、家具、プラスチック製品、農業機械、灌漑用設備など多種多様な製品を製造したり、観光施設なども経営するところもあるそうです。
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またキブツ内には、図書館、診療所、プール、テニスコート、映画館、喫茶室や各種の同好会などもあり、1日の労働を終えたキブツのメンバー達が、楽しく有意義な時間を過ごしてい ます。
現在キブツは270近くあり、その人口はおよそ13万人で、イスラエル人口の約3%。農業生産では全体の40%、輸出向け工場製品の約8%を占めるとか。キブツ出身には、初代首相ベングリオン(国際空港の名前になっています)、ゴルダ・メイール、イガエル・アロンなどがいるそうです。 -
このホテル・ノフ・ギノサールは、1937年ベン・シェーメン農業学校を卒業したイスラエル人たちの手によって設立されました。当初はギノサル草原に一時的なものとして見張塔や家畜小屋等を含む「ホマ・ウ・ミグダル」という全国的な居住地プロジェクトの一環だったそうです。当時はアラブ人のテロリストによるユダヤ人集落の攻撃があった為、建物は二重の塀で囲まれ、見張塔から周囲を監視していました。
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このキブツの人口は大人350人、子供250人ほど、バナナ栽培・柑橘林・牧草・小麦・綿花・酪農・養鶏・漁業等が活動内容。ホテルのオープンは1964年、人気のあるホテルなので、宿泊したい方は早目に予約を入れたほうが良さそうです。
あ、キブツ経営だからといって、労働しなくちゃ、とか(笑)特別変わったところはありません。緑に囲まれたとても良いところだと思います。 -
12月30日、朝食。ホテルのレストランでブッフェ。
パン・数種のサラダ・目玉焼き・ポテト・チーズ・様々なドライフルーツ・ジャム・ペースト・ヨーグルト・ミルク・ジュース。
貧乏性なもので、そして見たことの無いものはまず口に入れるのが性分なので、こんなに沢山…。
面白いなぁと思ったのが、朝食に魚があったこと(紅鱒と鰊の酢漬けだと思う。左のお皿中央に一切れずつ)。珍しい気がします。朝食に火を通していない魚。しかも美味しい(パンに酢漬けの魚ってすごい組み合わせだけれど…)。
もうひとつ、細いねぎがあって(パンの下になっていますが、ひょろんと葉の部分が見えています)、ドレッシングやクリーミーなソースなどをつけて食べてみましたが、日本のねぎのようには辛味がなくて、なかなか繊細な味でした。これは初めて食べた味だ〜。 -
さて又しても満たされ過ぎたお腹を抱えつつ、今日の観光はまずキブツ内の博物館。
キブツ内って言うから、てっきりもっと小さな小屋のようなものを想像していたらご覧の通り、立派な建物でした。 -
1987年に開設された「イガル・アロンセンター」は、初代のキブツメンバーだったイガル・アロンを偲んで建てられたもの。彼は何年もの間外務大臣や副総理大臣を務めてきた人で、イスラエル建国時にはパルマッハ軍の司令官だったそうです。
このセンターが建てられた主要な目的は、国家・人種の平等と理解を伝えることだとか。 -
ここへ何を観に来たかというと、それはこの古代舟。
1986年1月、旱魃によりガリラヤ湖の水位が下がった翌年にキブツ員の兄弟によって発見されたもの。
僅か11日間の突貫作業により、多くのボランティア協力の下引き上げたこの舟は、長い年月湖底に浸され脆くなった舟体をファイバー・グラスと発泡ウレタンで繭状に覆い、さらに合成蝋を含むPEG液に浸し木を補強し、歪曲と腐敗を防止。 -
研究の結果、これはなんと紀元前1世紀から紀元1世紀にかけて漁或いは物資の運搬用に用いられたものと推定されました。
2000年前の舟!凄いですね。イエスとその弟子たちが伝道活動を行った時代ですよ。彼らもこんな舟に乗っていたのでしょうか。 -
舟は長さ8.2m、幅2.3m、高さ1.2mほどで、11種類以上の木を用いて作られています(サンザシ、杉、月桂樹、イナゴマメの木、柳など)
舟の大きさから、5人の乗組員が帆若しくは1組のオールで航行していたのではないか、と考えられています。 -
ここは他にも一緒に見つかった土器や舟に使われていた釘なども展示されています。
あと、ミュージアムショップとカフェが併設されています。私はミュージアムショップでイスラエル料理の本(日本語版)と、ヘブライ語で書かれた豆本(内容は未だ判らず)、古代舟引き上げの様子が順を追って印刷された絵葉書を買いました。 -
古代舟を観た後は、ヘルモン山を眺めつつバニヤスの泉へ。
牛が沢山放牧されています。沢山の鶴も見ました。のどか〜。 -
こんな道をひたすら進みます。
だんだん見えてきました、ヘルモン山 。
シリア・レバノン・イスラエルの国境にあるヘルモン山は標高2814m、1年の3分の2は雪をいただいているそうです。
そしてその雪解け水が地中深く流れ、やがてヨルダン川へとなるのです。 -
ゴラン高原の最高峰・ ヘルモン山の雪解け水が湧き出るバニヤスの泉は、ヨルダン川の水源の一つ。
昔は洞窟の穴から、現在は地殻変動により地中から湧き出し、バニヤスの泉 → ヨルダン川 → ガリラヤ湖 → 死海へと流れゆくそうです。 -
そしてヨルダン川の水はキリスト教では聖水として使われている為、水を持って帰る為の瓶が売られています。
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イエス・キリストの時代には、ヘロデ王の息子・ピリポが町を大きくした為、カイザリヤと区別するためにピリポカイザリアと呼ばれ、迫害されたイエスの一行が、この地に立ち寄ったと聖書に記されています。
ここには、ヘレニズム時代(紀元前4世紀頃)にギリシアの牧神パンを祀った神殿が建てられ、その遺跡を見ることが出来ます。 -
岩壁にはギリシア文字が刻まれています。ここには、パンやその配偶者、パンの父親、妖精などの像が置かれていたそうです。
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岩壁にはギリシア文字が刻まれています。ここには、パンやその配偶者、パンの父親、妖精などの像が置かれていたそうです。
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この洞穴は神聖な場所で、ここに「シェパードゴッドの住居」として、異教徒のカルトが紀元前3世紀初めに切り出しました。
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洞穴の後ろは地下水脈の深い穴に繋がっており、ここで儀式が行われ、生贄が水の中で姿を消すならば、これは神がその提供を受け入れたということになったようです。しかし泉に血が見えれば、その犠牲は拒絶されたと考えられました。
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さて、バニヤスの泉を後にし、再びバスで約30分、たどり着いたのはゴラン高原。
ここは1967年第3次中東戦争(6日間戦争)の
舞台となったところで、シリアとの国境付近です。
さぁそんな地理的に重要な場所に、意外なものが。 -
展望台へ歩いていく途中に、様々なARTな彼らが出迎えてくれました。
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どっちかっていうと、割とシリアスな場所だと
思っていたけれど…(ま・今戦争やっているわけじゃないけど)。 -
買い物中。
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ここはかつて、実際にドンパチやった場所なのに、
二次元の人間たちが見張っていたりして、面白い。 -
かわいい彼らに出迎えられたあとは、ゴラン高原からの眺めを。
第三次中東戦争は、エジプトがアカバ湾入口のティラン海峡を封鎖したのをきっかけに、対エジプト・シリア・ヨルダンと戦いシナイ半島とゴラン高原を占領し僅か6日間で決着がつきます。
第四次中東戦争ではエジプト・シリアに圧倒され、占領地を一部譲歩。
この写真の辺りはイスラエルの土地ですが、 -
この写真はイスラエルの占領地です。
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こんな場所も残っていたり。
実際に使われた砲台跡などこういうものを見ると、やっぱりイスラエルなんだなぁと思います。
イスラエルとシリアの間には、1923年に仏と英が引いた国境線、1949年の休戦協定の線、第三次中東戦争前夜の1967年6月4日の戦線があります。
シリアとイスラエルは今も互いの国境線を主張し、その違いは20km2程ですが、ガリラヤ湖とヨルダン川上流域は、水資源に悩む両国共に欲しいところ。 -
イスラエルが条件付撤退に合意した、しない等々、そして他のアラブ諸国の各同盟などとの様々な思惑が絡み合い未だ解決には至っておらず、国連は「イスラエルの占領地」だとして、日本(自衛隊40名ほど)・カナダ主体のPKOが駐屯しています。
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地下壕があり階段を下っていくとベッドや机、通信機のようなものが置いてありました。
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一見平和そうに見えるこの風景も、ちょっと奥へ行けば鉄線に囲まれた箇所があり「地雷注意」の看板があるそうです。
長閑な雰囲気にも、複雑な背景が隠れています。 -
この写真か、次の写真のどちらかが日本のPKOが駐留の際に使っている建物。
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