2005/12/28 - 2006/01/04
54位(同エリア70件中)
瑞樹さん
ガリラヤ湖を渡ります。
- 航空会社
- ウズベキスタン航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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只今12月30日12:15p.m.
ゴラン高原を後にして、昼食のレストランアイン・ギブ《Ein Giv》へ。
ガリラヤ湖畔東にあるこのレストランでは、「セントピーターズフィッシュ」という淡水魚が味わえます。
マタイ17章24-27節に出てくる、宮の納入金について、神の子であるイエスは支払う必要あるのか、という議論に出てきた魚です。 -
イエスの一行がカペナウムへ来たとき、宮の集金人が弟子のペテロに納入金の集金に来た。イエスは「この世の王たちは、税や貢を誰から取るのか。自分の子からか、それとも、他の人たちからか」
ペテロが「他の人たちからです」と答えると「それでは子は納めなくても良いわけだ」と言った。
しかし、それでは丸く納まらないので、ペテロにガリラヤ湖で魚を一匹釣らせる。すると釣れた魚が銀貨を一枚(1ステタル:1シケル)銜えていて、それを納入したという話。 -
結局イエスはガリラヤ湖で魚を一匹釣るように云い、その口に1スタテル(シケル)が見つかるので、それをペテロと主の分として納金させた、という結末。
因みにガリラヤ湖は、「立琴(ハープ)」に似ているということで旧約聖書の時代から「キネレテ(琴)の海」呼ばれているそうです。日本の「琵琶湖」と同じですね。
で、お待ちかねの昼食まずはスープから。
ポタージュ状で野菜たっぷり。温かくて美味しいです。
それから沢山の前菜。
ビーツやにんじん、パプリカ、キャベツのサラダ、フモス、そしてナン。 -
これがセント・ピーターズ・フィッシュ(聖ペテロの魚)。黒スズメダイだそうです。
炒め揚げにしてあり、レモンを絞って頂きます。新鮮な様で、とても美味しいです。
が、やはりポン酢か醤油があると更に美味しくいただけると思います(←日本人)。
白身がホクホク、柔らかくて、骨が大きいので食べ易い。殆ど食べてしまいました〜。 -
デザートは、ナツメヤシでした。私は乾燥させたものは食べたことがありますが、生は初めてでした!干し柿感増しますね。おいし〜。
ナツメヤシはイラン、イラク、エジプトなどで紀元前6000年には栽培されているといわれ、 ミネラル豊富な地下水や海水を養分に降り注ぐ太陽の光を充分に浴びて育った生命力の強い植物。
カルシウムやマグネシウム、鉄分、ビタミンB、C類、ナイアシン、食物繊維などが豊富に含まれているそうです。
英語でナツメヤシの果実をさす「Date」は、ギリシア語起原の言葉。
デーツはアラビア語では熟度に応じてなんと17にも達する名称を持ち、例えばキムリ(未熟な)、クァラール(カリカリした)、ルターブ(成熟してやわらかい)、タムル(天日で乾燥した)などと呼ばれているそうです。
砂漠の民にはそれだけ身近で重宝された果実なんですね。 -
聖ペテロの魚をたらふく食べた後は、舟でガリラヤ湖を横断します。
今日も、燦燦と降り注ぐ陽の光が眩しいです。ここからは1時間ほど舟の旅です。 -
私はイスラエルに行くまで、イスラエルがこんなにも南国だとは思いませんでした。もう年末だというのに、コートは不要、カラリとして気持ちが良いです。
カペナウムはイエス・キリストがガリラヤ伝道の拠点にしていたところ。ガリラヤ地方でも大きな町のひとつ、そして古代のターミナルでもあったらしい。
イエス行った奇蹟は色々と伝えられていますが、そのひとつにこの湖を歩いたことがあります。 -
向こう岸までは、こんな古代舟を模した舟で渡ります。
ここでは、同じコースのAグループの方々とご一緒(我々はBグループ)。添乗員さん・ガイドさん含めて30数名、私たちには丁度良い大きさの舟です。 -
ガリラヤ湖で釣りをする人もいました。
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さすが世界各国からの観光客を多く受け入れているイスラエル、なんと万国旗が用意されていて、手間取りつつも日本の国旗を探し出し(笑)掲げてくれました。
しかも、君が代つき♪この「君が代」、一体どこから持ってきたのかとっても古そうな、余り聴いたことの無いアレンジのものでした。 -
”ガリラヤ”とは”波”という意味。
天気が良いと、湖上からヘルモン山が見えます。 四方を山に囲まれているため、風が吹くと逃げ場が無くなり三角の波が立つそうです。
海面下は200mあり、聖書の時代からこの湖で獲れた魚をオリーブに漬け、遠くローマへも輸出していたとか。そうそう、先ほど食べたセント・ピーターズ・フィッシュは、卵を雄が口の中で孵化させ石を銜えその隙間から稚魚が出て行き易い様にするそうです。 -
私たちBグループのガイドさんが「ガリラヤの歌」を披露してくれました。Aさんはキブツ経験もあり、イスラエルの大学で聖書学科とヘブライ語学科を出られた方。なかなかの歌声で、私たちの旅を一層盛り上げてくれました。
しかし!後で聞いた話ですが、突然マイクを持って話し出したAさんを、Aグループの方々はガイドさんではなく、ツアー参加者だと思ったらしく、びっくりしたとか。実はガイドさんは私たちと同じ飛行機でイスラエル入りしていたのですが、その余りの溶け込みぶりにだれも気付かず。 -
とても色々なことを丁寧に教えてくださる本当に良いガイドさんです。私たちは、Aさんの真似をして、昼食の《アイン・ギブ》から持ってきた残りのナンを千切っては投げ千切っては投げ、ゆりかもめが沢山です。
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ガリラヤ湖を横断し、着いたのはガリラヤ湖の北端に位置するカペナウム。
ここは、イエスが宣教の地として選び3年間住んだ町。12人の弟子を選んだのも、ここだそうです。 -
「カペナウム」とはヘブライ語の”クファル・ナウム(Kfar Nahum)=慰めの村”を語源とし、バビロンに通じる中継地として繁栄していた場所。
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足下にセント・ピーターズ・フィッシュ。
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3C頃建てられた石灰岩のシナゴーグ跡。
このシナゴーグの下には、イエスの時代のガリラヤ地方特産の玄武岩のシナゴーグが発見されているそうです。
このシナゴーグは二階建てだったそうで、”モーセの座”という石の椅子に腰掛けたラビの話を、1階で男性、2階で女性と子供達が聞いたたそうで、ガリラヤ地方最大のものだったとか。
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石柱には七枝の燭台や角笛、六芒星などが見事に浮き彫りにされています。
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女性や子供用の会堂跡の床に残る線。子供がゲームなどに使ったのではないか?と考えられています。
2000年前の人たちは、何をして遊んだのでしょう。実はオセロはユダヤ人がもう考えていたりして。それとも”25”とか? -
ペテロの家と言われる所の上に、カトリックの集会場が立っていました。
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車輪つきの石箱は、山車の様な(=神の箱)役割をしたものだったと考えられています。
イエスはこの地で、多くの病人を癒したそうです。彼の奇蹟は貧しい者や弱い人々、或いは罪人や忌み嫌われていた取税人などもその対象となりました。 -
大きな石臼は、オリーブ油を圧搾するのに使用していました。オリーブはイエスの頃から聖油として用いられています。
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ユダヤ教では土曜日がシャバット(安息日)として聖なる日です。敬虔なユダヤ人は、旅行は言うに及ばず、車に乗らず、料理は作らず、電気器具は使用せず(またはスイッチをさわらず)、お金も使わず、ペンも持たず、この一日を他の週日と区別するそうです。
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そこまで厳格に守られていない家庭でも、この日には家族が一緒に過ごします。皆で食卓を囲み、共に語らい、時には歌ったり、ユダヤ人固有の伝統が伝えられています。親しい友人や知人を家庭に招待しシャバットを共に過ごすのもこの日の楽しみの一つだそうです。
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しかしイエスは、人々が飢えていればシャバットであっても麦穂を摘み、彼らを癒した。このようなイエスの行動は、戒律に厳格なユダヤ教に住む人々に驚きと歓喜の中で迎えられたが、一方で反感を買い、やがて十字架を背負うことになってしまうのです。
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3C頃のシナゴーグを観た後は、山上の垂訓教会へ。
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サボテンが茂り、
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バラの咲く緑豊かな植え込みを眺めつつ、なだらかなスロープを登ります。
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ここは高さ125mの「祝福の山 Mount of Beautitudes」。ガリラヤ湖畔のその山上に、この教会は佇んでいます。
1930年に完成したこの教会は八角形をしており、イエスがこの説教をしたことで有名。 -
心の貧しい人々は、幸いである 、 天の国はその人たちのものである
悲しむ人々は、幸いである、 その人たちは慰められる
柔和な人々は、幸いである、 その人たちは地を受け継ぐ
義に飢え渇く人々は、幸いである、 その人たちは満たされる
憐れみ深い人々は、幸いである、 その人たちは憐れみを受ける
心の清い人々は、幸いである、 その人たちは神を見る
平和を実現する人々は、幸いである、 その人たちは神の子と呼ばれる
義のために迫害される人々は、幸いである、 天の国はその人たちのものである -
わたしのために罵られ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。(マタイによる福音書:5章1〜12節)
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2000年3月24日には、当時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世もこの教会を訪れたそうです。
イエスは丘の上から群衆に語りかけました。その記念の地にフランチェスコ修道会により山上の垂訓教会は建てられました。 -
普通教会では東に設ける祭壇が、八角形という形もあってか真ん中にあるのが特徴です。周りにもぐるりとベンチが並んでいました。そして上部のステンドグラス一枚一枚にラテン語で、幸いの言葉が八個書かれています。
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「主の祈り」や「求めよ、さらば与えられん」「狭き門より入れ」(マタイ伝7章)などの有名な句も、ここで生まれたそうです。
因みにこちらの教会では、ヘブライ語の聖書を2$で分けてもらえます。当然読めないけれど、思わずシスターの許へ行ってしまった。 -
次は、一路タプハ村へ。
ここには、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの誰もが詳しく語ったとされる、かの有名なパンの奇蹟の教会があります。 -
キリスト教の伝承によると、古くからこの辺りがイエスの奇蹟縁の地とされており、350年頃には既に教会が建てられていたといいます。
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6C頃に教会を修復し、現在はそれを土台としてベネディクト派の修道院として使われているそうです
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「その後、イエスはガリラヤ湖、すなわちティベリアス湖の向こう岸に渡られた。大勢の群衆が後を追った。イエスが病人たちになさったしるしを見たからである。
イエスは山に登り、弟子たちと一緒にそこにお座りになった。
ユダヤ人の祭りである過越祭が近づいていた。
イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、フィリポに「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われたが、こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしようとしているか知っておられたのである。 -
フィリポは「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」と答えた。
弟子の一人でシモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では何の役にも立たないでしょう。」イエスは「人々を座らせなさい」と言われた。
そこには草がたくさん生えていた。男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。 -
また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。
集めると、人々が五つの大麦のパンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。そこで、人々はイエスのなさったしるしを見て、「まさにこの人こそ、世に来られる預言者である」と言った。イエスは、人々が来て、自分を王にするために連れて行こうとしているのを知り、ひとりでまた山に退かれた。」(ヨハネによる福音第6章より) -
床のモザイクは、この有名な魚とパンだけではなく
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広い範囲に渡って蛇や鳥、様々な植物などとても鮮やかで綺麗に残っており、見ごたえがあります。 -
教会の内部は白い壁といくつもの窓でとても明るく、とても開放的な感じがします。
イエスや聖母子のイコンなどが飾ってありました。 -
次は、”ペテロの召命教会”若しくは”聖ペテロの首位権教会”へ。パンの奇蹟の教会の直ぐ近く、この小さな可愛らしい教会がそれです。
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イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのをご覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、『わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう』と言われた。(マタイ4−18、19より)
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三度目にイエスは言われた。『ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。』(ヨハネ21−17より)
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ここは、ペテロが「わたしを愛するか」と3回訊かれた食事の場所だと伝えられているところです。
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ここには、「メンザ・クリスティ」=「キリストの食卓」と呼ばれる岩があります。復活後のイエスが、ペトロたち弟子に朝食を与えたとされる岩です。
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既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。
イエスが、「子たちよ、何か食べるものがあるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。
イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」
そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。
イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。
ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。 -
そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。
イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。
ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。 -
さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。
イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。
シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。
イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。
イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。 (ヨハネによる福音書:21章4節〜13節より) -
こちらにも、2000年にヨハネ・パウロ2世が訪れているそうです。
外壁は黒い石で、内部は白壁で小さな窓は鮮やかなステンドグラスで飾られています。ペテロが逆さ十字で亡くなったとの言い伝えも有りますが、ガリラヤ湖畔に静かに建つこの教会、穏やかで暖かなのですがなんとなく寂しい雰囲気を感じました。 -
ホテルへ帰って、夕食。
この日の夕食と共に楽しんだイスラエルワイン。イスラエルは、ワインの美味しいところです。
これはこの日テーブルに来たワイン。白は、2004 Yarden Sauvignon Blanc / Golan Heights Winery ヤルデン・ソーヴィニョン・ブラン ゴラン・ハイツ・ワイナリー ソーヴィニョン・ブラン100%と思われます。 -
えー、専門家の方曰く、「柑橘系果物の香りと同時に、コショウやバニラの香りをかすかに感じることができます。喉を通ったあと、口の中に残る余韻がとても長いワインです。山羊のチーズやガチョウの胸肉料理、魚介類のハーブソースなどに素晴らしく合います。」とのこと。ブッフェスタイルの夕食のこの日、私はローストビーフなどと共に美味しく頂きました。
このワイン、イスラエル航空のファーストクラスでも供されているそうです。 -
聖地イスラエルは、4000年以上前からワインと深い繋がりがあります。
旧約聖書には、箱舟から降りたノアの最初の仕事は「ブドウを植え、ブドウ酒を造った」ことと記されており、またワインについての記載は実に100箇所以上に及ぶそうです。
イスラエルは地中海性気候、ワイン畑のあるゴラン高原は、第一級葡萄品種の生育に最適であるといわれてます。 気候は比較的涼しく栽培期間も長く、整備された灌漑で安定した水が得られることで、素晴らしいブドウが収穫されます。
しかし、飲酒を禁ずるイスラム教徒の支配する時代、ワイン造りは長期間途絶えていました。
ゴラン高原は、イスラエル北東部にあります。ゴラン高原ワイナリーは、Katxrin(カツリーン)に1983年に設立されました。畑はゴラン高原に11ケ所、ガリラヤ山地に3ケ所にあり、4つのキブツ(集団農場)と4つのモシャブ(共同農場)が所有しているそうです。
1976年より葡萄が植樹され、現在は総面積は490ヘクタール、収穫量は4000トンにまで成長、土壌は水はけの良い火山岩及び玄武岩ででき、緩勾配の斜面と台地からなっています。ガリラヤ湾に近いところから雪を頂くヘルモン山の麓まで広がる農場で、葡萄が栽培されています。年間を通して葡萄畑を厳しく管理し、畑内に張り巡らされた情報収集基地で得られた収穫、気候データに基づいて栽培されています。
ここで栽培されているのは、カベルネ、シャルドネをはじめとした、ヨーロッパ系のメジャー品種、 現在このワイナリーのつくるワインは1987年からほぼ毎年のように世界各地の様々な賞に輝いています。
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