2006/08/19 - 2006/09/19
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こまちゃんさん
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9月8日。
莎車滞在の3日目は、とうとう秘境の地、塔克拉馬干沙漠へと向かう日が来た。
しかし、天気は相変わらずの砂曇りだった。。。
今日は起きるのが少し遅かった。
疲れが溜まってきたのかも知れない。
今日も上空には砂の幕が広がってベージュ色のテントが張られているかの如く。
この所、珍しく殆ど風が吹かないので、南疆地区上空から砂のテントが無くならないばかりか、毎日毎日増えて視界が狭まってきて居る。
爺ぃから「ホテル代を払えと言っているから払って他に移ろう!」と言われた。
こまには全てが理解できた。
実は莎車賓館に入る時、前の支配人から「段取りしたから、莎車に着いたら部屋に泊まるだけで良い」と連絡を受けていた。
それは所謂、「便宜を図った上での宿泊」を意味していると、爺ぃも韓さんもみんな考えていたからだ。
しかし、どこで何がどうなったのか、今朝フロントから通達を受けた爺ぃは、老友から半ば裏切られた気分から気分を害した感じで、こまにそう言ったのだった。
取り敢えず胖哥の家に荷物を移し、今日の日程をこなす事になった。
爺ぃは今日、お母さんのお墓の石碑作成で居残りを決めていた。
長さ1m、巾40cmの大理石の墓石に、母親の名前や出生地等を彫り込む。
1日で出来ると言うけど、本当に出来るかどうか・・・。
本人がそう言うから、全て任せてクニクニを連れて出掛けた。。。(^^;
果たして、果てしなく広がる世界3大砂漠が拝めるのだろうか・・・?
気持ちだけ焦りながら、朝、新しくできた洒落た面持ちのケーキ屋で朝食のパンを買い込み、車に駆け込んだのだった。
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- 中国国際航空
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-
今日のスケジュールは、本当の「塔克拉馬干沙漠」に足を踏み込む事。
ここ莎車は、塔克拉馬干沙漠の西の端に近い所なので、東隣の喀爾蘇郷からなら、2kmで本当の沙漠に到達できる。
町付近に良くある「戈壁灘」ではなく、砂ばかりで覆われた本当の砂丘地帯だ。
沙漠なら敦煌で鳴沙山を観ているが、あれは塔克拉馬干沙漠に繋がっているものではなく、偶発的で部分的に存在している単独の砂丘地帯。
本当の塔克拉馬干沙漠は、鳴沙山から300km程西に入り込んだ所に当たる。
そう、あの陽関からでも、戈壁灘を更に西へ200km強進んだ所に当たるのだ。
今日の朝11時の様子。
決して雨が降るのではなく、砂が空を覆い尽くしているのであって、実際の天気は「晴れ」なのだ。
この所大きな風が吹かず、砂漠の砂が滞留していたのだった。 -
我々は先ず、朝食を取る為、昨日走っていて見付けた新開業のケーキ屋に向かった。
ケーキ屋にはパンがある。通りすがりに見ただけだが、店の感じから一寸味を期待していた。
今日は胖哥の友人が車を出してくれたので、彼に言うと「赤い看板のパン屋さん」と告げると、「おお、知ってるよ、あそこかな?」と言って、直ぐに向かってくれた。
着いた所は正しく昨日見たケーキ屋で、入ってみると出来の良さそうなパンが沢山並んでいた。
どれもふんわりした感じのもので、レーズンデニッシュなんかも並んでいた。
レーズンデニッシュや菓子パンを買い込んでいると、「5個買うと1個オマケです」と店員が言うので、4個で良かった所に1個増やし、合計6個のパンを買い込む。
人は「オマケ」に弱い動物だ・・・(~.~; -
さて、朝食のパンと飲み物を買い込み、我らのシャレードは砂漠の町へ向けて出発した。
シャレードで大丈夫なのかな??と言う疑問はあったが、特に砂漠の上を駆けるのではないので問題も無かろう。 -
韓さんの家で、同行者とボクはパン1個と珈琲を戴き、残りのパンは今日のお出かけ時に
持って行く事にした。
莎車の町の発展は凄まじかった。到着した時の驚きもさながら、郊外地区も道路工事中で、「こんな所までアスファルトの道路が・・・」と感じるくらい工事ばかりが目に付く。
昨日と違って、今日赴く方面の道はまだ出来ていない感じの工事中ばかりだった。
でも、直ぐに昨日のような感じになって行くのだろう -
自転車も、
-
三輪バイクも、
-
驢馬車も、全て維吾爾人ばかりの光景。
我々漢民族(こまとクニクニは、見た目同じようなもの)は、逆に目立つような気がして・・・ -
依盖爾其(イガイアルス)鎮方向へ進み、暫く砂利とアスファルトが交互に繰り返す道が続いた。
-
「依盖爾其叶河大橋」と言う、この辺りの大きな橋に差し掛かった途端、そこからの道は綺麗なアスファルト舗装がされていて喀爾蘇郷(カルス村)までの道は至極快適だった。
町の近郊よりも、遠くの村が整備されているのが不思議に思えた。
橋の手前支柱には、「司馬義鉄力瓦爾地」と言う人のサインが、維吾爾語と漢字でされている。
・・・あ!?確か、自治区政府の長の名前だ。 -
道路を行き交う「色々な乗り物」を使う人達。
-
先程は左折できたが、今度は直進。
-
すると、今度は・・・
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大きな駱駝車が横切るので、少し待った。。。(^^;
-
見た目は埃っぽいのだが、ここの懐かしい香と清々しい空気がたまらなく心地よい。
-
おお!でっかい駱駝。。。
おじさんきっと楽だろうな・・。(*o☆)\バキッ!(寒いシャレ言ってんじゃないの!) -
喀爾蘇郷(カルス村)到着!
ここの村の中心。 -
そんなに長い木ぎれを乗せて大丈夫?
-
もう兎に角シャッターの押しまくり。
天気のせいで暗かったので、手ぶれは覚悟しなければならなかったし・・・ -
漢民族が居ないなぁ。。。
-
こんな道だと、驢馬も楽じゃないだろうな・・・
駱駝は別として・・・。(*o☆)\バキッ!(まだ言うか!) -
久々に登場した羊の群れを連れた人。
1人で間に合う数には初めてであった気がする。 -
喀爾蘇(カルス)郷の郷政府に入り、責任者の毛東軍さんに会う。
-
政府境内で見た葡萄棚。
-
彼の事務所で西瓜や哈密瓜、葡萄を戴き、遅ればせながらの昼食に「炒面(焼きそば)」をおよばれする。
「面」と言っても四角く千切ったもので、「焼きそば」と言うより油炒めのパスタと言う感じ。
トッピングには定石の羊肉と、「緑色のピーマン」に見せかけた様な唐辛子。
どう見ても丸いピーマンながら、囓ってみると激辛…これにはいつもながらフェイントを喰らう。
結構美味しいこの炒面だが、大きなお皿に並々に盛られているので、どうしても全部は食べきらない。
中国人は本当に大食漢が多い。 -
食後、毛東軍さんも同行し、目的の塔克拉馬干沙漠へ。
今朝からの砂のテントは、昼になっても晴れないし、逆にドンドン増えている感じだった。
目的地に到着したが、50m先はもう砂のカーテン。
沙漠上は風がきつかったのに、この風は町に吹いてくれないようで、沙漠の上で砂が舞舞していた。 -
沙漠をのんびり駱駝に乗って・・・とも考えたが、肝心の駱駝使いが飯に出掛けていた事と、この舞舞砂の攻撃で、口や髪の毛には砂が入り込んでくる。
思ったよりも細かい砂。
真ん中が毛東軍さん。 -
白が基調の鳴沙山の砂よりも、茶色い粒を多く含んだ砂で細かさも同レベル。
-
風に吹かれた砂紋には、その茶色い砂粒の堆積が織り成す波線が、綺麗なカーテン模様を描いていた。
-
カメラにも容赦なく砂が掛かる。
咄嗟にポケットにあった、前回雨の日に用意していたビニール袋でくるんで防御。
うう…後の掃除が面倒だろうな…。
そんな事には関係なく、クニクニはドンドン奥へと向かっていた。砂で、もう殆どピントも合わない暗さになっていた。 -
晴れていたなら、東の方向に果てしなく広がる塔克拉馬干を眺め、物思い見耽る事も楽しめただろうけど、風に煽られた砂飛礫を受けながら、その憂さを晴らすべく、塔克拉馬干にションベンをした。(~~;
砂面に落ちたションベンが、コロコロと水玉になって転がる様子がひょうきんで笑えた。 -
そのションベン水玉は、長く長くのびた水跡の先で砂地に染み込み、ミルククラウン模様の様になっては消えて行った。
意外なその水跡の形を観察していると、細かな砂に染み込んだ水跡は見る見る薄くなって行った。
(写真を撮る事を躊躇ってしまった・・・・今でも後悔している) -
そんな馬鹿な事をしては暇つぶし。
大西北新疆では、時間の進行が何故か遅く感じる。
こちらに来て既に17日が経過していたが、何だか実は数ヶ月居るんじゃないのか?と考える事もある。 -
先の見えない塔克拉馬干に身を置きながら、時間と自分とが居る空間が、まったりと流れている感じが溜まらなく心地よく感じる。
このままでは日本で生活が出来なくなってしまうだろうな…と感じ、考えながらも、特に危機感を感じないで居るのは、もうとっくに填っている自分を知っているからかも知れない。 -
その先が砂で見えなくても、なぜだかその広さを感じさせられている自分がここにいた。
-
砂が嵐のようになってきたので、仕方なく引き上げる事にした。
砂漠から引き上げて、本来載ろうと思っていた駱駝を見ていた。
何となく、やんちゃな3匹がこっちを見て何か言っているような気がした。 -
こちらは、彼らとは違って、お淑やかそうなヤツ。
こまはそっと傍に寄り、頭を触ると、一瞬引いたものの、直ぐに判った様子でおとなしく撫でられていた。
可愛かった。そうしているウチに、自分がもしかしたら、前世は駱駝だったンじゃないか・・・?と、唐突だが思ってしまう。
今の忙しさやコレまでの自分を省みて、マジでそう感じた瞬間があった。 -
ここの駱駝には、鼻にものが掛かっていない。
この形でも乗せられるようだ。
他の観光地で見かけるように、鼻に棒を通しているのは、言う事を聞かない時にこれを引くと、痛くて仕方が無く従うように付けられているそうだ。
一寸残酷。
大丈夫だと判って、クニクニも撫でに来た。
こんな風に、頭の下に手を回そうが、 -
上から手を当てようが、このお淑やか駱駝君は、ホント気持ちよさそうに撫でられていた。
コイツとここをウロウロしたかったけど、この砂嵐では仕方がなかった。
この表情、良くイラストに描かれている駱駝のイメージだ。
目をつぶった感じがとても可愛い♡ -
帰る道すがら、沙漠にいた時に喰らった風がひどかった影響で、喀爾蘇の村はベージュ色のトーンに覆われていた。
そんな中、写真を撮りながら莎車へ向かう我々。撮した写真が全てぼけている。そのおかげで、沙漠の厳しい生活感が感じられる写真になっている。
写っている人物の9割以上が維吾爾人。異国情緒と言うのに最も等しい場面が、自分のハードディスクに沢山保存されている。 -
地元のブリキ細工の店で働くおじさん。
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散歩するお爺さん。
飛び交っている白いものは綿やゴミ類。
風がもの凄くなってきた・・・ -
お馴染みの光景、葡萄売りのおばさん。
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この先の水瓶に寄るというので、町や道を抜けて走っていた。
道を行くと、色々な光景に出会う。 -
脇道にそれて、堤防のような所を走ると・・・
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水瓶だと言う事で到着したら、そこは正しく大きな池だった。
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池の全貌、パノラマ画像。
(元画像まで進み画像を保存すると、大きな画面で見る事が出来ます) -
池の脇にある樹林。
冬期はここまで水で一杯になると言う。 -
日中名コンビの記念撮影!
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韓さんも驚いていた、観光地化した池の回り。
コテージがあった。 -
こんなトイレも。
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でも、誰も来ていなかったので、まだ宣伝もしていないからだと思った。
帰りも堤防縁の道を抜け・・・ -
来る時走ってきた道路に出た。
村から近いのか、沢山の人達とすれ違う。 -
こんなチャンスなのに残念ながら写真はぼけたものばかりになってしまった。
砂で充満した空間だったので、露出の暗いものばかり。。。
いつか絶対にリベンジするぞ・・・(`_´#
この三輪バイクタクシーなんか、可愛らしいおじいちゃんがボケボケ。。。 -
こうしてじっくり見ていると、彼らの、
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様々な生活が、
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上っ面だけだが、感じられるような気がしてきた。
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この工事中のエリアを過ぎれば、
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莎車の町はもうすぐだ。
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あの「突然の道路口」を抜けると、この市長の名前が付いた道に出る。
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まだ6時前だが、砂漠へ出掛ける時よりも暗く感じる。。。
(北京時間で4時)
前方道路を優雅に驢馬車が横切る。 -
莎車に帰り着き韓さんの部屋に戻ると、爺ぃの作業は半分しか完成していない。取り敢えず少し休憩し、今日も爺ぃの友人が集まる同窓会兼晩飯会に参加。
場所は、爺ぃの友人でダンナさんが亡くなられて一人暮らしの後家さん宅にて、彼女の手料理でテーブルを囲んだ。
毎度毎度の知らない人ばかりの中でも、クニクニは楽しく振る舞ってくれるので、ホント助かる。 -
またもや見てしまった昼間の「肉眼で見られる太陽」。。。
白夜地方で見るような月の如く。(・・って、白夜の所に行った事ないけど・・・) -
韓さんの家に戻り、爺ぃが地元公安の友人に電話。
彼の奥さんが農業銀行の副頭取らしく、しかも、韓さんの家の隣にあると言う農業銀行宿舎、幹部招待所を提供して貰う事が出来た。
早速荷物を運び込むと、今日砂漠に煽られ、ボロボロに疲れた体は、砂だらけのままシャワーも浴びずに床に就いた。
こまの体は、もうヘロヘロの局限だったようだ。
明日の今頃は、もう喀什へ向かう車の中だ。。。
PS:
尚、カメラのメンテナンスに時間が掛かった事は言うまでもない…(;_;
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