2006/09/28 - 2006/09/28
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わまぽさん
長崎編
今回は、グラバー園、大浦天主堂前の坂を下って大通り(国道499号)に至る道の案内です。
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グラバー園と大浦天主堂は隣あわせで裏道もあります。
こちらはグラバー園前の坂、お土産屋が多い通りです。 -
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この坂を登るほうに道なりに進んで行くと、映画「解夏」の舞台となったドンドン坂へ行く事が出来ます。
映画中では主人公の母が住んでいた家の入口になっていた坂ですね。
家はセットなのでありません。 -
時期的にも修学旅行生であふれていました。
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グラバー園と大浦天主堂を繋ぐ裏道へ。
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写真右奥が大浦天主堂側面、手前が旧ラテン神学校(現長崎コレジオ)南側です。
ここは資料館になっています。
あまり人がこないので穴場ですね。 -
大浦天主堂横
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大浦天主堂正面からわき道に入るとここに出ます。
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奥の赤レンガの建物が、旧ラテン神学校(現長崎コレジオ)です。
元は、大浦天主堂の建築に携わったプチジャン神父を初め司教が住んでいたそうです。
大司教館と呼ばれていました。 -
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現在でも、カトリックの神学校として運営されていますので、中へ入る事は出来ません。
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大浦天主堂正面です。
天主というのは中国語でのキリストのことです。
正式名称は、日本二十六聖殉教者天主堂といいます。
先の天草編でも述べました、豊臣秀吉のキリスト教禁止令により捕縛され処刑された司教信者26人に捧げて建てられました。
処刑は西坂の丘で行われ、そこには日本二十六聖人殉教地として26人のレリーフが飾られています。
大浦天主堂はその西坂に向かって建っています。 -
豊臣秀吉と徳川家康により禁教令が出されたのが1610年代、ペリー来航により鎖国が解けたのが1853年です。
実に250年に渡り隠れキリシタン達は潜伏していました。
この大浦天主堂の建築に携わったプチジャン神父はこれだけの長い間の禁教令でしたから、信者の獲得を諦めていました。
ところが、大浦天主堂が完成すると潜伏していた信者達が集まり自ら信者である事を告白したそうです。
この250年にもわたる信者達の信仰心は、フランスで大ニュースとなり東洋の奇跡と呼ばれ記念日にもなっているそうです。
このレリーフはその時の信者発見の様子を描いたものです。 -
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「カステラ一番、電話は二番、三時のおやつは文明堂」
文明堂総本店、現在改築中です。 -
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松ヶ枝パーキングより。
ここは大型バス専用駐車場ですが、付近にも一般車両用の駐車場があります。 -
国道499号線上の歩道橋より。
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あまりにも大きいので、なにか建物と間違えてしまいます。
ですが、コスタ社にある船の中では大きい方ではないそうです。
近くを歩いてた修学旅行の小学生達は「でけー、でけー」をずっと連呼してました。 -
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旧香港上海銀行長崎支店
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明治37年に建てられました、石とレンガ作りの洋館としては最大級の物で重要文化財になっています。
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この香港上海銀行裏、松ヶ枝パーキング、四海楼の付近は時間帯によっては一方通行(昼間)になります。
遠方から車で来た人は守らない人(気づかない?)もいて、地元タクシーのクラクションの的になっています。
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