飛騨高山・古川旅行記(ブログ) 一覧に戻る
4月13日(木)晴<br />先週、南紀白浜へ旅したばかりというのに、今週は高山へ行くことになった。<br />カラクリ人形で有名な高山祭りに前後して宿が取れたのだ。高山祭りのことが分かったのは3月22日。宿を取るにはもう遅いかと思ったが、インターネットで検索してみると13日にはまだ空きがあった。高山祭りというのは夜祭が綺麗で、それを見る人が多いそうなので、当然ながら14日の宿泊はどこも一杯。そこで、13日は高山に1泊し、翌日に高山祭りを見る。夕方電車で岐阜へ戻って1泊し、最終日は織田信長や豊臣秀吉ゆかりの地を見て帰ってくることにした。<br /><br />今週の旅は先週の熊野よりは便利が良いが小田原を7時10分に出る早い新幹線に乗ることにする。朝が早いので寝ているうちに浜松を過ぎてしまった。名古屋到着は8時22分。ここで8時43分発のワイドビューひだ1号に乗り換える。<br />熊野と違って、この電車は電化されている。名古屋から岐阜までは20分程度だが、後ろ向きに座っている。岐阜から前後が入れ替って運転されるので、岐阜まではこのまま走るという車内アナウンスがあった。岐阜から先は初めて通る路線。鵜沼という駅があるが、この辺りは木曽川沿いで、日本ラインというように呼ばれている。ここを船で下るのが有名だ。電車は、木曽川を右に見たり左に見たりしながら進んで行く。途中に川の澱みがあったり巨岩があったり、車窓からの風景は楽しい。先週、大阪で満開だった桜が、この辺りでは今週が満開で、下呂温泉の駅周辺は綺麗だった。下呂温泉から高山までは40分ほどで着いてしまう。ところが、高山に近付くに連れて桜はなくなり、岩陰には雪が残っているようになる。高山から奥飛騨への途中にはスキー場があるくらいだから寒くて当然なのかもしれない。高山到着は11時。駅前でバスの乗り降り自由なフリーパスを買う。バスで祭りの森へ行って高山祭りの解説を聞いたあと、三之町へ行って古い町並みを見たりお酒の試飲をした。陣屋の前では地元の人に明日の見物の場所や時間を聞いておいた。<br />宿は「おやど古都の夢」という部屋数20の小さな宿。名前にふさわしく、暖簾をくぐって日本風の玄関を入ると畳み敷きの玄関。ここのロビーでチェックイン。こういうところは浅間温泉の別亭一花と同じだ。女性は浴衣を選べるようになっている。案内された部屋は3階の一位の部屋。一位というのは一刀彫に使う木の名前だ。早速お風呂。お風呂はそれほど大きくない。でも部屋数が少ないから充分なのかも。男湯は最初誰もいなくて、ゆっくり浸かっていた。露天風呂も一応あるが、浴槽が小さい。町中なので展望はないが、風が気持ち良い。二人くらい入ると一杯になってしまうような小さな浴槽だが、僕が入った時には誰もいなくてのんびりできた。<br />お風呂が終わると夕食まで間がある。ビールを一杯飲みたいところだが冷蔵庫には何もない。自分で買ってきて自由に使って良いことになっている。町中の宿なので近くにコンビもある。文子がコンビまで買いに行く。缶ビールを飲んでいるうちに夕食の時間になった。夕食は食事どころへ行くが、大きな部屋に各部屋ごとのテーブルが並んでいるだけ。礼文島のホテル礼文みたいな感じだ。お酒は地酒の久寿玉という冷酒を飲む。口当たりの良い甘口だった。食事は板長さんのメニュー書きが置いてある。初めは蓬豆腐の小鉢と前菜。テーブルの上には最初から小さな火鉢が置いてあり、すぐに飛騨牛のサイコロステーキが出る。僕はじゃらんネットで予約したため肉がもう一皿出るが、続かないように間に季節のカルパッチョなんかを出してくれる。じゃらんネットの肉はさっきのサイコロよりも大きな肉だった。それから若布の吸い物、筍と山菜の炊き合せと続き、甘鯛の桜蒸しから鰆の桜花焼きとなる。鰆はほんとに小さな一切れだったが、ここまででもうお腹一杯なので丁度良かった。最後に飛騨オストリッチの炙りというのが出る。飛騨でダチョウなんて聞いたことがなかったが、牧場ができたそうだ。食事はきゃら蕗の出汁茶漬けと漬物3種盛り、デザートは三色ケーキと季節の果物。とても豪勢で美味しい夕食だった。食事どころには中国人と思われる人やアメリカ人などもいて、高山祭りの観光客の多彩さに驚いた。食事が終わったあと4階も探検してみたが、ここは部屋の名前が祭りで統一されていた。お酒を飲みすぎて文子がダウンしているうちに、もう一度お風呂に行く。<br />今度は先客が3人いたけど、露天に入る人はいなくて今度も露天でのんびりできた。<br /><br />4月14日(金)晴<br />いよいよ高山祭りの当日。高山祭りは少しでも雨が降るとカラクリ人形の山車は出ないそうなので天気が心配だったが、幸いに雨は降っていない。晴天ではないが曇り空。寒いくらいだ。この宿は朝食も凝っていて、普通の旅館の玉子と海苔とはちょっと違った。朝食には飛騨の定番、朴葉味噌が付いていた。虹鱒の一夜干しというのが出たが、とても柔らかくて小さく、頭から食べれてしまった。<br />宿の精算もロビーでお茶を飲みながらやってくれる。更に、お祭りを見て帰りたい、と言うと大きな荷物はフロントで快く預かってくれた。宿の玄関を写真に撮って出発。取り敢えずは陣屋の前を目指す。陣屋の向かい側に「お旅所」というのが設置されていて、カラクリ奉納というのがここで演ぜられる。時間は11時からと3時からの2回になっている。昨日、地元のオバサンから仕入れた情報によると、1時間以上前に来ていないと良い場所は取れない、とのこと。着いてみるとまだ9時頃なので人も少なく、屋臺を設置している最中だった。で、陣屋前の朝市をちょっと覗く。ここには地方局のサテライトスタジオまで設置されていた。でも陣屋の方に行っている間に良い場所は占領されてしまったので、少し端の方になってしまった。まだ時間があるので、交代で近くの屋臺を見て回る。文子はお団子を買ってきたり無料のお茶を持ってきたりしていた。やがて所定の場所に3台の屋臺が設置される。向かって左側から三番雙(さんばそう)、龍神台(りゅうじんだい)、石橋台(しゃっきょうだい)の3台だ。三番雙というのは童子が翁に変わるカラクリで、このカラクリがテレビなどにも一番多く出るので結構有名だ。近くで見る童子の顔は結構可愛かった。龍神台は中国の故事に由来するもので、中国服の子供が筒を捧げ持ち、その筒の中から龍が飛び出して荒れ狂うというストーリーになっている。石橋台は踊りを舞う美女が最初から設置されている。それが人間の所作と同様に舞うだけでも見事だが、最後にはそれが獅子舞に変わる。11時が近付くに従って人が増え、移動するのもままならないほどになる。警察も沢山出ていて、スリに注意などのアナウンスもある。11時になるとスピーカーから案内が流れ(それも日本語と英語と両方で説明がある)三番雙から順番にカラクリが行われる。音楽は昔ながらの雅なものなので多少飽きるが大勢がヒモで操作するカラクリは一瞬のうちに変化するので目が離せない。三番雙の童子が翁に変わって終了すると次は龍神台。これも筒が割れて龍が現れる一瞬が見もの。最後の石橋台は初めが能のような舞いなので、そういう素養のない人にはちょっと飽きる。でもこれも獅子に変わる一瞬が見ものだ。全部が終わると40分から50分くらい掛かる。そして終わったあとの人の波も凄い。僕たちは三之町へ行った。ここも人出が凄いが歩けないほどではない。造り酒屋で試飲をやっているので行ってみる。途中の店で味噌汁の無料試飲をやっていたので、これも並んでみる。外れの小さなお店では女性が喜びそうな小物類をたくさん売っていたので入ってみる。ここには壁一面に磁石でできた小鳥やら魚やらが沢山飾ってあったが1個100円と安いので10個買ってきた。三之町を抜けるとお昼どきでお腹が空いたのでラーメン屋を探す。裏道でラーメンだけの店を見つけたので入ってみようとしたら人で一杯。更に歩いていたら次の店には席があったのでそこに入る。でも、その店のラーメンは全然美味しくなかったし、麺も充分に茹だってなかった。とにかく、こんなに人が多いのでは何でも良いから空腹感を満たせばそれで良い、という感じの昼食だった。<br />カラクリ奉納以外の屋臺は神明町通りに勢揃いしているので、それを見に行く。陣屋前の方から入って行くと、春の高山祭りのお宮である日枝神社へ向かって歩くことになる。最初に出会ったのは五台山という屋臺。獅子牡丹の幕で周りを囲った屋臺で、その絵は円山応挙の作だそうだ。次の屋臺は清龍台という屋臺で、背の高さが際立っている。これは唯一入母屋造りの屋臺だからだそうだ。更に行くと大国台というのがある。これは屋根の下に大黒天像を安置してある。その後が琴高台という屋臺。これは欄間にも幕にも鯉が描かれた屋臺である。この屋臺ではお祭りの法被を着た人が写真を撮ってくれた。その後ろには恵比寿台という屋臺が続く。この辺の屋臺は「見送り」と呼ばれる屋臺の後ろの垂れ幕が見事である。その後が麒麟台。これは谷口与鹿という人が一つの木から龍と鶏を彫り上げた、という彫刻が見事だ、ということになっているが、そういう素養のない僕にはさっぱり分からない。この列の最後にいたのが鳳凰台という屋臺。屋根の上の鉾とオランダ渡りの幕に囲まれた屋臺だ。これで7台の屋臺を見たことになる。残る4台はカラクリ奉納を行った三番雙、龍神台、石橋台に、これも陣屋前に設置してある神楽台である。この屋臺をどういう順番で曳航するか、ということについては毎年籤引きするのだそうだが、この神楽台というのは必ず先導する役目となっている由緒のある屋臺である。<br />この屋臺を見て回っている時に、宿で一緒だったアメリカ人の4人連れがいて、その女性たちが浴衣を着て歩いていたので大勢から写真を撮られていた。僕たちは少し歩き疲れたのでどこかでお茶を飲もう、ということにしたのだが、喫茶店も人で一杯。それでも文子が何とか空いてる席を探してきて漸く一休み。この喫茶店も入れ替り立ち代り人が入ってくるので、ずっと満席だった。<br />再び外へ出て今度は陣屋から離れた鍛冶橋の方を歩く。朝から寒い陽気だったけど午後になるとジャンパーを着ていても寒いような陽気だ。鍛冶橋の袂にお団子屋があったが、そこは文子が美味しいというお店なので買ってみる。更に駅から離れる方の商店街では一斉に縁日のような露天商が一杯に出ていた。この商店街を駅の方向に戻ると高山名物の牛の串焼きを売っていたので、今度は僕が買いたいと言う。このお店は注文を受けてから焼くので温かくて美味しい。そのお店では店内に座って食べることができた。食べ終わって外へ出ると、丁度お祭り行列が来るところ。これはお神輿を先頭に日枝神社からお旅所まで歩くもので、平安時代の装束や雅楽、江戸時代の裃姿や獅子舞など数百人に登る行列で、「ご巡幸」というそうだ。歩道の脇にベンチがあったのでそこに座ってずっと見ていたが行列の多さにビックリ。まるで高山の町中の人たちが交代で参加しているのではないか、と思うほどだった。これを見る見物人も多かったが、列が長い分だけ分散し、カラクリ奉納の時のような混雑にはならなかった。<br />高山祭りはこのあと夜祭が7時から行われる。各屋臺に提灯が灯され、これが綺麗らしいのだが、これを見ていると電車が無くなってしまう。で、このご巡幸を最後にして駅へ向かう。荷物を預けた宿は駅から近いので便利だ。宿に着いたのは5時頃で夜祭準備で忙しい時間と思われたが、女将さんが荷物を出して玄関の外まで見送ってくれた。<br />今日の宿は岐阜都ホテル。ホテルなので食事は別にどこかで取らなければならない。高山を17時42分発の電車に乗るので駅弁などを見るが良いものはないので岐阜で食べることにする。高山から岐阜は1時間くらいだと思ったら、行きには下呂と美濃大田にしか止まらなかったのに帰りは沢山止まる。結局岐阜に到着したのは8時ちょっと前だった。知らない町では駅ビルがあると便利だ。駅ビルではないが飲食店街のある建物があったのでそこの店を探す。結局、回転寿司の夕食となった。<br />岐阜都ホテルは駅から少し遠い。長良川の川畔に建つ大きなホテル。川を挟んで向こう側には岐阜城を臨むことができる。夜遅くの到着だったが一流ホテルらしく対応はさすがだった。ただ、部屋は5階で長良川の反対側なので展望はなかった。食事もなく温泉でもないが二人で一泊して18千円は安いかもしれない。<br /><br />4月15日(土)雨<br />2週続いた旅行の最終日は雨の朝だった。今日は織田信長ゆかりの岐阜城と戦国時代に終止符を打った関が原の合戦の舞台になったところを見物して帰りたい、と思っている。ホテルの朝食は久しぶりに洋食。荷物を整えてチェックアウトしたのは9時過ぎだが、外は小雨が降り続いている。ホテルのベルマンに岐阜城への行き方を聞くと、河原へ出て歩いて行ってもすぐだという。荷物も預かってくれたので食後の散歩代わりに歩いて出発。長良川は川幅も広く、相模川よりも大きな川だった。川の護岸の上を道路が通っているが、その向こう側の河原はスポーツ施設になっていた。この道路伝いに上流にある橋まで歩く。その橋の名前は長良橋だし、それを渡った向こう側には岐阜公園となっているし、岐阜駅が街の中心なのではなく、この辺が岐阜の中心らしい。有名な鵜飼いもこの長良橋周辺で行われるらしく、屋形船が沢山、泊めてあった。後で聞いたところによると、鵜飼いの解禁は5月末だそうだ。<br />岐阜公園の中に金華山ロープウエーがある。金華山は稲葉山とも言い、濃尾平野から突き出た独立峰のように見える。実際は背後に伊吹山へ続く山々に繋がっているのだが、尾張方面から来ると、その山々の先端に位置しているため独立峰のように見える。標高は329メートルしかないが、平野から急激に立ち上がっているだけに実際の標高以上に急峻に見える。織田信長が攻めても落ちなかったというのが分かるような気がする。ロープウエーは5分くらいで頂上駅に到着する。ここから岐阜城までは歩いて10分くらい。でも雨が降っているし霧が掛かって展望はない。ここから岐阜城天守閣までは随所に謂われの説明板がある。木下藤吉郎と千成瓢箪の謂われも説明があった。<br />天守閣は小田原城よりも小さい。高さも3階建てでたいしたことはない。でも山の上なので岐阜市内の展望などはとても良いらしい。この日は雨で展望がなかったので、壁に貼ってある写真で楽しむしかなかった。岐阜市内から左側の方からは中央アルプスの駒ケ岳や北アルプスまで見えるようだ。お城の中には織田信長関係の資料だけでなく、斉藤道三などの資料も展示してあった。そういう展示物は岐阜城でなければ見れない、というものは少なかった。<br />帰りもロープウエイで下る。ホテルに戻るともう11時になっていた。タクシーで岐阜駅まで行き、関が原へ向かう。東海道線の各駅停車だが、東海道線は大垣止まりの電車が多く、たった6駅なのに大垣で乗り換えになってしまった。時間がお昼どきだったが岐阜で食べそこなったら関が原は食堂も何もないローカル駅だった。それでもタクシーはある。タクシーに乗るのも少し待ったが、雨が降り続いているのでタクシーでいくつかを回るだけにした。僕たちのような観光客もいると見えて、観光タクシーは1時間コースから3時間コースまで設定がある。最初に徳川家康が陣を敷いた桃配山へ行く。岐阜城の稲葉山に比べれば、どうってことのない岡程度。それから石田三成の陣があった笹尾山。三成の陣の隣は島左近の陣だった。歴史資料館の中には合戦の様子を描いた屏風絵や当時の武器、家康や三成の書状などが展示されていた。中でも屏風絵は、当時の山の様子や各武将の配置の様子などが分かって面白かった。<br />愛知県も岐阜県も織田信長や木下藤吉郎の活躍の舞台となったところで、行ってみたいところが沢山あった。それでも名古屋城に行けたのがやっと去年のこと。熱田神宮、豊川稲荷など少しは行ったが、まだ清洲城や大垣城など行ってみたいところが沢山ある。今回の岐阜城と関が原は最も行ってみたいところの一つだった。文子はつまらなかったかもしれないけど、戦国時代と江戸末期だけは僕が最も得意にする時代なので、漸く行くことができてとても良かった。<br />もう一つの思わぬ収穫は不破の関を見て来れたこと。この関が原の「関」というのが、不破の関が置かれていたからだ、というのを今さらながら知った。平安時代以前から京の都への重要な入り口には関所が置かれていたが、そんな昔からこの地は交通の要所だった訳だ。能登へ行った時に安宅の関というのも発見したし、思わぬところで思わぬ発見をする。そういうのは旅の最も面白いところである。<br /><br />関が原から岐阜を通って名古屋発16時55分の新幹線で帰宅。こうして2週連続の電車旅行は終わった。しかも南紀や高山祭り見物という個人でもなかなか計画できない旅行だった。出費が嵩んだが、お金以上の価値があったと思う。<br />熊野には多分、もう行くことはないかもしれないが、高山の夜祭はいつか是非見に来たいものだ。<br /><br />

春の高山祭り

1いいね!

2006/04/13 - 2006/04/15

1682位(同エリア1930件中)

0

10

秘湯マニア

秘湯マニアさん

4月13日(木)晴
先週、南紀白浜へ旅したばかりというのに、今週は高山へ行くことになった。
カラクリ人形で有名な高山祭りに前後して宿が取れたのだ。高山祭りのことが分かったのは3月22日。宿を取るにはもう遅いかと思ったが、インターネットで検索してみると13日にはまだ空きがあった。高山祭りというのは夜祭が綺麗で、それを見る人が多いそうなので、当然ながら14日の宿泊はどこも一杯。そこで、13日は高山に1泊し、翌日に高山祭りを見る。夕方電車で岐阜へ戻って1泊し、最終日は織田信長や豊臣秀吉ゆかりの地を見て帰ってくることにした。

今週の旅は先週の熊野よりは便利が良いが小田原を7時10分に出る早い新幹線に乗ることにする。朝が早いので寝ているうちに浜松を過ぎてしまった。名古屋到着は8時22分。ここで8時43分発のワイドビューひだ1号に乗り換える。
熊野と違って、この電車は電化されている。名古屋から岐阜までは20分程度だが、後ろ向きに座っている。岐阜から前後が入れ替って運転されるので、岐阜まではこのまま走るという車内アナウンスがあった。岐阜から先は初めて通る路線。鵜沼という駅があるが、この辺りは木曽川沿いで、日本ラインというように呼ばれている。ここを船で下るのが有名だ。電車は、木曽川を右に見たり左に見たりしながら進んで行く。途中に川の澱みがあったり巨岩があったり、車窓からの風景は楽しい。先週、大阪で満開だった桜が、この辺りでは今週が満開で、下呂温泉の駅周辺は綺麗だった。下呂温泉から高山までは40分ほどで着いてしまう。ところが、高山に近付くに連れて桜はなくなり、岩陰には雪が残っているようになる。高山から奥飛騨への途中にはスキー場があるくらいだから寒くて当然なのかもしれない。高山到着は11時。駅前でバスの乗り降り自由なフリーパスを買う。バスで祭りの森へ行って高山祭りの解説を聞いたあと、三之町へ行って古い町並みを見たりお酒の試飲をした。陣屋の前では地元の人に明日の見物の場所や時間を聞いておいた。
宿は「おやど古都の夢」という部屋数20の小さな宿。名前にふさわしく、暖簾をくぐって日本風の玄関を入ると畳み敷きの玄関。ここのロビーでチェックイン。こういうところは浅間温泉の別亭一花と同じだ。女性は浴衣を選べるようになっている。案内された部屋は3階の一位の部屋。一位というのは一刀彫に使う木の名前だ。早速お風呂。お風呂はそれほど大きくない。でも部屋数が少ないから充分なのかも。男湯は最初誰もいなくて、ゆっくり浸かっていた。露天風呂も一応あるが、浴槽が小さい。町中なので展望はないが、風が気持ち良い。二人くらい入ると一杯になってしまうような小さな浴槽だが、僕が入った時には誰もいなくてのんびりできた。
お風呂が終わると夕食まで間がある。ビールを一杯飲みたいところだが冷蔵庫には何もない。自分で買ってきて自由に使って良いことになっている。町中の宿なので近くにコンビもある。文子がコンビまで買いに行く。缶ビールを飲んでいるうちに夕食の時間になった。夕食は食事どころへ行くが、大きな部屋に各部屋ごとのテーブルが並んでいるだけ。礼文島のホテル礼文みたいな感じだ。お酒は地酒の久寿玉という冷酒を飲む。口当たりの良い甘口だった。食事は板長さんのメニュー書きが置いてある。初めは蓬豆腐の小鉢と前菜。テーブルの上には最初から小さな火鉢が置いてあり、すぐに飛騨牛のサイコロステーキが出る。僕はじゃらんネットで予約したため肉がもう一皿出るが、続かないように間に季節のカルパッチョなんかを出してくれる。じゃらんネットの肉はさっきのサイコロよりも大きな肉だった。それから若布の吸い物、筍と山菜の炊き合せと続き、甘鯛の桜蒸しから鰆の桜花焼きとなる。鰆はほんとに小さな一切れだったが、ここまででもうお腹一杯なので丁度良かった。最後に飛騨オストリッチの炙りというのが出る。飛騨でダチョウなんて聞いたことがなかったが、牧場ができたそうだ。食事はきゃら蕗の出汁茶漬けと漬物3種盛り、デザートは三色ケーキと季節の果物。とても豪勢で美味しい夕食だった。食事どころには中国人と思われる人やアメリカ人などもいて、高山祭りの観光客の多彩さに驚いた。食事が終わったあと4階も探検してみたが、ここは部屋の名前が祭りで統一されていた。お酒を飲みすぎて文子がダウンしているうちに、もう一度お風呂に行く。
今度は先客が3人いたけど、露天に入る人はいなくて今度も露天でのんびりできた。

4月14日(金)晴
いよいよ高山祭りの当日。高山祭りは少しでも雨が降るとカラクリ人形の山車は出ないそうなので天気が心配だったが、幸いに雨は降っていない。晴天ではないが曇り空。寒いくらいだ。この宿は朝食も凝っていて、普通の旅館の玉子と海苔とはちょっと違った。朝食には飛騨の定番、朴葉味噌が付いていた。虹鱒の一夜干しというのが出たが、とても柔らかくて小さく、頭から食べれてしまった。
宿の精算もロビーでお茶を飲みながらやってくれる。更に、お祭りを見て帰りたい、と言うと大きな荷物はフロントで快く預かってくれた。宿の玄関を写真に撮って出発。取り敢えずは陣屋の前を目指す。陣屋の向かい側に「お旅所」というのが設置されていて、カラクリ奉納というのがここで演ぜられる。時間は11時からと3時からの2回になっている。昨日、地元のオバサンから仕入れた情報によると、1時間以上前に来ていないと良い場所は取れない、とのこと。着いてみるとまだ9時頃なので人も少なく、屋臺を設置している最中だった。で、陣屋前の朝市をちょっと覗く。ここには地方局のサテライトスタジオまで設置されていた。でも陣屋の方に行っている間に良い場所は占領されてしまったので、少し端の方になってしまった。まだ時間があるので、交代で近くの屋臺を見て回る。文子はお団子を買ってきたり無料のお茶を持ってきたりしていた。やがて所定の場所に3台の屋臺が設置される。向かって左側から三番雙(さんばそう)、龍神台(りゅうじんだい)、石橋台(しゃっきょうだい)の3台だ。三番雙というのは童子が翁に変わるカラクリで、このカラクリがテレビなどにも一番多く出るので結構有名だ。近くで見る童子の顔は結構可愛かった。龍神台は中国の故事に由来するもので、中国服の子供が筒を捧げ持ち、その筒の中から龍が飛び出して荒れ狂うというストーリーになっている。石橋台は踊りを舞う美女が最初から設置されている。それが人間の所作と同様に舞うだけでも見事だが、最後にはそれが獅子舞に変わる。11時が近付くに従って人が増え、移動するのもままならないほどになる。警察も沢山出ていて、スリに注意などのアナウンスもある。11時になるとスピーカーから案内が流れ(それも日本語と英語と両方で説明がある)三番雙から順番にカラクリが行われる。音楽は昔ながらの雅なものなので多少飽きるが大勢がヒモで操作するカラクリは一瞬のうちに変化するので目が離せない。三番雙の童子が翁に変わって終了すると次は龍神台。これも筒が割れて龍が現れる一瞬が見もの。最後の石橋台は初めが能のような舞いなので、そういう素養のない人にはちょっと飽きる。でもこれも獅子に変わる一瞬が見ものだ。全部が終わると40分から50分くらい掛かる。そして終わったあとの人の波も凄い。僕たちは三之町へ行った。ここも人出が凄いが歩けないほどではない。造り酒屋で試飲をやっているので行ってみる。途中の店で味噌汁の無料試飲をやっていたので、これも並んでみる。外れの小さなお店では女性が喜びそうな小物類をたくさん売っていたので入ってみる。ここには壁一面に磁石でできた小鳥やら魚やらが沢山飾ってあったが1個100円と安いので10個買ってきた。三之町を抜けるとお昼どきでお腹が空いたのでラーメン屋を探す。裏道でラーメンだけの店を見つけたので入ってみようとしたら人で一杯。更に歩いていたら次の店には席があったのでそこに入る。でも、その店のラーメンは全然美味しくなかったし、麺も充分に茹だってなかった。とにかく、こんなに人が多いのでは何でも良いから空腹感を満たせばそれで良い、という感じの昼食だった。
カラクリ奉納以外の屋臺は神明町通りに勢揃いしているので、それを見に行く。陣屋前の方から入って行くと、春の高山祭りのお宮である日枝神社へ向かって歩くことになる。最初に出会ったのは五台山という屋臺。獅子牡丹の幕で周りを囲った屋臺で、その絵は円山応挙の作だそうだ。次の屋臺は清龍台という屋臺で、背の高さが際立っている。これは唯一入母屋造りの屋臺だからだそうだ。更に行くと大国台というのがある。これは屋根の下に大黒天像を安置してある。その後が琴高台という屋臺。これは欄間にも幕にも鯉が描かれた屋臺である。この屋臺ではお祭りの法被を着た人が写真を撮ってくれた。その後ろには恵比寿台という屋臺が続く。この辺の屋臺は「見送り」と呼ばれる屋臺の後ろの垂れ幕が見事である。その後が麒麟台。これは谷口与鹿という人が一つの木から龍と鶏を彫り上げた、という彫刻が見事だ、ということになっているが、そういう素養のない僕にはさっぱり分からない。この列の最後にいたのが鳳凰台という屋臺。屋根の上の鉾とオランダ渡りの幕に囲まれた屋臺だ。これで7台の屋臺を見たことになる。残る4台はカラクリ奉納を行った三番雙、龍神台、石橋台に、これも陣屋前に設置してある神楽台である。この屋臺をどういう順番で曳航するか、ということについては毎年籤引きするのだそうだが、この神楽台というのは必ず先導する役目となっている由緒のある屋臺である。
この屋臺を見て回っている時に、宿で一緒だったアメリカ人の4人連れがいて、その女性たちが浴衣を着て歩いていたので大勢から写真を撮られていた。僕たちは少し歩き疲れたのでどこかでお茶を飲もう、ということにしたのだが、喫茶店も人で一杯。それでも文子が何とか空いてる席を探してきて漸く一休み。この喫茶店も入れ替り立ち代り人が入ってくるので、ずっと満席だった。
再び外へ出て今度は陣屋から離れた鍛冶橋の方を歩く。朝から寒い陽気だったけど午後になるとジャンパーを着ていても寒いような陽気だ。鍛冶橋の袂にお団子屋があったが、そこは文子が美味しいというお店なので買ってみる。更に駅から離れる方の商店街では一斉に縁日のような露天商が一杯に出ていた。この商店街を駅の方向に戻ると高山名物の牛の串焼きを売っていたので、今度は僕が買いたいと言う。このお店は注文を受けてから焼くので温かくて美味しい。そのお店では店内に座って食べることができた。食べ終わって外へ出ると、丁度お祭り行列が来るところ。これはお神輿を先頭に日枝神社からお旅所まで歩くもので、平安時代の装束や雅楽、江戸時代の裃姿や獅子舞など数百人に登る行列で、「ご巡幸」というそうだ。歩道の脇にベンチがあったのでそこに座ってずっと見ていたが行列の多さにビックリ。まるで高山の町中の人たちが交代で参加しているのではないか、と思うほどだった。これを見る見物人も多かったが、列が長い分だけ分散し、カラクリ奉納の時のような混雑にはならなかった。
高山祭りはこのあと夜祭が7時から行われる。各屋臺に提灯が灯され、これが綺麗らしいのだが、これを見ていると電車が無くなってしまう。で、このご巡幸を最後にして駅へ向かう。荷物を預けた宿は駅から近いので便利だ。宿に着いたのは5時頃で夜祭準備で忙しい時間と思われたが、女将さんが荷物を出して玄関の外まで見送ってくれた。
今日の宿は岐阜都ホテル。ホテルなので食事は別にどこかで取らなければならない。高山を17時42分発の電車に乗るので駅弁などを見るが良いものはないので岐阜で食べることにする。高山から岐阜は1時間くらいだと思ったら、行きには下呂と美濃大田にしか止まらなかったのに帰りは沢山止まる。結局岐阜に到着したのは8時ちょっと前だった。知らない町では駅ビルがあると便利だ。駅ビルではないが飲食店街のある建物があったのでそこの店を探す。結局、回転寿司の夕食となった。
岐阜都ホテルは駅から少し遠い。長良川の川畔に建つ大きなホテル。川を挟んで向こう側には岐阜城を臨むことができる。夜遅くの到着だったが一流ホテルらしく対応はさすがだった。ただ、部屋は5階で長良川の反対側なので展望はなかった。食事もなく温泉でもないが二人で一泊して18千円は安いかもしれない。

4月15日(土)雨
2週続いた旅行の最終日は雨の朝だった。今日は織田信長ゆかりの岐阜城と戦国時代に終止符を打った関が原の合戦の舞台になったところを見物して帰りたい、と思っている。ホテルの朝食は久しぶりに洋食。荷物を整えてチェックアウトしたのは9時過ぎだが、外は小雨が降り続いている。ホテルのベルマンに岐阜城への行き方を聞くと、河原へ出て歩いて行ってもすぐだという。荷物も預かってくれたので食後の散歩代わりに歩いて出発。長良川は川幅も広く、相模川よりも大きな川だった。川の護岸の上を道路が通っているが、その向こう側の河原はスポーツ施設になっていた。この道路伝いに上流にある橋まで歩く。その橋の名前は長良橋だし、それを渡った向こう側には岐阜公園となっているし、岐阜駅が街の中心なのではなく、この辺が岐阜の中心らしい。有名な鵜飼いもこの長良橋周辺で行われるらしく、屋形船が沢山、泊めてあった。後で聞いたところによると、鵜飼いの解禁は5月末だそうだ。
岐阜公園の中に金華山ロープウエーがある。金華山は稲葉山とも言い、濃尾平野から突き出た独立峰のように見える。実際は背後に伊吹山へ続く山々に繋がっているのだが、尾張方面から来ると、その山々の先端に位置しているため独立峰のように見える。標高は329メートルしかないが、平野から急激に立ち上がっているだけに実際の標高以上に急峻に見える。織田信長が攻めても落ちなかったというのが分かるような気がする。ロープウエーは5分くらいで頂上駅に到着する。ここから岐阜城までは歩いて10分くらい。でも雨が降っているし霧が掛かって展望はない。ここから岐阜城天守閣までは随所に謂われの説明板がある。木下藤吉郎と千成瓢箪の謂われも説明があった。
天守閣は小田原城よりも小さい。高さも3階建てでたいしたことはない。でも山の上なので岐阜市内の展望などはとても良いらしい。この日は雨で展望がなかったので、壁に貼ってある写真で楽しむしかなかった。岐阜市内から左側の方からは中央アルプスの駒ケ岳や北アルプスまで見えるようだ。お城の中には織田信長関係の資料だけでなく、斉藤道三などの資料も展示してあった。そういう展示物は岐阜城でなければ見れない、というものは少なかった。
帰りもロープウエイで下る。ホテルに戻るともう11時になっていた。タクシーで岐阜駅まで行き、関が原へ向かう。東海道線の各駅停車だが、東海道線は大垣止まりの電車が多く、たった6駅なのに大垣で乗り換えになってしまった。時間がお昼どきだったが岐阜で食べそこなったら関が原は食堂も何もないローカル駅だった。それでもタクシーはある。タクシーに乗るのも少し待ったが、雨が降り続いているのでタクシーでいくつかを回るだけにした。僕たちのような観光客もいると見えて、観光タクシーは1時間コースから3時間コースまで設定がある。最初に徳川家康が陣を敷いた桃配山へ行く。岐阜城の稲葉山に比べれば、どうってことのない岡程度。それから石田三成の陣があった笹尾山。三成の陣の隣は島左近の陣だった。歴史資料館の中には合戦の様子を描いた屏風絵や当時の武器、家康や三成の書状などが展示されていた。中でも屏風絵は、当時の山の様子や各武将の配置の様子などが分かって面白かった。
愛知県も岐阜県も織田信長や木下藤吉郎の活躍の舞台となったところで、行ってみたいところが沢山あった。それでも名古屋城に行けたのがやっと去年のこと。熱田神宮、豊川稲荷など少しは行ったが、まだ清洲城や大垣城など行ってみたいところが沢山ある。今回の岐阜城と関が原は最も行ってみたいところの一つだった。文子はつまらなかったかもしれないけど、戦国時代と江戸末期だけは僕が最も得意にする時代なので、漸く行くことができてとても良かった。
もう一つの思わぬ収穫は不破の関を見て来れたこと。この関が原の「関」というのが、不破の関が置かれていたからだ、というのを今さらながら知った。平安時代以前から京の都への重要な入り口には関所が置かれていたが、そんな昔からこの地は交通の要所だった訳だ。能登へ行った時に安宅の関というのも発見したし、思わぬところで思わぬ発見をする。そういうのは旅の最も面白いところである。

関が原から岐阜を通って名古屋発16時55分の新幹線で帰宅。こうして2週連続の電車旅行は終わった。しかも南紀や高山祭り見物という個人でもなかなか計画できない旅行だった。出費が嵩んだが、お金以上の価値があったと思う。
熊野には多分、もう行くことはないかもしれないが、高山の夜祭はいつか是非見に来たいものだ。

同行者
カップル・夫婦
交通手段
新幹線

PR

  • 三之町

    三之町

  • お宿古都の夢<br />駅から近くサービスが良い

    お宿古都の夢
    駅から近くサービスが良い

  • 「お旅どころ」と呼ばれる。屋臺はみんな、ここをスタートする

    「お旅どころ」と呼ばれる。屋臺はみんな、ここをスタートする

  • 三番叟の屋臺

    三番叟の屋臺

  • 三番叟のからくり人形

    三番叟のからくり人形

  • 龍神のからくり屋臺

    龍神のからくり屋臺

  • 龍神臺のからくり人形龍神様

    龍神臺のからくり人形龍神様

  • 石橋臺(しゃっきょう臺)と呼ばれるからくり屋臺

    石橋臺(しゃっきょう臺)と呼ばれるからくり屋臺

  • 石橋臺のからくり人形は舞う女性が獅子に変化する

    石橋臺のからくり人形は舞う女性が獅子に変化する

  • そのほかの屋臺はこうして路上で展示される。<br />これは青龍臺という屋臺

    そのほかの屋臺はこうして路上で展示される。
    これは青龍臺という屋臺

この旅行記のタグ

1いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP