2002/10/25 - 2002/10/25
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buchijoyceさん
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ポカラ→カトマンドゥ→パタン
10月25日(金)
5時起床。
霧のせいで星も山も見えない。今日はカトマンドゥに戻る。
7時チェックアウトを済まし、食事をしていると、早々とタパさんが見送りに来た。支度をして、空港へ向かう。空港までの間、タパさんが仕事を下さって、と何度も繰り返すお礼の挨拶が長々とあった。ほんとうれしかったのだろう。そしてひとりひとりお花をくれた。心遣いのある人だ。
日本へ帰ったら、ネパールは心配要らないよ、ポカラへ行ってやってと宣伝しようと思っている。
チェックインし、荷物を預け、手荷物チェックがあり、ロビーに待っていると、BUDDAHA AIRが着いた。降りる人も少ないが、整備も簡単に終わり、すぐ搭乗が始まった。私はトップに半券を切ってもらい、かけるようにして、搭乗する。そして、左側、来たときと同じ席を取る。もっともこの飛行機に乗る人は少なくて、がらがら。でも左側の窓から山が撮れる。席は少ない小さな飛行機。
9時5分発が9時10分前に出発した。なんでも遅れるネパールの飛行機としては実に実に信じられないことだ。
下はもやっていて、よく見えないが、山はすっきりと見えた。
白い山並みの向こうは、また白い山並み。奥深いヒマラヤの峰峰。インド大陸がぶつかって、このヒマラヤの峰峰が出来たとは知っているが、この深さと高さはほんとうにすごい。
マナスルも来たときとは角度が違うので、2台のカメラでシャッターを切り続ける。
9時半にはカトマンドゥに着く。迎えの車を探すがまだ来ていない。そこで客を迎えに着た、ヒマラヤ・ホテルの運転手とおしゃべりしている。彼によると、予定の乗客が乗れば、時間前でも飛び立つことはよくあることだという。ホテルに連絡して、速めることもあるという。へえー、驚いた。
迎えが来た。いつもの運転手さんだ。私たちを見つけて遠くから手を振っている。スザータまで戻る。なんだか自分の家に帰ったようでほっとする。思わず「ただいま!」
11時半から秦さんの車でブングマティ村へ行く。PASAクラブの須賀さんがバイクで案内に来てくれた。ブングマティ村の人口は6,000人。面積は広い。
村の中は今が稲刈り、脱穀の盛り。脱穀した米をうづ高く積み上げてある。その間をアヒルたちが行ったりきたり。うずたかく積まれたもみをアヒルたちぱくぱく食べている。
もちろん見つかって追い払われている。
秦さんによると、アヒルを一羽轢いたら500ルピーと決められているとか。500ルピーが車をちっとも恐れない。しかたがないので、助手席に座っているNさんがアヒルを追い払うために降りる。大笑いする。降りたNさんが、「まわりのオバサンたちが大笑いしている、失礼しちゃう」といいながら戻ってくる。
これ以来私は、アヒルを見ると、「500ルピーがいる」と叫ぶ。500ルピーは大きいのも、小さいのも、雛も、実にたくさんいる。
先ずは障害者教育の現場に行く。学校の一室を利用して障害者の教育が行われている。いつもはこの学級は9人を世話しているのだそうだが、今は農繁期なので、親が子どもを連れてこられない。そこで3人が休んでいると言う。
この学校の教師であり、教頭であるダラヤム・マハルジャン先生が障害者の面倒を見ている。ダラヤム先生はにこにことやさしく障害者たちに接している。この先生の教師の月給は5000ルピー(約1万円)。一般の教師は月給3000ルピー程度。だからアルバイトをしている。進学塾でアルバイトをすると、大体同じぐらいの収入になる。この先生にもアルバイトの誘いはたくさんあるのだそうだが、彼はそのアルバイトもせず、あいたいる時間を障害者のために尽くしているのだという。
家族をかかえながらも、愚痴ひとつ言わず、質素な生活をしているそうだ。家族も父親をサポートして、息子たちも障害者の施設の手伝いをしている。家族揃っての協力には頭が下がる。上の娘も大学に入ったが、福祉を専攻したのだという。サポートする二人は教え子で、それこそ無給で働いているのだと言う。一人は自分自身も足が悪い。
ネパール人が率先してネパールの人々のために働くのが本来だ。
日本人に出来ることは、そういう人たちの支援をすることだ、と私は思っている。そう意味では、ここの活動は、私の主旨にかなっている。日本からカンパを用意して持っていった。
ダウン症の子、聴覚障害の子、足がきかない子。一週間前パシュパテナートに捨てられていた4歳ぐらいだと推定される男の子、
だが、とても4歳には見えない。歩けないからかもしれないが、せいぜい2歳といった程度。足も曲がってしまい、立てない。足をまっすぐにするリハビリをしている。この子は手が腐って、指がない。知恵は通常のようだが、し尿の躾が出来ていないので、
不始末をしている。先ずは尿便の躾をすることが課題だという。
この子を預かったのは、女性たちの施設だったので、女性たちに面倒を見てもらっていた。ここの施設に連れてこられたときは男の人の顔を見ると、泣いて困ったと言う。しかし今はなれて来た。私たちの顔を見て初めは泣いたが、そのうちになれた。
Nさんがおいでと手を差し出すと抱きついた。しかし、須賀さんがおいでと言うと、いやいやをした。やっぱり女の人がいいようだ。でもダラヤム先生がおいでと言うと、手を出して抱かれた。やっぱりちゃんと人を見ている。
隣の小さな民家の下を借りて、日本から送られてきた物資や製品を売る売店がある。ここはあくまでも対象は村の人のためのもの。ここの売り上げは支援費となる。
下の一部屋を借りて助手をしている女性が裁縫の教室を開いている。授業料は障害者は無料だが、健常者からは料金をとって、それが彼女の収入になる。
レストランで食事をした。ここはアヴェック・スポットだそうだ。
そろそろ荷造りをはじめようか、と思いながらもちいともしない。夕方、秦さんに「なぜあの捨て子を女性の施設が面倒を見ないのですか」と聞くと「厄介だったのでしょう。あの子の一生をかかえこまなければなりませんからね」と答えた。
うーん。それを考えると、ますますあのダラヤム先生には頭が下がる。
ついでにパタンの排水の様子をきくと、ここは水に不自由はしていないということだった。ただし、今年だけは、大雨で水道管が流されてしまい、初めて」断水したそうだ。「断水ってしらなかったけど、初めて体験した。しかも雨期にね」とチョリさんが笑った。
7時、夕食。カレーと胡麻和えとサモサの和え物、ほうれん草のスープ煮、ヨーグルト、実に実に美味しかった。思わず「チョリさん、美味しい」と声をかけてしまった。秦さんが出てきて、「私も毎日食べていますが、今日のは特に特に美味しい」と言った。
「私たちに感謝なさい。お相伴できて」と口の悪いおばさんは軽口をたたく。
ヨーグルトはバクタブル・ヨーグルトといって、内容が濃いものだそうだ。マサラティも美味しい。台所で作り方を眺めている。
石で出来た平たい鉢に香辛料を入れ、、それを石のすりこぎでつぶす。道具は好きだから、買って帰りたいがいかにも重そうだ。
今夜はご機嫌。
一階のお風呂に入って寝ようかと思って服を脱ぎ始めると電話。
あわてて服を着て、3階の電話に出る。
スダさんからだった。明日ネパリダンスはいかが?という。
ネパリダンスは2回見たからもういい、と答え、明日9時にスザータに来てくれるように頼む。
風呂に入るより眠くなったので、寝てしまう。
ぐっすり眠って目が覚めたら2時だった。早く寝ると、早く起きる。
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