2004/01/17 - 2003/01/23
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buchijoyceさん
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続いてバスは山道を登っていく。
「島の道路は水が地面に吸い込むように舗装しないのです。だからぼこぼこです」というがそんなにがたがたはしていない。
大丈夫、大丈夫、もっともっとひどい道を体験しているよ。
道のまわりにはグァバが自生している。3月ごろ、また収穫できるそうだ。
ラノ・カウ火口をのぞく。イースター島は火山島だが、ラノ・カウは2番目に噴火した火山だそうだ。
「これは休火山?」
「そうですね。島の山はみな火山です。」
「日本では富士山が噴火しそうだと騒がれてんのよ。あれも休火山だからね」
火口をのぞくと、霧の中に点々と小さな池があり、まわりに葦が生い茂っている。火口から湧き立つように霧が上っていく。霧があるので、なんとも幻想的だ。ここの溜まった水が地下水となって島の飲料水をまかなっているという。
「富士山の水が湧水となって出てくるのに100年はかかっているそう。この水はどのくらいかかるんだろうね」
「20年ぐらいではないでしょうか。あの葦はトトラです。」
「あぁ、コンティキ号をつくったものね。」
「コンティキ号はバルサ材ではありませんでした?」
「そうだっけ?トトラでつくった筏はなんだっけ?
ヘイエルダールがポリネシアの南米起源説を実証するためにやったんだよね。結局は失敗に終って、今ではポリネシアはアジアからの移動説が有力になっているけど。オスロでコンティキ号もラー2世号も見たことがあるよ。」
「ええ、でもヘイエルダールの果たした役割は大きかったです」
「そう、実証考古学って考え方もね。たしかヘイエルダールがイースター島の絶滅寸前の木の実を持ってかえって、スウェーデンの植物園に預けて、育てられた木が里帰りしてるって読んだけど、見られるのかな」
「調べておきます」
瓜生君はここに来る前ペルーのクスコにいたそうだ。娘はペルーには何度も行っているので話があう。ましてフォルクローレの話になると。
「註:コンティキ号はバルサ材で作られた」
瓜生君が黒い石粒を拾って見せた。まわりには小さな黒い石粒が落ちている。
「これは黒曜石です。凝灰石のモアイを削るのは玄武岩を使いましたが、仕上げには黒曜石で滑らかにしたのです」
「ふ〜ん、黒曜石って北海道にもあったなぁ」
このオバサン、なんせ話題が飛躍するので、瓜生君も大変だ。
霧のオロンゴ岬に着く。ここはラパヌイ国立公園だ。瓜生君が入園のチケットを買いに行く。と、向こうから飛行機で一緒だった日本人の一行が戻ってきた。
「こんにちは。またたびたびお会いするでしょうが」と声をかけあいながら別れる。しかしコースが違ったらしく、ここで会ったきり、彼らにも日本人にも会うことはなかった。
イースタイー島は二等辺三角形をしている。そのひとつの頂点にオロンゴ岬がある。位置的には南西に当たる。この岬の先2kmに二つの小さな島ととんがった岩のような島がある。二つの島は、モトゥ・イティとモトゥ・ヌイ。もうお分かりのように手前は「小さい」後ろが「大きい」島だ。
歴史的にはモアイ信仰が廃れたあとになるが、新たなるマケマケ信仰、マケマケの神の力(マナ)を得るための儀式が生まれた。毎年、7〜8月ごろやってくる渡り鳥がマケマケの使者と考えられ、マケマケのマナの宿った、その年、一番初めの卵を持ち帰った部族の長が鳥人(タンガタ・マヌ)としてその年1年の権力を得たのだという。卵とりに選ばれた言ってみれば選手はボブ・マヌと呼ばれ、そのために訓練をした。
儀式村は積み重ねられた石で作られていて、ちょっと見には石壁のようだ。儀式の間、島人はここで暮らしていたらしい。小さな入り口か入ると、中は狭い。要するにここでは夜寝るだけが家の考え方だったようだ。
鳥人儀礼なんて、卵をとってくるだけのなんてことない儀式のように思われるが、ここは断崖絶壁の島。オロンゴを下りるだけでも300mの崖をくだらなければならない。島までも浮きみたいなものを持って泳いでいく。いつ鳥が来るか、どこに巣をつくるか、それを予想して下の洞窟で待たなければならない。
予測を誤ると餓死の危険性もある。この儀式は命をかけた競技であったようだ。この様子の絵が博物館に残っている。1866年が最後の儀式だったと伝えられている。
儀式村の先にはマケマケの顔や鳥人などの絵が描かれた岩が500ほど残っている。ここの岩絵は復元された住居の上に登らないと見ることが出来ず、1度に大勢登ってしまうと折角復元した住居が崩れてしまう危険性がある為、1度に5人までしか上がれないようになっている。
マケマケがご機嫌を直してくれたらしく、霧も上がり、時折日も射してきた。
地域的にはそんなに遠くには行かなかったが、盛りだくさんのものを見た。村に戻ると、また一軒ずつホテルに客を下ろしていく。ホテル・ハンガロアは私たちだけでなく、二人の女性もおりた。彼女たちは英語を話していた。
「イオラナ。マウルル。アスタ・マニャーナ」とヴィクトールに言うと
「どうもありがとう。また明日!」あはは,こりゃ〜いい。
8時から夕食だというので、食堂に行くがまだ客の姿はない。
9時過ぎまで日が沈まないから、一日が長い。
「夕日はどっち?」と聞くと食堂の先を指差した。そっちは厚い雲がたれこめている。無理みたいだ。
ちょっと高いチリ・ワインをフルボトルで注文した。のんびり飲もう。豆、といってもサヤインゲンみたいに殻のほうをつぶしたスープ。豆の香りはするがさっぱりしている。でも量は多い。
メインはチキン。こってりしたソースがついていた。デザートはアイスクリーム。
ご機嫌で部屋の戻るとわんこが待っていた。もう一匹いる。先ずはパンを半分ずつ。ぱくっと食べた。ごめん、ごめん、残したチキン持ってくるんだったなぁ。明日の朝まで我慢ね、明日はポリ袋を持って行くからね。といいながらアメをやるとコリコリとかんでいる。二匹は一晩中、テラスで寝ていた。
南十字星は12過ぎ山側低く上がってくると聞いたので、時折、私が入り口のドアをあけて星を見に行くと、わんこが気づいてやってきた。いい子だね
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