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竹富島<br /><br />11月13日<br /><br />波照間島に行く予定だった。昨日船会社に聞きに行くと、7時40分頃に就航するかどうか分かるという。しかし天気が悪い。波照間はやめよう。予定を変更して竹富島へ行ことにする。<br /><br />朝食に行くと入口でお客さんに元気よく声をかけている男性がいる。私たちに「神奈川県からお越しですか。懐かしい、私は川崎です。単身赴任でここにきています」という。この人はこのホテルの支配人だった。お客さん一人ひとりに「良い一日をおすごしください」と声をかけている。こういうもてなしの気持ちはいいねぇ。スタッフに聞くと、毎朝挨拶をしているとのことだった。<br /><br />雨がぱらついたかと思ったら、日差しが漏れてきた。すると気温が上がって暑い。8時半の船で竹富島に行く。竹富島までは石垣島から10分。竹富島は自分の足で歩くので、さすがにカメラバッグは持ってこない。カメラを2台とフィルムを5,6本入れた小さなバッグを肩にかけているだけ。<br /><br />先ずは港近くのビジターセンターに寄る。前来たときはなかったものだ。キーワードは「うつぐみの島」というのだそうだ。「うつぐみ」とは共同体意識といったらいいのかな、島人みんなが助け合い、協力し合っていくことのようだ。<br /><br />島の中央に向かって歩き出す。以前はつくりかけていた広い道が中央近くまで出来上がっていた。そして島をまわる舗装された外周道路もできていた。タクシーもレンタカーもあるわけではないのだが。<br /> <br />島の中は町並み保存地域だから、白い道は残されている。白い道は珊瑚の砂、島人が浜から持ってきて敷いているものだ。そのむかし、外灯のなかった時代、白い道は目印であり、ハブ除けにもなっていたと聞いた。もちろんこの道がなくなっては価値がない。条例もでき、昔ながらの家並みは保存され、勝手に建てかえることはできない。今建っている建物も立替の段階で昔風の沖縄様式に変えていくことになる。<br /><br />屋根瓦の赤と漆喰の白、新しい家は漆喰が白くてすぐわかる。ちょこなんと乗るシーサーもまた漆喰づくりである。シーサーの表情がそれぞれにおもしろい。余った漆喰で屋根やさんが自己流に作るので、表情がそれぞれ違うのだともきいた。やたらとシーサーの写真を撮っている。<br /><br />妹のアメリカ時代の知人の娘さんが結婚してここにいるので、そこを目指していく。<br /><br />郵便局を過ぎ、水牛車が目に入った。先に水牛車に乗ろうよ、と行くと順番待ちだという。じゃぁ、後にしようと再び歩き始める。犬の見つけた井戸も前とは変わったみたい。<br />人頭税廃止の記念碑の横はンブフル展望台だけど中に入れない。<br /><br />地図を見ながら進むとアトリエ五香屋に行き当たった。ここが妹の知り合いの店。ここで陶芸をして、作品を販売している。作品は壷屋風。ここでしばらく話をし、再び白い道を歩き始めた。途中お茶を飲んで、コンドイ浜を目指して歩く。距離は結構ある。やっと着いた。コンドイ浜は神々が訪れる浜。白い砂浜だ。<br /><br />右手に西の桟橋が見える。そうだった、そうだった。前、あそこから西表の後ろに沈んでいく夕日を眺めていたのだった。じゃぁ新田荘は(以前泊まった)そんなに遠くないね。水牛車もあるね。<br /><br />車道に沿って歩道がある。車道と歩道の間は1m余りあり、花が植えられている。歩道は両側に花が咲き、蝶が舞っているご機嫌な道。でも、歩いているうちに両側から伸びた草花の枝先が顔に触るようになってきた。草花にさえぎられて道はだんだん狭くなる。<br />「この道、車道に出られないのかな。もう少し進んでみよう」<br />ようやくその先で歩道から車道に出ることができた。やれやれ。藪こぎがいやなわけではないが、ハブいる島だからね。<br /><br />前来たとき、下水処理場の話が出ていたが、今回は出来上がっていた。これだけ観光客が来るんだから、浄化は必要かもね。どういうシステムなんだろう。<br /><br />細い白い道を、水牛車に乗って観光。「水牛は利口で、黙っていても自分でコースを回っていくんです。なんせ大型ウシ免許ですから」あはは、なるほど。<br />水牛車の上からだと、石垣の上からに顔を出しているブーゲンビリアやハイビスカスなどが目の高さに来るのでひときわきれい。やさしい紫の花「この花なんていうんですか?」「ニンニクカズラ」香りがニンニクみたいだそうだ。ほんとつるだ。覚えやすい名前ですね。<br /><br />安里屋(アサドヤ)ユンタのもとになった、美女クマヤの生家の前を通る。美女クマヤをめかけにしようとした役人が肘鉄砲を食わされたという話。もっとも古い話では内容はちと違っているようだが、まぁ、肘鉄砲を食わしただけの方が小気味いいから、そうしておこう。<br /><br />ユンタとはもともと労働歌だった。だから歌詞はいっぱい続いている。私たちが口ずさんでいる<br />「サ〜、きみは野中のいばらの花か〜、サ〜ユイユイ、<br /> 暮れて帰れば やれほにひきとめる <br /> マタハーリヌ チンダラカヌシャマヨ」<br />は編曲され昭和9年にできたものだそうだ。<br />観光が盛んになって、島の人口は増えている。人口の3分の1はよそから来た新住民だと言う。<br /><br />水牛車を下りて、隣の喜宝院蒐集館による。入り口に入館料をかごに入れて見る。私が竹富島に興味を持ったのは司馬遼太郎の「街道を行く」の竹富島を読んだからだった。そのなかで喜宝院蒐集館も取り上げられていた。訪ねると、幸いそのとき住職が出てこられ、いろいろ説明をしてくれた。人頭税の話、太平洋戦争後、沖縄で使われていた紙幣(軍票、英語で書いてる)なども興味深く見た。その後、「街道を行く」はテレビでシリーズで放映され、楽しんでみたものだった。やっぱり展示だけでは迫力が欠ける。説明があったほうがいいな。<br /><br />なごみの塔を目指して歩く。塔はコンクリートでできている。<br />人ひとり上るのがやっと。前はコンクリートじゃなかったよねぇ、高所恐怖症だと言いながら、こわごわ上まで上がる。今回もやたらとシャッターを切る。<br /><br />そのまま民芸館へ行った。中の電気はついているがしまっている。今日は日曜日だから休みなのかな。それともお昼休みなのかな。入り口にはなんにも書いてない。しばらく待っていると、他のお客さんも何人かやってきた。ずいぶん不親切だなぁ。寄らなくてもいいんだけど、それにしてもお昼休みなら、何時まで留守とか、休みなら閉店とか表示しておくべきだ。まして観光の島なんだから、とぶすぶす怒っている。<br /><br />港まで戻ると、きれいな船が止まっている。あれは?と聞くとグラスボードだそうだ。前に竹富島に来たときは、もう一度来たいものだと思った。だけど2度来た今回は、西表には来たいけど、竹富にはもういいかな、という感想を持った。今回は、島の人とのふれあいがなかったせいかもしれない。それと観光化してしてしまったことにもよるようだ。とはいえ、観光が町おこしをし、客が訪れ、住民が増えてきたということは、町おこしが成功したと言えるだろう。<br /><br />お昼をどこにしようか、島にお金を落としてあげようよ、と言いながら、結局石垣に戻ってしまった。お昼は郷土料理の店に行った。<br /><br />博物館を訪ねたが、あまりおもしろくはなかった。この前見たのはどこだったんだろう。雨が激しくふっている。博物館で雨宿りをしているが吹き降りはやみそうにない。意を決して歩き始める。ホテルはすぐ近くだ。びしょびしょになった衣類を乾かしている。窓からは船が頻繁に行き来している様子が見える。目の前には平たい竹富島、しして西表島も見える。<br />今夜はホテルのレストランで中華料理。もう出かけるのはよそう。<br /><br />明日はどうする?<br />博物館はお休みだから、どこかに行く?<br />なら最初に乗ったタクシーの運転手さんに連れて行ってもらおうよ。名前覚えてる?<br />そこでタクシー会社に電話して、ドライバーさんに明朝9時に迎えを頼んだ。片付けは明日にしよう。<br />

南の島へ6

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2005/11/08 - 2005/11/15

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buchijoyce

buchijoyceさん

竹富島

11月13日

波照間島に行く予定だった。昨日船会社に聞きに行くと、7時40分頃に就航するかどうか分かるという。しかし天気が悪い。波照間はやめよう。予定を変更して竹富島へ行ことにする。

朝食に行くと入口でお客さんに元気よく声をかけている男性がいる。私たちに「神奈川県からお越しですか。懐かしい、私は川崎です。単身赴任でここにきています」という。この人はこのホテルの支配人だった。お客さん一人ひとりに「良い一日をおすごしください」と声をかけている。こういうもてなしの気持ちはいいねぇ。スタッフに聞くと、毎朝挨拶をしているとのことだった。

雨がぱらついたかと思ったら、日差しが漏れてきた。すると気温が上がって暑い。8時半の船で竹富島に行く。竹富島までは石垣島から10分。竹富島は自分の足で歩くので、さすがにカメラバッグは持ってこない。カメラを2台とフィルムを5,6本入れた小さなバッグを肩にかけているだけ。

先ずは港近くのビジターセンターに寄る。前来たときはなかったものだ。キーワードは「うつぐみの島」というのだそうだ。「うつぐみ」とは共同体意識といったらいいのかな、島人みんなが助け合い、協力し合っていくことのようだ。

島の中央に向かって歩き出す。以前はつくりかけていた広い道が中央近くまで出来上がっていた。そして島をまわる舗装された外周道路もできていた。タクシーもレンタカーもあるわけではないのだが。

島の中は町並み保存地域だから、白い道は残されている。白い道は珊瑚の砂、島人が浜から持ってきて敷いているものだ。そのむかし、外灯のなかった時代、白い道は目印であり、ハブ除けにもなっていたと聞いた。もちろんこの道がなくなっては価値がない。条例もでき、昔ながらの家並みは保存され、勝手に建てかえることはできない。今建っている建物も立替の段階で昔風の沖縄様式に変えていくことになる。

屋根瓦の赤と漆喰の白、新しい家は漆喰が白くてすぐわかる。ちょこなんと乗るシーサーもまた漆喰づくりである。シーサーの表情がそれぞれにおもしろい。余った漆喰で屋根やさんが自己流に作るので、表情がそれぞれ違うのだともきいた。やたらとシーサーの写真を撮っている。

妹のアメリカ時代の知人の娘さんが結婚してここにいるので、そこを目指していく。

郵便局を過ぎ、水牛車が目に入った。先に水牛車に乗ろうよ、と行くと順番待ちだという。じゃぁ、後にしようと再び歩き始める。犬の見つけた井戸も前とは変わったみたい。
人頭税廃止の記念碑の横はンブフル展望台だけど中に入れない。

地図を見ながら進むとアトリエ五香屋に行き当たった。ここが妹の知り合いの店。ここで陶芸をして、作品を販売している。作品は壷屋風。ここでしばらく話をし、再び白い道を歩き始めた。途中お茶を飲んで、コンドイ浜を目指して歩く。距離は結構ある。やっと着いた。コンドイ浜は神々が訪れる浜。白い砂浜だ。

右手に西の桟橋が見える。そうだった、そうだった。前、あそこから西表の後ろに沈んでいく夕日を眺めていたのだった。じゃぁ新田荘は(以前泊まった)そんなに遠くないね。水牛車もあるね。

車道に沿って歩道がある。車道と歩道の間は1m余りあり、花が植えられている。歩道は両側に花が咲き、蝶が舞っているご機嫌な道。でも、歩いているうちに両側から伸びた草花の枝先が顔に触るようになってきた。草花にさえぎられて道はだんだん狭くなる。
「この道、車道に出られないのかな。もう少し進んでみよう」
ようやくその先で歩道から車道に出ることができた。やれやれ。藪こぎがいやなわけではないが、ハブいる島だからね。

前来たとき、下水処理場の話が出ていたが、今回は出来上がっていた。これだけ観光客が来るんだから、浄化は必要かもね。どういうシステムなんだろう。

細い白い道を、水牛車に乗って観光。「水牛は利口で、黙っていても自分でコースを回っていくんです。なんせ大型ウシ免許ですから」あはは、なるほど。
水牛車の上からだと、石垣の上からに顔を出しているブーゲンビリアやハイビスカスなどが目の高さに来るのでひときわきれい。やさしい紫の花「この花なんていうんですか?」「ニンニクカズラ」香りがニンニクみたいだそうだ。ほんとつるだ。覚えやすい名前ですね。

安里屋(アサドヤ)ユンタのもとになった、美女クマヤの生家の前を通る。美女クマヤをめかけにしようとした役人が肘鉄砲を食わされたという話。もっとも古い話では内容はちと違っているようだが、まぁ、肘鉄砲を食わしただけの方が小気味いいから、そうしておこう。

ユンタとはもともと労働歌だった。だから歌詞はいっぱい続いている。私たちが口ずさんでいる
「サ〜、きみは野中のいばらの花か〜、サ〜ユイユイ、
 暮れて帰れば やれほにひきとめる 
 マタハーリヌ チンダラカヌシャマヨ」
は編曲され昭和9年にできたものだそうだ。
観光が盛んになって、島の人口は増えている。人口の3分の1はよそから来た新住民だと言う。

水牛車を下りて、隣の喜宝院蒐集館による。入り口に入館料をかごに入れて見る。私が竹富島に興味を持ったのは司馬遼太郎の「街道を行く」の竹富島を読んだからだった。そのなかで喜宝院蒐集館も取り上げられていた。訪ねると、幸いそのとき住職が出てこられ、いろいろ説明をしてくれた。人頭税の話、太平洋戦争後、沖縄で使われていた紙幣(軍票、英語で書いてる)なども興味深く見た。その後、「街道を行く」はテレビでシリーズで放映され、楽しんでみたものだった。やっぱり展示だけでは迫力が欠ける。説明があったほうがいいな。

なごみの塔を目指して歩く。塔はコンクリートでできている。
人ひとり上るのがやっと。前はコンクリートじゃなかったよねぇ、高所恐怖症だと言いながら、こわごわ上まで上がる。今回もやたらとシャッターを切る。

そのまま民芸館へ行った。中の電気はついているがしまっている。今日は日曜日だから休みなのかな。それともお昼休みなのかな。入り口にはなんにも書いてない。しばらく待っていると、他のお客さんも何人かやってきた。ずいぶん不親切だなぁ。寄らなくてもいいんだけど、それにしてもお昼休みなら、何時まで留守とか、休みなら閉店とか表示しておくべきだ。まして観光の島なんだから、とぶすぶす怒っている。

港まで戻ると、きれいな船が止まっている。あれは?と聞くとグラスボードだそうだ。前に竹富島に来たときは、もう一度来たいものだと思った。だけど2度来た今回は、西表には来たいけど、竹富にはもういいかな、という感想を持った。今回は、島の人とのふれあいがなかったせいかもしれない。それと観光化してしてしまったことにもよるようだ。とはいえ、観光が町おこしをし、客が訪れ、住民が増えてきたということは、町おこしが成功したと言えるだろう。

お昼をどこにしようか、島にお金を落としてあげようよ、と言いながら、結局石垣に戻ってしまった。お昼は郷土料理の店に行った。

博物館を訪ねたが、あまりおもしろくはなかった。この前見たのはどこだったんだろう。雨が激しくふっている。博物館で雨宿りをしているが吹き降りはやみそうにない。意を決して歩き始める。ホテルはすぐ近くだ。びしょびしょになった衣類を乾かしている。窓からは船が頻繁に行き来している様子が見える。目の前には平たい竹富島、しして西表島も見える。
今夜はホテルのレストランで中華料理。もう出かけるのはよそう。

明日はどうする?
博物館はお休みだから、どこかに行く?
なら最初に乗ったタクシーの運転手さんに連れて行ってもらおうよ。名前覚えてる?
そこでタクシー会社に電話して、ドライバーさんに明朝9時に迎えを頼んだ。片付けは明日にしよう。

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