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(オードブルはキャビア)<br />  9月から準備していた旅行の始まりは関空から。<br />  社会人の休暇にしてはえらく以前から企画していたせいで、搭乗手続きの段階から<br />無理にトルコ人と話したり、名誉白人1号の石塚君もはデジカメで遊びはじめたりな<br />ど、名誉白人チームは盛り上がる。我々が乗るのはAEROFLOT SU548便。格安便で往復<br />\\\\69,600。搭乗するや、離陸が待ち遠しい。<br />  飛行機は定時に離陸。離陸する一分間ほど、機内にガソリンの臭いが充満する。本<br />来ならばこんな飛行機の安全性を疑うべきなのだろうが、大馬鹿野郎にそんなことは<br />通じない。むしろロシアぽくて楽しく感じてくる。<br />  機内の飲み物はソフトドリンクか、ロシア製ビール OCHAKOVO のみ。ウオッカが出<br />ないし、密かに期待していたキャビアなど出そうもないからぼくたちは不満足。深夜<br />にトランジットしたモスクワの空港にある免税店にてキャビアとウオッカを購入し近<br />くのしけた感じのカフェで一杯やり始める。キャビアの瓶の蓋は缶切りのような特殊<br />な道具で開けるらしく、喫茶店のおばさんに借りようとしてもそんなものはないらし<br />い。仕方なく鞄に入っていたドライバーを石塚に渡して開封してもらう。パンが欲し<br />くなり喫茶店のおばさんに注文するが、パンはない。サンドイッチならあるがパンは<br />ないのだそうだ。<br />  代替案としてポテトチップを買いキャビアをそれに乗せて食べることにする。ポテ<br />トチップは一袋1ドル。ついでに氷とグラスも貰う。おばさんには悪いからチップに<br />一ドル札を渡そうとするが、受け取ってもらえなかった。飛行機が出るまで、宴会は<br />3時間におよぶ。<br />  二人の飲むウオッカはパフォーマンス成功の前祝いには早すぎるのかもしれない。<br /><br /><br />(書の道具は重い)<br />  15時間のフライトを終え、パリに到着。時差ボケ予防のため、機内では殆ど起きて<br />いたことや、空港に着くや旅行品と書の道具をどっさり渡されたことにより、市内に<br />入るや二人ともぐったり。リヨン駅近辺のホテルでチェックインを済ませ武装解除。<br />  リヨン駅裏の喫茶店で簡単に食事を済ませ、再びホテルに戻るや荷物を生活用具と<br />書の用具に分け、下見に出撃。両手にはアタッシュケースと全紙用の下敷きを丸めた<br />筒、服はジャパニーズジェントルマンよろしく上下同色のダークスーツ。メトロでは<br />衆人の注目を集める。後で知ることになるが上下同色のスーツ姿黄色人種はよほど面<br />白いことらしい。<br />  周囲の目はまあ当然としても、ぼくから見ても1号はスーツ姿が変だ。何でも「ス<br />ーツを着るのは文学賞受賞式以来」なのだそうだ。<br />  ともあれ名誉白人はパフォーマンス予定地へ向かう。日本から予定していた候補地<br />は「モンパルナスタワー」「ポンピドゥーセンター」。<br /><br /><br />(不覚、雨やし書けへん)<br />  第一会場候補地「モンパルナス・タワー」<br />  モンパルナスタワーは1972年完成のオフィスビル。期待に外れ、行ってみると単に<br />しけた高層ビルだった。周囲は場末のパリといった感じ。雰囲気だけから判断すると<br />日本の大阪駅前ビルにも似ている。ただしパフォーマンスに不向きな感じでもない。<br />ビルの真下には広場があり、その場所で一筆ぶちあげることが出来そうだ。<br />  場所に文句はないものの、客筋には何か不満があった。モンパルナス駅はTGV(<br />すごく速い列車という意味らしい)の発車する駅。TGVは僕たちの本拠地リヨン駅<br />とモンパルナス駅の2駅のみから出ているらしい。リヨン駅では到着した時から感じ<br />ていたのだが、ここモンパルナスでも地方の臭いが感じられ、僕らのパフォーマンス<br />には不似合いな気がした。<br />  ともあれ予行演習。広場のここぞという場所に陣地を固め、筆を取り出す。やおら<br />人の視線が集まって来た。<br />  パフォーマンスの予行演習中に二人ともトイレに行きたくなり、荷物もあるからと<br />交代でトイレに出かけた。丁度石塚がトイレに行っているときににわか雨。荷物が濡<br />れては大変と石塚を放ったまま二人分の荷物を抱えてモンパルナス駅に待避。駅の窓<br />越しに1号が帰ってくるのを待つ。<br /><br /><br />(小パフォーマンス)<br />  天気予報でも行っていたように今日は雨の日だからと今日のパフォーマンス(予行<br />込み)は中止。モンパルナスタワーの半地下にあるすし屋「フジヤマ」で昼食。<br />  店主を除き店員は殆どアジア系。ジーパンにはっぴを着ている。江戸時代の町人の<br />つもりのようだ。二人とも「握り」「日本茶」を注文。<br />  華人の女性を気に入り、支払いの際に二人から日本から持参の小さな書をプレゼン<br />ト。気に入ってもらえたようで気を持ち直す。特に小作品以外は国内でろくに作品を<br />作れなかった2号の喜びはただならぬもの。これなら大パフォーマンスも成功間違い<br />なしと根拠の無い自信を持つ。この後ホテルに戻って午後の予定を立てる。<br /><br /><br />(ホテルで集中)<br />  ホテルでテレビの天気予報を見る。モーションピクチャーで天気図の気圧配置を見<br />るが、ドーバー海峡の当たりに高気圧と低気圧が渦巻くように集まってきていたりし<br />ている。大陸の気象は得体の知れない。今日のことが一般にいえるかどうかは知らな<br />いが、どうやら「ヨーロッパの気候=偏西風」で片づけている高校地理の知識はいさ<br />さかいんちきのようだ。<br />  天気は午後も悪いらしい。今晩はタイユヴァンに行くことでもあるし、無理にパフ<br />ォーマンスをする必要もないだろうと部屋で待機することにした。<br />  最初はベッドに寝そびりモンパルナス駅前の本屋で買ったパソコン雑誌を読んでい<br />たりするものの。書のことが気になって仕方がない。ぼくは一時間もしないうちに机<br />の上で墨を磨りはじめた。横で石塚が高見の見物を決め込んでいる。<br />  墨はモスクワの空港で買ったウオッカで磨る。どうせアルコール分が飛んでしまえ<br />ばただの水だからと思い、磨りはじめたところ、硯の海の部分に溜まったウオッカが<br />盛り上がるように踊りはじめた。これは試す価値有り。<br />  面白いものの余り磨りごこちもよくなく、途中でエヴィアンを混ぜて磨る。<br />  思えばこれまで散々名誉白人だ書だと騒いでおきながら大した作品も完成させずに<br />パリまで来てしまった。一方1号の方は普段から友人を集めて書の練習に励んだため<br />か、ここに来ても余裕である。關本の出来具合を見てやろうとたばこを吸って余裕の<br />態度。今作品を作れなければ名誉白人2号どころか名誉剥奪ただの黄色人種である。<br />  すし屋での小パフォーマンスの成功のおかげか無事作品は完成。<br />  タイトルは「英断」。<br />  横で見ていた1号も墨を磨りはじめる。<br /><br /><br />(凱旋門)<br />  パリに行けば一度行っておきたいのが新凱旋門。正式名称はグランド・アルシュ。<br />以前サミットがここで開催され「アルシュサミット」と言われたりしているがかなり<br />かっこいいビル。<br />  到着し周囲を散策。1号が非常に気に入り、急遽この場所をパフォーマンスの場所<br />に決定する。二人はパフォーマンスを行う位置決めなどを始め準備に余念がない。<br />  グランド・アルシュの空中エレベータに乗っている最中、吉村健一さんより電話が<br />入る。今日は天候不良のため筆を取れなかったこと、明日のパフォーマンスの予定な<br />ど話す。電話によるとパリ在住の三小田さんという人が見物に来るそうだ。<br />  しかし空中にいるときに電話がかかってくるとは変なものだ。<br /><br /><br />(盛餐)<br />  今回の旅行のメインイヴェント第二弾、タイユヴァン。言わずと知れた三ツ星レス<br />トラン。料理会の王。<br />  途中雨に降られてずぶ濡れになったのだが、店に入るやきれいな女性がでてきて洋<br />服を一生懸命拭いてくれる。<br />  二人は鳩の丸焼きを注文。そのほかアラカルト。<br />  パンをちぎりながら石塚が「タイユパン」などと駄洒落を言っている。あとから聞<br />いた話なのだが、ジュブレ・シャンベルタンを飲んでいた隣の客は、水を注ぐギャル<br />ソンに「これもジュブレ・シャンベルタン?」と言っていたそうだ。高級レストラン<br />でもジョークは必要?<br /><br /><br />(ホテル)<br />  僕たちにとってホテルとは数日間にわたる諸活動の拠点であり、基地でもある。<br />  ここからすべての活動が始まる。<br />  <br /><br />(大パフォーマンス決行)<br />  前の日に帰宅したのは午前一時。次の日は午前からパフォーマンスを決行する予定<br />だったがわれわれ二人はなかなか起きられずにシーツの中でもぞもぞしていた。<br />  テレビの電源を入れる。天気予報もまずまずのようだ。今日はパフォーマンス日和<br />かも知れない。<br />  午後からは名誉白人の制服=ダークスーツに身を包み、書の道具をフル装備して出<br />撃。しかしグランドアルシュに着いてみると天気はあまり良くなく、ビル風か何なの<br />か強い風が吹いていた。<br />  名誉白人チームはアルシュを正面に据える位置を決め、道具を広げはじめた。しか<br />し予想外に強い風は、下敷きはおろか展示用に日本で作っておいた作品もうまく広げ<br />させてくれない。重しとして買ったエヴィアンも全く無力。硯、印鑑、カバン、靴、<br />カメラ、携帯電話などありとあらゆる物で紙を押さえパフォーマンスの支度をした。<br />ぱらぱらと観客が集まっては去ってゆく。<br />  想定外の事態になかなか事は進まない。1号が墨を磨り始めるも、2号の方は突風<br />で紙を飛ばされる。スーツに靴下姿で紙を追いかける2号。観客も一緒に紙を追いか<br />ける。事態は意外にもハプニング性を帯びてきていた。<br />  ともあれ、墨も磨り終え、白紙に向かう。持参の作品は風で破れてしまった。しか<br />しそんなことはどうでもよい。これから書く作品に気力を集中する。<br />  しかし気になるのは観客。ギャラリーは僕が書き始めるやあれこれ質問を投げかけ<br />てくる。書を指して、<br />「これは何だ」<br />「何のためにここでやるのか」<br />「何が書いて有るのか」<br />「週にに何度やっているのか」<br />等々。2号の方はまだ観客も少ないが、1号は着なれないスーツ姿に黒縁眼鏡の面白<br />さもあるのか、客受けがよい。いつのまにか筆を置いて解説を始めている。<br />  1号は観客に、書とはジャパニーズ・トラディショナル・アートだと説明していた<br />が、一方僕の方は書とはジャパニーズ・モダン・アートだと説明。どちらでも間違い<br />ではなさそうのものの「名誉白人」コンセプトといい、二人の解説の違いは見解をま<br />とめずに企画した今回の旅行そのままだ。<br />  いったい「名誉白人」とは何なのか?  名誉白人が脱亜入欧した日本人のなれの果<br />てとするなら、僕たちよりももっと名誉白人な人間がいるはずだ。僕たちは彼ら真性<br />名誉白人を撃つべきなのだろうが、コンセプトは煮詰められてはいなかった。<br />  ともかく作品は完成、パリ到着時に直感した成功の予感は的中し今までの中でもっ<br />とも良い作品が完成した。数ヶ月に渡る準備と修練、カッコいいグランドアルシュ、<br />作品。どれもがうまく作用したようだ。僕はしばし恍惚感に浸っていた。<br />  「關本何ポーっとしてんだよ。もう行くよ」石塚が言う。<br />  雹が降り始めていた。パフォーマンスに取掛かってから一時間以上が過ぎていた。<br />日本の後輩に報告の電話を入れ、近くのマクドナルドに避難。<br /><br /><br />(華人恐怖)<br />  1号の父親は家電メーカーのフィリピン現法に勤務しており、そのため盆暮れはマ<br />ニラに行く。1号から聞いた話によるとマニラにおける現法出張の日本人サラリーマ<br />ンは富裕階級扱いであり、食べたいものは何でも食べられる、やりたいことは何でも<br />出来る。例えばレストランに行って、庭のプールが見えたとする。そのプールで泳ぎ<br />たいと言えば、飾り物のプールで泳ぐことは可能なのだそうだ。さすがにそんな馬鹿<br />なことはしないのだけれど、それぐらい日本人は「お金持ち」なのだそうだ。しかし<br />華人、彼らが登場すると日本人は畏まってしまうてしまう。彼らの経済的富裕は並み<br />でないそうな。<br />  大作業を終えた夜は質素な食事にしようと、シャンゼリゼ通りを少し入った中華料<br />理屋で五目タンメンを食べた。店構えは普通だし、味もどうということはなかったの<br />だが、もしかしたらもしかしたらこの場末の店員も何らかの華人ネットワークを持っ<br />ていているのではないか?  ネットワークで私送便を送っても届くんじゃなか?  と<br />か考えると、華人ネットは過去のイーサネット、現在のインターネットの先駆けのよ<br />うなもので、華人を侮れなく思えた。<br /><br /><br />(ソルボンヌ)<br />  パリ到着からパフォーマンス決行まで三日間を使った。準備段階ではフライヤーを<br />作成したり電子メールで告知を打ったり、などと考えていたのだが、書の修練に時間<br />を割かれたため、プロモーション活動は全く不足していた。荷物が重くて自由に行動<br />ができない、パフォーマンス時の天候不順、行ってみて写真を撮ろうとしたら自分が<br />写らないなど、想定外の事態はあったものの、まずまずの成果と言いたい。写真や機<br />材、贅沢を言えば衣装を担当するスタッフが必要だった。<br />  1997年の旅行にはパフォーマーを募集し、僕がスタッフ兼プロモーターとして下働<br />きをしたいところ。どなたか如何でしょうか。<br />  観客は別として僕たちは一定の自己満足を得た。たまには観光がしたい、というこ<br />とで本日はカルチェ・ラタンに出かけることにした。フランス文化帝国の総本山、ソ<br />ルボンヌに出かけよう。そして、できればモグリで講義を受け文化エリート階層の生<br />産過程を見学ようではないか。それも名誉白人の使命だ?<br />  雨の中、カルチェラタンに出かける。周辺には本屋、文房具屋、画材屋などが散在<br />している。文房具屋で買い物をしたけどこれぞというものはない。ほとんどが made <br />in EU もしくは日本製。フランスよ、工業製品も作れ!<br />  しばらく物色し、デザインが気に入った手帳はフランスの暦を使っているので買う<br />のをためらってしまった。なぜかドイツ製のスティック糊を買った。<br />  カルチェラタン近辺は道が複雑で道が分からなくなる。1号の持っている地図をコ<br />ピーしようと学生向けのコピー屋に寄ったが、中にいた客の学生は相当マジにお勉強<br />している学生らしく、その姿は僕たち元偏差値戦争の戦士(戦死者?)をはるかに凌ぐ<br />知性を醸し出していた。<br />  で、ソルボンヌ。入口には観光客を排除するため警備員が見張っていたが難なく突<br />破。残念ながら講義中の教室はなく、何ということなく学生が集まっている空き教室<br />に侵入したが、奇異の目は逃れられない。黒板にはコード進行が書かれており、音楽<br />の講義をやっているらしかった。<br /><br /><br />(リセエンヌ)<br />  ソルボンヌの横にはリセがあった。アラーキーではないけれど、リセといえばリセ<br />エンヌ。リセエンヌといえば盗撮。しかも街にはリセエンヌが一杯!  僕は1号自慢<br />のデジカメを拝借し盗撮三昧。でもリセエンヌは日本の女子高生とは違ってすごくま<br />じめなお勉強さんだし(失礼な事を言えば京大の女の子に近似)格好も地味。希望なら<br />画像ファイルをお分けしますが、日本のコギャルとは違いますので念のため。<br />  そのうちお昼。<br />  折角学生街に来たのだからと昼食はカレーライスにでもしないかと1号に打診。1<br />号も賛成し、学生向けのカフェに入ったがカレーライスはなかった。<br />  米が食べたくなったのでライスサラダを注文。<br /><br /><br />(ポンピドゥー)<br />  午後はポンピドゥーセンター。言わずと知れた現代美術の殿堂。現代美術と殿堂た<br />る美術館。コンセプチュアルアートと権威との微妙な関係、それはそれで面白いテー<br />マなのでしょうが、それは僕にはまだ未知の分野。<br />  ダリ、カンディンスキー、クライン、デュシャン。観るべし。<br />  入館するや、1Fにネットカフェを発見。日本にいた頃かららネットカフェには行<br />きたかったのだけど、行く機会が無くてここで初めて体験。慣れないフランス語式キ<br />ーボードにて E-MAIL を発信。1号は2号以上にフランス式キーボードに難儀してい<br />た様で、変な英語のメールを書いていた。<br />  2号、ここに来て数日間の疲労が爆発。一方1号は気力充実したよう、館内に入る<br />なりどこかへ行ってしまったのだが、僕は入り口近くに置いてあるチェアに腰掛けて<br />寝てしまっていた。<br />  睡眠中、携帯電話に入電。 E-MAIL を送った相手からだった。電話中に館内を移動<br />し、日本にいる相手にテラスから見える景色を説明。右手にモンマルトル、真ん中に<br />凱旋門、左手にエッフェル塔。そんなことを話すと「うらやましい!!」と言われた。<br />テーマ旅行でパリに来ている身には観光は二の次。でも電話で話している時、久しぶ<br />りに観光気分を味わえた。<br /><br /><br />(ムーラン・ルージュ)<br />  パントマイマーの日本人を馬鹿にするネタが秀逸。学生時代に寄ったとき以上の感<br />動。<br /><br /><br />(偽中国人)  (本章は名誉白人1号=石塚浩之君の文章より全面引用しました)<br /> ムーラン・ルージュのショーがはねたあとピガール界隈を歩く。ノンストップのス<br />トリップ小屋が立ち並び、ポンビキが次々と声をかけてくる。ひとり100フラン(約<br />2000円)とか言っているが、すぐに半額に値切れてしまう。少しはずれのほうに来る<br />と30フランになる。「15フランでいいか?」というとそれも通ってしまった。あまり<br />にも簡単に負けるので警戒して店には入らず。あとで「あれは店にはいるための値段<br />ででるための値段は別」なんて言われると不愉快だ。なかには「少し見るだけならお<br />金はいらない。いやならすぐにでてくればいい」なんて言うやつもいた。まったく信<br />用できない。<br />「中国人で行こうか?」ふいに関本が言った。<br />「日本人ですか?」次に話しかけてきたポンビキ。<br />「ノン!」関本。<br />「フランス語わかりますか?」<br />「ノン!」<br />「英語わかりますか?」<br />「ノン!」<br />「ドイツ語は?」<br />「ノン!」<br /> ここで「シノワ(中国語のこと)」とつぶやくとポンビキは「シノワ?」と言って<br />困った顔をして「ニイハオ」といった。ぼくらはここぞとばかりにインチキ中国語を<br />話し始め、ポンビキの顔を指さしたり、二人でなにかをもめているふりをしたりした。<br />ポンビキはその様子を見てまいっていたが、そのうち少し考え込み、<br />「てめえら、本当はフランス語できるんじゃねえか!」と言った。<br /> ぼくらは笑ってごまかして逃げてきた。<br /><br /><br />(アラブ人街)<br />  パリで過ごすことのできる最後の一日の朝。<br />  もう一度は書のパフォーマンスをやりたかったのだが、ある程度結果を見てしまっ<br />たパフォーマンスよりも1990年代初頭にブームを起こしたパリ18区、いわゆるアラブ<br />人街を見ておきたかった。<br />  事前に調べておいた目的地へメトロで向かう。<br />  駅を降りるなり、アラビア語の新聞を並べている露店を発見。書類好きの1号は読<br />めもしないアラブの新聞を買う。当の新聞紙の活字を見るとアラビア語の文字が切れ<br />目なく印刷されている。だけどいったいどうやって活字を組むのだろう?  その他1<br />号は競馬新聞を買ったり、道すがら配られているピンクビラの様なものを集めたりし<br />ている。日本に帰って翻訳するのだそうだ。フランス語が全く駄目な2号も感化され<br />てビラを集める。<br />  ともかく僕たちは目的のアラブ人街をめざし、あてどなくさまよう。洋服屋でジャ<br />ケットを物色したり、露店で爪切りを買ったりしているうちに、北ホテルで有名な北<br />駅近辺に到着。北ホテルのエントランスで休憩。休んでいる間に日本から持参の書を<br />街中に張って歩く事にする。<br />  北駅近辺まで来ると街の雰囲気はメトロの駅よりもヨーロッパ風。方向が間違って<br />いる事に気づく。昼食をとってから散策することにし、近所のイタリア料理屋で軽く<br />昼食。<br />  昼食後、散策を兼ねて作品を貼りまくる。<br />  1号の「小室哲哉」「亜室奈美恵」「ハマムラ」<br />  2号の「ウィンドウズ」<br />  3号(中辻誠之さん)の「The Borg 最強機械」<br />  4号(山田晴子さん)の「和風リキテンシュタイン」<br />  北駅の壁や街路樹の幹、雑居ビルの壁はまだしも、メトロ駅前の掲示板にまで書を<br />貼る。書の不法貼付。僕たちはもはや不良外人なのだけど、ゲリラ的活動という言い<br />方にしておこう。<br /><br /><br />(アリ)<br />  アラブ人街に突入。アルジェリア出身のベルベル人、アリが経営している食堂であ<br />ばら肉の焼いたものとクスクスを食べた。あまりのおいしさに感動。お礼に「英断」<br />という書をプレゼント。部屋に飾ってくれるそうだ。<br />  アリは僕たちを芸術家だと思っているようだった。銀行員だといったら驚いていた。<br /><br /><br />(リヨン駅でゲリラ活動)<br />  アラブ人街では雨に降られ、やむなくホテルに帰宅。<br />  今晩は再びリヨン駅でゲリラ活動をすることにする。題して「メトロギャラリー」。<br />スティック糊と書をカバンに入れ、事前に場所を決めておいた駅構内の壁に書を貼る。<br />学生活動家が教養部内の壁にアジビラを張るような感じだった。<br />  十枚ほど貼り付けた作品の前で記念撮影。<br />  ホテルに戻って部屋で打ち上げ。<br />  翌日現場を見に来ると通りすがりの人たちがちら、と書を見る。中には立ち止まっ<br />て見てくれる人も居た。<br /><br /><br />(熱病)<br />  最終日は午前中のみ。朝一番でルーブルを見学。昼にはパリを離れる。<br />  シャルル・ドゴール空港でウサギ肉を食べる。空港の滑走路ではウサギが沢山跳ね<br />ていた。<br />  アエロフロートの機内で免税店で買ったジュブレ・シャンベルタンとロックフォー<br />ルで乾杯。<br />  途中で気を失い気が付いたら上着はチーズまみれ、シャツはTシャツ1枚になって<br />いてベルトも無くなっていた。隣の席には1号が飲み干した機内サービスのワインが<br />2、3本転がっていた。1号は席にいない。どこかで遊んでいるようだ。明らかに二<br />人とも飲みすぎ。<br />  帰国後二週間ほど熱が続いた。旅行の興奮が続いているようだ。三八度近くあるの<br />に不思議とつらくないし会社の仕事もはかどっている。おかしな事だ。<br /><br />

名誉白人 IN PARIS

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1996/09/11 - 1996/09/19

12749位(同エリア16398件中)

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Smoto

Smotoさん

(オードブルはキャビア)
9月から準備していた旅行の始まりは関空から。
社会人の休暇にしてはえらく以前から企画していたせいで、搭乗手続きの段階から
無理にトルコ人と話したり、名誉白人1号の石塚君もはデジカメで遊びはじめたりな
ど、名誉白人チームは盛り上がる。我々が乗るのはAEROFLOT SU548便。格安便で往復
\\\\69,600。搭乗するや、離陸が待ち遠しい。
飛行機は定時に離陸。離陸する一分間ほど、機内にガソリンの臭いが充満する。本
来ならばこんな飛行機の安全性を疑うべきなのだろうが、大馬鹿野郎にそんなことは
通じない。むしろロシアぽくて楽しく感じてくる。
機内の飲み物はソフトドリンクか、ロシア製ビール OCHAKOVO のみ。ウオッカが出
ないし、密かに期待していたキャビアなど出そうもないからぼくたちは不満足。深夜
にトランジットしたモスクワの空港にある免税店にてキャビアとウオッカを購入し近
くのしけた感じのカフェで一杯やり始める。キャビアの瓶の蓋は缶切りのような特殊
な道具で開けるらしく、喫茶店のおばさんに借りようとしてもそんなものはないらし
い。仕方なく鞄に入っていたドライバーを石塚に渡して開封してもらう。パンが欲し
くなり喫茶店のおばさんに注文するが、パンはない。サンドイッチならあるがパンは
ないのだそうだ。
代替案としてポテトチップを買いキャビアをそれに乗せて食べることにする。ポテ
トチップは一袋1ドル。ついでに氷とグラスも貰う。おばさんには悪いからチップに
一ドル札を渡そうとするが、受け取ってもらえなかった。飛行機が出るまで、宴会は
3時間におよぶ。
二人の飲むウオッカはパフォーマンス成功の前祝いには早すぎるのかもしれない。


(書の道具は重い)
15時間のフライトを終え、パリに到着。時差ボケ予防のため、機内では殆ど起きて
いたことや、空港に着くや旅行品と書の道具をどっさり渡されたことにより、市内に
入るや二人ともぐったり。リヨン駅近辺のホテルでチェックインを済ませ武装解除。
リヨン駅裏の喫茶店で簡単に食事を済ませ、再びホテルに戻るや荷物を生活用具と
書の用具に分け、下見に出撃。両手にはアタッシュケースと全紙用の下敷きを丸めた
筒、服はジャパニーズジェントルマンよろしく上下同色のダークスーツ。メトロでは
衆人の注目を集める。後で知ることになるが上下同色のスーツ姿黄色人種はよほど面
白いことらしい。
周囲の目はまあ当然としても、ぼくから見ても1号はスーツ姿が変だ。何でも「ス
ーツを着るのは文学賞受賞式以来」なのだそうだ。
ともあれ名誉白人はパフォーマンス予定地へ向かう。日本から予定していた候補地
は「モンパルナスタワー」「ポンピドゥーセンター」。


(不覚、雨やし書けへん)
第一会場候補地「モンパルナス・タワー」
モンパルナスタワーは1972年完成のオフィスビル。期待に外れ、行ってみると単に
しけた高層ビルだった。周囲は場末のパリといった感じ。雰囲気だけから判断すると
日本の大阪駅前ビルにも似ている。ただしパフォーマンスに不向きな感じでもない。
ビルの真下には広場があり、その場所で一筆ぶちあげることが出来そうだ。
場所に文句はないものの、客筋には何か不満があった。モンパルナス駅はTGV(
すごく速い列車という意味らしい)の発車する駅。TGVは僕たちの本拠地リヨン駅
とモンパルナス駅の2駅のみから出ているらしい。リヨン駅では到着した時から感じ
ていたのだが、ここモンパルナスでも地方の臭いが感じられ、僕らのパフォーマンス
には不似合いな気がした。
ともあれ予行演習。広場のここぞという場所に陣地を固め、筆を取り出す。やおら
人の視線が集まって来た。
パフォーマンスの予行演習中に二人ともトイレに行きたくなり、荷物もあるからと
交代でトイレに出かけた。丁度石塚がトイレに行っているときににわか雨。荷物が濡
れては大変と石塚を放ったまま二人分の荷物を抱えてモンパルナス駅に待避。駅の窓
越しに1号が帰ってくるのを待つ。


(小パフォーマンス)
天気予報でも行っていたように今日は雨の日だからと今日のパフォーマンス(予行
込み)は中止。モンパルナスタワーの半地下にあるすし屋「フジヤマ」で昼食。
店主を除き店員は殆どアジア系。ジーパンにはっぴを着ている。江戸時代の町人の
つもりのようだ。二人とも「握り」「日本茶」を注文。
華人の女性を気に入り、支払いの際に二人から日本から持参の小さな書をプレゼン
ト。気に入ってもらえたようで気を持ち直す。特に小作品以外は国内でろくに作品を
作れなかった2号の喜びはただならぬもの。これなら大パフォーマンスも成功間違い
なしと根拠の無い自信を持つ。この後ホテルに戻って午後の予定を立てる。


(ホテルで集中)
ホテルでテレビの天気予報を見る。モーションピクチャーで天気図の気圧配置を見
るが、ドーバー海峡の当たりに高気圧と低気圧が渦巻くように集まってきていたりし
ている。大陸の気象は得体の知れない。今日のことが一般にいえるかどうかは知らな
いが、どうやら「ヨーロッパの気候=偏西風」で片づけている高校地理の知識はいさ
さかいんちきのようだ。
天気は午後も悪いらしい。今晩はタイユヴァンに行くことでもあるし、無理にパフ
ォーマンスをする必要もないだろうと部屋で待機することにした。
最初はベッドに寝そびりモンパルナス駅前の本屋で買ったパソコン雑誌を読んでい
たりするものの。書のことが気になって仕方がない。ぼくは一時間もしないうちに机
の上で墨を磨りはじめた。横で石塚が高見の見物を決め込んでいる。
墨はモスクワの空港で買ったウオッカで磨る。どうせアルコール分が飛んでしまえ
ばただの水だからと思い、磨りはじめたところ、硯の海の部分に溜まったウオッカが
盛り上がるように踊りはじめた。これは試す価値有り。
面白いものの余り磨りごこちもよくなく、途中でエヴィアンを混ぜて磨る。
思えばこれまで散々名誉白人だ書だと騒いでおきながら大した作品も完成させずに
パリまで来てしまった。一方1号の方は普段から友人を集めて書の練習に励んだため
か、ここに来ても余裕である。關本の出来具合を見てやろうとたばこを吸って余裕の
態度。今作品を作れなければ名誉白人2号どころか名誉剥奪ただの黄色人種である。
すし屋での小パフォーマンスの成功のおかげか無事作品は完成。
タイトルは「英断」。
横で見ていた1号も墨を磨りはじめる。


(凱旋門)
パリに行けば一度行っておきたいのが新凱旋門。正式名称はグランド・アルシュ。
以前サミットがここで開催され「アルシュサミット」と言われたりしているがかなり
かっこいいビル。
到着し周囲を散策。1号が非常に気に入り、急遽この場所をパフォーマンスの場所
に決定する。二人はパフォーマンスを行う位置決めなどを始め準備に余念がない。
グランド・アルシュの空中エレベータに乗っている最中、吉村健一さんより電話が
入る。今日は天候不良のため筆を取れなかったこと、明日のパフォーマンスの予定な
ど話す。電話によるとパリ在住の三小田さんという人が見物に来るそうだ。
しかし空中にいるときに電話がかかってくるとは変なものだ。


(盛餐)
今回の旅行のメインイヴェント第二弾、タイユヴァン。言わずと知れた三ツ星レス
トラン。料理会の王。
途中雨に降られてずぶ濡れになったのだが、店に入るやきれいな女性がでてきて洋
服を一生懸命拭いてくれる。
二人は鳩の丸焼きを注文。そのほかアラカルト。
パンをちぎりながら石塚が「タイユパン」などと駄洒落を言っている。あとから聞
いた話なのだが、ジュブレ・シャンベルタンを飲んでいた隣の客は、水を注ぐギャル
ソンに「これもジュブレ・シャンベルタン?」と言っていたそうだ。高級レストラン
でもジョークは必要?


(ホテル)
僕たちにとってホテルとは数日間にわたる諸活動の拠点であり、基地でもある。
ここからすべての活動が始まる。


(大パフォーマンス決行)
前の日に帰宅したのは午前一時。次の日は午前からパフォーマンスを決行する予定
だったがわれわれ二人はなかなか起きられずにシーツの中でもぞもぞしていた。
テレビの電源を入れる。天気予報もまずまずのようだ。今日はパフォーマンス日和
かも知れない。
午後からは名誉白人の制服=ダークスーツに身を包み、書の道具をフル装備して出
撃。しかしグランドアルシュに着いてみると天気はあまり良くなく、ビル風か何なの
か強い風が吹いていた。
名誉白人チームはアルシュを正面に据える位置を決め、道具を広げはじめた。しか
し予想外に強い風は、下敷きはおろか展示用に日本で作っておいた作品もうまく広げ
させてくれない。重しとして買ったエヴィアンも全く無力。硯、印鑑、カバン、靴、
カメラ、携帯電話などありとあらゆる物で紙を押さえパフォーマンスの支度をした。
ぱらぱらと観客が集まっては去ってゆく。
想定外の事態になかなか事は進まない。1号が墨を磨り始めるも、2号の方は突風
で紙を飛ばされる。スーツに靴下姿で紙を追いかける2号。観客も一緒に紙を追いか
ける。事態は意外にもハプニング性を帯びてきていた。
ともあれ、墨も磨り終え、白紙に向かう。持参の作品は風で破れてしまった。しか
しそんなことはどうでもよい。これから書く作品に気力を集中する。
しかし気になるのは観客。ギャラリーは僕が書き始めるやあれこれ質問を投げかけ
てくる。書を指して、
「これは何だ」
「何のためにここでやるのか」
「何が書いて有るのか」
「週にに何度やっているのか」
等々。2号の方はまだ観客も少ないが、1号は着なれないスーツ姿に黒縁眼鏡の面白
さもあるのか、客受けがよい。いつのまにか筆を置いて解説を始めている。
1号は観客に、書とはジャパニーズ・トラディショナル・アートだと説明していた
が、一方僕の方は書とはジャパニーズ・モダン・アートだと説明。どちらでも間違い
ではなさそうのものの「名誉白人」コンセプトといい、二人の解説の違いは見解をま
とめずに企画した今回の旅行そのままだ。
いったい「名誉白人」とは何なのか? 名誉白人が脱亜入欧した日本人のなれの果
てとするなら、僕たちよりももっと名誉白人な人間がいるはずだ。僕たちは彼ら真性
名誉白人を撃つべきなのだろうが、コンセプトは煮詰められてはいなかった。
ともかく作品は完成、パリ到着時に直感した成功の予感は的中し今までの中でもっ
とも良い作品が完成した。数ヶ月に渡る準備と修練、カッコいいグランドアルシュ、
作品。どれもがうまく作用したようだ。僕はしばし恍惚感に浸っていた。
「關本何ポーっとしてんだよ。もう行くよ」石塚が言う。
雹が降り始めていた。パフォーマンスに取掛かってから一時間以上が過ぎていた。
日本の後輩に報告の電話を入れ、近くのマクドナルドに避難。


(華人恐怖)
1号の父親は家電メーカーのフィリピン現法に勤務しており、そのため盆暮れはマ
ニラに行く。1号から聞いた話によるとマニラにおける現法出張の日本人サラリーマ
ンは富裕階級扱いであり、食べたいものは何でも食べられる、やりたいことは何でも
出来る。例えばレストランに行って、庭のプールが見えたとする。そのプールで泳ぎ
たいと言えば、飾り物のプールで泳ぐことは可能なのだそうだ。さすがにそんな馬鹿
なことはしないのだけれど、それぐらい日本人は「お金持ち」なのだそうだ。しかし
華人、彼らが登場すると日本人は畏まってしまうてしまう。彼らの経済的富裕は並み
でないそうな。
大作業を終えた夜は質素な食事にしようと、シャンゼリゼ通りを少し入った中華料
理屋で五目タンメンを食べた。店構えは普通だし、味もどうということはなかったの
だが、もしかしたらもしかしたらこの場末の店員も何らかの華人ネットワークを持っ
ていているのではないか? ネットワークで私送便を送っても届くんじゃなか? と
か考えると、華人ネットは過去のイーサネット、現在のインターネットの先駆けのよ
うなもので、華人を侮れなく思えた。


(ソルボンヌ)
パリ到着からパフォーマンス決行まで三日間を使った。準備段階ではフライヤーを
作成したり電子メールで告知を打ったり、などと考えていたのだが、書の修練に時間
を割かれたため、プロモーション活動は全く不足していた。荷物が重くて自由に行動
ができない、パフォーマンス時の天候不順、行ってみて写真を撮ろうとしたら自分が
写らないなど、想定外の事態はあったものの、まずまずの成果と言いたい。写真や機
材、贅沢を言えば衣装を担当するスタッフが必要だった。
1997年の旅行にはパフォーマーを募集し、僕がスタッフ兼プロモーターとして下働
きをしたいところ。どなたか如何でしょうか。
観客は別として僕たちは一定の自己満足を得た。たまには観光がしたい、というこ
とで本日はカルチェ・ラタンに出かけることにした。フランス文化帝国の総本山、ソ
ルボンヌに出かけよう。そして、できればモグリで講義を受け文化エリート階層の生
産過程を見学ようではないか。それも名誉白人の使命だ?
雨の中、カルチェラタンに出かける。周辺には本屋、文房具屋、画材屋などが散在
している。文房具屋で買い物をしたけどこれぞというものはない。ほとんどが made
in EU もしくは日本製。フランスよ、工業製品も作れ!
しばらく物色し、デザインが気に入った手帳はフランスの暦を使っているので買う
のをためらってしまった。なぜかドイツ製のスティック糊を買った。
カルチェラタン近辺は道が複雑で道が分からなくなる。1号の持っている地図をコ
ピーしようと学生向けのコピー屋に寄ったが、中にいた客の学生は相当マジにお勉強
している学生らしく、その姿は僕たち元偏差値戦争の戦士(戦死者?)をはるかに凌ぐ
知性を醸し出していた。
で、ソルボンヌ。入口には観光客を排除するため警備員が見張っていたが難なく突
破。残念ながら講義中の教室はなく、何ということなく学生が集まっている空き教室
に侵入したが、奇異の目は逃れられない。黒板にはコード進行が書かれており、音楽
の講義をやっているらしかった。


(リセエンヌ)
ソルボンヌの横にはリセがあった。アラーキーではないけれど、リセといえばリセ
エンヌ。リセエンヌといえば盗撮。しかも街にはリセエンヌが一杯! 僕は1号自慢
のデジカメを拝借し盗撮三昧。でもリセエンヌは日本の女子高生とは違ってすごくま
じめなお勉強さんだし(失礼な事を言えば京大の女の子に近似)格好も地味。希望なら
画像ファイルをお分けしますが、日本のコギャルとは違いますので念のため。
そのうちお昼。
折角学生街に来たのだからと昼食はカレーライスにでもしないかと1号に打診。1
号も賛成し、学生向けのカフェに入ったがカレーライスはなかった。
米が食べたくなったのでライスサラダを注文。


(ポンピドゥー)
午後はポンピドゥーセンター。言わずと知れた現代美術の殿堂。現代美術と殿堂た
る美術館。コンセプチュアルアートと権威との微妙な関係、それはそれで面白いテー
マなのでしょうが、それは僕にはまだ未知の分野。
ダリ、カンディンスキー、クライン、デュシャン。観るべし。
入館するや、1Fにネットカフェを発見。日本にいた頃かららネットカフェには行
きたかったのだけど、行く機会が無くてここで初めて体験。慣れないフランス語式キ
ーボードにて E-MAIL を発信。1号は2号以上にフランス式キーボードに難儀してい
た様で、変な英語のメールを書いていた。
2号、ここに来て数日間の疲労が爆発。一方1号は気力充実したよう、館内に入る
なりどこかへ行ってしまったのだが、僕は入り口近くに置いてあるチェアに腰掛けて
寝てしまっていた。
睡眠中、携帯電話に入電。 E-MAIL を送った相手からだった。電話中に館内を移動
し、日本にいる相手にテラスから見える景色を説明。右手にモンマルトル、真ん中に
凱旋門、左手にエッフェル塔。そんなことを話すと「うらやましい!!」と言われた。
テーマ旅行でパリに来ている身には観光は二の次。でも電話で話している時、久しぶ
りに観光気分を味わえた。


(ムーラン・ルージュ)
パントマイマーの日本人を馬鹿にするネタが秀逸。学生時代に寄ったとき以上の感
動。


(偽中国人) (本章は名誉白人1号=石塚浩之君の文章より全面引用しました)
 ムーラン・ルージュのショーがはねたあとピガール界隈を歩く。ノンストップのス
トリップ小屋が立ち並び、ポンビキが次々と声をかけてくる。ひとり100フラン(約
2000円)とか言っているが、すぐに半額に値切れてしまう。少しはずれのほうに来る
と30フランになる。「15フランでいいか?」というとそれも通ってしまった。あまり
にも簡単に負けるので警戒して店には入らず。あとで「あれは店にはいるための値段
ででるための値段は別」なんて言われると不愉快だ。なかには「少し見るだけならお
金はいらない。いやならすぐにでてくればいい」なんて言うやつもいた。まったく信
用できない。
「中国人で行こうか?」ふいに関本が言った。
「日本人ですか?」次に話しかけてきたポンビキ。
「ノン!」関本。
「フランス語わかりますか?」
「ノン!」
「英語わかりますか?」
「ノン!」
「ドイツ語は?」
「ノン!」
 ここで「シノワ(中国語のこと)」とつぶやくとポンビキは「シノワ?」と言って
困った顔をして「ニイハオ」といった。ぼくらはここぞとばかりにインチキ中国語を
話し始め、ポンビキの顔を指さしたり、二人でなにかをもめているふりをしたりした。
ポンビキはその様子を見てまいっていたが、そのうち少し考え込み、
「てめえら、本当はフランス語できるんじゃねえか!」と言った。
 ぼくらは笑ってごまかして逃げてきた。


(アラブ人街)
パリで過ごすことのできる最後の一日の朝。
もう一度は書のパフォーマンスをやりたかったのだが、ある程度結果を見てしまっ
たパフォーマンスよりも1990年代初頭にブームを起こしたパリ18区、いわゆるアラブ
人街を見ておきたかった。
事前に調べておいた目的地へメトロで向かう。
駅を降りるなり、アラビア語の新聞を並べている露店を発見。書類好きの1号は読
めもしないアラブの新聞を買う。当の新聞紙の活字を見るとアラビア語の文字が切れ
目なく印刷されている。だけどいったいどうやって活字を組むのだろう? その他1
号は競馬新聞を買ったり、道すがら配られているピンクビラの様なものを集めたりし
ている。日本に帰って翻訳するのだそうだ。フランス語が全く駄目な2号も感化され
てビラを集める。
ともかく僕たちは目的のアラブ人街をめざし、あてどなくさまよう。洋服屋でジャ
ケットを物色したり、露店で爪切りを買ったりしているうちに、北ホテルで有名な北
駅近辺に到着。北ホテルのエントランスで休憩。休んでいる間に日本から持参の書を
街中に張って歩く事にする。
北駅近辺まで来ると街の雰囲気はメトロの駅よりもヨーロッパ風。方向が間違って
いる事に気づく。昼食をとってから散策することにし、近所のイタリア料理屋で軽く
昼食。
昼食後、散策を兼ねて作品を貼りまくる。
1号の「小室哲哉」「亜室奈美恵」「ハマムラ」
2号の「ウィンドウズ」
3号(中辻誠之さん)の「The Borg 最強機械」
4号(山田晴子さん)の「和風リキテンシュタイン」
北駅の壁や街路樹の幹、雑居ビルの壁はまだしも、メトロ駅前の掲示板にまで書を
貼る。書の不法貼付。僕たちはもはや不良外人なのだけど、ゲリラ的活動という言い
方にしておこう。


(アリ)
アラブ人街に突入。アルジェリア出身のベルベル人、アリが経営している食堂であ
ばら肉の焼いたものとクスクスを食べた。あまりのおいしさに感動。お礼に「英断」
という書をプレゼント。部屋に飾ってくれるそうだ。
アリは僕たちを芸術家だと思っているようだった。銀行員だといったら驚いていた。


(リヨン駅でゲリラ活動)
アラブ人街では雨に降られ、やむなくホテルに帰宅。
今晩は再びリヨン駅でゲリラ活動をすることにする。題して「メトロギャラリー」。
スティック糊と書をカバンに入れ、事前に場所を決めておいた駅構内の壁に書を貼る。
学生活動家が教養部内の壁にアジビラを張るような感じだった。
十枚ほど貼り付けた作品の前で記念撮影。
ホテルに戻って部屋で打ち上げ。
翌日現場を見に来ると通りすがりの人たちがちら、と書を見る。中には立ち止まっ
て見てくれる人も居た。


(熱病)
最終日は午前中のみ。朝一番でルーブルを見学。昼にはパリを離れる。
シャルル・ドゴール空港でウサギ肉を食べる。空港の滑走路ではウサギが沢山跳ね
ていた。
アエロフロートの機内で免税店で買ったジュブレ・シャンベルタンとロックフォー
ルで乾杯。
途中で気を失い気が付いたら上着はチーズまみれ、シャツはTシャツ1枚になって
いてベルトも無くなっていた。隣の席には1号が飲み干した機内サービスのワインが
2、3本転がっていた。1号は席にいない。どこかで遊んでいるようだ。明らかに二
人とも飲みすぎ。
帰国後二週間ほど熱が続いた。旅行の興奮が続いているようだ。三八度近くあるの
に不思議とつらくないし会社の仕事もはかどっている。おかしな事だ。

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