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  カザフスタンは最初の写真に示すように中央アジア五ケ国の中では最も大きな国で、その面積は271万7,300&#13218;あり日本の約7倍の広大なものである。カスピ海に接しているため石油資源が豊富でソ連から独立後、その経済発展にはめざましいものがある。<br /><br />  カザフスタンとはカザフ人の国の意味でカザフはトルコ系諸語で「放浪者」を意味するクザックが訛ったものといわれる。<br /><br />  人口は1,745万人で首都はアスタナである。<br /><br />  住民はカザフ人が46%、ロシア人35%で後はウクライナ人その他<br /><br />  ソウルの仁川空港から深夜に飛来して入国審査で感じた印象は以下のものであった。<br /><br />1.入国審査官の被っている帽子が大きく、旅行客を威圧するに充分なものであること。<br />2.旅行者のパスポートから記載項目を一つ一つ丹念に入力するので一人あたりの所要時間が長く、行列がなかなか前へ進まないこと。いかにも非能率的な事務処理である。<br /><br />  オトラルホテルに到着した時には深夜も更けて翌日になっていた。短時間睡眠をとったホテルは部屋が狭い割りに調度品や部屋の飾りは格調の高い木製で茶色のニス仕上げであった。<br /><br />  翌朝出発前にホテルの周囲を散策してみるとこの街はパンヒローフ公園の緑化事業を中心整備されたようで緑豊かな大木が鬱蒼と茂り自然環境は良好である。またソ連時代に建てられた頑丈だけが取り柄のような野暮ったいアパートでは独立の息吹が感じられるかのように人々の動きには活気があった。<br /><br />  公園の中にはゼンコフ・ロシア正教の教会が派手な色彩で佇んでおり、折から黄色いチューリップが見事な花を咲かせて取り囲んでいた。この教会はゼンコフというロシアの建築家が1904年〜1907年にかけて建造したもので、ロシア革命後は音楽堂として使用されていたのであるが、1991年の独立後は再び教会としての活動を開始した。教会内では熱心な信者達が集まりミサが行われていた。<br /><br />  また公園の中には28人のパンヒローフ親衛隊記念像が建てられており、第二次世界大戦で首都モスコーの防衛前線として戦った兵士達の群像が彫られている。<br /><br />  群像の前には追悼の永遠の火が焚かれており、外国からの要人達もこの前で哀悼の誠を捧げるのだという。周囲にはここを訪問した諸国の政治家達の記念碑がおかれている。<br /><br />  中央バザールを見学した。市内では最も大きい体育館型のバザールで豊富に商品が並べられていた。ロシア人やカザフ人の売り子が多いが目を引いたのは朝鮮人達がキムチを初め肉、魚などの食料品売り場に多いことであった。<br /><br /> 日本人観光客に対しては概して好意的で「ヤポン」「コニチハ」と気軽に声をかけてくる。そしてデジタルカメラが珍しいらしく写真を撮ってくれとせがむものもいる。撮影した画像を見せると多数の人が寄ってきて感嘆の声をあげていた。<br /><br />

カザフスタン紀行・・・アルマトイ編

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2006/04/21 - 2006/04/25

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早島 潮

早島 潮さん

カザフスタンは最初の写真に示すように中央アジア五ケ国の中では最も大きな国で、その面積は271万7,300㎢あり日本の約7倍の広大なものである。カスピ海に接しているため石油資源が豊富でソ連から独立後、その経済発展にはめざましいものがある。

カザフスタンとはカザフ人の国の意味でカザフはトルコ系諸語で「放浪者」を意味するクザックが訛ったものといわれる。

人口は1,745万人で首都はアスタナである。

住民はカザフ人が46%、ロシア人35%で後はウクライナ人その他

ソウルの仁川空港から深夜に飛来して入国審査で感じた印象は以下のものであった。

1.入国審査官の被っている帽子が大きく、旅行客を威圧するに充分なものであること。
2.旅行者のパスポートから記載項目を一つ一つ丹念に入力するので一人あたりの所要時間が長く、行列がなかなか前へ進まないこと。いかにも非能率的な事務処理である。

オトラルホテルに到着した時には深夜も更けて翌日になっていた。短時間睡眠をとったホテルは部屋が狭い割りに調度品や部屋の飾りは格調の高い木製で茶色のニス仕上げであった。

翌朝出発前にホテルの周囲を散策してみるとこの街はパンヒローフ公園の緑化事業を中心整備されたようで緑豊かな大木が鬱蒼と茂り自然環境は良好である。またソ連時代に建てられた頑丈だけが取り柄のような野暮ったいアパートでは独立の息吹が感じられるかのように人々の動きには活気があった。

公園の中にはゼンコフ・ロシア正教の教会が派手な色彩で佇んでおり、折から黄色いチューリップが見事な花を咲かせて取り囲んでいた。この教会はゼンコフというロシアの建築家が1904年〜1907年にかけて建造したもので、ロシア革命後は音楽堂として使用されていたのであるが、1991年の独立後は再び教会としての活動を開始した。教会内では熱心な信者達が集まりミサが行われていた。

また公園の中には28人のパンヒローフ親衛隊記念像が建てられており、第二次世界大戦で首都モスコーの防衛前線として戦った兵士達の群像が彫られている。

群像の前には追悼の永遠の火が焚かれており、外国からの要人達もこの前で哀悼の誠を捧げるのだという。周囲にはここを訪問した諸国の政治家達の記念碑がおかれている。

中央バザールを見学した。市内では最も大きい体育館型のバザールで豊富に商品が並べられていた。ロシア人やカザフ人の売り子が多いが目を引いたのは朝鮮人達がキムチを初め肉、魚などの食料品売り場に多いことであった。

日本人観光客に対しては概して好意的で「ヤポン」「コニチハ」と気軽に声をかけてくる。そしてデジタルカメラが珍しいらしく写真を撮ってくれとせがむものもいる。撮影した画像を見せると多数の人が寄ってきて感嘆の声をあげていた。

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  • 今回の旅の旅程表

    今回の旅の旅程表

  • カザフスタンのロケーション

    カザフスタンのロケーション

  • カザフスタンの国旗<br />外務省のサイトから転載したカザフスタンの国勢他は以下の通り<br /><br />国 名: カザフスタン共和国 <br />(Republic of Kazakhstan)   <br />2005年7月 現在 <br />一般事情 <br />1.面積 272万4900km2(CIS統計委員会) <br />2.人口 1,490万人(04年初:CIS統計委員会) <br />3.首都 アスタナ(Astana:旧アクモラ。97年12月10日にアルマティより遷都) <br />4.民族 カザフ人(53.4%)、ロシア人(30.0%)、ウクライナ人(3.7%)、ウズベク人(2.5%)、ドイツ人(2.4%)、タタール人(1.7%)、ウイグル人(1.4%)、ベラルーシ人(0.7%)、韓国・朝鮮人(0.5%)(99年調査) <br />5.言語 公用語(憲法上の「国家語」)はカザフ語。 <br />ロシア語は同憲法上の「公用語」 <br />6.宗教 カザフ人の間ではイスラム教スンニー派が優勢 <br />7.略史 14世紀頃まで 現在のカザフ人とほぼ同じ人種的特徴と、カザフ語とよく似た言語が定着 <br />15世紀後半 遊牧ウズベク国家から分離し、キプチャク草原(カザフスタン)に勢力を拡大。カザフ・ハン国の成立 <br />18世紀初 ジュンガルとの戦いの中でカザフ人の一体性の意識が明確化 <br />18世紀初 大ジュズ、中ジュズ、小ジュズの三つの部族連合体に分裂 <br />1730年代 カザフの支配層の一部がロシア皇帝に臣従 <br />18世紀中頃 清朝にも朝貢 <br />1820年代まで ロシア帝国、南部を除くカザフスタンを直接支配下に収める <br />1837-47 ケネサルの反乱(カザフ人による対ロシア反乱) <br />1850-60年代 カザフスタン南部がロシア帝国に併合、カザフスタン全域がロシアの支配下に(ロシア人農民の大量植民) <br />1920 ロシア連邦共和国の一部として「カザフ(キルギス)自治ソヴィエト社会主義共和国」成立(首都オレンブルグ) <br />1924 中央アジアの民族・共和国境界画定により国境線の変更 <br />1925 首都をオレンブルグからクズィルオルダに移し、国名を「カザフ(カザク)自治ソヴィエト社会主義共和国」に変更 <br />1929 首都をアルマティ(アルマ・アタ)に移転 <br />1936 ソ連邦を構成するカザフ・ソヴィエト社会主義共和国に昇格 <br />1986.12.1 アルマ・アタ事件(カザフ人共産党第一書記コナエフ解任に抗議するデモに対し、内務省軍と警察による弾圧) <br />1990.4.24 ナザルバーエフ大統領就任 <br />1990.10.25 共和国主権宣言 <br />1991.12.1 ナザルバーエフ大統領再選 <br />1991.12.10 国名を「カザフスタン共和国」に変更 <br />1991.12.16 共和国独立宣言 <br />1997.12.10 首都をアルマティよりアクモラ(現アスタナ)に移転 <br />1999.1.10 ナザルバーエフ大統領再選 <br /> <br />政治体制・内政 <br />1.政体 共和制 <br />2.元首 ナザルバーエフ,ヌルスルタン・アビシェヴィッチ大統領(99年1月再選。任期は2006年12月まで) <br />3.議会 二院制(上院:セナート(任期6年、定員47名)、下院:マジリス(任期5年、定員77名)) <br /> 議員は、大統領が直接指名した上院7名を除き、95年12月の両院議会選挙で初めて選出された。 <br /> 99年9月〜10月にかけて上下両院議員選挙が実施された。 <br /> 2002年10月に上院の半数が改選された。2004年9月下院選挙が行われた。 <br />4.政府 (1)首相 アフメトフ、ダニアル・ケンジェタエヴィチ <br />(2)外相 トカーエフ、カシムジョマルト・ケメレヴィチ <br />5.内政  ナザルバーエフ大統領が、91年12月の同国独立以降強力なリーダーシップを発揮しており、情勢は基本的に安定している。積極的経済改革等に取り組む一方、98年10月には次期大統領選挙の前倒し実施、及び大統領任期の延長(5年→7年)を決定した。99年1月10日に実施された同選挙の結果、ナザルバーエフ大統領は79.78%の得票率を以って再選された(投票率は87.05%)。しかし、同選挙において、カザフ政府が有力候補と見られていたカジェゲルディン前首相の立候補資格を取り消すなどしたため、米国やOSCE(欧州安全保障協力機構)は懸念を表明した。2003年6月、タスマガンベトフ首相は土地法典の扱いを巡り辞任し、アフメトフ・パブロダール州知事が新首相に任命された。 <br /> なお、同国には旧ソ連邦が遺したセミパラチンスク旧核実験場放射能汚染、及びアラル海環境破壊という2つの大きな「負の遺産」が存在する。 <br />外交・国防 <br />1.外交基本方針 (1)国境を接し、政治・経済面で密接な関係を有するロシアとの良好な関係維持に加え、中国、米国、EUとの協力の発展を指向。 <br />(2)地理的に欧州とアジアの中間に位置することもあり、外交政策では同国の欧州とアジアの架け橋的意義(ユーラシア国家)が強調されることが多い。 <br />(3)CISの枠内における協力の必要性を強調し、ナザルバエフ大統領は94年3月にユーラシア同盟の創設を提唱。さらに95年1月にはロシア、ベラルーシとの間で関税同盟条約(後にキルギス、タジキスタンが参加、2000年10月にユーラシア経済共同体に発展)、96年3月にはロシア、ベラルーシ及びキルギスと統合強化条約を締結(後にタジキスタンが参加)。 <br />(4)94年7月にはウズベキスタン、キルギスと統一経済圏創設条約を締結(98年、タジキスタンが加わり、4ヶ国による「中央アジア経済共同体」、2001年には「中央アジア経済協力機構」に発展)。 <br />(5)「中央アジア協力機構」やカザフスタン、キルギス、ウズベキスタン間の諸条約を基礎として、EUをモデルとする共通の市場と通貨の導入をめざす。「中央アジア諸国連合」構想を提案している。 <br />2.軍事力 (1)陸軍は46,800人、空軍は19,000人。 <br />(2)ロシア軍は国内数ヶ所(バイコヌール、サルイシャガン、エンバ)に少数が駐留している(カザフスタンに配備されていた戦略核兵器はロシアに移送済み)。 <br />(3)97年及び98年、米軍及び中央アジア・コーカサスの一部諸国の軍隊と合同で、中央アジア合同軍事演習(Tsentrazbat)を実施。 <br />経済(カッコ内は出典) <br />1.主要産業 鉱業、農業、冶金・金属加工 <br />2.GNI 265億ドル(03年:世銀) <br />3.一人当たりGNI 1,780ドル(03年:世銀) <br />4.経済(実質GDP)成長率 9.4%(04年:CIS統計委員会) <br />5.物価上昇率 6.9%(04年:CIS統計委員会) <br />6.失業率 1.8%(2003年末:CIS統計委員会) <br />7.総貿易額 (03年:CIS統計委員会) <br />(1)輸出 129億ドル <br />(2)輸入 83.3億ドル <br />8.主要貿易品目 (03年:カザフスタン経済・予算計画省) <br />(1)輸出 鉱物製品、卑金属、農産物<br />(2)輸入 機械類、輸送機械、鉱物製品 <br />9.主要貿易相手国 (03年:カザフスタン経済・予算計画省) <br />(1)輸出 バミューダ諸島、ロシア、スイス <br />(2)輸入 ロシア、ドイツ、中国 <br />10.通貨 テンゲ(Tenge:93年11月15日導入) <br />11.為替レート 1ドル=135.7テンゲ(05年6月23日現在) <br />なお99年4月5日、同国はテンゲの変動相場制へ移行した。 <br />12.経済概況 (1)エネルギー・希少金属などの天然資源に恵まれ、既にカスピ海周辺及び北カスピ海では、欧米石油メジャーや日系企業が大規模な探鉱を開始している。2001年11月にはテンギス〜ノヴォロシースク間のCPCパイプラインが開通し、流出した原油の輸出ルート開拓が進んでいる。 <br />(2)カザフスタンは、旧ソ連邦崩壊後の苦しい状況の中で民営化等を中心とする経済改革を推進し、また米国企業の参加するテンギス油田開発が始動したことなどの結果、96年に独立以来初めてプラス成長を記録した。98年には、農業及び重工業の低迷及びロシアの金融危機によりいったんマイナス成長(前年比▲2.5%)に転じたが、99年以降は再びプラス成長に転じ、2000年以降は10%前後の高成長を続けている。 <br />(3)カザフスタンでは石油ガス開発への外資導入を軸に経済成長が続いているが、一方で産業構造が石油ガス分野へ大きく偏重しつつある。将来に向けて、バランスのとれた産業構造の構築が課題となっている。 <br />経済協力 <br />1.我が国の援助実績 (1)有償資金協力  約887.88億円 (2003年度までの累計) <br />(2)技術協力 約87.15億円 (2003年度までの累計) <br />(3)無償資金協力 約56.66億円 (2003年度までの累計) <br /> <br />2.主要援助国(98年) 米国、日本、スペイン、ドイツ <br />二国間関係 <br />1.政治関係 (1)国家承認日  1991年12月28日 <br />(2)外交関係開設日  1992年1月26日 <br />(3)我が国大使館開館  1993年1月20日 <br /> 2001年1月1日 アスタナ出張駐在官事務所開設 <br /> 2005年1月1日 大使館をアルマティからアスタナに移転するとともに、アルマティに出張駐在官事務所を開設した。 <br /> (在日カザフスタン大使館は96年2月22日に開館) <br /> <br />2.経済関係 (1)我が国の対カザフスタン貿易(04年:財務省貿易統計) <br />   (イ)貿易額 <br />      輸出 200.4億円 <br />      輸入 266 億円 <br />   (ロ)主要品目 <br />      輸出 自動車、一般機械、鋼管 <br />      輸入 アルミニウム、金属製品 <br />(2)我が国からの直接投資(2002年3月までの累計:財務省資料) <br />   計157百万円 <br />3.文化関係 (両国間には当初旧ソ連との間で締結、その後カザフスタンとの間で承継した文化協定あり。) <br />文化無償資金協力 8件 <br />93年度 アルマティ国立大学に対する語学学習機材(48百万円) <br />95年度 国立オペラバレエ劇場に対する楽器供与(49.3百万円) <br />96年度 メデオスケートリンクに対する氷面整備機材(45.7百万円) <br />97年度 カザフスタン国立外国語大学に対する日本語学習機材(39百万円) <br />98年度 国立カザフ大学に対する日本語学習機材(29百万円) <br />99年度 アルマティ国立高等音楽院に対する楽器供与(48.2百万円) <br />2000年度 国立音楽アカデミーへの楽器供与(49.8百万円) <br />2004年度 共和国宮殿(同国最大規模の収容能力を有する国立の文化ホール)への音響機材供与(49.8百万円) <br />その他、我が国大使館を通じ広報・文化活動を実施。 <br />4.在留邦人数 約129人(2004年10月) <br />5.在日当該国人数 114人(2002年12月末) <br />6.要人往来 (1)往(1992年以降) <br />1992年 5月 渡辺外務大臣 <br />  8月 武村正義衆議院議員 <br />1996年 5月 武村衆議院議員 <br />1997年 7月 対ロシア・中央アジア対話ミッション(団長:小渕恵三衆議院議員) <br />  9月 麻生太郎経済企画庁長官 <br />2000年 8月 羽田孜元総理大臣 <br />2002年 4月 杉浦外務副大臣 <br />  7月 シルクロード・エネルギー・ミッション(団長:杉浦外務副大臣) <br />2003年 2月 矢野外務副大臣 <br /> 6月 森下博之議員、齋藤勁議員(OSCE議員会議) <br /> 6月 森前総理 <br />2004年 5月 橋本元総理(アジア太平洋環境開発フォーラム) <br />2004年 8月 川口外務大臣(中央アジア歴訪) <br />(2)来(1992年以降)   <br />1992年 10月 スレイメノフ外相(旧ソ連支援東京会議) <br />1994年 4月 ナザルバエフ大統領(公式実務) <br />  6月 ウルクンバーエフ経済大臣(第1回日本・カザフスタン経済合同会議) <br />1996年 10月 カジェゲルディン首相(カザフスタン支援国会合及び第3回日本・カザフスタン経済合同会議) <br />1997年 5月 シュケーエフ経済貿易大臣(アジア開発銀行年次総会(福岡)) <br />1998年 3月 ウチェムバエフ戦略計画改革庁大臣(民間招待) <br />  10月 ブルキトバエフ運輸通信大臣(カザフ投資セミナー) <br />  12月 ウチェムバエフ戦略計画改革庁大臣(民間招待) <br />1999年 9月 トカエフ副首相兼外務大臣(セミパラチンスク支援東京国際会議) <br />  12月 ナザルバエフ大統領(第5回日本・カザフスタン経済合同会議) <br />2000年 6月 バイゲルディ上院副議長(故小渕前総理合同葬参列) <br />  12月 クリケエフ経済大臣(ADBI招待) <br />2002年 1月 アブセイトフ外務次官(アフガン復興会議出席) <br />  12月 トカエフ国務長官兼外務大臣(外務省賓客) <br />2005年 6月 アフメトフ首相(博覧会賓客) <br /> <br />7.二国間条約・取極 1994年4月  日ソ間で結んだ条約の承継を確認。 <br />1995年12月  日・カザフスタン租税条約が失効(注:同条約は上記条約承継の際に承継したものであったが、1994年11月、カザフスタン側より同租税条約を失効させるとの通告が行われた。) <br /> <br />

    カザフスタンの国旗
    外務省のサイトから転載したカザフスタンの国勢他は以下の通り

    国 名: カザフスタン共和国 
    (Republic of Kazakhstan)
    2005年7月 現在
    一般事情
    1.面積 272万4900km2(CIS統計委員会)
    2.人口 1,490万人(04年初:CIS統計委員会)
    3.首都 アスタナ(Astana:旧アクモラ。97年12月10日にアルマティより遷都)
    4.民族 カザフ人(53.4%)、ロシア人(30.0%)、ウクライナ人(3.7%)、ウズベク人(2.5%)、ドイツ人(2.4%)、タタール人(1.7%)、ウイグル人(1.4%)、ベラルーシ人(0.7%)、韓国・朝鮮人(0.5%)(99年調査)
    5.言語 公用語(憲法上の「国家語」)はカザフ語。
    ロシア語は同憲法上の「公用語」
    6.宗教 カザフ人の間ではイスラム教スンニー派が優勢
    7.略史 14世紀頃まで 現在のカザフ人とほぼ同じ人種的特徴と、カザフ語とよく似た言語が定着
    15世紀後半 遊牧ウズベク国家から分離し、キプチャク草原(カザフスタン)に勢力を拡大。カザフ・ハン国の成立
    18世紀初 ジュンガルとの戦いの中でカザフ人の一体性の意識が明確化
    18世紀初 大ジュズ、中ジュズ、小ジュズの三つの部族連合体に分裂
    1730年代 カザフの支配層の一部がロシア皇帝に臣従
    18世紀中頃 清朝にも朝貢
    1820年代まで ロシア帝国、南部を除くカザフスタンを直接支配下に収める
    1837-47 ケネサルの反乱(カザフ人による対ロシア反乱)
    1850-60年代 カザフスタン南部がロシア帝国に併合、カザフスタン全域がロシアの支配下に(ロシア人農民の大量植民)
    1920 ロシア連邦共和国の一部として「カザフ(キルギス)自治ソヴィエト社会主義共和国」成立(首都オレンブルグ)
    1924 中央アジアの民族・共和国境界画定により国境線の変更
    1925 首都をオレンブルグからクズィルオルダに移し、国名を「カザフ(カザク)自治ソヴィエト社会主義共和国」に変更
    1929 首都をアルマティ(アルマ・アタ)に移転
    1936 ソ連邦を構成するカザフ・ソヴィエト社会主義共和国に昇格
    1986.12.1 アルマ・アタ事件(カザフ人共産党第一書記コナエフ解任に抗議するデモに対し、内務省軍と警察による弾圧)
    1990.4.24 ナザルバーエフ大統領就任
    1990.10.25 共和国主権宣言
    1991.12.1 ナザルバーエフ大統領再選
    1991.12.10 国名を「カザフスタン共和国」に変更
    1991.12.16 共和国独立宣言
    1997.12.10 首都をアルマティよりアクモラ(現アスタナ)に移転
    1999.1.10 ナザルバーエフ大統領再選

    政治体制・内政
    1.政体 共和制
    2.元首 ナザルバーエフ,ヌルスルタン・アビシェヴィッチ大統領(99年1月再選。任期は2006年12月まで)
    3.議会 二院制(上院:セナート(任期6年、定員47名)、下院:マジリス(任期5年、定員77名))
     議員は、大統領が直接指名した上院7名を除き、95年12月の両院議会選挙で初めて選出された。
     99年9月〜10月にかけて上下両院議員選挙が実施された。
     2002年10月に上院の半数が改選された。2004年9月下院選挙が行われた。
    4.政府 (1)首相 アフメトフ、ダニアル・ケンジェタエヴィチ
    (2)外相 トカーエフ、カシムジョマルト・ケメレヴィチ
    5.内政  ナザルバーエフ大統領が、91年12月の同国独立以降強力なリーダーシップを発揮しており、情勢は基本的に安定している。積極的経済改革等に取り組む一方、98年10月には次期大統領選挙の前倒し実施、及び大統領任期の延長(5年→7年)を決定した。99年1月10日に実施された同選挙の結果、ナザルバーエフ大統領は79.78%の得票率を以って再選された(投票率は87.05%)。しかし、同選挙において、カザフ政府が有力候補と見られていたカジェゲルディン前首相の立候補資格を取り消すなどしたため、米国やOSCE(欧州安全保障協力機構)は懸念を表明した。2003年6月、タスマガンベトフ首相は土地法典の扱いを巡り辞任し、アフメトフ・パブロダール州知事が新首相に任命された。
     なお、同国には旧ソ連邦が遺したセミパラチンスク旧核実験場放射能汚染、及びアラル海環境破壊という2つの大きな「負の遺産」が存在する。
    外交・国防
    1.外交基本方針 (1)国境を接し、政治・経済面で密接な関係を有するロシアとの良好な関係維持に加え、中国、米国、EUとの協力の発展を指向。
    (2)地理的に欧州とアジアの中間に位置することもあり、外交政策では同国の欧州とアジアの架け橋的意義(ユーラシア国家)が強調されることが多い。
    (3)CISの枠内における協力の必要性を強調し、ナザルバエフ大統領は94年3月にユーラシア同盟の創設を提唱。さらに95年1月にはロシア、ベラルーシとの間で関税同盟条約(後にキルギス、タジキスタンが参加、2000年10月にユーラシア経済共同体に発展)、96年3月にはロシア、ベラルーシ及びキルギスと統合強化条約を締結(後にタジキスタンが参加)。
    (4)94年7月にはウズベキスタン、キルギスと統一経済圏創設条約を締結(98年、タジキスタンが加わり、4ヶ国による「中央アジア経済共同体」、2001年には「中央アジア経済協力機構」に発展)。
    (5)「中央アジア協力機構」やカザフスタン、キルギス、ウズベキスタン間の諸条約を基礎として、EUをモデルとする共通の市場と通貨の導入をめざす。「中央アジア諸国連合」構想を提案している。
    2.軍事力 (1)陸軍は46,800人、空軍は19,000人。
    (2)ロシア軍は国内数ヶ所(バイコヌール、サルイシャガン、エンバ)に少数が駐留している(カザフスタンに配備されていた戦略核兵器はロシアに移送済み)。
    (3)97年及び98年、米軍及び中央アジア・コーカサスの一部諸国の軍隊と合同で、中央アジア合同軍事演習(Tsentrazbat)を実施。
    経済(カッコ内は出典)
    1.主要産業 鉱業、農業、冶金・金属加工
    2.GNI 265億ドル(03年:世銀)
    3.一人当たりGNI 1,780ドル(03年:世銀)
    4.経済(実質GDP)成長率 9.4%(04年:CIS統計委員会)
    5.物価上昇率 6.9%(04年:CIS統計委員会)
    6.失業率 1.8%(2003年末:CIS統計委員会)
    7.総貿易額 (03年:CIS統計委員会)
    (1)輸出 129億ドル
    (2)輸入 83.3億ドル
    8.主要貿易品目 (03年:カザフスタン経済・予算計画省)
    (1)輸出 鉱物製品、卑金属、農産物
    (2)輸入 機械類、輸送機械、鉱物製品
    9.主要貿易相手国 (03年:カザフスタン経済・予算計画省)
    (1)輸出 バミューダ諸島、ロシア、スイス
    (2)輸入 ロシア、ドイツ、中国
    10.通貨 テンゲ(Tenge:93年11月15日導入)
    11.為替レート 1ドル=135.7テンゲ(05年6月23日現在)
    なお99年4月5日、同国はテンゲの変動相場制へ移行した。
    12.経済概況 (1)エネルギー・希少金属などの天然資源に恵まれ、既にカスピ海周辺及び北カスピ海では、欧米石油メジャーや日系企業が大規模な探鉱を開始している。2001年11月にはテンギス〜ノヴォロシースク間のCPCパイプラインが開通し、流出した原油の輸出ルート開拓が進んでいる。
    (2)カザフスタンは、旧ソ連邦崩壊後の苦しい状況の中で民営化等を中心とする経済改革を推進し、また米国企業の参加するテンギス油田開発が始動したことなどの結果、96年に独立以来初めてプラス成長を記録した。98年には、農業及び重工業の低迷及びロシアの金融危機によりいったんマイナス成長(前年比▲2.5%)に転じたが、99年以降は再びプラス成長に転じ、2000年以降は10%前後の高成長を続けている。
    (3)カザフスタンでは石油ガス開発への外資導入を軸に経済成長が続いているが、一方で産業構造が石油ガス分野へ大きく偏重しつつある。将来に向けて、バランスのとれた産業構造の構築が課題となっている。
    経済協力
    1.我が国の援助実績 (1)有償資金協力  約887.88億円 (2003年度までの累計)
    (2)技術協力 約87.15億円 (2003年度までの累計)
    (3)無償資金協力 約56.66億円 (2003年度までの累計)

    2.主要援助国(98年) 米国、日本、スペイン、ドイツ
    二国間関係
    1.政治関係 (1)国家承認日  1991年12月28日
    (2)外交関係開設日  1992年1月26日
    (3)我が国大使館開館  1993年1月20日
     2001年1月1日 アスタナ出張駐在官事務所開設
     2005年1月1日 大使館をアルマティからアスタナに移転するとともに、アルマティに出張駐在官事務所を開設した。
     (在日カザフスタン大使館は96年2月22日に開館)

    2.経済関係 (1)我が国の対カザフスタン貿易(04年:財務省貿易統計)
       (イ)貿易額
          輸出 200.4億円
          輸入 266 億円
       (ロ)主要品目
          輸出 自動車、一般機械、鋼管
          輸入 アルミニウム、金属製品
    (2)我が国からの直接投資(2002年3月までの累計:財務省資料)
       計157百万円
    3.文化関係 (両国間には当初旧ソ連との間で締結、その後カザフスタンとの間で承継した文化協定あり。)
    文化無償資金協力 8件
    93年度 アルマティ国立大学に対する語学学習機材(48百万円)
    95年度 国立オペラバレエ劇場に対する楽器供与(49.3百万円)
    96年度 メデオスケートリンクに対する氷面整備機材(45.7百万円)
    97年度 カザフスタン国立外国語大学に対する日本語学習機材(39百万円)
    98年度 国立カザフ大学に対する日本語学習機材(29百万円)
    99年度 アルマティ国立高等音楽院に対する楽器供与(48.2百万円)
    2000年度 国立音楽アカデミーへの楽器供与(49.8百万円)
    2004年度 共和国宮殿(同国最大規模の収容能力を有する国立の文化ホール)への音響機材供与(49.8百万円)
    その他、我が国大使館を通じ広報・文化活動を実施。
    4.在留邦人数 約129人(2004年10月)
    5.在日当該国人数 114人(2002年12月末)
    6.要人往来 (1)往(1992年以降)
    1992年 5月 渡辺外務大臣
      8月 武村正義衆議院議員
    1996年 5月 武村衆議院議員
    1997年 7月 対ロシア・中央アジア対話ミッション(団長:小渕恵三衆議院議員)
      9月 麻生太郎経済企画庁長官
    2000年 8月 羽田孜元総理大臣
    2002年 4月 杉浦外務副大臣
      7月 シルクロード・エネルギー・ミッション(団長:杉浦外務副大臣)
    2003年 2月 矢野外務副大臣
    6月 森下博之議員、齋藤勁議員(OSCE議員会議)
    6月 森前総理
    2004年 5月 橋本元総理(アジア太平洋環境開発フォーラム)
    2004年 8月 川口外務大臣(中央アジア歴訪)
    (2)来(1992年以降)
    1992年 10月 スレイメノフ外相(旧ソ連支援東京会議)
    1994年 4月 ナザルバエフ大統領(公式実務)
      6月 ウルクンバーエフ経済大臣(第1回日本・カザフスタン経済合同会議)
    1996年 10月 カジェゲルディン首相(カザフスタン支援国会合及び第3回日本・カザフスタン経済合同会議)
    1997年 5月 シュケーエフ経済貿易大臣(アジア開発銀行年次総会(福岡))
    1998年 3月 ウチェムバエフ戦略計画改革庁大臣(民間招待)
      10月 ブルキトバエフ運輸通信大臣(カザフ投資セミナー)
      12月 ウチェムバエフ戦略計画改革庁大臣(民間招待)
    1999年 9月 トカエフ副首相兼外務大臣(セミパラチンスク支援東京国際会議)
      12月 ナザルバエフ大統領(第5回日本・カザフスタン経済合同会議)
    2000年 6月 バイゲルディ上院副議長(故小渕前総理合同葬参列)
      12月 クリケエフ経済大臣(ADBI招待)
    2002年 1月 アブセイトフ外務次官(アフガン復興会議出席)
      12月 トカエフ国務長官兼外務大臣(外務省賓客)
    2005年 6月 アフメトフ首相(博覧会賓客)

    7.二国間条約・取極 1994年4月  日ソ間で結んだ条約の承継を確認。
    1995年12月  日・カザフスタン租税条約が失効(注:同条約は上記条約承継の際に承継したものであったが、1994年11月、カザフスタン側より同租税条約を失効させるとの通告が行われた。)

  • 宿泊したオトラルホテルの外観

    宿泊したオトラルホテルの外観

  • オトラルホテルの玄関前の光景

    オトラルホテルの玄関前の光景

  • オトラルホテルの室内<br /><br />狭い部屋にツインのベッドが入れられている上に調度品が置かれているので部屋内の移動ねままならない。<br /><br />調度品の格調は高いと思った。

    オトラルホテルの室内

    狭い部屋にツインのベッドが入れられている上に調度品が置かれているので部屋内の移動ねままならない。

    調度品の格調は高いと思った。

  • ホテル周辺のソ連時代に建てられたアパート

    ホテル周辺のソ連時代に建てられたアパート

  • ホテル周辺のソ連時代に建てられたアパートその2

    ホテル周辺のソ連時代に建てられたアパートその2

  • ホテル周辺を運行しているトロリーバス

    ホテル周辺を運行しているトロリーバス

  • パンヒローフ公園の鳩と通行人

    パンヒローフ公園の鳩と通行人

  • パンヒローフ公園の点景

    パンヒローフ公園の点景

  • 朝から公園でウオッカをあおり寝ている人々

    朝から公園でウオッカをあおり寝ている人々

  • ゼンコフロシア正教会 <br />黄色いチューリップが美しい。

    ゼンコフロシア正教会 
    黄色いチューリップが美しい。

  • 28人のパンヒローフ親衛隊の記念像。<br /><br />後ろに控える首都モスコーへは近付けないぞとのポーズをとる群像<br /><br />折から雨が降り出した。

    28人のパンヒローフ親衛隊の記念像。

    後ろに控える首都モスコーへは近付けないぞとのポーズをとる群像

    折から雨が降り出した。

  • 群像の前で燃え続ける追悼の永遠の火

    群像の前で燃え続ける追悼の永遠の火

  • 群像を訪問し追悼の誠を捧げた政治家達の記念碑が樹木の下に並べられている。

    群像を訪問し追悼の誠を捧げた政治家達の記念碑が樹木の下に並べられている。

  • 群像を訪問し追悼の誠を捧げた政治家達の記念碑が樹木の下に並べられている。

    群像を訪問し追悼の誠を捧げた政治家達の記念碑が樹木の下に並べられている。

  • 祖国防衛戦士の像

    祖国防衛戦士の像

  • 第二次世界大戦に使用された大砲

    第二次世界大戦に使用された大砲

  • 中央バザール。体育館型の建物である。

    中央バザール。体育館型の建物である。

  • バザールでナッツ売り場のおじさん。サマルカンドからの仕入れという。

    バザールでナッツ売り場のおじさん。サマルカンドからの仕入れという。

  • 肉屋

    肉屋

  • 肉屋 朝鮮族の人が多い

    肉屋 朝鮮族の人が多い

  • ヨーグルト売り場

    ヨーグルト売り場

  • 果物屋

    果物屋

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