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 西ドイツの旅、その?です、西ドイツは広いので三つに分割します、バイエルンのミュンヘンから入って、西へ西へと、バーデンバーデンまで、それから、フランスのストラスブールへも立ち寄りますけれど、建物は、殆どドイツと変らないので、此処に入れてしまいます。<br /> 表紙の写真は、ニュールンべルグ、カイザーブルグ城の城内の風景。  ナチスドイツを裁いた、ニュールンべルグ裁判で有名な町なので訪れたのですけれど、これほどに、アンティークな町だったとは・・・・掘り出し物です。

1988年のヨーロッパ 14、西ドイツ編、その2 (ローテンブルグ&ニュールンベルグ etc 南ドイツ & フランス・ストラスブール入り)

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1988/05/27 - 1988/06/05

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ももんがあまん

ももんがあまんさん

 西ドイツの旅、その?です、西ドイツは広いので三つに分割します、バイエルンのミュンヘンから入って、西へ西へと、バーデンバーデンまで、それから、フランスのストラスブールへも立ち寄りますけれど、建物は、殆どドイツと変らないので、此処に入れてしまいます。
 表紙の写真は、ニュールンべルグ、カイザーブルグ城の城内の風景。 ナチスドイツを裁いた、ニュールンべルグ裁判で有名な町なので訪れたのですけれど、これほどに、アンティークな町だったとは・・・・掘り出し物です。

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  • ダッハウ、絶滅収容所跡<br /> 再びの西ドイツ、先ずは、ユダヤ人等の絶滅収容所跡の見学です、アウシュヴィッツほど有名では無いですけれど、ミュンヘンの近くにあります。

    ダッハウ、絶滅収容所跡
     再びの西ドイツ、先ずは、ユダヤ人等の絶滅収容所跡の見学です、アウシュヴィッツほど有名では無いですけれど、ミュンヘンの近くにあります。

  • ダッハウ、絶滅収容所跡<br /> 広い道の両側には、建物の敷石しか残ってはいません、花でも植えれば、何処かの宮殿の庭園にでも見えるような、そんな、広々とした風景です。

    ダッハウ、絶滅収容所跡
     広い道の両側には、建物の敷石しか残ってはいません、花でも植えれば、何処かの宮殿の庭園にでも見えるような、そんな、広々とした風景です。

  • ダッハウ、絶滅収容所跡<br /> 建物の中にあった、トイレの風景です、プライバシーと言うのは、ヨーロッパの社会に於いては、人としての重要な権利です、これを見ても、収容された人々が、どのように扱われていたかが解かります。

    ダッハウ、絶滅収容所跡
     建物の中にあった、トイレの風景です、プライバシーと言うのは、ヨーロッパの社会に於いては、人としての重要な権利です、これを見ても、収容された人々が、どのように扱われていたかが解かります。

  • ミュンヘン、裁判所<br /> ミュンヘンは大都会です、この頃は特に、都会には食傷気味で、殆ど何処にも出かけませんでした。 写真に撮ったミュンヘンの写真は、これ一枚きりです。

    ミュンヘン、裁判所
     ミュンヘンは大都会です、この頃は特に、都会には食傷気味で、殆ど何処にも出かけませんでした。 写真に撮ったミュンヘンの写真は、これ一枚きりです。

  • ディンケルスビュール(ロマンチック街道)<br /> ヨーロッパバスに乗って、一日で・・・ 。  正直なところ、一日で走り過ぎるのは、あまりにも惜しいルートです。  急いだ事が、逆に時間を浪費したような、そんな気がします。

    ディンケルスビュール(ロマンチック街道)
     ヨーロッパバスに乗って、一日で・・・ 。  正直なところ、一日で走り過ぎるのは、あまりにも惜しいルートです。  急いだ事が、逆に時間を浪費したような、そんな気がします。

  • ディンケルスビュール(ロマンティック街道)<br /> 重なり合う、家の屋根は、まさにメルヘン、お伽の国です、この次来る事があれば、必ず泊ってみるつもりです。

    ディンケルスビュール(ロマンティック街道)
     重なり合う、家の屋根は、まさにメルヘン、お伽の国です、この次来る事があれば、必ず泊ってみるつもりです。

  • ローテンブルグ(ロマンティック街道)<br /> ドイツ中世都市の中でも、一番有名な町、「中世の宝石」とも呼ばれているそうです。<br /> 写真の建物は市庁舎、1250年頃の創建だそうです。

    ローテンブルグ(ロマンティック街道)
     ドイツ中世都市の中でも、一番有名な町、「中世の宝石」とも呼ばれているそうです。
     写真の建物は市庁舎、1250年頃の創建だそうです。

  • ローテンブルグ、街並<br /><br /> ローテンブルグが、神聖ローマ帝国直属の「帝国自由都市」となったのは1274年、ハプスブルグ家最初の皇帝、ルドルフ一世の認可によります。<br /><br /> 30年戦争(17世紀)ではプロテスタント側となり、カソリック軍に包囲され、皆殺しになるところを、市長が、3.5&#8467;のビールの一気飲みで町を救ったとの伝説があるそうです???  でも、ホントは、お金を払って、お引取りを願ったらしいです・・・・。

    ローテンブルグ、街並

     ローテンブルグが、神聖ローマ帝国直属の「帝国自由都市」となったのは1274年、ハプスブルグ家最初の皇帝、ルドルフ一世の認可によります。

     30年戦争(17世紀)ではプロテスタント側となり、カソリック軍に包囲され、皆殺しになるところを、市長が、3.5ℓのビールの一気飲みで町を救ったとの伝説があるそうです??? でも、ホントは、お金を払って、お引取りを願ったらしいです・・・・。

  • ローテンブルグ(ロマンティック街道) 街並<br /><br /> 市庁舎だけでなく、町はかなり立派です、隣のディンケルスビュールに比べても、こちらの方が豊かな町だったことが解かります。<br /><br /> そういえば、ディンケルスビュールにも、スウェーデン(プロテスタント軍)に包囲された町が、子供達の嘆願によって救われたとの伝説があり、それに由来するお祭りがあるそうです、けれど、こんな近くの隣り町同士なのに、プロテスタントとカソリックに分かれていたのですね。

    ローテンブルグ(ロマンティック街道) 街並

     市庁舎だけでなく、町はかなり立派です、隣のディンケルスビュールに比べても、こちらの方が豊かな町だったことが解かります。

     そういえば、ディンケルスビュールにも、スウェーデン(プロテスタント軍)に包囲された町が、子供達の嘆願によって救われたとの伝説があり、それに由来するお祭りがあるそうです、けれど、こんな近くの隣り町同士なのに、プロテスタントとカソリックに分かれていたのですね。

  • ローテンブルグ、街並<br /><br /> 町を取り囲む、城壁からの風景です。

    ローテンブルグ、街並

     町を取り囲む、城壁からの風景です。

  • ローテンブルグ、風景<br /><br /> 城壁の外の散歩道です。

    ローテンブルグ、風景

     城壁の外の散歩道です。

  • ヴュルツブルク、マリエンベルク要塞<br /> ロマンティック街道の北の終点? の町、要塞は、この地方を支配したヴュルツブルク司教の館(城館)です、通過しただけの町なので、中は見ませんでした。

    ヴュルツブルク、マリエンベルク要塞
     ロマンティック街道の北の終点? の町、要塞は、この地方を支配したヴュルツブルク司教の館(城館)です、通過しただけの町なので、中は見ませんでした。

  • ヴュルツブルク、アルテ・マイン橋の聖人像<br /> 橋の両側には、約10体ほどの、少し大げさに格好をつけた、聖人たちの像が並んでいます。

    ヴュルツブルク、アルテ・マイン橋の聖人像
     橋の両側には、約10体ほどの、少し大げさに格好をつけた、聖人たちの像が並んでいます。

  • ヴュルツブルグの街並<br /> マイン川の河畔の町です、いろいろと歴史的建造物も数多くある、美しい街です、ただ、バロックなので、少し背が高くて、圧迫感があります。

    ヴュルツブルグの街並
     マイン川の河畔の町です、いろいろと歴史的建造物も数多くある、美しい街です、ただ、バロックなので、少し背が高くて、圧迫感があります。

  • ニュールンべルグ 城門<br /> この町は、皇帝ハインリヒ3世(在位1046〜56)により、帝国の城の傍に市場として建設され、以降、帝国自由都市として発展した、中世都市としては、かなり、由緒正しき町です。

    ニュールンべルグ 城門
     この町は、皇帝ハインリヒ3世(在位1046〜56)により、帝国の城の傍に市場として建設され、以降、帝国自由都市として発展した、中世都市としては、かなり、由緒正しき町です。

  • ニュールンべルグ、城壁<br /> ハインリヒ3世というのは、あの「カノッサの屈辱」で有名な、ハインリヒ4世の父です。<br /><br /> 町はその後も、歴代の皇帝に優遇されて、中世ドイツの中でも、最有力都市として、発展します。<br /> 因みに、宗教改革の時代に、町は「プロテスタントの宣言」をしています、そのせいか、町の教会は、かなり殺風景な気がします(第二次大戦の影響もあるかもしれませんけれど??)。<br /><br /> 現在の町は、第二次大戦により、かなり破壊されたようですけれど、それでも、過っての面影は充分に伺える、気品のある町です。<br /> 

    ニュールンべルグ、城壁
     ハインリヒ3世というのは、あの「カノッサの屈辱」で有名な、ハインリヒ4世の父です。

     町はその後も、歴代の皇帝に優遇されて、中世ドイツの中でも、最有力都市として、発展します。
     因みに、宗教改革の時代に、町は「プロテスタントの宣言」をしています、そのせいか、町の教会は、かなり殺風景な気がします(第二次大戦の影響もあるかもしれませんけれど??)。

     現在の町は、第二次大戦により、かなり破壊されたようですけれど、それでも、過っての面影は充分に伺える、気品のある町です。
     

  • ニュールンベルク、街並<br /><br /> 町のメインストリートの風景です、彼方に、カイザーブルク城が見えます。

    ニュールンベルク、街並

     町のメインストリートの風景です、彼方に、カイザーブルク城が見えます。

  • ニュールンベルク、広場の噴水<br /><br /> 何処にあったものかは忘れました。<br /> 名前も、解かりません、けれど、かなり、目立っていたので、撮っておきました・・・ニュールンベルクは、商人の町であると共に、「ニュールンベルクのマイスタージンガー(職匠歌人)」で知られる、職人の町ですから、これも、その作品の一つでしょうか ? <br /><br /> 追記 jijidarumaさんから、情報を頂きました、この噴水の説明です。<br /><br /> Tugendbrunnen美徳の噴水(ツーゲントブルネン)のブロンズ像:<br /> 聖ローレンツ教会傍のケーニヒ通り40番地、ローレンツ広場にある。<br /> ニュルンベルク生まれの彫刻家Benedikt Wurzelbauer ベネディクト・ヴルツェルバウアー(1548?1620年)がルネサンス時代の1584-1589年にかけて作成したもの。<br /> 名前は「美徳の噴水」で当時の六徳(信仰、愛、希望、勇気、節度、そして忍耐)を表しているらしいが、噴水の水は人形像の乳首から水が出ているので、「慎みのない美徳」と論争を引き起こしたとか。

    ニュールンベルク、広場の噴水

     何処にあったものかは忘れました。
     名前も、解かりません、けれど、かなり、目立っていたので、撮っておきました・・・ニュールンベルクは、商人の町であると共に、「ニュールンベルクのマイスタージンガー(職匠歌人)」で知られる、職人の町ですから、これも、その作品の一つでしょうか ?

     追記 jijidarumaさんから、情報を頂きました、この噴水の説明です。

     Tugendbrunnen美徳の噴水(ツーゲントブルネン)のブロンズ像:
     聖ローレンツ教会傍のケーニヒ通り40番地、ローレンツ広場にある。
     ニュルンベルク生まれの彫刻家Benedikt Wurzelbauer ベネディクト・ヴルツェルバウアー(1548?1620年)がルネサンス時代の1584-1589年にかけて作成したもの。
     名前は「美徳の噴水」で当時の六徳(信仰、愛、希望、勇気、節度、そして忍耐)を表しているらしいが、噴水の水は人形像の乳首から水が出ているので、「慎みのない美徳」と論争を引き起こしたとか。

  • ニュールンベルク、街角のオブジェ<br /> <br /> 骸骨に襲われる裸体の男女。<br /> 妙な男の首付きの船と言うのも不気味です、神話か何か ?  あるいは、何らかの恐怖の具象化でしょうか? <br /> ご存知の方は、お知らせ下さい、宜しく。<br /><br /> 追記 jijidarumaさんから、情報を頂きました・・感謝です。<br /><br /> Narrenschiffbrunnen愚か者の船の噴水(ナーレンシフブルネン)像:<br /> 彫刻家ユルゲン・ウェーバーJuergen Weber(1928‐2007年、ミュンスタ生まれ)の作品で、作品の主題は下記の『阿呆船』=『愚か者の船』である。<br /> ルーブル美術館に収蔵されているヒエロニムス・ボスの「愚者の船」も同じ題材の作品です。<br /> 『阿呆船』(あほうせん、Das Narrenschiff) は、15世紀ドイツの作家ゼバスティアン・ブラントSebastian Brant(ストラースブルク生まれ)によって書かれた諷刺文学である。1494年にバーゼルで刊行された。1497年にはラテン語訳も刊行され、その後英語、フランス語、オランダ語など各言語に翻訳されて16世紀ヨーロッパにおけるベストセラーになった。<br /> ありとあらゆる種類・階層の偏執狂、愚者、白痴、うすのろ、道化といった阿呆の群がともに一隻の船に乗り合わせて、阿呆国ナラゴニアめざして出航するという内容である。全112章にわたって112種類の阿呆どもの姿を謝肉祭の行列のごとく配列して、滑稽な木版画の挿絵とともに描写しており、各章にはそれぞれに教訓詩や諷刺詩が付されている。(Wiki)<br /><br /> そういえば・・日本列島は、なんとなく船に似てる・・巨大な巨大な「阿呆船」かも?・・最近もうホントに、付き合いきれない・・そんな気がする毎日だわ・・・

    ニュールンベルク、街角のオブジェ
     
     骸骨に襲われる裸体の男女。
     妙な男の首付きの船と言うのも不気味です、神話か何か ? あるいは、何らかの恐怖の具象化でしょうか?
     ご存知の方は、お知らせ下さい、宜しく。

     追記 jijidarumaさんから、情報を頂きました・・感謝です。

     Narrenschiffbrunnen愚か者の船の噴水(ナーレンシフブルネン)像:
     彫刻家ユルゲン・ウェーバーJuergen Weber(1928‐2007年、ミュンスタ生まれ)の作品で、作品の主題は下記の『阿呆船』=『愚か者の船』である。
     ルーブル美術館に収蔵されているヒエロニムス・ボスの「愚者の船」も同じ題材の作品です。
     『阿呆船』(あほうせん、Das Narrenschiff) は、15世紀ドイツの作家ゼバスティアン・ブラントSebastian Brant(ストラースブルク生まれ)によって書かれた諷刺文学である。1494年にバーゼルで刊行された。1497年にはラテン語訳も刊行され、その後英語、フランス語、オランダ語など各言語に翻訳されて16世紀ヨーロッパにおけるベストセラーになった。
     ありとあらゆる種類・階層の偏執狂、愚者、白痴、うすのろ、道化といった阿呆の群がともに一隻の船に乗り合わせて、阿呆国ナラゴニアめざして出航するという内容である。全112章にわたって112種類の阿呆どもの姿を謝肉祭の行列のごとく配列して、滑稽な木版画の挿絵とともに描写しており、各章にはそれぞれに教訓詩や諷刺詩が付されている。(Wiki)

     そういえば・・日本列島は、なんとなく船に似てる・・巨大な巨大な「阿呆船」かも?・・最近もうホントに、付き合いきれない・・そんな気がする毎日だわ・・・

  • ニュールンベルク、カイザーブルク城の城門<br /><br /> 1050年、ハインリヒ3世により建設された、神聖ローマ帝国皇帝の居城です、以降、500年、皇帝の居城であったそうです。<br /><br /> 印象は、かなりジミなお城です、中世の城という感じの色濃い、要塞型の城で、好きなタイプです。<br /><br /> 

    ニュールンベルク、カイザーブルク城の城門

     1050年、ハインリヒ3世により建設された、神聖ローマ帝国皇帝の居城です、以降、500年、皇帝の居城であったそうです。

     印象は、かなりジミなお城です、中世の城という感じの色濃い、要塞型の城で、好きなタイプです。

     

  • テュービンゲン(シュヴァルツヴァルト)<br /> ネッカー川、河畔の街並です。

    テュービンゲン(シュヴァルツヴァルト)
     ネッカー川、河畔の街並です。

  • テュービンゲン(シュヴァルツヴァルト)<br /><br /> テュービンゲンは、黒い森(シュヴァルツヴァルト)と言われる地域の、東北部の町、ヘッセ、ヘーゲル、シェリング等が学んだ大学の町です。<br /><br /> 日本の学生街と違って、とても静かです、全ての建物や路地に、歴史を感じます、勉強も、良く出来るかもしれませんね、羨ましいです。

    テュービンゲン(シュヴァルツヴァルト)

     テュービンゲンは、黒い森(シュヴァルツヴァルト)と言われる地域の、東北部の町、ヘッセ、ヘーゲル、シェリング等が学んだ大学の町です。

     日本の学生街と違って、とても静かです、全ての建物や路地に、歴史を感じます、勉強も、良く出来るかもしれませんね、羨ましいです。

  • テュービンゲン、ネッカー河畔の風景<br /><br /> かもの親子がいました、春ですねえ。

    テュービンゲン、ネッカー河畔の風景

     かもの親子がいました、春ですねえ。

  • テュービンゲン、ネッカー川の夕暮れ<br /><br /> ヨーロッパの町は、何処もシルエットが美しいですけれど、この町も、なかなかです。

    テュービンゲン、ネッカー川の夕暮れ

     ヨーロッパの町は、何処もシルエットが美しいですけれど、この町も、なかなかです。

  • ベーベンハウゼン(シュヴァルツヴァルト)<br /> テュービンゲンから向いました。  あまり、誰も知らない村だと思いますけれど、ドイツ(プロイセン)最後の皇帝、ウィルヘルム二世が、第一次大戦後に帝位を退き、移り住んだ村です。

    ベーベンハウゼン(シュヴァルツヴァルト)
     テュービンゲンから向いました。 あまり、誰も知らない村だと思いますけれど、ドイツ(プロイセン)最後の皇帝、ウィルヘルム二世が、第一次大戦後に帝位を退き、移り住んだ村です。

  • ベーベンハウゼン(シュヴァルツヴァルト)<br /> 森の中に切り開かれた、静かな村です、村にある修道院はわりと有名で、12世紀の創建であるそうです、あの、ヘルマン・ヘッセも、ハイキングで、この村を良く訪れたらしいです。

    ベーベンハウゼン(シュヴァルツヴァルト)
     森の中に切り開かれた、静かな村です、村にある修道院はわりと有名で、12世紀の創建であるそうです、あの、ヘルマン・ヘッセも、ハイキングで、この村を良く訪れたらしいです。

  • リヒテンシュタイン城<br /> こちらも、ヘッセが良く訪れたお城だそうです、あの、スイスとオーストリアとの間の小国と、何か関係があるのかと思ったけれど、関係は無いようです。<br /><br /> 何でもこのお城は、ウィルヘルム・ハウフと言う人の書いた「リヒテンシュタイン」と言う小説に感動した、ある公爵様(同名ウィルヘルムと言うらしい)が、その小説に基づいて、建築した(1840〜1842)お城であるらしい、物好きと言うか、おバカと言うか ?   嫌いじゃないですけど・・・あの、ノイシュヴァンシュタイン城と同じで、お金持ちの考える事は、僕の理解を超えています。

    リヒテンシュタイン城
     こちらも、ヘッセが良く訪れたお城だそうです、あの、スイスとオーストリアとの間の小国と、何か関係があるのかと思ったけれど、関係は無いようです。

     何でもこのお城は、ウィルヘルム・ハウフと言う人の書いた「リヒテンシュタイン」と言う小説に感動した、ある公爵様(同名ウィルヘルムと言うらしい)が、その小説に基づいて、建築した(1840〜1842)お城であるらしい、物好きと言うか、おバカと言うか ?  嫌いじゃないですけど・・・あの、ノイシュヴァンシュタイン城と同じで、お金持ちの考える事は、僕の理解を超えています。

  • リヒテンシュタイン城<br /><br /> いかにも、中世の城という感じですけれど、塔だけが、やたらと太すぎて、少しバランスが変です、趣味で作ったお城ですから、やはり何処か、不自然なスタイルをしているような、そんな気がします。<br /><br /> でもわりと、小説「リヒテンシュタイン」は、ドイツでは有名らしく、観光客もソコソコいるようです。

    リヒテンシュタイン城

     いかにも、中世の城という感じですけれど、塔だけが、やたらと太すぎて、少しバランスが変です、趣味で作ったお城ですから、やはり何処か、不自然なスタイルをしているような、そんな気がします。

     でもわりと、小説「リヒテンシュタイン」は、ドイツでは有名らしく、観光客もソコソコいるようです。

  • リヒテンシュタイン城<br /> チュービンゲンからは、ルートバスで、お城の麓まで行けます、麓からは、公爵様(多分?)がミニバスでお城まで連れて行ってくれました。<br /> お城の案内は、娘さんがしてくれました(英語可)、もてなしは、ノイシュヴァンシュタイン城なんかより、ずっと親切です、物好きな方がおられたら、是非どうぞ、でも、小説を知らない事には、興味も・・・??ですね。<br /> 因みに「リヒテンシュタイン」とは、中世末期に、この地方に住み、17世紀に没落した、騎士の一族の名であるそうで、小説は、いわゆるゴシック小説 (中世の城や僧院を舞台とした18世紀末〜19世紀に流行した怪奇小説、「ドラキュラ」「フランケン・・・」等も同類) のようです。

    リヒテンシュタイン城
     チュービンゲンからは、ルートバスで、お城の麓まで行けます、麓からは、公爵様(多分?)がミニバスでお城まで連れて行ってくれました。
     お城の案内は、娘さんがしてくれました(英語可)、もてなしは、ノイシュヴァンシュタイン城なんかより、ずっと親切です、物好きな方がおられたら、是非どうぞ、でも、小説を知らない事には、興味も・・・??ですね。
     因みに「リヒテンシュタイン」とは、中世末期に、この地方に住み、17世紀に没落した、騎士の一族の名であるそうで、小説は、いわゆるゴシック小説 (中世の城や僧院を舞台とした18世紀末〜19世紀に流行した怪奇小説、「ドラキュラ」「フランケン・・・」等も同類) のようです。

  • シュヴァルツヴァルトの風景<br /> リヒテンシュタイン城からの帰り道、羊飼いに連れられた、羊の群れが歩いていました、ドイツにも、いまだこんな風景があるとは、驚きでした。

    シュヴァルツヴァルトの風景
     リヒテンシュタイン城からの帰り道、羊飼いに連れられた、羊の群れが歩いていました、ドイツにも、いまだこんな風景があるとは、驚きでした。

  • ハイデルブルグ 廃墟の城砦<br /> ハイデルブルクは大学の町(1386年創立)、勉学の為に、大学へ入学した王子と下宿屋の娘との、ロマンチックな、青春の恋物語(戯曲)「アルト・ハイデルベルク」で有名な町です。

    ハイデルブルグ 廃墟の城砦
     ハイデルブルクは大学の町(1386年創立)、勉学の為に、大学へ入学した王子と下宿屋の娘との、ロマンチックな、青春の恋物語(戯曲)「アルト・ハイデルベルク」で有名な町です。

  • ハイデルベルク、街並&ネッカー川(城砦から) <br /> 「アルト・ハイデルベルク」なんて、今では、知る人も少ないでしょうけれど、「明治」「大正」「昭和初期」の頃には、日本でも、大学の演劇祭などでは「定番」だったそうです、僕は、高校生の頃(岩波文庫)読みました(勿論、昭和・戦後です)。

    ハイデルベルク、街並&ネッカー川(城砦から) 
     「アルト・ハイデルベルク」なんて、今では、知る人も少ないでしょうけれど、「明治」「大正」「昭和初期」の頃には、日本でも、大学の演劇祭などでは「定番」だったそうです、僕は、高校生の頃(岩波文庫)読みました(勿論、昭和・戦後です)。

  • ハイデルブルク、城門<br /><br /> ハイデルブルクは、ドイツの町としては珍しく、第二次大戦時に、戦禍を逃れた町であるとか、何でも、当時の、連合軍の司令官が、「アルト・ハイデルベルク」のブロードウェイ版「学生王子」のファンで、この町に憧れを抱いていて、空襲を、させなかったとか・・・<br /> ちょっとパターンは違うかもしれないけれど、日本で言えば、京都のような話でしょうか、おかげで、ドイツでも、一級の観光地となっています。<br /> ただ、当のドイツ人は、この戯曲の事は、あまり知らないそうです、確かに今の時代には、少し綺麗過ぎて、純情すぎる物語ではあります。<br />

    ハイデルブルク、城門

     ハイデルブルクは、ドイツの町としては珍しく、第二次大戦時に、戦禍を逃れた町であるとか、何でも、当時の、連合軍の司令官が、「アルト・ハイデルベルク」のブロードウェイ版「学生王子」のファンで、この町に憧れを抱いていて、空襲を、させなかったとか・・・
     ちょっとパターンは違うかもしれないけれど、日本で言えば、京都のような話でしょうか、おかげで、ドイツでも、一級の観光地となっています。
     ただ、当のドイツ人は、この戯曲の事は、あまり知らないそうです、確かに今の時代には、少し綺麗過ぎて、純情すぎる物語ではあります。

  • ハイデルブルク、アルテ橋<br /> 橋のかかる川は、ネッカー川です。 テュービンゲンの町を流れていたネッカー川と同じです、テュービンゲンよりは、かなり川幅が広くなって、この先は、ラインに流れ込みます。

    ハイデルブルク、アルテ橋
     橋のかかる川は、ネッカー川です。 テュービンゲンの町を流れていたネッカー川と同じです、テュービンゲンよりは、かなり川幅が広くなって、この先は、ラインに流れ込みます。

  • ハイデルベルク、見張りの塔(哲学者の道にて)<br /><br /> 王子と、友の学生達が歩いたであろう道を歩きました、ゲーテやショパンも、この町を訪れ、この町で学び、この道を歩いたと言われています。<br /><br /> 僕が、そこを歩いたところで、「だから、どうなの??」と、言われそうですけれど・・・<br /><br /> 嗚呼、そう言えば、京都にも、「哲学者の道」と言うのがありましたね、勿論、この町のパクリなんでしょうけれど、誰が名付けたのでしょうか?? 何処か、似ているところがあったのでしょうか??。

    ハイデルベルク、見張りの塔(哲学者の道にて)

     王子と、友の学生達が歩いたであろう道を歩きました、ゲーテやショパンも、この町を訪れ、この町で学び、この道を歩いたと言われています。

     僕が、そこを歩いたところで、「だから、どうなの??」と、言われそうですけれど・・・

     嗚呼、そう言えば、京都にも、「哲学者の道」と言うのがありましたね、勿論、この町のパクリなんでしょうけれど、誰が名付けたのでしょうか?? 何処か、似ているところがあったのでしょうか??。

  • ハイデルベルク、修道院の廃墟<br /> 「哲学者の道」の山の中にあった修道院の廃墟です、雨がしとしとと降って、寂しい風景に、輪をかけています。  多分、宗教改革の時代に、壊されたものと思います。

    ハイデルベルク、修道院の廃墟
     「哲学者の道」の山の中にあった修道院の廃墟です、雨がしとしとと降って、寂しい風景に、輪をかけています。  多分、宗教改革の時代に、壊されたものと思います。

  • ハイデルベルク、野外劇場<br /> こちらも「哲学者の道」の山中にある、「野外劇場」です、この劇場で「アルト・ハイデルベルク」が演じられる事は、もう無いのでしょうね。

    ハイデルベルク、野外劇場
     こちらも「哲学者の道」の山中にある、「野外劇場」です、この劇場で「アルト・ハイデルベルク」が演じられる事は、もう無いのでしょうね。

  • バーデンバーデン<br /> ヨーロッパ大陸で一番有名な、ローマ以来の温泉の町です、ただ、僕としては、あまり、温泉には興味が無くて、2日間連荘で、近くのバーデンバーデン競馬場で、競馬三昧しておりました。

    バーデンバーデン
     ヨーロッパ大陸で一番有名な、ローマ以来の温泉の町です、ただ、僕としては、あまり、温泉には興味が無くて、2日間連荘で、近くのバーデンバーデン競馬場で、競馬三昧しておりました。

  • バーデンバーデン<br /> 町(温泉地)は、周りを黒い森(シュヴァルツヴァルト)に囲まれています、建物自体は、まるで違いますけれど、日本の温泉地のイメージと、立地条件としては、良く似ているかもしれません。

    バーデンバーデン
     町(温泉地)は、周りを黒い森(シュヴァルツヴァルト)に囲まれています、建物自体は、まるで違いますけれど、日本の温泉地のイメージと、立地条件としては、良く似ているかもしれません。

  • シュトラスブルク(ストラスブール)<br /> バーデンバーデンから、日帰りで出かけました、フランスはアルザス地方の州都ですけれど、建物は殆どドイツの町に近いし、何度もドイツと行ったりきたりしている町なので、ドイツに入れても問題無しですね ?? べつに、ドイツびいきというわけではありません。

    シュトラスブルク(ストラスブール)
     バーデンバーデンから、日帰りで出かけました、フランスはアルザス地方の州都ですけれど、建物は殆どドイツの町に近いし、何度もドイツと行ったりきたりしている町なので、ドイツに入れても問題無しですね ?? べつに、ドイツびいきというわけではありません。

  • シュトラスブルク(ストラスブール)<br /> 旧市街、イル川沿いの風景です。 川沿いの風景と言うのは、何処の町でも美しいですけれど、なんとなく、ドイツの町よりも、華やかさと、自由さが感じられるような・・・気のせいでしょうか ??

    シュトラスブルク(ストラスブール)
     旧市街、イル川沿いの風景です。 川沿いの風景と言うのは、何処の町でも美しいですけれど、なんとなく、ドイツの町よりも、華やかさと、自由さが感じられるような・・・気のせいでしょうか ??

  • シュトラスブルク(ストラスブール)<br />ノートルダム大聖堂<br /><br /> 12世紀の創建であるそうです、かなり立派です、塔は一本しかありませんが、それでも紛れも無く、ゴシック様式であるとの事。

    シュトラスブルク(ストラスブール)
    ノートルダム大聖堂

     12世紀の創建であるそうです、かなり立派です、塔は一本しかありませんが、それでも紛れも無く、ゴシック様式であるとの事。

  • シュトラスブルク(ストラスブール)<br />ノートルダム大聖堂、天文時計<br /><br /> 仕掛け時計が、ヨーロッパに多く現れたのは、13世紀の頃であるそうです、これもその頃のものでしょうか ?? <br /><br /> 天文時計は、大宇宙(自然)と小宇宙(人間世界)を繋ぐもので、キリスト教の「直線的時間意識」と「一元的宇宙観(自然観)」の象徴であるそうです。<br /><br /> この頃の教会にとって、とても重要なアイテムであると共に、近代文明への第一歩でしょうか。

    シュトラスブルク(ストラスブール)
    ノートルダム大聖堂、天文時計

     仕掛け時計が、ヨーロッパに多く現れたのは、13世紀の頃であるそうです、これもその頃のものでしょうか ??

     天文時計は、大宇宙(自然)と小宇宙(人間世界)を繋ぐもので、キリスト教の「直線的時間意識」と「一元的宇宙観(自然観)」の象徴であるそうです。

     この頃の教会にとって、とても重要なアイテムであると共に、近代文明への第一歩でしょうか。

  • シュトラスブルク(ストラスブール)<br /> 駅を降りたときに、なんとなく、華やかさを感じたのは、お祭りのせいだったのでしょうか ?  良く解かりませんけれど、民族衣装の子供たちが、とても可愛いかったです。

    シュトラスブルク(ストラスブール)
     駅を降りたときに、なんとなく、華やかさを感じたのは、お祭りのせいだったのでしょうか ? 良く解かりませんけれど、民族衣装の子供たちが、とても可愛いかったです。

  • シュトラスブルク(ストラスブール)<br /> 子供達のお祭りのようです、なんとなく、恥かしそうに踊っているように見えますけれど、勝手な思い込みでしょうか ??  この後は、再び、ドイツへ戻って、北上します。<br />

    シュトラスブルク(ストラスブール)
     子供達のお祭りのようです、なんとなく、恥かしそうに踊っているように見えますけれど、勝手な思い込みでしょうか ??  この後は、再び、ドイツへ戻って、北上します。

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この旅行記へのコメント (3)

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  • jijidarumaさん 2020/03/11 16:35:51
    ニュルンベルクで知られた噴水
    ももんがあまんさん、
    今日は。初めまして。
    お立ち寄りありがとうございました。

    ドイツの旅の旅行記を楽しく拝見しました。
    そして、ニュルンベルクで知られた噴水につき、少々調べてみましたので、ご参考に添付します

    参考:
    https://g-switch.org/vereinigte-staaten/kalifornien/sequoia-and-kings-canyon-photo-tour-4082545/


    Tugendbrunnen美徳の噴水(ツーゲントブルネン)のブロンズ像:
    聖ローレンツ教会傍のケーニヒ通り40番地、ローレンツ広場にある。
    ニュルンベルク生まれの彫刻家Benedikt Wurzelbauer ベネディクト・ヴルツェルバウアー(1548–1620年)がル年サンス時代の1584-1589年にかけて作成したもの。
    名前は「美徳の噴水」で当時の六徳(信仰、愛、希望、勇気、節度、そして忍耐)を表しているらしいが、噴水の水は人形像の乳首から水が出ているので、「慎みのない美徳」と論争を引き起こしたとか。

    Narrenschiffbrunnen愚か者の船の噴水(ナーレンシフブルネン)像:
    彫刻家ユルゲン・ウェーバーJuergen Weber(1928‐2007年、ミュンスタ生まれ)の作品で、作品の主題は下記の『阿呆船』=『愚か者の船』である。
    ルーブル美術館に収蔵されているヒエロニムス・ボスの「愚者の船」も同じ題材の作品です。

    『阿呆船』(あほうせん、Das Narrenschiff) は、15世紀ドイツの作家ゼバスティアン・ブラントSebastian Brant(ストラースブルク生まれ)によって書かれた諷刺文学である。1494年にバーゼルで刊行された。1497年にはラテン語訳も刊行され、その後英語、フランス語、オランダ語など各言語に翻訳されて16世紀ヨーロッパにおけるベストセラーになった。
    ありとあらゆる種類・階層の偏執狂、愚者、白痴、うすのろ、道化といった阿呆の群がともに一隻の船に乗り合わせて、阿呆国ナラゴニアめざして出航するという内容である。全112章にわたって112種類の阿呆どもの姿を謝肉祭の行列のごとく配列して、滑稽な木版画の挿絵とともに描写しており、各章にはそれぞれに教訓詩や諷刺詩が付されている。(Wiki)

    jijidaruma

    ・・・・・・・

    ももんがあまん

    ももんがあまんさん からの返信 2020/03/12 00:38:19
    Re: ニュルンベルクで知られた噴水
     jijidarumaさん 今晩は、初めまして。

     ニュールンベルグの謎の彫刻二点・・32年ぶりに、その正体が解りました・・ホント、ありがとうございます・・噴水の方は、中世期によく作られた、いわゆる「寓意像」と言う奴ですね、そんなに古いものだとは思わなかったです・・何となく、卑猥な気がしたし・・WW・・・もう一つは「阿呆船」ですか、昔読んだミシェル・フーコーの「狂気の歴史」の中に、ボシュの絵が、挿絵として使われていたのを思い出しましたけど・・元ネタは、15世紀の諷刺小説だったのですね・・知りませんでした・・長年の謎がクリアに成りました・・良かった・良かった・・WW・・重ねて感謝します。

     jijidarumaさんの旅行記、歯ごたえがあって、面白いですね・・書き込みの多い旅行記は、大好きです・・・フォローして、またお伺いしますね。

                     by ももんがあまん

    jijidaruma

    jijidarumaさん からの返信 2020/03/12 01:59:09
    RE: フォロー
    ももんがあまんさん、

    フォローして頂き恐縮です。
    当方も先ほどフォローさせて頂きました。
    ドイツ大好き、古城巡り、古城ホテル好き人間ですので
    宜しくお願いします。

    jijidaruma

    尚、返信はご不要です。

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