![2006-01-09<br /><br />1961年10月3日(火)<br /><br />ナントから始まった市電復活は、燎原の火のようにフランス全土に及ぶ。<br /><br />20世紀前半、市民の足として愛されていた市電は、自家用車の氾濫とともに道路交通の障害として撤去された。<br />この流れはアメリカに始まり、フランス、日本にも及んで、各都市の市電は次々に廃業となり、バスに置き換えられた。<br /><br />この流れに沿わなかったのは、ドイツなどゲルマン文化圏と、東欧諸国である。<br />これらの町々では、市電の性能が改善され、路線の延長さえ行われた。<br /><br />しかし1970年代に入り、都心部の空気汚染や渋滞が目立つようになり、バスのスピードは遅くなって町の元気が失われ、いったん市電を廃止した町は空気汚染も少ない市電の再評価をし始めた。<br /><br />昔の市電と異なるところは、電車の走る軌道が自動車と隔離され、スピードアップされた点である。<br />市電が自動車に優先され、道路交差点の信号も市電に合わせて青になる。<br /><br />電車も静かでスマートなものが生まれ、バスの二倍以上のスピードで走るようになる。<br />最高速度は時速60キロから、郊外区間では100キロに達するものが現われる。<br /><br />停車時分まで含めても、バスが時速10キロそこそこまで落ちていたのを、30キロを超えるようになる。<br />地下鉄にも匹敵するスピードだ。<br /><br />今では、市電が在来鉄道に乗り入れることさえ行われるようになった。<br />市電の在来鉄道乗り入れで最初に成功したのは、ドイツのカールスルーエだが、その後サールブリュッケン(ドイツ)、ジュネーヴと広がり、ナントでも始まろうとしている。<br />](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/10/04/83/650x_10048315.jpg?updated_at=1136762715)
1972/10/03 - 1972/10/03
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片瀬貴文さん
2006-01-09
1961年10月3日(火)
ナントから始まった市電復活は、燎原の火のようにフランス全土に及ぶ。
20世紀前半、市民の足として愛されていた市電は、自家用車の氾濫とともに道路交通の障害として撤去された。
この流れはアメリカに始まり、フランス、日本にも及んで、各都市の市電は次々に廃業となり、バスに置き換えられた。
この流れに沿わなかったのは、ドイツなどゲルマン文化圏と、東欧諸国である。
これらの町々では、市電の性能が改善され、路線の延長さえ行われた。
しかし1970年代に入り、都心部の空気汚染や渋滞が目立つようになり、バスのスピードは遅くなって町の元気が失われ、いったん市電を廃止した町は空気汚染も少ない市電の再評価をし始めた。
昔の市電と異なるところは、電車の走る軌道が自動車と隔離され、スピードアップされた点である。
市電が自動車に優先され、道路交差点の信号も市電に合わせて青になる。
電車も静かでスマートなものが生まれ、バスの二倍以上のスピードで走るようになる。
最高速度は時速60キロから、郊外区間では100キロに達するものが現われる。
停車時分まで含めても、バスが時速10キロそこそこまで落ちていたのを、30キロを超えるようになる。
地下鉄にも匹敵するスピードだ。
今では、市電が在来鉄道に乗り入れることさえ行われるようになった。
市電の在来鉄道乗り入れで最初に成功したのは、ドイツのカールスルーエだが、その後サールブリュッケン(ドイツ)、ジュネーヴと広がり、ナントでも始まろうとしている。
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この旅行記へのコメント (2)
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- とらいもんさん 2006/01/10 09:36:33
- 路面電車
- ソフイさんへ
オハヨウございます。
県都新潟に「万代橋」が有名です。昭和の初期なのに、幅の広い橋を作りました。情報によりますと、新潟県の燕町(当時、洋食器の町)から県庁まえまで、私鉄電車(県庁近くは路面)走ってました。それを延長して(路面電車)新潟駅までの計画があったそうですが、戦争と自動車の事情で立ち消えになったらしいですが、私は日本の他の都市のように、車の乗り入れ規制と工夫で作れたらと思ってます。
山のほうも、登山電車やケーブルカーにする(排気ガス)対策はどうかなあデス。
こばやしより
- 片瀬貴文さん からの返信 2006/01/10 22:37:08
- RE: 路面電車
- こばやしさんへ
日本に市電がなかなか育たないのは、市民にその気がないからだと思います。
一番の問題点は、誰が費用(建設費と運行費)を負担するかです。
私の勝手な推測ですが、欧米の1970年代の流れは、40年遅れで2010年ごろに来るのではないでしょうか。
鉄道については、建設が40年遅れ、赤字転化が40年遅れて、日本に来ました。
新幹線建設で、あちこちの在来線が空いてきます。
今こそドイツのカールスルーエやフランスのミュルーズ?などに習い、在来線の駅を思い切って増やし、市電を運行してはと思います。
それを町の中にまで乗り入れれば、便利な上、町が目覚めるでしょうが。
その時も、ドイツ流に石油税を投入するか、フランス流に赤字の75%を税金で埋めるか、市民がその気にならない限り、前進はないでしょう。
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