![「時限爆弾が爆発したとき、また京都を訪れたくなるだろう。」高校の修学旅行の後、東京で教師が語った言葉。その時限爆弾が心で爆発した。<br /> ライトアップされ言葉に出来ないほど美しかった清水寺、八つ橋おつまみでの乾杯、朝食クッキング、鴨川&哲学の道散策、先斗町・・・最終日に足湯で旅の疲れを癒すまでの感動の京都紅葉3日間旅行。<br /> その旅は広島は宮島の鹿から始まった。原爆ドームで考えさせられ、広島風お好み焼きで腹を満たされ、田舎があり4年振りに訪れた徳島では私をカタチづくった色々な要素を再確認。<br />美しい日本語をたくさん聞いた町々での忘れがたい6日間の写真旅行記。<br />【※旅日記ではなく、旅行後の回想による旅行記です】](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/10/04/39/650x_10043980.jpg?updated_at=1133133180)
2005/11/21 - 2005/11/28
40042位(同エリア44178件中)
ダイサクさん
「時限爆弾が爆発したとき、また京都を訪れたくなるだろう。」高校の修学旅行の後、東京で教師が語った言葉。その時限爆弾が心で爆発した。
ライトアップされ言葉に出来ないほど美しかった清水寺、八つ橋おつまみでの乾杯、朝食クッキング、鴨川&哲学の道散策、先斗町・・・最終日に足湯で旅の疲れを癒すまでの感動の京都紅葉3日間旅行。
その旅は広島は宮島の鹿から始まった。原爆ドームで考えさせられ、広島風お好み焼きで腹を満たされ、田舎があり4年振りに訪れた徳島では私をカタチづくった色々な要素を再確認。
美しい日本語をたくさん聞いた町々での忘れがたい6日間の写真旅行記。
【※旅日記ではなく、旅行後の回想による旅行記です】
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『心の時限爆弾』
タイやカンボジアか、京都か、はたまた三田祭か。
11月中旬から始まる三田祭休み期間中をどのように過すかをインドを旅している時から考えていた。
当初はブラジルに行こうと考えていた。インドと同じように何故か強く惹かれていたブラジル。しかし、来年春の卒業旅行を考える(最後に1、2ヶ月行く予定)と、お金が足りなく、またせっかく地球の裏側まで行くのならもっと長い時間いないと&サンバのある2月に行かないとmottainaiということでブラジル行きはなくなった。 今年は最後の三田祭であり、ゼミでもちゃんこの店を出店する計画をたてていたが、自分はこの中期の休みを利用して旅行することを決めていた。先の通りブラジル行きが延期(?)された為、残る候補先はタイかカンボジア、京都になった。アジアで安く行け、興味もあるタイやカンボジアでバックパックを背負っての一人旅。たいして京都ー。
学生最後の秋が深まる気配をみせる10月、ついに決断。京都に行くことを決めた。なぜ京都なのだろうということを書くと色々な理由が挙げられるが、ようは行きたくなったのだ。それをもったいぶって説明するならば、こんな良い例がある。 高校時代の京都修学旅行の後、東京で先生がおっしゃった。
「君達は今回の修学旅行で心の時限爆弾を持って帰った。将来いつの日か、“また京都に行きたい”と思う時限爆弾を。」
確かそんなような事を言っていたように思う。
京都行きが決まってから宿をネットで探すが、1ヶ月前にも関わらず結構埋まっている。そしてついに宿を確保。地球温暖化で紅葉が遅れるだろう、という情報を元に京都に泊まる日は11月の最後の金土日にする。それから1ヶ月の時が流れ、いざ出発の時が近づいてきた。京都の前に前から行きたかった広島に行くことにし、その後田舎のある徳島に帰ることにする。旅が迫ってくるに従い増してくる気持ちの高揚。わくわく感。そして旅が始まった。
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前日20日、ネットで予約したバスのチケット(東京→広島がたしか11300円、広島→徳島が6000円)を家の近くのコンビニで発券&購入。世の中便利になったと実感。そして21日の昼くらいから本格的に荷造り開始。旅独特の心の高揚を感じる。そして夜21時、東京八重洲北口から広島駅行きの夜行バスに乗る。夜行バスは温かくまずまず快適だった。バス内では体を自由に伸ばせないので普段ベッドで寝ることができることに感謝。翌21日早朝、7時30分過ぎに広島到着。
外はまだ肌寒く、駅前の喫茶店でコーヒーとホットドックを食す。それから宮島行きの切符を購入。(570円)日経新聞を読みながら朝の通勤時間帯の電車に乗る。周りは学生が多かった。東京と比べたら電車内は空いていた。やっぱり東京の通勤ラッシュ時の電車内は異常。あの混雑した電車に乗って通勤だけはしたくない。20分ほど乗ると宮島行きの港に着いた。切符には宮島行きの代金も含まれており、そのままフェリーに乗る。
宮島に近づいていく。日本三景のある島。島に近づいていき、ついにソレが見えた。世界文化遺産である厳島神社の大鳥居だ。 -
海の匂いが心地よかった。フェリーは10分もしないうちに宮島に到着。さてどうしようか。さすがは宮島ということもあって外人の旅行者や日本のツアー客がいっぱいいた。多くは右手の厳島神社方面に歩いていく。自分は人とは違うことをすることが好きである。そこで一人群集から離れて左方向に歩いていった。と、びっくり!!鹿がいた。
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広島の宮島を訪ねるにあたって、事前情報は宮島の最低限の説明が書かれた観光サイトのページを読みコピーして持ってきただけであった。そんなわけで、宮島に鹿がいるなんて全く想像していなかったので、この鹿ちゃんたちとの遭遇が私のテンションを上げた。
宮島には鹿がごろごろいた。 -
左方向に歩いて行き、「紅葉谷公園」に向かうことにした。距離は1.5km。自転車も借りることができたが紅葉を楽しみながら歩くことにした。
朝早くで人も少なく、紅葉を見ながらの心地よい道だった。 -
歩いていていく道には鹿が普通にいた。
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五重塔と千畳閣。
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紅葉を撮っているおじいちゃんと話したりと紅葉谷公園散策を満喫。
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いい色。
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何かは忘れたが撮りあえず写真に。
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綺麗な場所だった。
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目も心もリラックス。
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五重塔。
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そして世界文化遺産、厳島神社へ。
800年以上も前に平安貴族が建てたこの神社は、海中を敷地とする奇想天外な発想で世界でも有名。夜には海の中に浸り、ライトアップもされとても美しいみたいだ。
この日はちょうど神社内で結婚式(たぶん)が行われていた。 -
この景色はぜひとも生で見たかったので満足。
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すごい発想だなあ。
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親子(?!)ですいすい♪
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“日本”って感じの木々。
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島を散策しながら、お土産物屋でおばあちゃん用に紅葉を押し当てて焼いた茶碗を購入。
歩いていてお腹がすいたので焼きたてのもみじ饅頭とわさび醤油せんべいを食す。おいしい!旅行ではこうした食べ歩きがけっこう好き。
宮島から広島に広まったとされるもみじ饅頭をお土産用に3箱購入。
これは宮島特産の杓子。
でかすぎる! -
ついつい写真に。
この後“日本一おいしい”っていうコロッケを食す。
それからフェリーに乗り宮島を離れる。
朝8時30分過ぎに宮島に着いてから3時間ちょっとの時間だったが宮島を満喫。
お腹が減ってはいたが、広島風お好み焼きの為に我慢。 -
広島の路電に乗ること40分。
原爆ドーム前駅に近づくにつれ、なんとも言えない気持ちになってくる。
そして原爆ドーム。 -
原爆ドームを見た後、平和記念資料館へ。
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平和記念公園内にも、平和記念資料館内にも、欧米人がけっこういた。社会科見学で来ているのか小さな小学生の大群がいっぱいいた。
広島に来る前に、友人などから聞かされていた通り、平和記念資料館には心を揺さぶられる資料が揃っていた。沈痛な面持ちでゆっくりと見て周った。ほんの60年昔に起こったこと。日本が犯した過ち、広島が経験した悲劇を風化させないように私達21世紀を担う若者一人ひとりがしっかりと受け継いでいかなければなと強く感じた。 -
平和記念資料館を見て周った後、広島市内を散策。
東京を出発する日から楽しみにしていた、広島風お好み焼きを食べに、「お好み館」へ。ビルの3階ぶんのフロアの中にたくさんのお好み焼きの店が入っている観光スポットのようなところだ。一番上から見て周り、人がいっぱい入っているところに決定。これは肉大目の特性お好み焼き。950円。 -
ほんとおいしかった〜!!ビールとともに食し、幸せなひとときを。 それからそごうの屋上に行き、16時25分発の広島→徳島駅行きの高速バスに乗った。道中、少年時代の懐かしい記憶がどんどんと思い出されていく。毎年夏休みに父を残して帰り、1ヶ月くらい滞在した。従兄弟のふみくん、ともくんと年も近く、兄を含め皆でビデオを借りてみたり、海へ行ったり、花火をしたり、キョンシーごっこをしたり・・・。おばあちゃん家で過ごした少年時代の夏休みは自分の中の宝物。東京でずっと育ったが、自分にとっての“ふるさと”は徳島って感じもする。バスは走り続け、徳島駅に夜の20時、到着。バスに乗ること20分、ついにおばあちゃん家に続く道へ着く。50m程の長い道を歩く。道に沿って流れている細い川(今では水はかなり少なくなっていた)で、昔はザリガニをよく採っていたものだ。おばあちゃん家へ向かう道を歩いていると、15m位先から懐かしい声が聞こえてきた。「だいさくちゃーん」。寒い中家の門の塀の前で5分ほど前からずっと待っていてくれたという。懐かしさが一気にこみ上げてきた。そこはまさしく、かけがえのない場所だった。
おばあちゃん家に入り、ご先祖様に仏壇で挨拶してからおばあちゃんが買ってくれていたお寿司とピザを食べながら話す。ほんっとに懐かしく、こうしてまたゆっくりしゃべれることを幸せに感じた。少年時代は毎年おばあちゃん家に帰っていたのだが、中学に入ってからは部活で忙しくなり、夏休みは大抵部活の合宿と練習で帰ることができなくなっていた。そんなまま少年時代は毎年帰っていた田舎へも、中高6年間は一度も帰れなくなっていた。大学に入ってからも、田舎に帰りたい、帰りたいとずっと思ってはいたが、サークルの幹部をやったりなんかでタイミングが合わなかった。しかし、大学2年の秋に、父方(も徳島、そして年の近い従兄弟も多く楽しい想い出でいっぱい)のおじいちゃんが亡くなった際に、徳島に2日間帰り、その際に15分ほど母方(今回訪れたほう)の方に顔を出しただけであった。
と、長々と書いてしまったが、おばあちゃんは82才にもなるのに、小さな体で明るく元気によく動いていた。おばあちゃんと話をしていると、奥のほうから物音が。おじいちゃんである。ほんとに、久しぶりだった。年に何度も田舎に帰っている母から色々と話を聞いていたが、82才とは思えないほど背筋がピンとしていた。そして僕の顔を見るなりニコッと白い歯を見せて笑顔になった。ものは言わない。歩くときもすごくゆっくり。認知症も少しはあるみたいだ。 それでもおじいちゃんはおじいちゃん。すっごく嬉しかった!! それからフミ君が裏の居間から出てきて挨拶。色々と話をしながらその日はお風呂に入って眠る。おばあちゃん家の匂い。築100年以上を数える家屋。昔の思い出を懐かしみながら、こうして再び会えたことの幸せを静かに胸に感じながら、小さな体でおばあちゃんが敷いてくれたふかふかのお布団で眠りについた。少年時代、怖い夢を見た記憶が今でも残る、広い客室で。
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