2005/11/05 - 2005/11/12
1330位(同エリア1654件中)
背包族さん
−観光コース:
(観光スポット)
●秦始皇兵馬俑博物館(世界遺産)
観光価値:★★★
チケット:90元(学割45元)
*場所:西安市から東に3.7キロの臨潼県の東、始皇帝陵の東1.5キロ。
*交通:西安駅前から306路のバスで終点下車(往復8元、約1時間)。
*発見日時、発見者:1974年3月、地元農民の楊志発氏
*公開坑:
一号坑(1991年以前から公開、最大規模、兵馬俑約6000体)
二号坑(1994年10月より公開、中規模、兵馬俑約1000体)
三号坑(1991年9月より公開、最小規模、兵馬俑58体、司令部)
*兵馬俑平均身長:180センチ
*兵馬俑構造:上半身は空洞、下半身は空洞ではない。
*兵馬俑の種類:衣装などから、将軍俑、武士俑、車士俑などに分けられる。
*兵馬俑の顔、衣装:顔の表情、服装がそれぞれ異なる。共通点は武器を握っていたこと。
*兵馬俑の武器:坑内から剣、矛、戟、弯刀などの青銅兵器が出土しているが、多くは項羽によって略奪された。
-----------------------------------------
兵馬俑へは、駅前から306路公共バスの利用が非常に便利。
西安駅前→華清池→兵馬俑というコースで、往復8元。
華清池で途中下車して、再度同じ306路に乗り、兵馬俑まで行って、西安駅まで帰っても料金は同じ8元。
逆に、私たちのように、先に終点の兵馬俑で降りてから、華清池に行き、再び同じバスで西安駅前に帰ることもできる。
一つ注意しなければならないのは、兵馬俑から華清池まで移動する際のバスチケットチェックで、華清池で降りた後、また西安まで戻る旨を伝えないと、復路のチケットの半券をちぎられてしまうこと。
私たちはちぎられてしまってから、再び乗るとき、チケットどうなるんだという疑問から、車内の切符チェックの係員に聞いたところ、ちぎられたチケット半券をまた返してくれた。
兵馬俑は1,2,3号坑まで公開されているが、1号坑の規模が最も大きく、発掘も進んでいる。
きれいに補修されて整然と並べられたもののほか、補修中の兵馬俑や部位ごとに籠に入れられた陶片などの様子も見られる。
2号、3号坑は、発掘の様子を展示するのが目的なのかもしれないが、発見から時間がたった今でも発掘が進んでいないようだ。
発掘にはお金もかかるし、全て発掘しなくても、世界遺産だから観光客が集まるので、無駄なことはしないという主義なのかもしれない。
やっぱり、中国人は金儲けに関して、知恵がよく働く。
その他、銅馬車専用の展示室と、マルチビジョンスクリーンがあるお土産屋がある。
このお土産屋の中央にあるマルチビジョンスクリーンでは、兵馬俑に関する歴史的考察フィルムが英語で放映されている。
内容は、秦の始皇帝の天下統一、始皇帝の独裁政治、兵馬俑製作の様子、項羽による兵馬俑の焼き討ちなど。
このお土産屋はガイドが欧米人観光客を連れてくる場所なのか、スクリーンを見ている人のほとんどが欧米人だった。
で、わたしたちはどこでお土産を買ったかというと、兵馬俑入口から駐車場にかけてのお土産屋台。
最初は観光地のお土産屋台なんて絶対高いからな〜という先入観からあまり買う気はなかったが、値段を聞いてみたら案外安かったので、ここで100元ほど購入。
売り手も人を見るので、旦那が中国語で値引き交渉。
もちろん中国人が買うほうが安い・・・。
だから、値段交渉は全て旦那にお任せ!
買ったものはというと、虎や驢馬などのモチーフの手作り布製民芸品一式。
蕎麦殻を入れた虎の枕大小各種、布製の驢馬の置物、陝西スタイルのパッチワークなどなど、いっぱい買ったので、旦那あきれる。
それから市内の北院門街でも同様のショップを見かけたが、やはり値段的には市内のほうが若干(2-3元とかの違い)安いようだ。
ただし、民芸品の種類が少ないので、兵馬俑で買って正解だったかも。
-
入り口にある秦の始皇帝像。
●秦の始皇帝について
秦の始皇帝の本名は、贏政といい、B.C 259年に生まれ、父、庄襄王がこの世を去り、B.C 246年、13歳で秦王に即位した。
22歳で親政を始めてから、徐々に全国統一の大事業を進めた。
秦国の政治、経済、軍事的実力を背景に、十年余りの戦争を経て、韓、趙、魏、楚、燕、斉などの諸侯国を次々と滅ぼしていった。
B.C 221年には、中国全土を統一し、史上初の多民族封建専制中央集権国家を作った。
統一後は、自ら“始皇帝”と名乗るようになり、中央集権の強化、多民族国家の統一、社会発展の促進などの改革政策を推し進めた。
新政権の基礎固めとして、文字、貨幣、度量法を統一したほか、群県制を定め、全国を三十六の郡に分け、郡の下に県、県の下に郷、亭、里などの行政単位を設置した。
このような高度な集権政治体制が、改革後2000年にわたる封建社会に与えた影響は大きい。
秦の始皇帝陵は、西安市臨憧区の東、驪山の北麓にあり、B.C 246年、始皇帝が即位してからすぐに建造が始められ、B.C210年の埋葬まで、37年の長きに渡り、約70万人を動員して建造された。 -
兵馬俑入口から駐車場にかけてのお土産屋台。
値段を聞いてみたら案外安かった。 -
虎や驢馬などのモチーフの手作り布製民芸品一式。
蕎麦殻を入れた虎の枕大小各種、布製の驢馬の置物、陝西スタイルのパッチワークなどなど、種類が豊富。
市内の北院門街でも同様のショップを見かけた。
市内のほうが2-3元安いけど、種類が少ないので、兵馬俑前で買ったほうがいいかもしれない。 -
1号坑は、規模が最も大きく、発掘も進んでいる。
遺跡は体育館のような施設の内部で公開中。 -
銅馬車専用の展示室。
これ、心霊写真かな?
●秦銅馬車展館(秦始皇帝陵銅車馬)
秦陵銅車馬は、1980年、秦始皇陵の西20メートル地点で発掘された。
発掘された2台の大型銅車馬(馬車、中国語は反対に車馬なの?)は、出土時は無残に壊れていたが、現在修復されて公開されている。
銅馬車は、7000の部品から作られ、大きさは実際の1/2だという。
車輿(馬車本体)の部品の鋳造面積は最も大きく、形も複雑である。
秦の時代は、日本の縄文時代後期に当たる。
この時期に、7000もの形の異なった部品を正確に造り、組み立て、溶接するというのは、本当にすごい技術だと思う。
そばにいた日本人の団体の中国語ガイドの話にこっそり耳を傾けると、「当時の中国の技術力はすごかったんです。この馬車は金と銀を溶かしたもので溶接されています。今だにどうやって作ったか分かりません。この技術は今の中国にはなくなってしまいました。」とのこと。
臨時展示は、「琳琅星羅—陝西出土秦玉器展」が行われていた。 -
「江源画展」
銅馬車専用の展示室の2階には、日本に留学経験があり、現在日本在住の広西省出身の江源というアーティストが兵馬俑にインスパイアされ創作したという作品の展示。
見学者は少ない。
作者の経歴の日本語版があるが、日本語レベルは微妙。 -
マルチビジョンスクリーンがあるお土産屋。
-
これは、プラタナスかな?
なんか変わった形。 -
もともとは武器を手に持ち埋められていたが、武器だけ項羽に略奪された。
-
これは、2号坑の展示品。
まちがって、2号坑から入場してしまった。
道案内してくれるガイドがいなくて痛いところ。
兵馬俑坑の外部にも内部にも流しの?ガイドがいて、ガイド付けませんかとお声がかかる。 -
カンフースタイル?
立射俑(秦俑二号坑出土)
http://www.bmy.com.cn/menu.asp
より。 -
跪射俑(秦俑二号坑出土)
http://www.bmy.com.cn/menu.asp
より。 -
バラバラになった兵馬俑はなんだかとても無残で死体のように見える。
-
最大規模の1号坑。
ここさえ、見られれば良いかなという感じ。
いわゆるテレビなどで見る兵馬俑の映像はここのもの。
発掘された兵馬俑が整然と並べなおされている。 -
兵馬俑坑は、10年前は撮影厳禁だったようだ。
以前どこかのガイドブックにも、カメラの持ち込み〜元、ビデオカメラの持ち込み〜元と持ち込み費用もかかると書いてあった。
現在は、フラッシュと三脚禁止の表示以外に、撮影禁止の表示はなく、皆さん(わたしも)堂々と写真を撮っていた。
チケット代の値上がりと、中国でのデジタルカメラの普及によって、規制緩和されたのだろうか? -
-
補修中の兵馬俑と部位ごとに籠に入れられた陶片。
-
-
-
-
これは、たしか3号坑。
-
●華清池
観光価値:★
チケット:40元(学割20元)駅前から306路のバスで終点下車(往復8元)。
*場所:西安市から東に3キロの臨潼県の南、驪山北麓の唐華清宮古跡内にある。
*交通:西安駅前から306路のバスで途中下車(往復8元、約30分)。
*華清池概要:
華清池は、周、秦、漢、隋、唐などの歴代の皇族が利用した温泉地で、西周代の驪宮、秦代の湯泉宮、唐の玄宗の時代、天宝六年(747年)に拡張が進められ、温泉は池となり、宮殿が造られ、“華清宮”と改名され、宮殿は池(温泉)の中に建てられたことから、“華清池”とも言われる。
天宝15年(756)安禄山が唐王朝に反旗を翻し、華清宮は兵火に包まれた。
*華清池の建築物:
華清池の現存する建築物の多くは、清代のもの。
1958年に大規模な修繕と拡張を受け、その後、中外友好書法碑林、唐詩三百首陶瓷芸術館、梨園宮などが増設され、温泉施設や、宿泊施設「華清池賓館」、「驪山索道」などの旅行施設が整うようになった。
*華清池御湯遺跡博物館概要:
1982年に発掘された唐代の華清池御湯遺跡博物館は、楊貴妃が使った海棠の形の海棠湯のほか、長方形の蓮花湯、太子湯、尚食湯、星辰湯などの浴場遺跡から構成される。
楊貴妃の入浴の様子は、唐代の詩人白居易の「長恨歌」に、“春寒賜浴華清池,温泉水滑洗凝脂”と詠まれている。
*温泉の概要:
源泉−四つ。
湧出量−毎時110トン。
水温−1年を通じて43度。
功能−風湿症、関節痛、皮膚病、消化不良などに効果がある。
浴場−宮殿式浴場が2箇所、浴室は約20個所。
単人池(一人用)、双人池(二人用)、家庭池(家族風呂)、大型浴場。 -
庭園には、池、亭、楼閣、東屋などが点在し、池のほとりには枝垂れ柳が並ぶ風光明媚な場所。
-
-
日本の温泉地みたいに足湯がある。
北海道の温泉地だと、足湯は無料のところが多いけど、ここは結構な値段をふっかけられそうなので、パス。 -
やや小ぶりの海棠湯は、楊貴妃専用の浴場。
海棠の花が形どられている。 -
発掘された浴槽の遺跡の上には、唐代様式の建物が建てられている。
-
こちらは、大型の玄宗皇帝専用の浴場「蓮花湯」(御湯)。
水がたまっている。 -
楊貴妃専用の浴場、海棠湯入り口。
この場合の”湯”は、日本語の温泉の意味と同じだが、一般的に”湯”というと、中国語では、スープの意味になる。
湯(Hotwater)に相当する中国語は、”開水”。
中国語と日本語は、まったく同じ漢字を使う熟語でも意味が異なることがあるので、要注意。
たとえば、日本語の手紙はトイレットペーパーの意味になる。
現代中国語では、使用されなくなった古代中国語での意味が、いまだに日本語の中に残っているという。
この”湯”も、唐代には温泉の意味を持っていたのかもしれない。
また、日本語の”足”は、中国語では”脚”を使用するが、山西省の喬家大院の祁県博物館の資料によると、当時は、祁県の方言で、足は”脚”ではなく、日本と同じ、”足”が使われていたという。 -
唐の太宗皇帝専用の浴場「星辰湯」。
-
●安史の乱(755〜763年)。
唐代半ばの玄宗皇帝の時代、節度使(地方の軍団長)安禄山(あんろくざん)とその部下の史思明(ししめい)がおこした反乱。
玄宗皇帝に対する反乱軍のリーダー、安禄山(あんろくざん)と史思明(ししめい)の二人の名前をつないで安史の乱と呼ばれる。
反乱軍は15万の軍を率い、洛陽と長安を占領し、玄宗皇帝は、楊貴妃を引き連れて長安から四川に逃げるが、逃避行の途中、兵士たちから、安禄山の反乱の原因は、楊貴妃への愛に溺れ、政治をおろそかにしたためだから、楊貴妃を殺すように迫られ、それを察知した楊貴妃は自ら命を絶ったといわれている(諸説あり)。
その後、玄宗皇帝は退位し、息子の肅宗(しゅくそう)が即位した。
唐王朝は、安史の乱を鎮圧するため異民族であるウイグル族に援助を要請し、鎮圧に成功したが、その後、唐はおとろえた。
安史の乱は、ともに確たる政治基盤を持たず、その地位を玄宗皇帝との恩寵関係に依存していた安禄山と楊国忠との対立が引き起こしたものである。
*安禄山
イラン系ソグト人で、玄宗皇帝と楊貴妃に取り入り、3地方の節度使(地方の軍団長)に任命され、強大な軍事力を有するようになった。
辺境での任務のため、いつ玄宗皇帝からの恩寵が受けられなくなるかと常に不安をいだいていた。
*楊国忠
楊貴妃の一族であることから、玄宗皇帝に重用され、40余りの財政関係の職に任命されていた。
玄宗皇帝のお膝元の中央での任務のため、玄宗皇帝の恩寵を一身に受けていた。
参考資料:
http://www.geocities.jp/timeway/kougi-35.html
http://db.gakken.co.jp/jiten/a/006510.htm
http://www.tabiken.com/history/(世界歴史辞典データベース) -
●華清池をめぐる玄宗皇帝と楊貴妃のラブストーリー(絵と文章)
楊貴妃(本名:楊玉環)は、16歳のとき宮廷に入り、玄宗皇帝の子、寿王の妃だったが、玄宗皇帝が略奪したと言われている。
玄宗皇帝の楊貴妃に対する愛情は、異常だったとのことで、多くの逸話が絵と文章で、解説されている。
楊貴妃は歌と踊りが上手だった、茘枝が大好物の楊貴妃のために、南方の嶺南(現在の広東、広西)からわざわざ届けさせたとか、毎年冬になると玄宗皇帝は楊貴妃をつれて華清宮に滞在し温泉に入ったとか、楊貴妃は嫉妬深く(まぁ玄宗皇帝もかなりの女好き?)それが原因で、一度宮廷を出されるが、後悔した玄宗皇帝がまた連れ戻すというなどという感動の?ストーリーなどが絵とともに解説されている。
また、楊貴妃のいとこ、楊国忠が宰相についたこと、安史の乱や、楊貴妃の最後など、歴史ストーリーもある。
この展示はなかなか興味深く、中国人観光客も見入っていた。 -
ここは、保存状態がよく、浴場のふちの階段や、入水口などもはっきり見える。
玄宗皇帝、楊貴妃のお付きの人の浴場だったらしい。 -
入場料40元もするんだから、温泉水を触るくらい無料にしておくれよ・・・。
1元って、値段の問題じゃなくて・・・。 -
●西安事変(1936年12月12日)
第二次世界大戦時、中国国内の政治勢力は、蒋介石率いる国民党と毛沢東率いる中国共産党に二分されいた。
蒋介石は、日本軍に対して即行動を起こすより、毛沢東を倒すことが先と、内戦に明け暮れ、当時南京から西安に赴き、華清池内の「五間庁」に滞在していた。
蒋介石の側近で、中国東北部出身の張学良は、満州事変で日本に中国東北地方を占領され、東北軍を率い、日本軍との戦いを優先したかったが、ボスの蒋介石に中国共産党軍との戦いを強いられていた。
東北軍の張学良は西北軍の楊虎成と密かに中国共産党軍と結託し、内戦を一時停止し、協力して日本と戦うことを求め、1936年12月12日、早朝5時、蒋介石がいる「五間庁」に東北軍を派遣し、華清池を包囲した。
熟睡していた蒋介石は、銃声でで飛び起き、着るものもとりあえず窓から逃げ出し、驪山の中腹へ逃げ出したが、東北軍の捜索により午前8時に、捕まり、西安の新城黄楼へと護送され軟禁された。
張学良は、中国共産党の周恩来らとともに蒋介石を説得し、12月25日、内戦が一時停止され、1937年9月22日に、第二次国共合作が成立した。
西安事変は、このように平和的に解決したので、「五間庁」は”愛国教育基地”となっている。
驪山の中腹の蒋介石が発見された場所には、記念に石造の部屋が建てられ、「兵諌亭」と名付けられている。 -
●五間庁
西安事変当時、華清池内で蒋介石が住んでいた場所で、清代末期の建造で西太后が避難場所として利用したこともある。
1936年、国民党の蒋介石は、二度ここを訪れ、そしてここで、西安事変が起こった。
五間庁には、蒋介石の事務室、会議室、寝室などがそのままの状態で公開されており、当時、蒋介石が使用していたソファー、ベットの背もたれの部分、鏡などを見ることができる。
西安事変の際にガラス窓に残された銃痕が生々しい。
その他、展示室では遺物と写真を文章で紹介している。
ここは、じっくり解説を読む中国人観光客が多く、込み合っていた。
五間庁は、陝西省委など多くの行政機構が定めた”愛国教育基地”となっている。
中国のネットニュースによると、以前ここで有料で、蒋介石の扮装をした職員と写真を撮ったり、将校の衣装のレンタルなどがあったらしいが、観光客から顰蹙を浴び取りやめたらしい。
華清池オフィシャルサイト(日本語版) http://www.hqc.cn/jp/2_3.htm -
年季が入ったインテリア。
壁の色など、共産主義国、中国っていう感じ。
昔は、壁を緑に塗るのが流行してたっぽくて、普通の中国人が住んでいる年季の入ったマンションでも、こんな感じだった。 -
-
2号源泉。
-
西安事変の際にガラス窓に残された銃の跡。
-
「五間庁」。
-
テレホンカードのような兵馬俑のチケット。
入口は地下鉄のようにチケットを通すタイプ。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (11)
-
- イスカンダル亜力山大さん 2005/11/27 14:29:29
- 発見者に会いましたか?
- 兵馬俑坑博物館、懐かしいです。
門前の露店、相変わらず繁盛してるようですね。
ところで、兵馬俑坑博物館で兵馬俑の発見者に会いましたか?
1号坑の手前右手のショップに居たはずですが。
写真の後半のコメントをお待ちしています。
ほな。
- 背包族さん からの返信 2005/11/27 15:41:53
- RE: 発見者に会いましたか?
- イスカンダルさん、どうも。
兵馬俑の発見者は、確か楊さんという方でしたね。
1号坑の手前右手にショップ、ありましたか?
あぁ、行きそびれてしまいました。。。
でも、写真集買わないとサインしてもらえないんですよね?
兵馬俑坑博物館内部のお土産屋は左手にあった、マルチビジョンがあるのしか行きませんでした。
兵馬俑坑は、1回見ればもういいっていう感じです。
やっぱり、私はどちらかというと、雄大な自然を見るほうが性に合ってるかもしれません。
って、歴史に関する知識不足の言い訳ですが。
後半の華清池、1937年の(旦那曰く)西安事変関係の見所は、楊貴妃や玄宗皇帝ファンでもなく、蒋介石ファンでもない私にはさっぱり分かりませんでした。
が、せっかくなのでこれから資料を調べ、まとめてみたいと思います。
間違いがありましたら、ご指摘してくださいませ。
- イスカンダル亜力山大さん からの返信 2005/11/27 17:11:56
- RE: RE: 発見者に会いましたか?
- 背包族さん、まいど!
そうですか、楊志発さんには会わなかったのですか。
残念!
エエ方ですよ、楊さん。
中国の田舎農民特有のギスギスしたところが全くないんです。
商売っ気も無し。
鷹揚な大人の風格が漂っています。
華清池は西安事件の史跡がありますね。
中国へ行くときはいつも思うのですが、付け焼き刃でも何でもエエから、歴史の一端をかじっていけば、旅の印象が違ってきます。
日本とどっこいそっこい歴史の深い国ですからね。
ほな。
- イスカンダル亜力山大さん からの返信 2005/11/27 17:16:00
- 華清池の隅っこに・・・・
- もいっちょ、おまけ。
華清池には、日本の著名な書道家の碑が、ワンサカあります。
と言っても、関係者でもない限り、ここを訪れる人は、まずいませんが。
ほな。
- 背包族さん からの返信 2005/11/28 23:34:36
- イスカンダル亜力山さんへ RE: 華清池の隅っこに・・・・→見かけましたよ。
- イスカンダル亜力山さん、こんばんは。
おっしゃるとおり、少し知識を仕入れてから、観光地を見ると、感慨もひとしおというところでしょうか。
ガイドつきなら、その役目をガイドさんがやってくれるのでいいですが、わたしの旅行スタイルは個人旅行なので、自分で自分をガイドしなければなりませんね。
あまり興味のなかった、西安などの歴史ある町も、今回初めて訪問して、中国の歴史に関して少し興味が出てきました。
特に、唐代と宋代に関心を持ちました。
華清池の隅っこの碑林、見かけたけど、私も旦那も興味ない(文化素質がないですね)のでパスしてしまいました。
日本の書道家の作品もあったんですね。
そういえば、日本人が必ず行く西安の碑林も行ってないし。。。
日本の書道家の作品といえば、龍門石窟風景区内の白居易の墓、白園にもありましたよ。
今後も、ご指導よろしくお願いします。
- イスカンダル亜力山大さん からの返信 2005/11/30 09:58:48
- 陝西歴史博物館と碑林
- 西安の“陝西歴史博物館”はエエです。
先史時代から清代までの収蔵品30万点を定期的に取り替え展示しています。
中国全土に博物館は山ほどありますが、歴史博物館と銘打ったものは、北京に次いで、ここが二番目です。
別料金が要りますが、地下の壁画展示室は圧巻です。
則天武后に杖殺された孫の懿徳太子の陵墓から切り出した壁画は、退色がほとんどない状態で発掘され、ここに保管されています。
この壁画は、唐代の都の繁栄ぶりをうかがわせる華やかな壁画です。
(レプリカとチャいますヨ〜〜)
“碑林”は、漢代から清代に至る歴代の名筆を刻んだ1095基の石碑が林立する、中国最大の石造文庫の博物館です。
書に興味がなくても、“平成”の元号の基になった石碑がありますから、面白いです。
この石碑は、第1展示室にある尚書第二巻という石碑です。
5列目の上から2段目に『愈地平天成』と彫られていますが、さて、探し当てられるでしょうか?
ほな。
- 背包族さん からの返信 2005/11/30 15:46:12
- イスカンダル様へ RE: 陝西歴史博物館と碑林
- イスカンダル様:
ありがとうございます!次回、西安に行く楽しみが増えました。
北京と瀋陽と台北の故宮には、行っているんですが、陝西歴史博物館もお宝がいっぱいなんですね!
無知なもので、訪問計画には入れていなかったんですが、永泰公主墓にいた中国人ガイドが、ここの壁画はレプリカで、本物は、陝西歴史博物館にありますと言っていたので、行かなくてはと思ったものの、結局西安市内での観光時間が足りず、大雁塔、小雁塔のみしか見られませんでした。
大雁塔に行く途中で、見かけたんですが、建物もすばらしいですね。
-
- pangziさん 2005/11/27 09:15:19
- 寒かったのでは?
- 私も正月に西安に行ったのですが、すごく寒かった印象です。バスに揺られ、降りるとひたすら歩くの繰り返しでした。
華清池では1元払って温泉で手を温め、兵馬傭の土産物売り場では毛皮の帽子を40元で購入。
背包族さん同様、パッチワークみたいな飾り物をここで彼女が大量購入しました。2−5元で合計購入金額78元。バスの中から夕食と観劇の予約を入れ、大満足の一日でした。
次の日からは、焼き芋で暖をとりながら歩きました。中国にホッカイロがある事を知ったのもこの街です。でも15元以下にはどうしてもならず、日本から持っていくようにしています。
インフルエンザにかからぬ様、ご自愛の程。次の旅行記楽しみにしています。
- 背包族さん からの返信 2005/11/27 14:38:13
- Pangziさんへ、RE: 寒かったのでは?→以外に暖かかったです。
- Pangziさん、洛陽の件では、情報ありがとうございました。
龍門石窟は、メインの西山石窟の観光だけだと、駆け足で2時間くらいで足りそうですね。
実際ツアーなどでは、龍門石窟の観光所要時間は3、4時間くらいのようです。
私は石窟をじっくり見たかったので、白馬寺はパスして、1日とりました。
さて、西安ですが、いろんな人に寒い寒いと脅された?ので、ダウンジャケットを持っていったんですが、案外暖かかったです。
ダウンジャケットは必要ないんですが、荷物になるので、とりあえず着ていましたが、セーターの上にフリースでちょうどいいです。
暖冬なのかもしれませんね。それに乾燥してるから、桂林よりも暖かいくらい。
大連も案外暖かいですよね?5年前に大連経由で瀋陽に行ったら、ぜんぜん寒さが違いました。
瀋陽は3月末でも顔が凍りそう!
やはり、女性にはあのパッチワークは魅力的なんですね。
12月の末に新しいデジカメが手に入る予定なので、お土産編もUPする予定です。
ところで、Pangziさんは何かインフルエンザ対策されていますか?
- pangziさん からの返信 2005/11/28 20:30:13
- RE: Pangziさんへ、RE: 寒かったのでは?→以外に暖かかったです。
- <インフルエンザ対策>
瀋陽出身の彼女によれば、とにかくまめに手を洗う事だそうです。
外出から帰ったらすぐ手を洗う。うがいより効果あるそうです。
私はガム、キャンデーを持ち歩いています。
家では加湿機をいれています。
<兵馬傭の発見者>
始皇帝陵で老人がサインしていたので、発見者かと思い一緒に写真撮ったら、実は修復の第一人者という事でした。
しかも、後から5元取られた。
本物の発見者はサインが忙しく、写真は無理でした。
お土産編お待ちしています。
- 背包族さん からの返信 2005/12/01 18:31:42
- Pangziさんへ→ インフルエンザ対策
- インフルエンザ対策、秘訣を教えていただき、ありがとうございます。
日本だと、外から帰ったら手洗いが常識というか習慣になっていますが、こっちの人はあまり手を洗いませんね。
私も気を抜かず、石鹸をまめにあわ立てて使おうと思います。
日本では、ほとんど風邪にかからないので、中国ではよく重い風邪にかかります。
問題は、雑菌の多さかな?
桂林は札幌に比べれば、乾燥は気になりません。
ところで、鳥インフルエンザの対策としては、鶏肉だけでなくガチョウなどもやめといたほうがいいのでしょうか?
今晩のおかずに、スーパーで売ってる、ローストガチョウをレンジでチンして食べたいな!と思ったんですが・・・。
しっかり加熱すれば大丈夫という話ですが、桂林ではしばらく鶏肉は食べないと言っている人が結構います。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
背包族さんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
11
42