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2006年1月頃に中央電視台で『喬家大院』というドラマが放送され、高い視聴率を収め、喬家大院の国内での知名度が上がり、訪れる人が増えているらしい。<br /><br />*新浪網<br />http://ent.sina.com.cn/v/m/f/qjdy/index.html<br /><br />●喬家大院<br />観光価値:★★★★★<br />チケット:40元(学割20元)<br /><br />喬家大院は、太原の南、平遥の北、太原市の西南64キロの祁県喬家堡村に位置する。<br />清末から中華民国初めにかけて金融資本家であった喬一族の大邸宅で、1986年から祁県民俗博物館として公開されている。<br />敷地面積8724.8平方メートルの城堡(砦)式建築で、6つの大院と、19の小院、313の部屋で構成される。<br />邸宅の四方は、高さ約10メートルの壁で囲まれ、院落(住居区画)の配置は、中国語の「喜喜」の形になっており、室内にはそれぞれアンティーク家具や蝋人形が置かれ、当時の喬家の生活が再現されている。<br />民俗博物館として、喬一族の発展の歴史・教育方針などに関する展示のほか、明清代の山西晋中一帯の民間風俗(服飾、刺繍、剪紙、皮影戯、工芸、衣食住、農具、冠婚葬祭、祭り、年中行事、古代の秤、貨幣など)をテーマにした展示室が42室あり、内容は非常に充実していて、一通り見終わると、中国のことが分かったような気分になる。<br />喬家大院は、名監督チャン・イー・モウと女優コン・リーのコンビで撮られた映画、≪大紅灯篭高高掛≫(日本名:紅夢)が撮影されたことでも有名で、撮影時の小道具や、写真が豊富に飾られており、楽しめるので、かなりおすすめ。<br />邸宅自体も思っていたより規模が大きく、美しい建物だった。<br /><br />交通:<br />平遥駅前からは、直通のミニバスで約40分。<br />直通バスは、入り口の前まで行くので、便利。<br />ただし満員にならないと出発しないので、時間がない場合は、駅からタクシーをチャーターしていくことをお勧めする。<br />今回は、オフシーズンのためか、1時間半近く待たされた。<br />また、太原行きのバスで途中下車する方法もあるが、入り口の目の前までは行かないもよう。

中原・西北地方視察旅行−喬家大院編

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2005/11/05 - 2005/11/12

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背包族

背包族さん

2006年1月頃に中央電視台で『喬家大院』というドラマが放送され、高い視聴率を収め、喬家大院の国内での知名度が上がり、訪れる人が増えているらしい。

*新浪網
http://ent.sina.com.cn/v/m/f/qjdy/index.html

●喬家大院
観光価値:★★★★★
チケット:40元(学割20元)

喬家大院は、太原の南、平遥の北、太原市の西南64キロの祁県喬家堡村に位置する。
清末から中華民国初めにかけて金融資本家であった喬一族の大邸宅で、1986年から祁県民俗博物館として公開されている。
敷地面積8724.8平方メートルの城堡(砦)式建築で、6つの大院と、19の小院、313の部屋で構成される。
邸宅の四方は、高さ約10メートルの壁で囲まれ、院落(住居区画)の配置は、中国語の「喜喜」の形になっており、室内にはそれぞれアンティーク家具や蝋人形が置かれ、当時の喬家の生活が再現されている。
民俗博物館として、喬一族の発展の歴史・教育方針などに関する展示のほか、明清代の山西晋中一帯の民間風俗(服飾、刺繍、剪紙、皮影戯、工芸、衣食住、農具、冠婚葬祭、祭り、年中行事、古代の秤、貨幣など)をテーマにした展示室が42室あり、内容は非常に充実していて、一通り見終わると、中国のことが分かったような気分になる。
喬家大院は、名監督チャン・イー・モウと女優コン・リーのコンビで撮られた映画、≪大紅灯篭高高掛≫(日本名:紅夢)が撮影されたことでも有名で、撮影時の小道具や、写真が豊富に飾られており、楽しめるので、かなりおすすめ。
邸宅自体も思っていたより規模が大きく、美しい建物だった。

交通:
平遥駅前からは、直通のミニバスで約40分。
直通バスは、入り口の前まで行くので、便利。
ただし満員にならないと出発しないので、時間がない場合は、駅からタクシーをチャーターしていくことをお勧めする。
今回は、オフシーズンのためか、1時間半近く待たされた。
また、太原行きのバスで途中下車する方法もあるが、入り口の目の前までは行かないもよう。

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  • ←喬家大院に一歩足を踏み入れただけでは、分からないが、しばらく歩くとその規模に圧倒される。<br />めちゃめちゃ金持ちですよ、この喬一族。<br /><br />●喬一族の栄枯盛衰<br />喬一族の栄枯盛衰のストーリーは、まず喬家大院の主人、喬致庸の父方の祖父、喬貴発のことから語らなければならない。<br />喬貴発は、幼くして両親を無くしたため、叔父の家の居候として、貧しい生活を強いられたうえ、叔母から冷遇を受けたため、成人してからは、喬家堡村に戻り、単独生活を送っていたが、ある時、村人の婚礼の手伝いに遅刻したことから嫌味を言われ、血気盛んな年頃の喬貴発は、村を出る。<br />この事件が、内モンゴルの包頭での苦節30年のきっかけであった。<br />喬貴発は、包頭で質屋の店員として働き始め、同じ山西省出身の秦氏と知り合い、兄弟の契りを交わし、十年後、二人で貯めたお金を元手に独立して商売を始めることにした。<br />二人は苦心して、豆腐と焼餅、雑貨を商い、その後銀製品を製造して売るようになり、接客態度が良く、管理も健全だったため、日に日に商売は繁盛するようになった。<br />喬貴発は商売が軌道にのってからも、先祖代代の家訓を守り、堅実経営に努めたが、秦氏は正反対に博打に狂うようになり、贅沢三昧な生活をするようになったため、生活に困り、店のお金に手を出すようになった。<br />喬貴発は、その都度秦氏の穴を埋め、結局最後には喬一族の独資経営となった。<br />その後、喬一族の包頭での商売は、ますます繁盛し、資金も豊かになり、喬一族は“復盛公”という称号を定め、包頭で一二を争う商人に成長した。<br />当時、喬一族が包頭に所有していた家屋は千軒にのぼり、票号(旧式の金融機関)、銭荘(私営の金融機関)、商店、質屋、茶舗、穀物問屋などとその店舗の不動産のほか、包頭で280ムーの菜園を所有し、喬家堡村の寺院の敷地200ムー、祁県城内と北京、天津、太原などにも不動産を保有していた。<br />その他、所有する金銀玉器、骨董となると、把握しきれない程であった。<br />喬一族が本家がある祁県に大邸宅を建て始めたのは、大富豪となってからであった。<br />1907年、89歳の喬致庸はこの世を去り、葬儀のため8ヶ月営業を停止し、音楽隊を雇い盛大な葬儀が行われた。<br />1937年、蘆溝橋事件を機に60余名にのぼる喬一族は、皆故郷を離れ、北京、天津などに避難し、故郷に戻ることはなかった。<br />喬一族は、約200年、7代に渡って栄華を極めたが、政府管轄の銀行が現れるなど、経済近代化の流れの中で没落し1950年代には店をたたんだ。<br />末裔は、現在でも北京、上海、雲南などに住んでいる。

    ←喬家大院に一歩足を踏み入れただけでは、分からないが、しばらく歩くとその規模に圧倒される。
    めちゃめちゃ金持ちですよ、この喬一族。

    ●喬一族の栄枯盛衰
    喬一族の栄枯盛衰のストーリーは、まず喬家大院の主人、喬致庸の父方の祖父、喬貴発のことから語らなければならない。
    喬貴発は、幼くして両親を無くしたため、叔父の家の居候として、貧しい生活を強いられたうえ、叔母から冷遇を受けたため、成人してからは、喬家堡村に戻り、単独生活を送っていたが、ある時、村人の婚礼の手伝いに遅刻したことから嫌味を言われ、血気盛んな年頃の喬貴発は、村を出る。
    この事件が、内モンゴルの包頭での苦節30年のきっかけであった。
    喬貴発は、包頭で質屋の店員として働き始め、同じ山西省出身の秦氏と知り合い、兄弟の契りを交わし、十年後、二人で貯めたお金を元手に独立して商売を始めることにした。
    二人は苦心して、豆腐と焼餅、雑貨を商い、その後銀製品を製造して売るようになり、接客態度が良く、管理も健全だったため、日に日に商売は繁盛するようになった。
    喬貴発は商売が軌道にのってからも、先祖代代の家訓を守り、堅実経営に努めたが、秦氏は正反対に博打に狂うようになり、贅沢三昧な生活をするようになったため、生活に困り、店のお金に手を出すようになった。
    喬貴発は、その都度秦氏の穴を埋め、結局最後には喬一族の独資経営となった。
    その後、喬一族の包頭での商売は、ますます繁盛し、資金も豊かになり、喬一族は“復盛公”という称号を定め、包頭で一二を争う商人に成長した。
    当時、喬一族が包頭に所有していた家屋は千軒にのぼり、票号(旧式の金融機関)、銭荘(私営の金融機関)、商店、質屋、茶舗、穀物問屋などとその店舗の不動産のほか、包頭で280ムーの菜園を所有し、喬家堡村の寺院の敷地200ムー、祁県城内と北京、天津、太原などにも不動産を保有していた。
    その他、所有する金銀玉器、骨董となると、把握しきれない程であった。
    喬一族が本家がある祁県に大邸宅を建て始めたのは、大富豪となってからであった。
    1907年、89歳の喬致庸はこの世を去り、葬儀のため8ヶ月営業を停止し、音楽隊を雇い盛大な葬儀が行われた。
    1937年、蘆溝橋事件を機に60余名にのぼる喬一族は、皆故郷を離れ、北京、天津などに避難し、故郷に戻ることはなかった。
    喬一族は、約200年、7代に渡って栄華を極めたが、政府管轄の銀行が現れるなど、経済近代化の流れの中で没落し1950年代には店をたたんだ。
    末裔は、現在でも北京、上海、雲南などに住んでいる。

  • その他、祁県で公開されている商業金融資本家の大邸宅としては、「渠家大院」がある。<br />祁県へはバスで行くのが便利だが、列車も通っている。<br /><br />その他の地域では、<br /><br />●曹家大院(太谷県)<br />●王家大院(霊石県)<br />●常家大院(晋中市東陽鎮車&#36638;村)<br />

    その他、祁県で公開されている商業金融資本家の大邸宅としては、「渠家大院」がある。
    祁県へはバスで行くのが便利だが、列車も通っている。

    その他の地域では、

    ●曹家大院(太谷県)
    ●王家大院(霊石県)
    ●常家大院(晋中市東陽鎮車輞村)

  • 展示は、?金融資本家、喬一族の紹介、?明清代の山西晋中一帯の民間風俗の紹介、?喬家大院で撮影された映画の紹介の三つに分けられる。<br /><br />←蝋人形と当時の家具を使用し、視覚的に金融資本家、喬一族の生活を紹介している。<br />

    展示は、?金融資本家、喬一族の紹介、?明清代の山西晋中一帯の民間風俗の紹介、?喬家大院で撮影された映画の紹介の三つに分けられる。

    ←蝋人形と当時の家具を使用し、視覚的に金融資本家、喬一族の生活を紹介している。

  • ←これは、喬家の教育方針の紹介。<br />教師を雇い、邸宅の中で教育を行っていた。<br />喬家は子供達の教育に非常に熱心だったという。<br /><br /><br /><br /><br /><br />●喬一族の家規(掟) <br />喬一族の家規は厳しく、<br />1.妾禁止<br />2.使用人の虐待禁止<br />3.買春の禁止<br />4.麻薬禁止<br />5.賭博禁止<br />6.過度の飲酒禁止<br /><br />などの規則があった。<br />喬一族の子弟のほとんどが、中等教育以上の教育を受け、邸宅内に私塾を開き、高給で教師を雇い、優秀な者は、天津の南開中学(大学)で学問を修めたり、アメリカに留学した者もいるという。<br />第六代の兄弟20人のうち、11人が大学に進み、博士学位取得者2人、碩士学位取得者1人を出し、多くが教授や翻訳者、エンジニアなどの職についている。<br /><br />

    ←これは、喬家の教育方針の紹介。
    教師を雇い、邸宅の中で教育を行っていた。
    喬家は子供達の教育に非常に熱心だったという。





    ●喬一族の家規(掟)
    喬一族の家規は厳しく、
    1.妾禁止
    2.使用人の虐待禁止
    3.買春の禁止
    4.麻薬禁止
    5.賭博禁止
    6.過度の飲酒禁止

    などの規則があった。
    喬一族の子弟のほとんどが、中等教育以上の教育を受け、邸宅内に私塾を開き、高給で教師を雇い、優秀な者は、天津の南開中学(大学)で学問を修めたり、アメリカに留学した者もいるという。
    第六代の兄弟20人のうち、11人が大学に進み、博士学位取得者2人、碩士学位取得者1人を出し、多くが教授や翻訳者、エンジニアなどの職についている。

  • 各院落(住居区画)には、それぞれ美しい木彫の門がある。<br />

    各院落(住居区画)には、それぞれ美しい木彫の門がある。

  • 邸宅内はアンティーク家具の宝庫。<br />

    邸宅内はアンティーク家具の宝庫。

  • ←中国の民俗文化(皮影戯、剪紙)の展示。<br />山西省、陜西省は皮影戯が盛んであったことでも有名。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />●民間工芸の展示<br />山西省は、民間工芸の故郷と呼ばれ、特に祁県が有名である。<br />中国に伝わる民間工芸は約70種類に及ぶが、ここでは4種(皮影戯、刺繍、剪紙、服飾)が展示で類紹介されている。<br /><br />1.皮影戯(影絵芝居)<br />起源は漢代で、その起源に関しては有名な伝説のストーリーがある。<br />漢の武帝が最愛の皇后を亡くし、彼女を偲ぶため法事を行うことにし、夜になると、宮中に帳を設け、その後ろに蝋燭をともし、女官に皇后の生前の服を着せ、帳と灯りの間に立たせると、まるで皇后がよみがえったように見え、武帝はこうして皇后を偲んだという。<br />漢の文帝劉恒の時代、宮中の側室が太子をあやすとき、アオギリの葉を様々な人の形に切り、窓辺で皮影戯を演じたところ、太子がたいそう気に入り、その後、獣の皮で作った型で、皮影戯を行うようになった。<br />宋代になると、皮影戯は、民間の娯楽として普及し、題材の多くは、民間文学の歴史伝説や神話などであった。<br />皮影戯の形の製作は、初期には多層の紙を貼りあわせたものを彫刻する形だったが、後に羊皮、牛皮、驢馬皮などが使用されるようになった。<br />皮影戯は現代のアニメーションの前身だといわれている。<br /><br /><br />2.剪紙(切り紙細工)<br />山西省の剪紙は非常に有名である。<br />ここに展示してあるものは、祁県の民間の剪紙の中でも代表的なもので、“[虫國][虫國]戯白菜”(キリギリスが白菜をからかう)と呼ばれ、ハサミの入れ方は、非常に手が込んでいて、きめ細かく、立体感があり、キリギリスの足の上の毛や、白菜の葉脈まで浮かび上がるようである。<br />作者は、暢庵貞という72歳の女性で、民間芸術剪紙の芸術家として有名である。<br />この作品は1958年、山西省剪紙芸術の部で一等賞を受賞している。<br />

    ←中国の民俗文化(皮影戯、剪紙)の展示。
    山西省、陜西省は皮影戯が盛んであったことでも有名。






    ●民間工芸の展示
    山西省は、民間工芸の故郷と呼ばれ、特に祁県が有名である。
    中国に伝わる民間工芸は約70種類に及ぶが、ここでは4種(皮影戯、刺繍、剪紙、服飾)が展示で類紹介されている。

    1.皮影戯(影絵芝居)
    起源は漢代で、その起源に関しては有名な伝説のストーリーがある。
    漢の武帝が最愛の皇后を亡くし、彼女を偲ぶため法事を行うことにし、夜になると、宮中に帳を設け、その後ろに蝋燭をともし、女官に皇后の生前の服を着せ、帳と灯りの間に立たせると、まるで皇后がよみがえったように見え、武帝はこうして皇后を偲んだという。
    漢の文帝劉恒の時代、宮中の側室が太子をあやすとき、アオギリの葉を様々な人の形に切り、窓辺で皮影戯を演じたところ、太子がたいそう気に入り、その後、獣の皮で作った型で、皮影戯を行うようになった。
    宋代になると、皮影戯は、民間の娯楽として普及し、題材の多くは、民間文学の歴史伝説や神話などであった。
    皮影戯の形の製作は、初期には多層の紙を貼りあわせたものを彫刻する形だったが、後に羊皮、牛皮、驢馬皮などが使用されるようになった。
    皮影戯は現代のアニメーションの前身だといわれている。


    2.剪紙(切り紙細工)
    山西省の剪紙は非常に有名である。
    ここに展示してあるものは、祁県の民間の剪紙の中でも代表的なもので、“[虫國][虫國]戯白菜”(キリギリスが白菜をからかう)と呼ばれ、ハサミの入れ方は、非常に手が込んでいて、きめ細かく、立体感があり、キリギリスの足の上の毛や、白菜の葉脈まで浮かび上がるようである。
    作者は、暢庵貞という72歳の女性で、民間芸術剪紙の芸術家として有名である。
    この作品は1958年、山西省剪紙芸術の部で一等賞を受賞している。

  • ←中国の民俗文化(刺繍)の展示。<br /><br />3.刺繍<br />地元の女性の手による荷包(ポシェット)などの刺繍作品が展示されている。<br />刺繍の中で最も代表的なものは、“六扇屏”で、遠くから見ると水墨画のように見え、両端の対聯も全て刺繍で作られたものである。<br />“蘇繍”(蘇州の刺繍)に似ていることから、“倣蘇綉”といわれている。<br /><br />4.服飾<br />服飾の展示室には、清代末期に流行していた服装が展示されている。<br />清朝の男性は黒味がかった青い前ボタン式の丈の長い中国服を着用し、男性用の服の袖口は広く、権力を表していた。<br />女性は手と足が小さいこと、手先が器用であることが重要であった。<br />展示品の“竹水衣”は、竹を一節ごとに細かく裂いたものを研磨して作られた夏用の服で、中に着ると、汗を吸収し、涼しく、外着を汗で汚すことがなかった。<br /><br />

    ←中国の民俗文化(刺繍)の展示。

    3.刺繍
    地元の女性の手による荷包(ポシェット)などの刺繍作品が展示されている。
    刺繍の中で最も代表的なものは、“六扇屏”で、遠くから見ると水墨画のように見え、両端の対聯も全て刺繍で作られたものである。
    “蘇繍”(蘇州の刺繍)に似ていることから、“倣蘇綉”といわれている。

    4.服飾
    服飾の展示室には、清代末期に流行していた服装が展示されている。
    清朝の男性は黒味がかった青い前ボタン式の丈の長い中国服を着用し、男性用の服の袖口は広く、権力を表していた。
    女性は手と足が小さいこと、手先が器用であることが重要であった。
    展示品の“竹水衣”は、竹を一節ごとに細かく裂いたものを研磨して作られた夏用の服で、中に着ると、汗を吸収し、涼しく、外着を汗で汚すことがなかった。

  • 展示内容の紹介:<br /><br />●衣食住に関する展示<br />衣飾室には、主に大富豪、店舗経営者、店員の服装が展示されている。<br />こららは、漢族の服飾である。<br />飲食は、主食は小麦粉製品で、調理方法としては、蒸す、煮る、焼くという3つの方法があり、“面食之郷”だけあって、種類が豊富である。<br />中でも“八碗八皿”は特徴的で、濃厚な郷土色があふれ食べ厭きない。<br />住居は、模型で視覚的に、晋中地方一帯の住宅の配置、建築設計、建築装飾などを展示している。<br /><br />●交通手段に関する展示<br />行旅室には、現地の伝統的な交通手段であった推車(手押し車)、木輪車、轎車(輿)等が展示してある。<br />轎車(輿、篭)は、清代の交通手段で山越え用に実用的に作られていて、古代は民用と公用の二種類に分けられていた。<br />唐代初期には官吏しか使用することができなかった。北宋代から制限がゆるくなり民間にも広がった。<br />唐代には宰相は馬に乗るようになり、轎車は高貴な婦人専用となった。明代には再び、三品官以上の官吏だけに許されることになったが、その後また徐々に規制が緩くなった。<br />公用(官用)の轎車は、権力の象徴であり、封建社会では、等級、様式、サイズ、材料、装飾、車夫の人数、使用場所など厳格な規定があった。<br />清代になると、さらに厳格になり、高官のみ使用できるものとなった。<br />轎車が高級車であった名残は魯迅の小説にも見ることができるが、近代的な交通手段の出現とともに、轎車は次第に姿を消していった。<br />

    展示内容の紹介:

    ●衣食住に関する展示
    衣飾室には、主に大富豪、店舗経営者、店員の服装が展示されている。
    こららは、漢族の服飾である。
    飲食は、主食は小麦粉製品で、調理方法としては、蒸す、煮る、焼くという3つの方法があり、“面食之郷”だけあって、種類が豊富である。
    中でも“八碗八皿”は特徴的で、濃厚な郷土色があふれ食べ厭きない。
    住居は、模型で視覚的に、晋中地方一帯の住宅の配置、建築設計、建築装飾などを展示している。

    ●交通手段に関する展示
    行旅室には、現地の伝統的な交通手段であった推車(手押し車)、木輪車、轎車(輿)等が展示してある。
    轎車(輿、篭)は、清代の交通手段で山越え用に実用的に作られていて、古代は民用と公用の二種類に分けられていた。
    唐代初期には官吏しか使用することができなかった。北宋代から制限がゆるくなり民間にも広がった。
    唐代には宰相は馬に乗るようになり、轎車は高貴な婦人専用となった。明代には再び、三品官以上の官吏だけに許されることになったが、その後また徐々に規制が緩くなった。
    公用(官用)の轎車は、権力の象徴であり、封建社会では、等級、様式、サイズ、材料、装飾、車夫の人数、使用場所など厳格な規定があった。
    清代になると、さらに厳格になり、高官のみ使用できるものとなった。
    轎車が高級車であった名残は魯迅の小説にも見ることができるが、近代的な交通手段の出現とともに、轎車は次第に姿を消していった。

  • ●農業に関する習俗の展示<br />中国では農業は古来から現代まで重要な産業で、黄土の地に生活する晋中の民は、質素な生活を送りながら独自の農耕文明を築いてきた。<br />展示方法は、ミニチュアの泥・蝋の人形、模型を利用し、ガラスケースで陳列する方式で、展示内容は、春の種まき、夏の作物管理、秋の収穫、冬の農作業などがあり、とてもリアルで見ごたえがある。<br />院落内には、碾(臼)、磨(臼)、扇車、大車(大八車)、轎車、石製の農具が展示されている。<br /><br />←オフシーズンのため、観光客が少なく、がらんとした大邸宅。<br />

    ●農業に関する習俗の展示
    中国では農業は古来から現代まで重要な産業で、黄土の地に生活する晋中の民は、質素な生活を送りながら独自の農耕文明を築いてきた。
    展示方法は、ミニチュアの泥・蝋の人形、模型を利用し、ガラスケースで陳列する方式で、展示内容は、春の種まき、夏の作物管理、秋の収穫、冬の農作業などがあり、とてもリアルで見ごたえがある。
    院落内には、碾(臼)、磨(臼)、扇車、大車(大八車)、轎車、石製の農具が展示されている。

    ←オフシーズンのため、観光客が少なく、がらんとした大邸宅。

  • 東南アジア方面から輸入されたという水牛がモチーフの巨大な木彫りの鏡「犀牛望月鏡」。<br />”撮影禁止”と書いてあって、監視カメラも付いていたが、みんな撮っていたので、私も恐る恐る撮影。<br /><br />●喬家大院の珍宝(お宝)<br />1.犀牛望月鏡<br />200年前に東南アジアから輸入されたといわれる鉄梨木製を彫刻して作られた鏡で、国家一級保護文物(国宝)である。<br />2.九龍灯号<br />貴重な黒檀で作られた灯で、九匹の龍をかたどっていることから“九龍灯”と呼ばれる。<br />3.玉の白菜<br />西太后が、西安に逃れる際、喬家に寄り、厚いもてなしを受けたことから贈られたといわれている。<br />本物の白菜と大きさが同じで、玉の白菜の上には二匹のキリギリスを見ることができる。<br />4.古印<br />喬家には、78個の寿山、青田など貴重な玉石を使用した印章があり、それぞれ上部に文字が刻んであり、全てを合わせると《文昌帝君陰徳[陟/馬]文》という文章の全文になる。<br />明代の著名な篆刻家、文彭の作。<br />5.万人球<br />万人球とは清朝末期に水銀ガラスで製作された鏡で、主人が部屋のどこに座っても、部屋の隅の物まで映し出すという特徴を持っている。<br />

    東南アジア方面から輸入されたという水牛がモチーフの巨大な木彫りの鏡「犀牛望月鏡」。
    ”撮影禁止”と書いてあって、監視カメラも付いていたが、みんな撮っていたので、私も恐る恐る撮影。

    ●喬家大院の珍宝(お宝)
    1.犀牛望月鏡
    200年前に東南アジアから輸入されたといわれる鉄梨木製を彫刻して作られた鏡で、国家一級保護文物(国宝)である。
    2.九龍灯号
    貴重な黒檀で作られた灯で、九匹の龍をかたどっていることから“九龍灯”と呼ばれる。
    3.玉の白菜
    西太后が、西安に逃れる際、喬家に寄り、厚いもてなしを受けたことから贈られたといわれている。
    本物の白菜と大きさが同じで、玉の白菜の上には二匹のキリギリスを見ることができる。
    4.古印
    喬家には、78個の寿山、青田など貴重な玉石を使用した印章があり、それぞれ上部に文字が刻んであり、全てを合わせると《文昌帝君陰徳[陟/馬]文》という文章の全文になる。
    明代の著名な篆刻家、文彭の作。
    5.万人球
    万人球とは清朝末期に水銀ガラスで製作された鏡で、主人が部屋のどこに座っても、部屋の隅の物まで映し出すという特徴を持っている。

  • 喬家大院では、名監督チャン・イー・モウと女優コン・リーのコンビで≪大紅灯篭高高掛≫(日本名:紅夢)が撮影された。<br />この映画以外にも多くの映画が撮影されており、邸宅のいたるところに、撮影時の写真パネルが貼ってある。<br /><br /><br /><br />●喬家大院で撮影されたドラマ、映画 <br />《大紅灯篭高高掛》、《楊家将》、《上党戦役》、《昌晋源票号》、《趙四小姐與張学良将軍》、《評梅女士》、《解放》、《狄人傑》、《尋找魔鬼》、《崔秀英》、《竜虎斗》、粉碎C号行動》、《翻身》、《心霊深処》、《臨汾攻堅戦》、《同浦恋歌》、《渤海魂》、《血濺玉芙蓉》、《愛嬰活動在山西》、《那年歳月》、《再世情縁》、《晋魂》<br /><br />

    喬家大院では、名監督チャン・イー・モウと女優コン・リーのコンビで≪大紅灯篭高高掛≫(日本名:紅夢)が撮影された。
    この映画以外にも多くの映画が撮影されており、邸宅のいたるところに、撮影時の写真パネルが貼ってある。



    ●喬家大院で撮影されたドラマ、映画
    《大紅灯篭高高掛》、《楊家将》、《上党戦役》、《昌晋源票号》、《趙四小姐與張学良将軍》、《評梅女士》、《解放》、《狄人傑》、《尋找魔鬼》、《崔秀英》、《竜虎斗》、粉碎C号行動》、《翻身》、《心霊深処》、《臨汾攻堅戦》、《同浦恋歌》、《渤海魂》、《血濺玉芙蓉》、《愛嬰活動在山西》、《那年歳月》、《再世情縁》、《晋魂》

  • 映画撮影時の小道具。<br />中国版わら人形か?<br />

    映画撮影時の小道具。
    中国版わら人形か?

  • 入口からまっすぐ進んで右奥には、庭園がある。<br />商店やトイレもあり、休憩するのにいい。<br />

    入口からまっすぐ進んで右奥には、庭園がある。
    商店やトイレもあり、休憩するのにいい。

  • 邸宅内は高い壁で各院落に仕切られている。<br />

    邸宅内は高い壁で各院落に仕切られている。

  • ドアの取っ手のデザインも非常に凝っている。<br />

    ドアの取っ手のデザインも非常に凝っている。

  • 「百寿図照壁」。<br />

    「百寿図照壁」。

  • こちらの院落では、主に婚礼に関する展示が行われている。<br />

    こちらの院落では、主に婚礼に関する展示が行われている。

  • 「洞房」。<br />

    「洞房」。

  • 中国の時代劇ドラマでおなじみの、封建社会の婚礼の展示。

    中国の時代劇ドラマでおなじみの、封建社会の婚礼の展示。

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