2003/07/27 - 2003/07/27
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4nobuさん
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今日は一人ハイク。シンプロン峠を歩くことに。
ツェルマットに行く時、氷河特急に乗った時、などスイスの旅でブリックを通過することが多い。この町はスイスとイタリアの間のシンプロン峠のスイス側にあってかっては交易で栄え、今も交通の要衝である。ここのオールドタウンにスイス最大の私邸のストックアルバー城がある。シンプロン峠はスイスとイタリア換言すればヨーロッパ大陸と地中海地域の貿易街道の要だったがこの街道を整備し交易と塩の専売で莫大な利益を得た結果の自慢の館である。
この街道は17世紀以降密輸業者が利用していたがストックアルバー家がここに定期的な郵便サービスシステムを作りゴンドと峠に宿泊所を建設した。しかし当時はロバの背に商品を載せた方法でこれまでにあった狭い路の整備のみであった。車が通れる広い路の整備はナポレオンの工兵隊の技術成果である。ナポレオンはイタリア攻略のため「ブリックからドモドッソラに通じる道を大砲の通過を可能にすべし」と命じた。この峠は標高が低くまた積雪が比較的少ないことから選ばれ、絶対優先権があたえられた。近年自動車道が整備されたので今もイタリアへの輸送では重要な街道である。
一方ここに世界最長の鉄道トンネルが掘られて、私もツェルマットなどヴァリス地方に入る最短路としてよく利用する。ブリックに入る峠のバス路線はいまでは地元の利用が主で観光上の魅力は少なくなった。それがまた魅力でもあって丁度時間の余裕もあったので出かける。
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ブリック駅で。
夏季日曜日だけ運行される観光特別列車。 -
観光列車の蒸気機関車。このブライトホルンは機関車のニックネーム?
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観光客には無蓋車の方が人気。
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ナポレオンの道路建設の時に建設を始めたシンプロン峠の宿泊所。完成せずに放置されていたのを修道士たちが完成させたHospiz(宿泊を許す修道院)。なおブリック側に離れた眺めのいいところに後年建てられたホテルがある。
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峠の小高いところに石造りの鷲の像が建っている。
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この鷲の石像は第二次大戦の「国境警備隊」の活躍をたたえて建設された。
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峠には新しいドライブインができ、その動力源として風力発電の風車がある。
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峠からイタリア側に少し行ったところにシュトックアルバー家が造った鐘楼つきの避難・宿泊所(Alter Spittel)が現れた。ずい分立派な建物にびっくりする。
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充分に使える状態に管理されているが・・。軍の建物が横にあることからたそこの倉庫にでも使ってるのだろうか。
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街道の小さな部落ニーダーアルプで部落全員が集って食事をはじめた。
なんの催し?日曜だから? -
新街道は自動車道だが私は旧街道をずっとあるく。ここはナポレオン時代よりも更に古い街道でせまい。その時代にはロバの背で荷物を運んだ。
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ここは道幅が広い。ナポレオン時代のか。
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街道の小さな部落エッガのレストラン。
ある登山ルートの始点なのだが全く人に会わない。商売になるのだろうか心配。 -
エッガの部落を通る狭い街道。もう一つ、やや広い道が部落の横を通っていた。そちらがナポレオン街道なのだろう。
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エッガの部落の小さな教会
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シンプロンドルフ(村)。この先の街道の著名な町ゴンドまで行くつもりだったが、曇りで展望が悪いし明日のシャモニーへの移動もあるのでここで切り上げて帰ることにする。
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村の中心にある道標。この街道のイタリアとスイスの始点ドモドッソラとブリックから等距離の31kmと表示されてる。
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郵便局とホテルレストランのある村の中心。そこに私とは反対方向に行くポストバスが停まった。
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