2005/09/24 - 2005/09/24
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井上@打浦橋@上海さん
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私が参加してます中国旅行情報MLのオフ会が、今人気の圓苑で
あるということで、そのレストランまでの散歩道の様子を記録してきました。
上海でもなかなか素敵なところにあるレストランですので、
タクシーで直接店へ横付けってのは味気ないです。
お時間があるのなら、その付近の道を散歩されながら行くことをお勧めします。
私の採ったコースは徐家匯から、徐家匯公園を抜け、
余慶路に入り、北上し、興国路を行くコースです。
このコースのハイライトは、何と言っても軍艦ビルです。
昔のノルマンディー・アパートメント、現在の武康大楼です。
なお、圓苑に関しましては下記が詳しいです。
http://www.koitra.net/taste/shanghai02/
-
中国旅行情報MLのオフ会は5時半からです。
徐家匯からオフ会会場まで散歩するつもりでしたので、
3時過ぎに家を出ました。
このバス停は、我が家の近くの打浦橋バス停です。
徐家匯までですと、ココから出ていますバスのうち96路以外はすべて行きます。
このうち806路は虹橋空港まで行きます。
机場三線は浦東空港からこのバス停に止まり、虹橋開発区まで行きます。
私が利用しましたのが985路バスです。
これは陸家嘴から上海体育館まで行くバスです。
徐家匯までは2元です。 -
ここが徐家匯のバス停です。
徐家匯は上海の渋谷か新宿と言ったところですので、バス停はたくさんあるのです。このバス停はそのうちの一つでして、天平路徐家匯という名が付いております。
前方をチョイ言ったところに天平路がありまして、更に向こうに行きますと、徐家匯の中心部となります。
右は徐家匯公園です。 -
徐家匯公園に入りました。
この橋は、公園の中の李家を渡る橋です。
暫く行き、振り返りました。向こうが徐家匯中心部です。 -
進行方向向こうは衡山路・宛平路・建国西路・広元路が交差するあたりとなります。
橋の上ではお母さんに抱かれた赤ちゃんを写す人が・・。どうも、持ってるのはデジカメのようですね。
徐家匯公園は出来て何年だろう・・4年は経ってませんね。以前はこのあたりタイヤ工場だったんです。
あとレコード会社もありました。 -
橋の端まで来ました。
木陰のベンチで憩う人たちです。
中には、抱きあって濃厚なキスをする人も・・・
こちらの人は、大胆ですね。
このあたりは、もう、以前レコード会社があった敷地でしょう。 -
これが昔ココにあったレコード会社(中国唱片廠)の社屋です。この建物だけは残してありして、今はレストランと記念館になってます。
レストランは日本人が関係してると聞いていますが、いまでもそうなのかは不明です。
中国唱片は昔は百代唱片と言っていたようです。これはEMIと関係があるようです。
周璇の「何日君再来」もココで録音されたのかもしれません。
この建物の向こうが衡山路です。 -
徐家匯公園の北側を走る衡山路に出ました。
そこから、先ほどの建物を振り返りました。
衡山路は徐家匯から北東に伸びる道でして、宝慶路を経由して淮海中路に繋がります。
衡山路の昔の名はAvenue Petain(貝当路)です。 -
余慶路に入ります。
昔の名はRoute Edan(愛棠路)です。 -
幼稚園のようです。
この建物も優秀歴史建築に指定されてるようです。
壁にそれを示す銘板が貼り付けられていました。 -
5・6人が集まって、なんやら、ああだこうだ言ってました。話してることが耳に入ってきましたが、どうも
このあたりのお邸を買おうとしている人が、この中にいるようです。
このあたりのお邸でしたら、3000万元、4000万元の世界なのかと思います。日本円で4億、5億ですね。 -
広元路との交差点です。
-
余慶路を更に行きます。
車も人も少ないです。 -
ここは、まず、超お偉方が住んでる空間なんでしょう。たとえばコキントちゃんの前のえざわさんとか・・・・・
なんせ、余慶路のこの区間(広元路と康平路の間)では、武装警察の人・2人から写真を撮るな!!と注意されましたから・・・。 -
どうですか・・・なかなかなもんでしょ!!
この並木道。
右側が中国の超お偉方のお邸でしょう。
左側には小区がありました。 -
その超お偉方のお邸の対面にあります小区です。
名前は愛棠新邨です。
余慶路の昔の名・Route Edan(愛棠路)から来てるんでしょう。 -
康平路との交差点です。
この写真の右奥辺りで、1966年に康平路事件と言うのが起こったそうです。この事件が上海での文革派の権力掌握の始まりだそうです。 -
康平路を超えましたら余慶路にも、このような下町っぽい風景がホンの少しありました。
-
余慶路を更に北に行きます。
人通りも、車の少ないですね。 -
貴竹園というレストランですね。
場所が場所だけに高いのかなと思いましたが
http://www.fenleibang.com/me/1.1.4.4,10968414,001.htm
を見ましたら、結構安い店のようです。
本帮菜となってますから地元の上海菜なんでしょう。
上海蟹を頼まなければ一人当たり50元でOKのようです。
「陽澄湖大閘蟹」と書かれてますね。
地元の人は上海蟹なんて言う言い方はしません、
ドゥザハーと言います。大閘蟹の上海語読みです。
でもって陽澄湖という湖で獲れたものが最高とされています。
その下には「青壳白肚金爪黄毛」と書かれています。
これは初めて知りましたが、調べましたら「青背白肚金爪黄毛」とも書くようです。
つまり一等品は・・・
背が青く、腹が白く、爪が金色で、毛が黄色・・・
と言うことなんでしょう。 -
レンガ造りのアパートですね。
-
余慶路はもうスグ終わりです。
やはり人通りが無い。 -
淮海中路が近づいてきました。
余慶路はココで終わります。
向こうを左から右へ行きますバスは911路2階建バスです。 -
さあ、今日のハイライト・軍艦ビルが目の前に現れました。
-
軍艦ビルの南側を走ります淮海中路です。
この建物の対面には宋慶齢故居があります。
更に向こうへ行きますと右側に上海図書館が姿を現します。 -
反対側の面を走るのが武康路です。
武康路は淮海中路に鋭角的に交わりますので、この建物も、その2つの道に挟まれてくさび形の形になってるのです。
この建物は、現在は武康大楼と呼ばれています。
昔の名は、諾曼第公寓・・つまりノルマンディー・アパートメントです。
上海歴史ガイドマップによりますと・・・
淮海中路と武康路角の三角地に建つ8階建てのビル。1924年万国儲蓄会建造。フランス・ルネサンス風の外観。1階街路沿いはアーケード式の回廊。
・・・となっています。 -
武康側のえぐれてる部分は、こんな感じになってるんですね。
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午後4時前の日差しの中、光が当たっているレンガ壁と、影になっているレンガ壁の色合いの違いが、面白いかなと、自分では、思ってんですが・・・
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武康大楼の武康沿いの1階にあります画廊です。
潔思園画廊となってますが、香港系の有名な画廊のようです。 -
武康大楼をあとにして興国路を北に行きます。
もう一度振り返りました。
向こうの道が武康路です。 -
こちらが進行方向の興国路です。
右側も珈琲店。
左側のレインボー模様の看板の店も珈琲店のようです。 -
興国路を更に北に・・・・
-
果物屋さんですね。
金絲蜜柚はザボンでしょう。 -
興国路もこの辺りに来ますと、なんか庶民的になります。
ココは高麗亜焼烤と言う韓国式焼き肉屋のようです。
ハングル文字も見えますが、日本の平仮名も・・・・
でも、なんだかワカラン平仮名です。
「かんニしきしニし」と書かれています。 -
子供用の雑貨店ですね。
ウルトラマンもあります。帽子も売ってます。
私設公衆電話もあります。市内電話ですと5角でしょう。
正規の公衆電話ですと1元ですから、そこよりは安いということです。
腰を曲げてる白髪のおばあさんが店主です。 -
さあ、そろそろ泰安路も近づいて来ました。
圓苑も見えてきました。 -
圓苑に着きました。
でも、まだ4時です。
オフ会が始まるのは5時半です。
ということで、また、この近辺を散歩してきたのでした。
その散歩記録は別途で・・・・・
では。
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この旅行記へのコメント (5)
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- イスカンダル亜力山大さん 2005/10/07 16:50:04
- 小紅楼(La Villa Rouge)
- 井上@打浦橋@上海さん、まいど!
イスカンダル亜力山です、
> これが昔ココにあったレコード会社(中国唱片廠)の社屋です。
> この建物だけは残してありして、今はレストランと記念館になってます。
おっ、この建物は小紅楼(La Villa Rouge)ですね。
骨董価値があるレコード盤の溝を刻む機械が、入口に展示されてますヨね。
よく盗まれないモノだと感心しました。
24時間体制でガードマンが貼り付いてるのかなぁ。
辺りにそれらしき人影は見たことないですが。
- 井上@打浦橋@上海さん からの返信 2005/10/08 07:40:46
- 小紅楼と孔乙己酒家の格差
- イスカンダル亜力山さん、どうも。
小紅楼(La Villa Rouge)はメチャメチャ高いそうですね。
一人当たり1000元、2000元の世界だとか・・・
昨晩行きました孔乙己酒家なんか一人当たり40元ですから・・・
上海は格差が、ドンドン広がるのだ・・・・・・・!!!!!
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- 東明路@上海さん 2005/09/27 01:24:03
- えざわさん?
えざわ=Jiang Zemin
この人、日本のI商社から1億円の口銭貰った話は有名ですね〜!
彼の愚息も各国から貰ってるようです。
“人民”も銭に走るのは当然でしょうな。
それに比べて相棒のしゅさんはキレイデシタ。
彼は本当に惜しまれますね〜。
-
- 東明路@上海さん 2005/09/26 01:39:25
- 百代少紅楼
この建物について、9月4日の「星期日新聞晨報」の記念抗日戦争勝利60周年特別報道に依りますと、『向起≪義勇軍行進曲≫的旋律』という記事が載っていますね。
その他この日曜版には「76号の李士群」「丁黙村刺殺事件」「岩井公館」
「汪精衛(兆銘)の‘梅機関・東体育会路7号」いろ色あって読み応えあります。
- 井上@打浦橋@上海さん からの返信 2005/09/26 11:46:33
- 丁黙邨・李士群・鄭蘋茹・近衛文隆
- 東明路@上海さん、どうも。
岩井公館というのは初めて聞きます。
岩井機関というのもあったようですね。
東体育館路7号の梅機関ですか。
地図で調べましたが、魯迅公園の北から更に知多に延びる道ですね。
7号と言うことですから魯迅公園には近いと思いますが、
日本人が住んでいた地域とは外れてるような気がしますね。
丁黙邨刺殺事件ですか・・・・暗殺事件は銃で狙われたはずなんですが・・・
でもって、この事件に絡む女性が鄭蘋茹という美女です。
父は中国人で母は日本人のハーフ。
当時、近衛文麿の息子の近衛文隆と付き合っていた女性です。
この辺の話は西木正明さんの「夢顔さんのよろしく」にも出てきます。
また下記にも詳しいです。
http://china.sina.com.tw/local.sh/xiuxian/lmst/1616.html
また胡桃沢耕史の「上海リリー」では、
丁黙邨も鄭蘋茹も李士群も出てきます・・・
それぞれ名前は少し変えてありますが。
なんせ、この時代の上海は面白いです。
いくらでも小説や映画などが出来そうです。
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