2005/08/05 - 2005/08/06
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tomohi-さん
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アメリカの歴史学者ハイラム・ビンガムが、およそ100年前に草に覆われた段々畑をよじ登って見つけたというこのインカの遺跡マチュピチュ。インカの遺跡自体のことはよく知らないけれど、この学者さんがこの遺跡を発見したときの感動をほんの少しでもこの目で実感できた気がしました。「息をのむ」とはまさしくこういうことだと思いました。
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まずは、マチュピチュの遺跡のふもとの街アグアスカリエンテスからバスに乗ります。歩いても登れるようですが、時間があまりなかったので2日間ともバスを使いました。
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バス料金は・・確か日本円で1200円(往復)くらいだったと思います。
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標高差400mの斜面を、往復13回のジグザグ道を通って登っていきます。時間にして20〜30分くらい。1本道で、大して広くもないのに下からと上からのバスがすれ違うせいか、砂利道のせいか、あまりスピードは出してません。(すごく揺れるけどね。笑)
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車窓から見える隣の高い山がまた幻想的です。
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だんだん隣の山の高さに近づいてきて、空も近くなってきます。
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上に着くと、ふもとの街があんなに下に小さく見えます。
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いよいよ遺跡を見に行きます。ここでは又入場料、確か一人20ドルほど取られますが、遺跡保護にも一役かえると思って気持ちよく払うのがいいそうです(笑)
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見えてきました!
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見えてきました!!!
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1日目は、ガイドと一緒に回りました。まずはここで遺跡全体の説明を聞きました。英語とスペイン語のガイドだったかな〜・・(あまり聞いてないので覚えてない・・苦笑)
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まずは、入っていって右側のほうの遺跡から見ました。
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インカの歴史や建築様式には詳しくないので、よくはわかってないのですが・・
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でも、どこを見ても「見事」ではあります。
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足元もあまり良くなく、お年寄りが多いので心配になります。
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ところどころでガイドさんが説明をしてくれますが、私は、日本語のガイドブックと写真でその遺跡の意味を理解(苦笑)
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坂がきついところも本当に多い。無理に登らなくても、この空間に身をおくだけでも十分満足のいく遺跡ではあります。
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「太陽の神殿」石でこのように素晴らしい曲線を描いています。自然石の上に建てられた見事な石積み技術は、マチュピチュ随一といわれているそうです。
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神殿を見上げると、東に向いた二つの窓があり、一説には、ここには金や銀が付けられ、朝の光を受けて神殿にスポットを当てていたとも言われているそう・・。
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真東向きの窓からは冬至の夜明けの光が、南東向きの窓からは夏至の夜明けの光が差し込むようになっているとか。
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しかも、その日の出の光は、ちょうど山の頂越しに射して、それはそれは見事なんだそう。
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自然石の形がコンドルの翼に見える「コンドルの神殿」。わかるかな?
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後ろの石がコンドルの「翼」をイメージさせるもので、前の手元の部便が「頭」をイメージさせる。
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頭部分のアップはこんな感じ。
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この「コンドルの神殿」は、牢獄だったのでは・・という説もあって、翼の上部付近にはこのような3つの独房がある。壁にある穴に手を入れさせられ、かせをはめると抜けない仕掛けになっている。このような仕掛けは他にもあり、集団生活の中の刑罰は見せしめの意味もあり、頻繁に行われていたらしい。
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インカ帝国ではにはアマスア(盗まない)、アマケア(怠けない)、アマユア(だまさない)の掟を破ったものに対して重い刑が下されていたそうです。特にアマケアの反逆に対して最大の刑が下され、数日間食べ物を与えなかったり、水の音だけを聞かせて水を与えなかったりしていたようです。
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「コンドルの神殿」からもっと奥(北のほう)に向かうと、工業地帯と呼ばれる場所になります。
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この地区の中央付近に、2つの鉢の形をした岩があります。この岩は陶芸のために使用されたとも、石臼のように使用されたとも、天体に対する鏡だったとも言われているようで、真相は明らかになっていないようです。
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中央の広場の側から、「コンドルの神殿」から「工業地帯」にかけてを見た感じです。
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工業地帯(技術者たちの居住区も含む)全体。
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天然(?)のアルパカさんたちも、のんびり遺跡巡りしてます(笑)
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かわいすぎます♪
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ここだけ時間が止まってるような、本当に神秘的でかつのどかな、不思議な空間でした。
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マチュピチュの遺跡の向かって左(西)側に「神聖な広場」と呼ばれる場所があります。神殿に囲まれていることから最も重要な儀式の場所として利用されたと考えられ、形式的な祭典の中心地だったのであろうといわれているようです。
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この広場の西側にある「3つの窓の神殿」。インカ発祥に関する2伝説の1つで、タンプトッコという3つの穴から8人の兄弟姉妹が湧き出し、そのうちの1人が第1代皇帝マンコカパックとなりクスコでインカ帝国の基礎を築いたという伝説がある。マチュピチュの遺跡調査が始まったときから、この3つの窓こそタンプトッコではないかといわれているそうです。
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この神殿を形成している岩石は、綿密に磨き上げられモルタルを使用しないで積み上げられているなど手間暇かけて造られており、マチュピチュが単にスペイン軍に追われた逃げ場として急遽作られたものではないのではないかということが伺えるそうです。
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広場の北側にある「本神殿」。町の中で最も美しく精巧な技術で建造された城壁(壁は3面)を持ちます(神殿の横幅は約8m)。神殿にある壁がん(壁のへこみ。何かを飾るためのもの)は等間隔で設置されており、申し分ない出来栄えであるといわれるそうです。壁の下側には磨き上げられた岩石が横たわり、礼拝の祭壇だったと思われます。建物がやや傾き、壁にひびが入ってきているのが心配されているそう・・。
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広場にある長斜形の不思議な石は南十字星を表していて、その方向を示していることから、天文的な機能をしていたと思われる。
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突き出した半月形の大塔は月の観測場。神聖な広場から月を眺めたと思われます。
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神殿の前方をさらに奥に進んでいくと、マチュピチュの最高点に着きます。ここには高さ1.8mの日時計「インティワタナ」があります。インティワタナとは「太陽の動く道(黄道)」を意味するそうです。
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大石を削って造られており、突き出した角柱は約36cm。この角柱の稜を結ぶ対角線を冬至に太陽が通過することから日時計であるといわれているが、真相は定かではないそうです。つまり、角柱の各角は東西南北を指していて、太陽暦を利用していたインカ帝国の種まきや収穫の時期を決める大きな役割を果たしたのではないかと考えられるそうです。
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ここの左側の斜面に若干の段々畑があるのだけれど、実はこの遺跡の発見者ビンガムは、1911年にこの斜面を上り詰めて発見に至ったとか・・。すごいね〜〜
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遺跡の1番奥のほうにある「聖なる岩」。写真には写っていないけど、後方の山とこの岩はとてもよく似た形をしています。この大きな岩はたくさんのエネルギーを感じる事ができるそうです。
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さて、また遺跡入り口付近の段々畑のほうに戻ってきました。
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1番上の高いところに見えるのが「見張り小屋」です。
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それにしても・・この段々畑のスケールの大きさは圧巻でした。何千人もの人がこの畑でじゃがいも、とうもろこし、コカの葉など約200種類もの作物を生産していたそうです。そんな光景はさぞかし壮観だったことでしょうね。
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インカは段々畑を作るのにかけて天才的な能力を発揮したらしい。マチュピチュやインカ道をつなぐ遺跡には1万とも言われる人々が生活していたのだから、生活の糧を生産するにはこの技術は必至だったとも考えられる。いや〜でもそれにしてもこんなところに仕事に行くだけでも大変そうだよ〜・・・
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段々畑は、上から見るとこんな感じです。
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段々畑を登っていくと、おなじみのこの絶景が見えてくるのです。
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すごいね〜〜
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しばし遺跡を眺めて感慨にふける・・・
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段々畑で、こんな風に農作業の手を休めて休んだりしたのかな〜〜・・・
疲れも癒えるような絶景です。 -
帰りのバスでは「グッバイボーイ」にも会いました。ジグザグに道を降りていくたびにこの子が「グ〜ッバァ〜〜〜イ」「ア〜ディオォ〜〜〜ス」と叫んで手を振ってくれるんだけど、その言い方がちと気持ち悪い・・(あ、ごめんなさい。苦笑)
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ある程度下まで来ると、バスに乗り込んで来てチップをもらいます。「滅多に会えない」とか「禁止令が出てこの仕事はなくなった」と仮説はあったけど、普通に1台に1バスの割りで担当(?)の子がついて挨拶してたよ・・(苦笑) しかも、帰りの(登る)回送バスにちゃっかり乗り込んで次の仕事に向かっていってたし・・(笑)
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