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 ヘルシンキからストックホルムまでは夜行のフェリーに乗った。船は満席で座席に座れずデッキで買い込んだパンを食べるが寒い。ヘルシンキのユースホステルで知り合ったオーストリア人、チャージャーがウオッカを勧めてくれた。アルコール度60度のウオッカはチビチビのんでものどが熱い。体を温めるために少しずつ時間をかけて飲んでいると、チャージャーは一気飲みしている。ウオッカに飲み慣れたヨーロッパ人はすごいと思った。隣にいたストックホルムのハイスクールの同級生という18歳のカップルがウオッカを飲ませてほしいと言うのでコップに少し注ぐと、なんとディープキスをしながら口移しで飲んでいるではないか。「これが北欧なのか」と日本では見られない(最近は知らないが)光景を目を丸くして見ていても、2人の世界に陶酔しきっている。随分刺激されたがどうしようも無く、チャージャーと日本から持って来た海苔、チーズ、ラーメンをつまみにやけ酒のようにウオッカをチビチビ飲んでいた。<br />ストックホルムではユースホステルが満員で、インフォーメーションで安いペンションを予約し、2階建てバスで市内観光をした。2階に乗るのは初めてだったが、良く揺れるし、狭い道では民家にぶつかるのではないかとひやひやしていた。<br />王宮は1754年に完成したイタリア・バロック、フランス・ロココ様式の王室の居城。衛兵が2人立っていたがじっと見ると照れくさそうに苦笑いしている。「入口はどこか」と聞くと顔をまっすぐ前に向けたまま、いかめしい声で「右にまっすぐ」と答えた。衛兵に質問してはいけないことも知らなかったのだが、質問に答えた衛兵も初めてで、後にも先にも知らない。それだけスエーデンの王室は国民に近いのかも知れない。<br />また、街を歩くとヨーロッパ風の石畳の道や急な坂があり、ユトリロが描いたような美しい家並みをみることができた。<br />スエーデンと言えば充実した社会保障の国、ノーベル賞を授与する学術の国、世界大戦でも中立を守った平和な国、というイメージを持っていたが、コンサートホール前では深夜までヒッピー達がたむろし、マリファナなどの回し飲みをしている姿も見た。ストックホルムでは街の住みやすさもあり、無銭旅行が流行だったこの時代に、日本人の若者が旅行資金稼ぎのためにレストランの皿洗いなど1000人も働いていると聞いた。現在の日本と同様にフリーターや無職の若者が目立つ国だったが、社会保障が整備しすぎると若者が働かなくなる傾向があるのだろうか、と考えさせられる国だった。<br />(写真はストックホルムの港)<br />

欧州バックパッカーの旅【5】 1971年のスエーデン・ストックホルム

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1971/07/26 - 1971/09/20

472位(同エリア1987件中)

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さすらいおじさん

さすらいおじさんさん

ヘルシンキからストックホルムまでは夜行のフェリーに乗った。船は満席で座席に座れずデッキで買い込んだパンを食べるが寒い。ヘルシンキのユースホステルで知り合ったオーストリア人、チャージャーがウオッカを勧めてくれた。アルコール度60度のウオッカはチビチビのんでものどが熱い。体を温めるために少しずつ時間をかけて飲んでいると、チャージャーは一気飲みしている。ウオッカに飲み慣れたヨーロッパ人はすごいと思った。隣にいたストックホルムのハイスクールの同級生という18歳のカップルがウオッカを飲ませてほしいと言うのでコップに少し注ぐと、なんとディープキスをしながら口移しで飲んでいるではないか。「これが北欧なのか」と日本では見られない(最近は知らないが)光景を目を丸くして見ていても、2人の世界に陶酔しきっている。随分刺激されたがどうしようも無く、チャージャーと日本から持って来た海苔、チーズ、ラーメンをつまみにやけ酒のようにウオッカをチビチビ飲んでいた。
ストックホルムではユースホステルが満員で、インフォーメーションで安いペンションを予約し、2階建てバスで市内観光をした。2階に乗るのは初めてだったが、良く揺れるし、狭い道では民家にぶつかるのではないかとひやひやしていた。
王宮は1754年に完成したイタリア・バロック、フランス・ロココ様式の王室の居城。衛兵が2人立っていたがじっと見ると照れくさそうに苦笑いしている。「入口はどこか」と聞くと顔をまっすぐ前に向けたまま、いかめしい声で「右にまっすぐ」と答えた。衛兵に質問してはいけないことも知らなかったのだが、質問に答えた衛兵も初めてで、後にも先にも知らない。それだけスエーデンの王室は国民に近いのかも知れない。
また、街を歩くとヨーロッパ風の石畳の道や急な坂があり、ユトリロが描いたような美しい家並みをみることができた。
スエーデンと言えば充実した社会保障の国、ノーベル賞を授与する学術の国、世界大戦でも中立を守った平和な国、というイメージを持っていたが、コンサートホール前では深夜までヒッピー達がたむろし、マリファナなどの回し飲みをしている姿も見た。ストックホルムでは街の住みやすさもあり、無銭旅行が流行だったこの時代に、日本人の若者が旅行資金稼ぎのためにレストランの皿洗いなど1000人も働いていると聞いた。現在の日本と同様にフリーターや無職の若者が目立つ国だったが、社会保障が整備しすぎると若者が働かなくなる傾向があるのだろうか、と考えさせられる国だった。
(写真はストックホルムの港)

同行者
一人旅
一人あたり費用
100万円以上
交通手段
鉄道
  • ストックホルムの街並。ヨーロッパ風の石畳の道や急な坂があり、ユトリロが描いたような美しい家並みをみることができた。

    ストックホルムの街並。ヨーロッパ風の石畳の道や急な坂があり、ユトリロが描いたような美しい家並みをみることができた。

  • 王宮。1754年に完成したイタリア・バロック、フランス・ロココ様式の王室の居城。写真が無いので買ってきていた絵葉書をUPした。

    王宮。1754年に完成したイタリア・バロック、フランス・ロココ様式の王室の居城。写真が無いので買ってきていた絵葉書をUPした。

  • ストックホルムの港。フェリーの運航は多い国だ。<br /><br /><br />

    ストックホルムの港。フェリーの運航は多い国だ。


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この旅行記へのコメント (2)

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  • 魔女ランダさん 2005/07/06 00:14:47
    私の生まれる前のストックホルム。
    こんにちわー。

    私は仕事でよく北欧に行っていたのですが、
    自分の生まれる前のストックホルムを見てみたくてお邪魔しました。
    今に比べてやはり建物も少ないし、地味な印象です。
    さすおじはどんな思い出が印象的ですか?

    さすおじ、随分古いものにも着手始めたんですねー。(*~o~*)~~* 
    頑張って、人生の記録をご紹介くださいね。
    お、もう世界地図が黄色くなってきたー!!

    魔女ランダ(*'ー'*)ノ~~

    さすらいおじさん

    さすらいおじさんさん からの返信 2005/07/06 01:04:37
    RE: 私の生まれる前のストックホルム。
    魔女ランダさん スエーデンをご覧いただきありがとうございます。写真をあまり撮ってなくて、すみません。

    スエーデンで一番印象に残ることは、1971年当時、現在の日本と同様にフリーターや無職の若者が目立つ国で、社会保障が整備しすぎると若者が働かなくなる傾向があるのだろうか、と考えさせられたことです。人間あまり豊かになりすぎたら働かなくなるし、貧しくても目標を持ってがんばる時代のほうがいいのかなあ、と思います。

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