2005/04/19 - 2005/04/19
76位(同エリア176件中)
ソフィさん
現在はルノワール、セザンヌらと並ぶ、印象派の巨匠クロード・モネ。
しかしこの一派が、世の中に認められるまでには、一方ならぬ努力と時間を費やした。
そしてどれほどの誹謗と中傷に耐えなければならなかっただろうか?
若い頃から北フランスの雄大な自然を見つめ、画家を目指すために学校を中退したモネ。
パリの画家たちにとって発表の場であったサロンは、世に認められるきっかけとなる一方、辛らつな批評家たちの矢面にも立たされる機会だった。
ルノワールやバジールといった同志と共に画家として歩み始めた彼は、大胆で光に満ちた作品を描きつづける。
サロンで初めて大絶賛を受けたのは、皮肉なことに室内の人物像である「緑衣の女」であった。
この成功によりしばらくは、「人物」を取り入れた作品が続くが、やはり彼のテーマは「外界の光」であった。
「緑衣の女」以来、成功とは縁遠く貧しい状況にあったモネは、友人や親類からの援助で生計を立てながら、それでも光に満ちた風景を描くことをやめなかった。
色はいっそう光の集合となり、徐々に人物の影は風景に同化してゆき、それは更に彼をサロンから遠のける原因となった。
戸外で描くことは、まだ一般的ではなかった当時、債権者に追われてモネとカミーユ、そして息子のジャンはさまざまな土地をわたり歩く。
しかし父の遺産と、少数ではあるが彼の支援者のおかげで、やがてひとときの中流階級の生活を手に入れる。
その頃の穏やかな日々に包まれた小さな幸せは、「アルジャントゥイユのひなげし」のあたたかな日差しの中に感じられる。
だが再び困窮はやってきた。
そして苦労を共にしてきた愛妻カミーユが、2人の子供を残して32歳という若さで死の床につく。
相変わらず酷評を浴びせられる印象派の画家や、数少ない支持者のコレクターたちも、同様に貧しかった。
早くからその一人で「印象 日の出」の所有者であった、オシュデの未亡人アリスは、その6人の子供達とモネの理解者として、共に安息を求めて各地を渡り歩く。
この移動の中で、モネは繰り返し同じ風景を描き、時間や空気により変化する風景を、誠実に見つめ追い続ける。
「積みわら」「ポプラ」「ルーアン大聖堂」・・・。
これらの連作は、冷遇されてきた印象派モネをようやく成功に導いた。
この時モネは50歳。しかし長かった不遇の日々は、彼に不屈の精神と自分の作品への信念をより強くさせていた。
アリスと結婚し、大家族になったモネの最後の土地となったジヴェルニーには、彼の理想とする庭園が徹底して作られていった。彼の主な絵の対象は庭園と旅行先へと絞られていく。モネはたくさんのキャンバスをアトリエに保存し、長い時間をかけて少しずつ少しずつ色を重ねた。無数の絵が満足行かずに、自らの手により焼却されたという。そして印象派としての成功を手にしたのちも、過去に酷評された絵を、アトリエにそっと慈しむように置いて手放さなかったという。
冷たい風に身を切られながら黙々と絵筆を走らせるモネ。
ある時は燦燦と輝く日の下で、まぶしい光を捉え続けるモネ。
そんなひたむきにキャンバスに向かう姿を、彼の絵から想像する。
永遠に完成することがなかったと言われる彼の画。キャンバスに厚く塗り重ねられる色彩。
長い長い信念の時を経て、晩年の彼は(自身では未熟と思いながら)完熟の作品を残すことが出来たのである。
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