2005/04/19 - 2005/04/19
124位(同エリア170件中)
ソフィさん
クロード・モネ(1840-1926)
モネは1840年11月14日パリで生まれ、4歳の時に一家はルアーヴルに引っ越す。若い頃から画家を志しながら父と不和。経済的には苦しむ。
1861年、21歳ルノワール、シスレー、バジールと出会い、24歳の時初めてサロンに入選、しばらくはパリを拠点に活動。
1866年、26歳の時に長男ジャンが生まれ、2年後その母親カミーユと結婚。
1873年32歳、「印象日の出(Impression Soleil levant)」を制作。これを保守的な美術記者ルイルロワがこの作品のタイトルを使い「印象主義者の展覧会」と名づけ、嘲笑する記事を書く。この記事がもとで『印象派(ecole impressionniste)』の名前が生まれる。
1876年美術収集家エルネスト・オシュデと出会い、一時期彼の家に滞在。1878年に次男ミシェルが生まれ、この年オシュデが破産。
オシュデは失踪して、オシュデの妻のアリスと6人の子供がモネの家に転がり込んでくる。
翌年妻カミーユが癌のため死去。
1889年にロダンとの合同展で成功するまでの、長い困窮生活。
その間モネは自分の2人の子供、アリスの6人の子供の教育のことも考えて1883年にジヴェルニーに家を借り経済的な安定を得た。
しかし村民は闖入者を白眼視。
1890年にこの家を買い取り、1892年アリスと結婚。
ジヴェルニーの土地はモネの創作意欲を刺激。
1893年頃から彼は北斎に惚れ込み、日本庭園にも興味を持ち、庭に池を作り、睡蓮を育て、太鼓橋を架け、日本から取り寄せた桜・紅葉・牡丹などを咲かせる。
睡蓮の連作は1897年頃に構想を固め、1899年頃から亡くなるまで続く。
1906年には友人のクレマンソーが首相になり、彼とのつながりで睡蓮大装飾
画の国家への寄贈が決まる。この絵は死ぬまで座右に置いて手を入れており、いわば未完成。
1908年頃から視力が衰え始め、色覚を失う直前1923年82歳で白内障の手術を敢行。
そしてなおも制作を続ける。
1926年、ジヴェルニーで死去。享年86歳。
1927年、オランジュリー美術館に「睡蓮」の大連作展示。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ソフィさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
3